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    タグ:黄金山神社

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    宮城県石巻市牡鹿半島突端の沖合いに浮かぶ金華山は、島全体が黄金山神社の
    神域とされており、古くから信仰の対象として、青森の恐山、山形の出羽三山と
    並ぶ『奥州三霊場』にも数えられている人口わずか6名の島。 神の使いとして
    保護されている多数の鹿が生息している。

    特に、商売繁盛や開運招福を願う弁財天が有名であり、地元では『三年続けて
    お参りすれば一生お金に困ることはない』という言い伝えがある。 離島にも
    関わらず、多くの参拝客を集めていたが、2011年の東日本大震災発生後は、
    震源地から最寄地点ということもあり、金華山へと向かう船は、女川港、
    鮎川港共に、日曜日にそれぞれ1往復のみの運行となっている。 天候不良の
    場合には、船が運航しないため、更にその有り難味が増した。

    港から徒歩20分程度、あるいは、島内にある無料の送迎車で5分の場所にある
    黄金山神社は、広島県の厳島神社等と共に日本の『五弁天』の1つにも数え
    られており、黄金山神社から徒歩約1時間の金華山山頂には奥ノ院が鎮座している。
    島内には、奈良時代の産金伝説も残っている。

    2000年には、航空自衛隊松島基地所属のブルーインパルス2機が金華山にほど近い
    牡鹿半島の光山に墜落、パイロット3名が死亡する事故があった。

    【金華山黄金山神社】
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    【金華山航路】
    金華山へは、石巻市牡鹿地区の鮎川と、女川町の2ヵ所の港から船が出る。
    鮎川航路は、金華山航路事業協同組合(☎0225-44-1850)への予約により、
    片道約20分、往復料金2500円~。 女川航路は、潮プランニング
    (☎0225-98-9038、☎090-4639-9038)への予約により、片道約35分、
    往復料金3100円~。
     
    【金華山パワースポット巡り便】
    女川からは、予約によって「おすすめ金華山パワースポットめぐり便」が運航。
    島内で黄金山神社周辺のパワースポット巡りが出来る。 金運開運の銭洗場や、
    体の痛みがとれる『こぶの木』、子宝に恵まれる子安地蔵など不思議な金華山の
    魅力が楽しめる。 予約すれば宿坊に宿泊することも出来る。 問い合わせは
    上記の潮プランニングまで。

    【お勧めの一品】


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    宮城県北部、遠田郡に位置する涌谷町は、日本で初めて金が算出された地として
    知られている。 しかし、昭和32年まで、この日本初の産金地が現代ではどこに
    当たるのかは謎とされ、特定はされていなかったのだという。 いかにして、
    この地は日本初の産金地になり得たのだろうか。 金にまつわる歴史ロマンを探し
    涌谷町を訪れた。



    宮城県北部に位置する涌谷町。 JR涌谷駅から程近い場所に広がる
    『わくや万葉の里』は、今から1200年以上も前、東大寺の大仏の完成に大きく
    貢献した。 日本初の産金地、陸奥国小田郡(現在は遠田郡涌谷町)の歴史と、
    金にまつわる太平ロマンを肌で感じることが出来るスポットだ。

    広大な敷地の一角に建てられた『太平ロマン館』内にある歴史館をまず見学して
    おきたい。 多彩な常備施設を通じて、日本における産金黎明期のさまざまな
    『謎』について、その答えが見つかるからだ。 例えば、東大寺の大仏造立の
    ピンチに際し、900両の黄金を献上した百済敬福とは、どんな人物だったの
    だろうか。



    古代における金の採取は、金鉱脈を求めて金鉱石の採掘を行うのではなく、河川
    などで発見できる『砂金掘り』だった。 水流で不純物が洗い流された砂金は、
    純度が非常に高く、しかも、採取方法が単純だ。 そうした採金の知識や技術を
    日本にもたらしたのは、百済の滅亡になどの時に朝鮮半島から日本へ渡って来た
    人々ではないかと考えれている。

