多言語のススメ ~ロシア・東欧情報~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    【プロフィール】
    旧ソ連・ロシア、オーストリア、カナダ、ベルギーに語学留学経験あり。
    1991年より、一貫して通訳・翻訳や海外営業等の語学専門職としての経験を
    積んでおり、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語他の多言語を扱う
    語学のプロ。 専門はロシア語⇔ドイツ語の通訳論、言語学、並びに心理学。
    詳細はLinkedInを参照。

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    タグ:香港

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    珠江河口西側に位置する珠海は、広東省の省都である広州から約150キロ
    離れており、南側にマカオがあり、中国側の経済特区となっている。

    珠海を挟んだ東海岸には、深圳や香港があり、天気が良ければ、香港の
    ランタオ島も望むことが出来る。 街の名前の由来は、ここで珠江と南海
    (南シナ海)がぶつかることに由来している。 また、珠海が南海に浮かぶ
    多くの島々を占めることから、『百之島市』とも呼ばれている。 天候は
    亜熱帯に属し、年間と通じ温暖なことから、ゴルフ場やホテルなどの開発も
    進められている。

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    珠海は、1152年(南宋の紹興22年)以降、香山県(現在の中山市)管轄化に
    あった漁業を生業とするひなびた田舎町だった。 それが、1980年に深圳や
    スワトウ、アモイ等と共に中国発の経済特区に指定されてからは、急速に発展を
    遂げた。 その結果、ヤシ等が植えられた美しい海岸道路を備え、計画的に
    区画された街並みを持つ近代都市に生まれ変わった。

    珠海は、大きく東西に分けられる。 東側は珠江河口に沿った形で広がる市街地
    であり、西側は珠海金湾国際空港や珠海港、外資系工場が立ち並ぶ開発区がある
    エリアとなっている。

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    繁華街は、マカオボーダーの出入境ゲート周辺とそこから北に伸びる蓮花路、
    九洲城のある吉大地区、古くからの商業エリアである香洲地区の3ヵ所。
    それぞれ、路線バスで結ばれている。 広珠城際軌道交通の開通により、
    アクセスは良くなったが、今後は更に、香港、深圳方面と橋で結ばれる予定。
    また、マカオとの結び付きも一層強化されている。

    【お勧めの一品】
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    広州市(繁体字: 廣州市、簡体字: 广州市)は、北京市、上海市と共に、
    中国の三大都市の一つに数えられており、人口約1,270万人で、広東省のみ
    ならず、華南地域全体の経済、文化、教育、交通などの中心都市となっている。
    また、隣りの深圳市を含めた四大都市が中国の『一線都市』に分類されている。



    広州では、共通語である北京語も通用しない訳ではないが、広東語の中心地であり、
    広州方言は、広東語の標準語として扱われている。 中国国内の他の地域と同様に
    簡体字を用いているが、香港の影響を受けているため、一部で繁体字を用いようと
    する傾向が強い。 広東語を話す地元住民の間で、普通話に対する反発が広がって
    おり、1997年の中国への返還以後急速に標準語の普及が進む香港でも同様の反発が
    起こっている。



    広州市では他地域からの移住制限を設けていないため、移住者が実質市内人口の
    約半数を占めるようになり、普通語しか話せない移住者が増加の一途を辿っている。
    上海の事例同様、普通語のみでの教育となっており、両親が広東語話者でも、
    子供は普通語しか話せないケースが増加している。 それに対し、学校教育側で
    広東語の時間を設けるなどし、広東語離れに歯止めをかけようとの試みが続いて
    いる。

    【お勧めの一冊】


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    珠海市は、中華人民共和国広東省南部に位置し、マカオ特別行政区に隣接する
    経済特区。 南でマカオと接しているため、マカオ区境の拱北近辺が一番の
    繁華街となっている。

    同じく経済特区に指定されている深圳市と比較すると、人口規模は10分の1程度
    であるため、商業、不動産業の発達が限定的で、工場が密集する東莞市と比較すると、
    工業化も限定的であり、広州市のような行政機能も存在していないなど、
    周辺の大都市と比較すると地方都市としての雰囲気を残している。

