ウズベキスタンは、ソビエト時代の民族別国境画定(1924年~1925年)によって、
人為的に国境が定められて来た。 フェルガナ盆地の東端がウズベキスタンと
キルギスに分割され、更に1929年には、ウズベキスタンの一自治州だった
タジキスタンが連邦構成国へと昇格したことで、現在の国境線が画定された。
ソビエト連邦崩壊後、かつての共和国が民族や宗教、それに領土をめぐって
憎しみ合ったり、紛争に至ったりする原因は、ウズベキスタンも同じだ。
1999年8月、JICA(国際協力機構)から派遣された日本人技師4人が拉致された
事件で、犯行声明を出したのは、『ウズベキスタン・イスラム運動(IMU)』と
呼ばれるイスラム原始主義をうたったテロ組織だった。
IMUは、1998年に組織され、創設者は、原理主義者のタヒル・ユルダシェフとソ連の
落下傘部隊出身のジュマ・ナマンガニ。 彼らは、ウズベキスタンのカリモフ政権
打倒を掲げていたが、本音はウズベキスタン、タジキスタン、キルギスの3国に
またがるフェルガナ盆地に、イスラム国家を樹立することだった。
IMUがその名前を知られるようになったのは、1992年、隣国タジキスタン共和党系
政府と、イスラム系野党勢力タジキスタン・イスラム復興党の間で起きた内戦で、
野党の信任を得て参加したことだった。 そしてこの時、パキスタンのペシャワルで
オサマ・ビンラディンと繋がったという。 その後IMUは、タジキスタンやタリバン
支配下のアフガニスタンをベースに、武装闘争を宣言、1999年から2000年には、
ウズベキスタン政府軍への攻撃を続けていた。
創設者の1人、ナマンガニは、2001年10月に『テロとの戦争』 を遂行する北部同盟
および、アメリカ軍との戦闘で戦死。 ユルダシェフは、2009年にパキスタンの
部族地域のひとつ、ワジリスタンでアメリカ空軍の攻撃を受け死亡した。
アメリカのアフガニスタン侵攻後、ウズベキスタンやタジキスタンのイスラム武装
組織の力は弱体化したと言われている。 しかし、IMUは、以前アフガニスタン
との国境地帯で活動中であり、タジキスタンの反政府勢力も、首都ドゥシャンベ
市内で2007年~2009年に7件の爆弾テロ事件を起こすなど、以前不安定な状況
にある。
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