多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:15共和国

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    1991年12月末に、ソ連邦が崩壊し、それまでソ連邦内に15あったそれぞれの
    共和国は、独立し、『独立国家共同体(CIS)』という緩やかな国家連合に移行
    する事となった。 その直接の切っ掛けとなったのは、バルト三国での独立
    意識の高まりと、当時のゴルバチョフ氏が押し進めた、『情報公開』により、
    西側の情報が雪崩れ込んだため、それ以上の国家体制が維持出来なくなり、

    最終的に、ロシアが、同じスラブ人国家である、ウクライナとベラルーシを
    引き連れて、独立宣言を行った事にある。 よって、ウクライナ自体は、独自に
    独立活動をした訳ではなく、あくまでも、ロシアが独立する際の『道連れ』的な
    副産物に過ぎなかった。

    【ウクライナにおけるロシア語の使用率】
    language

    ウクライナは、1991 年に独立するまで、一度も自民族による独立国家を持った
    事がなく、その国境線も 20 世紀の後半になって、ようやく最終画定した経緯が
    あり、特に、東部のロシアとの国境は、長年に渡って、かなり曖昧なままであった。
    また、独立後、数年を経た後でも、ロシアとの国境線は、単なる『県境』程度の
    意味しか持たず、ソ連邦崩壊直後には、CIS内のどこの国境線においても、面倒な
    パスポートのチェック等はなかった。

    ウクライナは、元々は、ルーシ人の国家である、『キエフ・ルーシ』の中心地
    であり、その名の通り、キエフが首都であったが、モンゴルから遥々遠征して来た、
    モンゴル・タタール軍に攻め滅ぼされ、街が徹底的に破壊された後、数百年間に
    渡り、復活する事が出来なかった。 その間、台頭して来たのが、北にある
    モスクワで、当時は、『モスクワ公国』と呼ばれていたのだが、ウクライナは、
    数百年間にも及ぶ、ポーランド支配を脱したかったため、同じ東方正教国家である、
    隣国のモスクワに助けを求めたが、そのまま、モスクワへと吸収され、それ以降、
    モスクワは、『ルーシの正当な後継者』という意味で、『ルーシ国』という意味の
    『ロシア』という国になった。
     
    AS2015021200

    ウクライナは、大きく分けると、西部が、ポーランド、リトアニアとの繋がりが
    強く、ガリツィア地方は、元々ポーランド領であったため、ロシアとの繋がりは
    希薄であった。 逆に東部は、ロシアとの国境線がなかなか定まらず、曖昧な
    ままにされたため、ロシア化が進んだ。西部地域は、ハプスブルグ家の支配を
    受けていた影響もあり、宗教的には、カトリックの影響が強い。 東部は、完全に
    東方正教の影響が強く、ウクライナは、東西格差が非常に大きい地域であった。

    ウクライナでは、独立後の1990 年代は、『中欧』概念の復活に乗じて、
    ハプスブルグの流れを汲む『ヨーロッパの一員』へのアイデンティティーに注目が
    集まり、EU、NATOの東方拡大や、2004年末の『オレンジ革命』を経た後は、
    EU加盟により、『ヨーロッパの一員』を希求するウクライナ・アイデンティティと
    『ヨーロッパの隣人(EUの外)でいる』アイデンティティとして議論される機会が
    増えた。 

    『ヨーロッパの一員』を強く熱望する余り、ウクライナ全域で使用されている、
    ロシア語への批判的な処置が行われ、国内で放送されていたロシア語番組には、
    全てウクライナ語の字幕を入る事が義務付けられ、ロシア語は、基本的に『外国語』
    扱いとされ、ウクライナ語以外は、公の場での使用を基本的に禁止された。

    【オレンジ革命の末路 ダイオキシンを盛られたユーシェンコ元大統領】
    5205109a0a

    2014年に始まった『ユーロ・マイダン』以降は、ロシア寄りの政治家達を全て
    排除し、アメリカの誘導の元、EU寄りへと強引に舵を切ったが、そのEU自体が
    ウクライナ援助に関しては、全く乗り気ではなく、むしろ、ウクライナ排除の
    方向へと向かっている事実をウクライナ国民は全く知らさせてはいない。
    オリガルヒ(新興財閥)らによる情報操作も甚だしく、ウクライナでは、ウソが
    平然とまかり通っている。