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    珠海への行き方は、香港からフェリーを利用して直接珠海へ入る方法もあるが、
    色々な条件があるため、マカオから徒歩で越境するのか一般的。 マカオから
    国境へ向かう方法として、最も手頃なのはバスで、マカオ側の国境は
    『關閘』となっており、ここを終点とするバスは本数も多い。 ホテルやカジノ
    からもバスが出ていることが多いので、タクシーよりもバスがお勧め。

    中国は、一国二制度とは言うものの、中国、香港、マカオは、全く別々の通貨を
    使用しており、それぞれ、国境検査を受けなければならないため、パスポートは
    必須。 『關閘』から徒歩で国境を渡り、免税店を横目に、珠海側の出口である
    『拱北口岸』で中国の入国スタンプを押してもらえば、そこは、中国。

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    珠海は、カジノ街であるマカオと隣接している影響で、1人当たりのGDPは
    6万7591元(1万米ドル)となっており、中国ではかなりの高所得であるものの、
    マカオとの経済格差は大きく、珠海市民にとって、マカオは気軽に行き来出来る
    場所ではないため、マカオ返還から20年が経過した今でも、未だに超えるに
    超えられない大きな壁となっている。

    珠海は他の4つの経済特区とは異なり、人口150万人弱と比較的小さい街で
    あり、繁華街もマカオ側に集中しているため、歩きやすい。 しかも、物価は
    マカオを比較すると2分の1から3分の1程度となっており、もし、マカオで半日
    時間があるのであれば、珠海への小旅行をお勧めします。

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    深圳市は香港北部の新界と接し、中国内に5つある経済特区のひとつに指定
    されている。 上海、北京、広州と並び、中国の4大都市にも数えられており、
    近郊を含む都市広域人口は1,447万人とも言われている。

    深圳の特徴は、わずか40年足らずで急激に成長した移民都市であることが
    あげられる。 元々は、宝安県という一集落に過ぎなかったものが、鄧小平の
    改革開放路線により、外部より労働人口が流入して都市が形成され、
    広東省でありながら広東語が使われる比率が極めて低い地域となっている。
    香港では、主に繁体字の広東語が使用されているが、深圳では、簡体字の
    北京語が主流となっている。

    【深圳地下鉄路線図】
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    清末になると南京条約や北京条約により、宝安県の一部であった香港島及び
    九龍半島をイギリスが租借するようになり、宝安県が分割されると同時に、
    境界付近の深圳墟という定期市が立ち並び、香港との国境の街として栄える
    ようになった。 深圳墟は現在の深圳中心街の東門商業区にあたる。

    イギリスの植民地、かつ自由貿易港である香港と隣接する地理的重要性から、
    1979年3月宝安県を省轄市の深圳市に昇格させ、1980年には改革開放路線を
    採用した鄧小平の指示により、深圳が経済特区に指定されると急速に発展した。
    深圳が経済特区に指定された当初は、羅湖区、福田区、南山区、塩田区の4区のみが
    経済特区であったが、2010年7月1日には、深圳市全域が経済特区に指定された。

    【経済発展著しい深圳】
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    深圳への行き方は、香港経由のMTR、あるいは、船で行くのが主流となっており、
    香港一の繁華街である尖沙咀からMTRで40分ほどで行くことが出来る。
    MTR終点駅の羅湖駅、または、落馬洲駅は、深圳に行く人以外はこれらの駅では
    降りることが出来ない。 羅湖駅、または、落馬洲駅からは、徒歩で中国への
    国境を渡り、そこで入国手続きをする。

    香港と広東省は、同じ中国と言えども、言語、通貨共に別々となっているため、
    香港では広東語、深圳では北京語を使うこととなる。 また、通貨は香港ドルと
    中国人民元となっており、国境で両替が必要となるが、深圳でもある程度は
    香港ドルも使うことが出来る。

    元々物価の高い香港から深圳へ行くと、物価が非常に安く感じるが、深圳の物価は、
    中国の中でも非常に高い。 概ね、東京と余り変わらないと考えて間違いない。
    深圳は、ビジネス街としての発展は著しいが、観光には乏しい。 香港からは
    日帰りでも行くことが出来るが、市域が非常に広いため、観光をするにしても、
    丸1日は必要。 以前は治安が悪いと言われていた深圳だが、最近では、かなり
    改善されており、それなりに気を付けていれば、さほど気にならないと言える
    かも知れない。

