東日本大震災により、町が壊滅状態となった宮城県南三陸町。

そこには、想像を遥かに超える大津波が何度も押し寄せたが、南三陸町危機管理課
広報担当の遠藤未希さん(当時24歳)は、町民の命を守るために、自分が避難を
促される最後の最後まで、防災無線で町民に避難を呼び掛け続けました。
 
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自らをも省みず、避難を呼び掛け続ける声は、いつしか、『天使の声』と呼ばれる
ようになり、埼玉県にある、公立高校の道徳の教材になりました。 遠藤未希さんの
最後の声は、町民の心に深く刻まれています。 多くの人々が、この声に後押し
されて、高台を目指し、命を救われました。

【遠藤未希さんの最後の声】

只今、津波が襲来しています。
高台へ避難して下さい。
海岸付近へは、絶対に近づかないで下さい。

高台に避難してください
ただいま、宮城県内に10m以上の津波が・・・



多くの町民は、『あの声を聞いて、逃げなければと思った... あの声に救われた
人が大勢いると思う...』と述べています。

結婚したばかりのご主人は、『逃げて欲しかった... そして、生きて欲しかった...
他の人に何と言われようとも...』とブログに綴っています。

また、お母さんは『最期まで頑張ったって、いろんな方に言って頂いたけど...
親とすれば、やはり助かって欲しかった... 私たちは、未希から守られたと思って
います。 本当にいい子でした。』と仰っていました。



防災庁舎を襲う大津波。 津波の高さは屋上をも遥かに超えた。

親を心配させたくないと、仙台の専門学校を卒業し、地元の南三陸町の職員に
なった遠藤未希さんは、被災の1年前から、町の防災課で働いていました。
地震発生当時、防災庁舎には、30名の職員が残っていましたが、3階建ての防災
庁舎の屋上を2メートルも上回る大津波が襲い掛かり、無事が確認されたのは、
南三陸町長を含む8名だけでした。

行方不明になった多くの職員は、防災担当でした。 職員の中には、屋上の更に
上にある鉄塔に登って、助かった人も居ました。 多くの職員は、屋上にある
フェンスにしがみついたが、津波の威力は、想像を遥かに超えていました。

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鉄塔にしがみつく職員達。 この後、津波の威力になすすべもなく流された。

未希さんの両親は、自ら被災しながらも、毎日、遺体安置所となっていた町総合
体育館を訪れていた。 しかし、津波から43日後の4月23日、 未希さんの遺体が、
志津川湾で見つかりました。 志津川湾に浮かぶ、荒島の北東700メートルの
地点で、捜索隊が発見したそうです。 警察のDNA鑑定の結果、震災から50日
余りも経った5月2日になって、ようやく未希さんという事が確認されました。

未希さんの左足には、去年7月に結婚したばかりの夫、正喜さんがプレゼントした
オレンジ色のミサンガが巻かれたままだった。 父親の清喜さんは『ずっと捜して
きたので、やっと娘が見つかってよかったという気持ちはありますが、もう戻って
来ないと思うと寂しい思いが募ります』と話していました。


遠藤未希さんと高校の同級生で、同じく、南三陸町役場で働いていた、
三浦亜梨沙さんが交際相手だった男性に向けて、最後に送ったメール。

防災対策庁舎で津波に流されて行方不明になっていた同町職員三浦亜梨沙さん
(当時24歳)の遺体が、2012年1月に、町内のがれき置き場で見つかっていた事が
分かった。 DNA鑑定を終え、2012年2月に入り、ようやく、無言の帰宅をした。
未希さんとは、剣道を通じて、小学生時代からの知り合いで、役場でも仲の良い
親友同士だった。

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南三陸町被災前の人口
17,700人

2014年3月現在;
死者:619人
行方不明者:219人


南三陸町 語り部バス

【お勧めの一冊】


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