    今後、ウクライナがEUの一員になる事を本気で望むのであれば、正しい情報の
    公開と、オリガルヒによる世界でも指折りの腐敗し切った政治を何とかしない限り、
    ロシアからもEU諸国からも愛想を尽かされる事となる。 本来、ウクライナが
    目指すべき道は、地政学的な事を鑑みても、『東西の架け橋』になる事であり、
    自分達の都合の良い主義主張ばかりをゴリ押ししているウクライナが、EU諸国の
    一員になれる日は、未来永劫ないのではないか?

    【お勧めの一冊】



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    ソ連崩壊を決定的にしたのは、ソ連邦を構成していた15共和国中最大の国、
    ロシアが主権宣言を行ったためで、ゴルバチョフ氏がそれまで推し進めていた
    情報公開によって、一気に西側の情報が国内に溢れてしまったため、その急激な
    流れに歯止めが効かなくなった。 ゴルバチョフ氏の当初の考えでは、ソ連を
    崩壊に導くつもりは、毛頭なかったと思うが、民主化の流れは、怒涛のごとく
    押し寄せて、一気にソ連を飲み込んだ。

    それまでのソ連では、買い物をするのにも、スーパーマーケット方式の店が全く
    なかったため、一々レジに3回並ばなければならず、ソ連末期の時代には、食料を
    手に入れるためのクーポン券がなければ、販売すらしては貰えなかった。 外貨
    ショップのべリョースカが、外国人にとっては、食料を自給自足するための
    「ダーチャ」の代わりであったのは、つい25年ほど前の話。 マルボロやグラビア
    雑誌の切り抜きが、賄賂としてまかり通ったのも、この時代。 元々、ソ連では、
    都合の悪い事は、存在しない事になっていたため、法整備すらまともにはされては
    いなかった。 何もかもウソで塗り固めていたが、それでも、一般市民は、それが
    ウソだと分かっていたため、最終的には、ソ連が崩壊したと言うよりも、ウソの
    世界が崩壊したと言った方が分かりやすい。



    ロシア、ウクライナ、白ロシア(現在の名前はベラルーシ)の東スラブ3国は、
    ソ連から独立し、スラブ連合を樹立するとエリツィン氏が宣言し、残りの
    各共和国も、バルト3国とグルジアを除き、それに追随して、新たに緩やかな
    国家連合である、『独立国家共同体』を形成したため、ソ連はその歴史に幕を
    降ろした。 ソ連の崩壊は、実質、このスラブ3国だけで決定した。 他の
    旧ソ連邦の国々は、ほぼゼロからのスタートだったのだが、ロシアだけは、
    旧ソ連邦の負の遺産のほぼ全てをそのまま引き継いだため、天文学的な大赤字を
    背負ってのソ連からの独立であった。

    その後、ソ連の崩壊と共に、ロシアは、地獄の底まで落ちたが、余りの赤字額の
    多さのため、一生掛けても絶対にその赤字を返済出来ないとまで言われたが、
    オイルマネーの波に乗り、その後に彗星のごとく現れた、プーチン氏一代だけで、
    全ての天文学的な赤字を解消した。 その後、何度も通貨危機、テロ等にも
    見舞われたロシアだが、2000年以降からは、経済的にも安定し、かなりの経済
    成長を遂げていたため、25年前のロシアと現在のロシアとでは、全く別の国。

    この25年間で、最も変貌を遂げた国は、間違いなく、ロシア。 24年前までの
    正式名称は、『ロシア・ソヴィエト社会主義共和国連邦』で、通称『エル・エス・
    エフ・エス・エル』と呼ばれていた。

     

    ウクライナは、ロシア人にとっては、最も信用出来る自分たちのパートナー
    であった筈が、ウクライナが漁夫の利を得てソ連から独立を果たしてからは、
    何かにつけて、対立した。 白ロシアは、ソ連から独立をした際に、国名を
    ベラルーシに改めた。 カザフ共和国、キルギス共和国等々も、共和国の部分を
    チュルク語で「国」を表す『スタン』に改めた。