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    エドワード・ジョセフ・スノーデン(英語:Edward Joseph Snowden)は、
    アメリカ国家安全保障局 (NSA)、並びに、中央情報局 (CIA) の元局員で、
    主に、アメリカ政府による情報収集活動に関わっていたが、2013年6月に
    香港で複数の新聞社(ガーディアン、ワシントン・ポスト、および、サウス
    チャイナ・モーニング・ポスト)の取材やインタビューを極秘で受け、これらの
    メディアを通じてアメリカ国家安全保障局 (NSA) による個人情報収集の手口を
    全世界に告発した。

    アメリカを離れての初めての活動は、東京の福生市内にある横田基地で、
    基地内にあるNSAで2年間工作活動をしており、1年半の日本語学習暦が
    あるため、日本語も堪能。 元々、日本のアニメやゲームに興味があり、
    いわゆる、オタクだった。 



    香港での告発の後、2013年6月22日、米司法当局により逮捕命令が出され、
    アメリカに政府によって、パスポートの取り消しがなされたが、香港政府は、
    パスポートに問題はなかったとして、アメリカ政府からの身柄引き渡しを
    拒否し、スノーデンの出国を止めなかった。 その後、エクアドル等、20カ国
    以上の第三国への亡命を検討していたが、同年8月1日に、ロシア移民局から
    期限付きの滞在許可証が発給され、約5週間も滞在していた、モスクワ・
    シェレメーチェヴォ空港のカプセルホテルを後にした。 現在は、ロシアに
    滞在しており、その後、ロシア政府から3年間の期限付きでのロシア滞在が
    正式に認められた。

    スノーデンはCIA・NSA時代に見た、アメリカ合衆国政府の悪辣な行為に幻滅
    していたと語っている。 その一例として、スイス人の銀行員を酒に酔わせ、
    酒酔い運転で警察に捕まったところで取引を持ちかけ、スパイに利用するなどの
    行為を政府が実行していたと証言しており、こうした行為への反感が、機密資料を
    公開する決意を固めた動機としている。

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    香港滞在中に、スノーデンは、香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポストの
    取材に応じ、以下のような主張を行った。
     
    アメリカを離れて香港に移動したのは隠れるためではなく、アメリカの犯罪を
    暴くためである。 香港には退去の要請があるまで当分滞在する予定。
    アメリカ政府は市民の同意を尊重せず密かに情報収集作戦を行っていたが、
    この曝露によって今後は社会への説明責任と監督が求められることになる
    だろうとした。 オバマ大統領は人権上問題のある政策を推進している。

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    メール、チャット、ビデオ通話、ネット検索履歴、携帯電話での通話など、
    世界中のあらゆる通信経路を通過する情報のすべてをNSAが掌握しようと
    しているという事実が、初めて具体的な仕組みとともに明らかにされた。
    世界中が驚愕し、多くの人々が激怒した。

    2014年1月、ノルウェーのボード・ソールエル(英語版)元環境大臣から
    ノーベル平和賞候補に推薦された。

    >>スノーデンの警告「僕は日本のみなさんを本気で心配しています」

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    米カリフォルニア州議会は、2016年3月28日、最低賃金を時給15ドル(1,680円)に
    引き上げることについて合意に達した。 現在カリフォルニア州の時給は10ドルだが、
    これを段階的に15ドルまで引き上げる。 計画では、2017年に10.5ドル(約1180円)、
    2018年に11ドル(約1240円)、以降は毎年1ドルずつ引き上げ、2022年には15ドル
    にする。 従業員が25人以下の中小企業は、15ドルへの引き上げ期限が2023年
    までと、1年間猶予される。

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    米国の最低賃金には連邦制度と州制度があり、労働者に有利な方が適用される。
    連邦制度における最低賃金は現在7.25ドル(約812円)だが、大都市において
    この賃金で労働者を雇うことは現実的に難しい。 全米各地の大都市では、最低
    賃金を15ドルにする動きが進んでおり、カリフォルニア州の決定もこれに沿った形と
    なっている。

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    さらに極端なケースでは、スイスのように最低賃金を22スイスフラン(約2500円)に
    するという国民投票を行った国もある。 結果は否決だったが、現実問題として、
    これに近い水準の賃金がないと生活できないくらいスイスの物価は高い。

