『南三陸1万人不通』。 人口約1万7,600人の宮城県南三陸町で、
約1万人と連絡が取れない。 宮城県の発表として、2011年3月13日の
朝刊はそんな見出しで報じた。

被害の全容が把握出来ず、一時は町民の半数以上が犠牲となる最悪の
事態も心配された。 町職員の被災、交通・通信の途絶、避難所に
押し寄せる住民…。 混乱を極めた現地には、情報を発信するすべも
なかった。

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その時 何が 1万人安否不明(宮城・南三陸町)<出典:河北新報

南三陸町を大津波が襲ったのは、3月11日午後3時半ごろ。 大津波は
高さ5メートルの防潮堤を越え、町の中心部に迫った。 町職員の佐藤勉さん
(47)は、同町志津川の町海浜センターで大きな揺れに見舞われた。
住民を高台の町道へ誘導し、避難所となる町総合体育館へ向かった。

体育館には既に約100人の町民が避難していた。 夕方には避難者は1,000人
近くに膨れあがった。 無線などの連絡手段がなく、6人ほどの町職員で食料の
確保などに追われた。

『残っている職員で町民をいかに守るかで手いっぱいだった』と佐藤さん。
志津川小から山伝いに避難してきた町民から、『町役場が流失した』と知ら
されたのは11日深夜。 町役場に隣接する防災対策庁舎も津波で被災し、屋上で
数人が生存しているとも伝えられた。 役場機能は、ほぼ完全に失われた。

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『1万人安否不明』の数字は12日、宮城県庁の災害対策本部でのやりとりで出た。
町から報告された7,500人の避難者数を受け、報道各社から質問が相次いだ。
記者『7,500人が避難したとなると、残り1万人は?』

県『町も正確な数字を把握していない。 単純に引き算すると1万人が安否不明に
なるが、断定的な数字を出せる状況でない』 1万人安否不明という数字は、
『犠牲者』という意味を帯びて独り歩きを始めた。 14日には、南三陸町で
約1,000人の遺体が見つかったと報じられた。 町は一貫して否定し、情報は錯綜
していた。

防災対策庁舎で津波に襲われた佐藤仁町長(59)。 壊滅した町を庁舎屋上から
見て祈った。 『みんな、逃げていてくれ』 町は1960年のチリ地震津波で、
41人の犠牲者を出している。 それを契機に、町は毎年避難訓練を行ってきた。
佐藤町長は『各地で避難所が孤立し大混乱だったが、町民の防災意識は高かった。
1万人の安否不明者が全て犠牲となったとは考えていなかった』と振り返る。
安否確認は難航を極めた。

町は震災後、町総合体育館に災害対策本部を設置。 しかし、通信手段がなく、
対策本部と各避難所との連絡が取れない。 道路もがれきに埋もれている。
町職員、車、ガソリン。 全てが不足していた。

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>>町民を救った 天使の声 ~遠藤未希さん~

安否確認のよりどころは、避難所にある手書きの避難者名簿だけ。 家族や親類、
友人の安否情報を求める住民は徒歩で何時間もかけ、数十カ所の避難所を回って
いた。

町が10年2月に発生したチリ大地震津波で行ったアンケート。 最も多く避難した
のは山間部の親類宅(40.1%)で、指定避難所は24.2%だった。 避難者名簿に
載らない1万人の安否不明者が出た背景だった。 町による安否不明者の確認作業が
始まったのは3月28日。 避難所の町民だけでなく、自宅や親類宅にいる町民ら
全町民を対象に避難者台帳の提出を呼び掛けた。 町外へ脱出するなどして連絡が
難しい場合は、電話や行政区長を通じて確認を取った。

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