    何もかもソ連、または、ロシアのせいに出来る他の共和国とは異なり、ロシアの
    場合は、例え、失敗をしたとしても、隣国のせいには出来ないため、旧ソ連邦の
    中では、やはり、自分たちが一番でありたいというプライドがある。

    最近の自称ロシア研究家を見ていて、非常に疑問に感じるのは、ロシアと共に
    地獄の底を見てはおらず、単に英語の文章を日本語へと直訳しては、そのまま
    世に垂れ流しているため、ロシアへの風当たりが強い。 25年前も今も、ロシアに
    対する偏見がなくならないのは同じだが、ロシアでは、ロシア語で喋らない限り、
    まともには相手にされないため、せいぜいお客さん程度の扱いで終わって
    しまったか、または、お互いに片言同士の英語で喋ってしまったため、本当の
    ロシアの姿が見えずに終わったのではと感じる。

     

    ロシア国内には、約180の民族、約100の言語が存在し、人の考え方も多種多様
    であるため、一概には言えないが、元々、ロシア人は、非常に親切な人が多いため、
    逆に親切にして貰えなかったとするならば、その人のロシア人に対する接し方が
    間違っていたのであろう。 ロシアに行って、100%良い思い出だけがある訳では
    ないが、それでも、嫌な目にあった数よりも、親切にして貰った数の方が遥かに
    多いため、ロシアは、好き嫌いという以前に、自分の一部。 88年頃に、当時
    共産党第一書記長であった、エリツィン氏が根室を訪れて、『北方領土は日本の
    領土である』と言ったのを覚えている人は、今の日本にはどれぐらい居るのか。
    25年前は、ロシア語ではなく、ソ連語と良く言われた。 何でソ連語なんか勉強
    しているのですか?とも言われたが、それは、もう遠い遠い過去のお話し。

    現在のロシアの国歌は、旧ソ連の国家とは、歌詞が違うだけだが、それは、
    ロシアが、ソ連の継承国である証。 25年前は、ソ連を批判する事すら許され
    なかったが、今では自由に批判出来る。 昔のソ連のビザは、訪問都市を全て
    記載しなければならず、それ以外の都市へ行く事は許されなかったが、今では、
    それもなくなった。

    10年ちょっと前までは、ロシアの通貨であるルーブルの国外への持ち出しは一切
    出来なかったが、今では、都内の銀行でも気軽にルーブルへ換金する事が出来る。
    ロシアを見ていると、時代は代わったのだと、つくづく感じる。

    【お勧めの一冊】


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    ソ連崩壊を決定的にしたのは、ソ連邦を構成していた15共和国中最大の国、ロシアが
    主権宣言を行ったためで、ゴルバチョフ氏がそれまで推し進めていた情報公開によって、
    一気に西側の情報が国内に溢れてしまったため、その急激な流れに歯止めが効かなく
    なった。 ゴルバチョフ氏の当初の考えでは、ソ連を崩壊に導くつもりは、毛頭なかったと
    思うが、民主化の流れは、怒涛のごとく押し寄せて、一気にソ連を飲み込んだ。

    それまでのソ連では、買い物をするのにも、スーパーマーケット方式の店が全くなかった
    ため、一々レジに3回並ばなければならず、ソ連末期の時代には、食料を手に入れる
    ためのクーポン券がなければ、販売すらしては貰えなかった。 外貨ショップの
    べリョースカが、外国人にとっては、食料を自給自足するための「ダーチャ」の代わりで
    あったのは、つい25年ほど前の話。 マルボロやグラビア雑誌の切り抜きが、賄賂と
    してまかり通ったのも、この時代。 元々、ソ連では、都合の悪い事は、存在しない事に
    なっていたため、法整備すらまともにはされてはいなかった。 何もかもウソで塗り
    固めていたが、それでも、一般市民は、それがウソだと分かっていたため、最終的には、
    ソ連が崩壊したと言うよりも、ウソの世界が崩壊したと言った方が分かりやすい。