    いつの間にか、世界の中でも、時給の安い国に成り果てている日本だが、2016年
    現在の日本の最低賃金は、最高が東京都の932円、最低が沖縄県と宮崎県の
    714円となっており、年々東京と地方との格差が開いているが、全国平均で見ると、
    時給823円となっている。

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    このように、日本の人件費は、世界的に見ても安いため、むしろ、海外に出た方が
    まともな賃金を貰える。 東京の場合は、今でも賃金が下落し続けているため、
    既にギリギリの生活しか出来ない。 最近は、60歳を超えた『新人』を見掛けるように
    なったが、安い労働力は、女性、高齢者、外国人で補っているため、外国人は、
    間違っても日本で働こうなどと考えてはならない。 海外に行くと、Samsung や
    LGばかりの販売が目立っており、実質的に日本は、既に韓国に抜かれていると
    言える。

    日本が根本的に間違っていると感じる点としては、長年同じメンバーで働いている
    ため、職場のマンネリ化が進み、周囲からは異様としか見えない事でも、それが
    当たり前になってしまっており、後から入って来る新人にもそれを当然のように
    強要するため、まともな人間は、早々に辞めてしまい、ろくでもない人間しか職場に
    残らないという特徴がある。

    日本の職場では、仲良しごっこ以外、特に何も重要視されないため、異質な人材が
    入ると、即排除されることとなる。 よって、日本社会は、この先も何も変わらない。
    日本は、現状維持ばかりを掲げて、何の変化もなくなり、現状維持すら既に出来なく
    なった。

    現状、アジアでも優秀な人材は、英語の通じる香港やシンガポールへと流れており、
    日本は、逆に、日本語に拘っており、アジアからの優秀な人材の確保すら難しく
    なった。 良質な人材を海外から招き入れるという意味でも、法外な時給で外国人を
    こき使っているブラック企業の一掃と、英語教育の充実に期待するしかない。

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    香港では、寿司をはじめとする食文化や、アニメ・ゲーム等の大衆文化を
    中心に、日本文化が広く浸透している。 コンビニには、ファッション雑誌や、
    清涼飲料水等の日本語の書かれた商品が溢れ、地元の広東語番組では、
    『イチバン』や『ダメダメ』等、日本語風の表現が時折聞かれる。

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    香港は、このように日本が感じられる社会であるため、公用語の中文、英語を
    除けば、日本語は学習者の最も多い言語と見られている。 話者数に関する
    公式の統計はないが、国際交流基金によれば、2012年時点での日本語学習者は、
    2万2,555人で、そのうち、76%が日本語学校等、学校教育以外の場で日本語を
    学習しており、大学は13%、初中等教育では11%である。

    また、2012年から始まった香港中等教育筆記試験では、日本語を含む6つの
    外国語が選択科目として導入されたが、2015年の試験で日本語を選択した
    受験者は、199人と2位のフランス語(57名)を大きく引き離している。

    学習動機としては、大衆文化と日本旅行への興味、関心が多く、進学、就職等に
    使える実利面もしばしば挙げられるが、同時に香港人学習者にとっては、漢字を
    使用する日本語が他の外国語に比べて学びやすい要因もあるのであろう。 中文と
    英語の読み書きに加え、広東語、中国語、英語の運用能力が前提付けられた
    『両文三語』と呼ばれる言語政策の下で、特に英語に苦手意識のある学習者が
    日本語を学ぶことで言語学習に対する自身を取り戻そうとする場合もある。

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    学習環境は整っており、市中の日本語学校以外にも、現在8つある全ての公立
    大学で日本語が履修出来、日本語、日本文化を専攻出来る大学院、大学、
    コミュニティーカレッジ(短大に相当)も一定数存在する。 このような背景
    により、日本語学習の層も厚く、その中から、香港人日本語教師も数多く輩出
    されている。

    教師養成機関としては、香港中文大学に2006年から2011年まで日本語教師養成を
    主とした修士課程が設けられ(現在は大学院の選択科目として開講)、現在も在留
    邦人や日本留学経験者のある香港人が養成機関を経ずに教師となり実践経験を積む
    ケースも多い。

