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ウクライナのチェルノブイリ原発が未曾有の原発事故を起こしたのは、1986年4月26日
1時23分(モスクワ時間)。 それから、29年が経過したが、事故を起こした4号機には
炉心から溶け出た「象の足」と呼ばれる核燃料などが手つかずのまま残されているなど、
原発の廃炉作業が未だに目途が立たず、問題が山積みのまま残されている。

後に決められた国際原子力事象評価尺度 (INES) において、最悪のレベル7に分類
される事故である。 当時、チェルノブイリ原子力発電所にはソ連が独自に設計開発した
黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉(RBMK)のRBMK-1000型を使用した4つの原子炉が
稼働しており、そのうち4号炉が炉心溶融(メルトダウン)ののち爆発し、放射性降下物が
ウクライナ・ベラルーシ・ロシアなどを汚染した。 1991年のソ連崩壊以後は、原子力
発電所が領土内に立地しているウクライナに処理義務がある。



2015年現在もなお、原発から半径30km以内の地域での居住が禁止されるとともに、
原発から北東へ向かって約350kmの範囲内にはホットスポットと呼ばれる局地的な高濃度
汚染地域が約100箇所に渡って点在し、ホットスポット内においては、農業や畜産業などが
全面的に禁止されており、また、その周辺でも制限されている地域がある。

事故当時、爆発した4号炉は操業休止中であり、外部電源喪失を想定した非常用発電
系統の実験を行っていたが、この実験中に制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したと
される。 爆発により、原子炉内の放射性物質が大気中に量にして推定10t前後、14
エクサベクレルに及ぶ放射性物質が放出された。 これに関しては、広島市に投下された
原子爆弾による放出量の約400倍とする国際原子力機関 (IAEA) による記録が残され
ている。



当初、ソ連政府はパニックや機密漏洩を恐れ、この事故を内外に公表せず、施設周辺
住民の避難措置も取られなかったため、彼らは数日間、事実を知らぬまま通常の生活を
送り、高線量の放射性物質を浴び被曝した。 しかし、翌4月27日にスウェーデンの
フォルスマルク原子力発電所にて、この事故が原因の特定核種、高線量の放射性物質が
検出され、近隣国からも同様の報告があったため、スウェーデン当局が調査を開始、
この調査結果について、事実確認を受けたソ連は、4月28日にその内容を認め、事故が
世界中に発覚した。



爆発後も火災は止まらず、消火活動が続いた。 爆発した4号炉をコンクリートで封じ込める
ために、延べ約80万人の労働者が動員され、4号炉を封じ込めるための構造物は石棺と
呼ばれている。
 
事故による高濃度の放射性物質で汚染されたチェルノブイリ周辺は居住が不可能になり、
約16万人が移住を余儀なくされた。 避難は4月27日から5月6日にかけて行われ、事故
発生から1か月後までに、原発から30km以内に居住する約11万6000人全てが移住したと
ソ連政府によって発表されている。 しかし、生まれた地を離れるのを望まなかった老人
などの一部の住民は、移住せずにその場での生活を続けた。 放射性物質による汚染は、
現場付近のウクライナだけでなく、隣のベラルーシ、ロシアにも拡大した。

現在、チェルノブイリ4号機の建物の内部では、毎時7マイクロシーベルトという、高い
放射線量を示している。 4号機には、合わせて19万トンもの高レベル放射性廃棄物が
あり、廃炉に向けて、高さ109メートルの新しいシェルターの建設が進められている。
このシェルターの計画は、当初の予定から2年ほど遅れ、2017年完成予定となっている。

核燃料の除去に関しては、現状、そのような技術がないため、遠い将来の課題となって
いる。 爆発から29年が経したが、チェルノブイリ原発は、廃炉に向けた目処すら立って
いない。

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