    ロシア、ウクライナ、白ロシア(現在の名前はベラルーシ)の東スラブ3国は、ソ連から
    独立し、スラブ連合を樹立するとエリツィン氏が宣言し、残りの各共和国も、バルト3国と
    グルジアを除き、それに追随して、新たに緩やかな国家連合である、『独立国家共同体』を
    形成したため、ソ連はその歴史に幕を降ろした。 ソ連の崩壊は、実質、このスラブ3国
    だけで決定した。 他の旧ソ連邦の国々は、ほぼゼロからのスタートだったのだが、
    ロシアだけは、旧ソ連邦の負の遺産のほぼ全てをそのまま引き継いだため、天文学的な
    大赤字を背負ってのソ連からの独立であった。

    その後、ソ連の崩壊と共に、ロシアは、地獄の底まで落ちたが、余りの赤字額の多さの
    ため、一生掛けても絶対にその赤字を返済出来ないとまで言われたが、オイルマネーの
    波に乗り、その後に彗星のごとく現れた、プーチン氏一代だけで、全ての天文学的な
    赤字を解消した。 その後、何度も通貨危機、テロ等にも見舞われたロシアだが、2000年
    以降からは、経済的にも安定し、かなりの経済成長を遂げていたため、25年前のロシアと
    現在のロシアとでは、全く別の国。

    この25年間で、最も変貌を遂げた国は、間違いなく、ロシア。 24年前までの正式名称は、
    『ロシア・ソヴィエト社会主義共和国連邦』で、通称『エル・エス・エフ・エス・エル』と呼ばれ
    ていた。

     

    ウクライナは、ロシア人にとっては、最も信用出来る自分たちのパートナーであった筈が、
    ウクラインが漁夫の利を得てソ連から独立を果たしてからは、何かにつけて、対立した。
    白ロシアは、ソ連から独立をした際に、国名をベラルーシに改めた。 カザフ共和国、
    キルギス共和国等々も、共和国の部分をチュルク語で「国」を表す『スタン』に改めた。
    何もかもソ連、または、ロシアのせいに出来る他の共和国とは異なり、ロシアの場合は、
    例え、失敗をしたとしても、隣国のせいには出来ないため、旧ソ連邦の中では、やはり、
    自分たちが一番でありたいというプライドがある。

    最近の自称ロシア研究家を見ていて、非常に疑問に感じるのは、ロシアと共に地獄の
    底を見てはおらず、単に英語の文章を日本語へと直訳しては、そのまま世に垂れ流して
    いるため、ロシアへの風当たりが強い。 25年前も今も、ロシアに対する偏見がなくなら
    ないのは同じだが、ロシアでは、ロシア語で喋らない限り、まともには相手にされない
    ため、せいぜいお客さん程度の扱いで終わってしまったか、または、お互いに片言
    同士の英語で喋ってしまったため、本当のロシアの姿が見えずに終わったのではと
    感じる。

     

    ロシア国内には、約180の民族、約100の言語が存在し、人の考え方も多種多様である
    ため、一概には言えないが、元々、ロシア人は、非常に親切な人が多いため、逆に親切に
    して貰えなかったとするならば、その人のロシア人に対する接し方が間違っていたので
    あろう。 ロシアに行って、100%良い思い出だけがある訳ではないが、それでも、嫌な目に
    あった数よりも、親切にして貰った数の方が遥かに多いため、ロシアは、好き嫌いという
    以前に、自分の一部。 88年頃に、当時共産党第一書記長であった、エリツィン氏が根室を
    訪れて、『北方領土は日本の領土である』と言ったのを覚えている人は、今の日本には
    どれぐらい居るのか。。 25年前は、ロシア語ではなく、ソ連語と良く言われた。 何で
    ソ連語なんか勉強しているのですか?とも言われたが、それは、もう遠い遠い過去の
    お話し。

    現在のロシアの国歌は、旧ソ連の国家とは、歌詞が違うだけだが、それは、ロシアが、
    ソ連の継承国である証。 25年前は、ソ連を批判する事すら許されなかったが、今では
    自由に批判出来る。 昔のソ連のビザは、訪問都市を全て記載しなければならず、
    それ以外の都市へ行く事は許されなかったが、今では、それもなくなった。 10年ちょっと
    前までは、ロシアの通貨であるルーブルの国外への持ち出しは一切出来なかったが、
    今では、都内の銀行でも気軽にルーブルへ換金する事が出来る。 ロシアを見ていると、
    時代は代わったのだと、つくづく感じる。

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