    学習方法もテクノロジーの発達と共に変化を見せている。 従来は文法、読解は
    出来ても会話が苦手なのが香港人学習者の特徴とされて来たが、インターネットで
    手軽に日本語コンテンツに触れられる環境が整ったことから、近年では、若者層を
    中心に、独学が一般化し、ウェブ上のデジタル教材を活用したり、ソーシャル
    ネットワークで日本語母国語話者と交流したりして、教育機関に通わずに
    コミュニケーションスキルを磨く学習者が増加している。 こうした学習者の
    広がりを受け、大学でも日本語既学習者があえて初級の日本語のクラスを履修し、
    高得点を狙おうとする現象が顕著になった。

    新界付近の住宅地にある日本語学校を例に取ると、新規受講は日本旅行が切っ掛け
    という場合が目立ち、外国語の通じにくい地方へ旅行に行くため、中上級まで
    学習を継続する受講生も少なくない。 2011年の東日本大震災直後は、超円高も
    相まって、日本への渡航が下火になり、受講者が一旦減少したものの、近年円安
    傾向で再び日本旅行にブームが起き、回復傾向にある。 極端な例としては、
    日本で不動産を購入し、年間数ヶ月間を日本で過ごし、日本語力を鍛える強者も
    存在する。

    ここ数年の韓流ブームで韓国文化に関心を持ち、韓国語を学ぶ人が増えたため、
    日本語教育にも若干影響が見られるようになった。 韓国語熱の高まりを受け、
    一部の日本語学校では、韓国語コースも開講しているが、ここ1~2年は、日本旅行
    ブームの恩恵を受けてか、一時期低下傾向にあった日本語学習者数が上昇に転じ、
    横ばい傾向にあった韓国語を尻目に、安定した伸びを見せている。

    また、旅行や大衆文化等で幅広く学習者を引き付ける日本語に対して、韓国語は、
    Kポップや韓流ドラマの女性ファンが中心で学習者の偏りが大きい。

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    香港にとって、日本は間違いなく最も親密な関係を持つ、重要な外国のひとつ
    である。 貿易、投資、企業の駐在等、相互の経済交流は、極めて密接である。
    外務省の海外在留邦人数調査統計によれば、香港総領事館の管轄地域(香港と
    マカオ)の2014年の在留邦人の数は、2万7,146人に達しており、韓国全体
    (3万125人)に匹敵する。 こういった現在の経済関係に限らず、日本は香港の
    歴史、文化、社会に大きく影響を与えてきた国のひとつであり、香港を語る上で、
    日本の存在は欠かせない。

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    日本が最も直接的に香港に関わったのは、第二次世界大戦中の占領であった。
    1941年12月8日、日本は対英米開戦し、真珠湾攻撃と同時に、香港にも攻め
    入った。 12月25日、イギリス香港政庁は日本に降伏し、その後、1945年8月
    15日の敗戦まで、日本は香港を占領した。 降伏の日は『ブラック・クリスマス』
    と呼ばれ、日本の占領期間を指す『3年8ヶ月』は、香港史においては、暗黒
    時代として記録されている。 香港の人口が多過ぎると見た日本軍は、市民の
    香港からの追放や殺害等を行い、人口は占領前の150万人から敗戦時の60万人
    まで減少した。 日本語教育が強制され、経済は著しく混乱して飢える者も
    多かった。

    その中でも、現在まで禍根を残した問題が、軍票問題である。 日本軍は、軍票と
    呼ばれる紙幣を発行し、香港市民に強制的に財産を軍票に換金させたが、日本の
    敗戦によって、軍票は紙くずと化した。 財産を失った被害者達は、戦後賠償を
    求めて日本でも裁判を起こしたが、敗訴している。 彼らは、しばしば香港の
    日本総領事館に対して、抗議活動を行っている。 また、歴史問題に関しても、
    香港の反日感情は弱くなく、しばしば反日デモも発生する。

