2011年3月11日の巨大地震発生時、宮城県石巻市の離島・金華山の港では、
最終便となる定期船『ホエール』(19トン、72人乗り)が鮎川港への出発を
待っていた。 突然の大きな揺れと津波の恐怖。 乗客を守るため、乗員は
瞬時の判断を迫られた。

逃げる その時 金華山定期船(石巻)
出典:河北新報 2011年6月30日

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大きな揺れが港を襲った瞬間、待合所にいた乗客の男性2人が青ざめた表情で
船に飛び乗った。 午後3時の出発を待っていた『ホエール』。 待合所には、
他にも黄金山神社の参拝客とみられる十数人がいたが、一様にどうしていいか、
分からない様子だった。

ホエールは地元の金華山観光が運航する小型旅客船。 この日は非番の船長に
代わり、機関長の鈴木孝さん(63)が、かじを取っていた。 揺れから約5分後に
突然、潮が上がり始めた。

『まずい』。 鈴木さんは船をバックさせ、いったん岸壁を離れた。 無線から
金華山観光社長遠藤得也さん(70)の声が響いた。 『客を乗せて沖に避難
してくれ』 再び接岸して残りの客を乗せようか。 鈴木さんは迷ったが、
岸壁は既に水没しかけている。 『だめだ。間に合わない』
『危ないから神社に逃げて』。 鈴木さんは陸にいる人たちに船のマイクで
何度も叫ぶと、全速力で沖を目指した。

左手の金華山沖から、ものすごい高さの黒い波が迫った。『幅500メートルぐらいは
あったか』。 鈴木さんは必死で逃げた。 鮎川港で地震に遭った遠藤社長は
同じころ、海上タクシーとして使っている『くろしお』を>守るため、沖に
向かって出港。 操舵室から全速力で逃げるホエールが見えた。

金華山にぶつかった波がホエールを追いかけているかのようだった。

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遠藤社長が振り返る。 『お客さんのことと自分の安全確保のことで、頭は
パニックだった』 ホエールに乗り込んだ2人は、宮城県大和町の無職甘竹
三郎さん(67)と仙台市太白区の無職三浦正靖さん(67)。 石巻高OBで
つくる山歩きサークルの例会で金華山を訪れていた。

甘竹さんは『白波を立てて津波が迫ってきた。 船にぶつかったら、終わり
だと思った』と言う。 サークル仲間で仙台市青葉区の山岳写真家東野良さん
(67)は、待合所から避難する途中、沖に逃げるホエールを手持ちのカメラで
撮影。 『とにかく無事を祈りながらシャッターを押した』

2隻は牡鹿半島の先端、黒崎灯台から約5キロ南まで避難。 金華山と牡鹿半島の
海峡は、引き波で海底が露出するほどだったが、その海域を脱したホエールは
無事だった。

2隻は金華山と網地島の中間点で一夜を明かした。 余震は収まらない。
サーチライトで照らし出された海面には、無数のがれきが漂っていた。
ホエールには鈴木さんと客2人の他、乗務員2人が乗船。 恐怖で眠れない
甘竹さんに、乗務員は励ましの言葉をかけた。 『水も食料もある。大丈夫。
無事に帰れる』

翌12日、遠藤社長は沖に避難していた数隻の小型船の助けを借り、ホエールの
乗客と、黄金山神社に避難していた計約30人を鮎川港に搬送した。

鈴木さんが鮎川港に上陸できたのは、地震発生から3日後の3月14日。
『あの時、全員の乗船を待っていたら、きっと助からなかった』

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