    敬福は、百済王家の末裔であり、太平年間に陸奥守としてこの地に赴任した。
    日本初の金の採取に際して、大いにリーダーシップを発揮したのではないだろうか。

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    日本古代史に特筆される『太平産金』以後、陸奥国には、金を租税として、中央
    政府に納めることが義務付けられていた。 大仏造立に使われた金の量は、約146
    キロで、献上された小田郡産の金900両は、約13キロと、全体の10分の1も満たし
    てはいなかった。 そこで、更に金を調達するために、金の税制化がおこなわれた。
    陸奥国多賀郡から北の民は、4人で年間1両の金を採取し、納税することが義務付け
    られた。

    これにより、陸奥国の産金地は、北へと広がり、さながら、ゴールドラッシュの様相
    となった。 しかし、平安時代以降、産金地が宮城県北部から岩手県南部一体に
    移って行くにのに伴い、小田郡の産金記録は消滅。 中世以降には、小田軍が
    遠田郡に編入されたことで、小田郡の場所すら忘れ去られていた。

    そんな中、後世の人達は、いかにして天平の産金地を推理したのだろうか。
    ここにも魅力的な謎解きロマンがある。 江戸時代、手掛かりの1つとされたのが、
    東大寺の大仏に金が献上された際、越中国(現富山県)の国守であった大伴家持が
    詠んだ次の万葉歌の一首だ。

    『天皇の御代栄えむと東なるみちのく山に金花咲く』

    この歌の『金花咲く』から、宮城県石巻市の金華山を産金地とする説が広まる中、
    19世紀初め、伊勢国白子(現三重県鈴鹿市)の国学者、沖安海が、家業の染型紙の
    商いのために涌谷町を訪問、『この地には、金神社と呼ばれる神社があり、古い瓦も
    出る。 ここ黄金神社こそが天平の産金地であり、古代の神社跡ではないか』と
    いった内容の論文を記し、荒廃した黄金山神社の復興事業に尽力したという。

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    黄金山神社は、現在も『わくや万葉の里』の史跡ゾーンの中枢に、厳かに鎮座して
    いる。 境内には、大伴家持が詠んだ一首を刻んだ万葉歌碑もある。 因みに、
    万葉集に登場する地名の中で、『みちのく山』は北限に位置している。

    古来、『蝦夷(えみし)』の地と呼ばれていた東北は、中央から見ると、野蛮な
    イメージがあったが、太平の産金時代だけは、都から、仏や神に祝福された、
    黄金色に輝く憧れの地と見られていたのかも知れない。

    明治時代以降は、黄金山神社を含む一帯を地質学や考古学の観点から研究し、この地
    こそが太平の産金地であることを検証するための多角的なアプローチが、各分野の
    研究者によって行われた。 その結果、黄金山神社周辺から出土する古い瓦の中に、
    『天平』の文字が刻まれた瓦があることが判明した。

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    そして、昭和32年、本格的な発掘調査が行われ、出土した瓦や建物跡から、天平の
    時代に、六角円堂と思われる仏堂がこの地に建てられていたことが分かった。 瓦の
    デザインは、陸奥国国府だった多賀城や、陸奥国国分寺に用いられた瓦と酷似して
    おり、仏堂が国家の建物であったということを示している。 仏堂は、恐らく、
    産金を仏に感謝し、更なる産金を祈るためのものであったと考えられる。

    また、遺跡の中を流れる小川では、わずかながら砂金が今でも採れる。 これらの
    事実から、涌谷の黄金山神社のある場所が、天平産金、すなわち、
    『日本初の産金地』であるとようやく確定したのだった。

    涌谷をルーツとする宮城県のゴールドラッシュは、中世、後世、近世、そして、
    現代へと産金地を北へ広げ、採掘熱をますます高揚させながら発展して行く。
    地理的な近さ故に、光り輝く金色堂で有名な平泉の『黄金文化』と宮城県の金を関連
    付ける研究者も居る。

    金にまつわるエピソードが密接に絡み合いながら、古代のロマンを今に伝える
    涌谷町。 ここには、『みちのく黄金郷』の原点がある。

    【お勧めの一冊】


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