    また、尖閣諸島の中国による領有を主張する『保釣問題』も存在する。 香港
    での保釣運動は、アメリカが沖縄返還と合わせて尖閣諸島を日本に返還する事を
    決定した事を受けて開始された。 1971年2月28日には、香港では初めての
    日本総領事館へのデモ行進が行われ、その後、大規模な集会等も行われた。
    1996年には、日本の右翼団体が尖閣諸島に灯台を建設した事を切っ掛けに、
    再び保釣問題が盛り上がり、9月26日には、尖閣諸島付近で海上保安庁に阻止
    された『保釣号』に乗っていた活動家が、島への上陸を強行しようとして海に
    飛び込み海上保安庁に阻止され、溺死した。 これを受けて、活動家を追悼する
    集会には、5万人が参加したという。 そして、2012年8月15日には、
    『保釣行動委員会』メンバーが尖閣諸島に上陸し、日本の世論を驚かせた。

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    これらの事柄から、日本でも香港も中国大陸同様に、激しい反日感情を抱いた
    土地であると見る人も多いが、実際には、大陸と香港の反日運動には、相違点も
    多い。 第一に、大陸との『愛国』の温度差である。 保釣行動委員会の
    メンバーは、中央政府と対立する民主派によって構成されており、これらの対日
    抗議運動の他、天安門事件追悼活動等にも深く関与している。 その主要な者の
    多くは、中国政府によって大陸に入ることすら認められず、むしろ、西洋的
    価値観に近い売国奴と非難される側にある。 香港の保釣行動委員会の主張は、
    日本に抗議するという点で大陸と同じでも、毛沢東像を掲げた大陸の反日でもとは
    相容れない。 第二に、反日の質の違いである。 香港でも歴史問題や尖閣諸島に
    関係する反日でもはしばしばあるが、デモは暴力行為を伴わず、日系デパートの
    並ぶ中心街を整然と行進し、日本製品ボイコット運動が盛り上がる事もない。

    暴動化する大陸の反日デモよりも、遥かに冷静なデモが行われる理由としては、
    もちろん大陸と香港の社会の相違という原因も大きいが、同時に重要なのは、
    戦後日本と香港が積み上げて来た、友好的で密接な交流の歴史であろう。
    日本政府観光局の統計では、2014年の香港からの訪日客は、のべ92万5,975人に
    達した。 総人口わずか720万人ながら、台湾、韓国、中国に次いで、訪日客数は、
    世界第4位である。 香港では、ポップカルチャーや食文化、家電や生活用品等を
    中心に、日本文化や製品が大いに支持されており、日系資本のデパートから
    『日本城(ジャパン・ホームセンター)』と称する日用雑貨のチェーン店、地元系の
    小さな日本料理店まで、街頭には日本の影響が至るところに見られる。 日本は
    もはや市民生活の一部になっていると言っても過言ではない。

    また、多くの香港人が日本訪問や日本人との接触を通じて、現在の安全で繁栄する
    清潔な日本、勤勉で正義正しい日本人に好感を持っている。 香港大学民意研究
    プログラムの2015年5~6月の調査では、54.5%の人が日本の人々に好感を
    持っていると答えた。 これは、中国大陸の人々に好感を持つ割合(28.2%)は
    勿論の事、香港の人々自身への高感度(40.7%)をも大幅に上回り、調査対象の
    16カ国、地域中、台湾、シンガポールに次いで3位の高評価であった。

    一方、同じ16カ国、地域の政府に対する意識を尋ねると、日本政府に好感を持つと
    答えた者は、わずか17.5%と、タイ、ロシアに次いで、同調査では下から3番目で
    あり、反感を持つと答え者は48.4%にも達し、アメリカ(35.7%)を引き離して、
    調査対象中で最も多い。 香港市民の日本政府に対する評価は極めて低い。
    これは編に、歴史問題や領土問題を巡って、日中関係が緊張している事の反映で
    あると言える。

    このように、香港の人々の対日感情は、親日と反日の一言ではとても割り切れない、
    極めて複雑な側面を含んでいる。 現在の日本人が香港の人々との付き合いを
    するにあたり、反日感情を過度に心配する必要はなく、観光客が日本人である
    という理由で理不尽な扱いを受ける事はまずない。 しかし、他方では、両地の
    間に過去不幸な歴史も存在し、被害を被った人や、日本への反感を持っている人が
    かなり居るという事も、決して忘れてはならない事実なのである。

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    香港住民は、自らを何人だと考えているのか。 この問いの答えは、当の
    香港人にとっても自明のものではない。 香港大学の世論調査プログラムでは、
    返還以来、継続的に香港住民が自分を何人と称するかについて調査を行っているが、
    それによると『香港人』という回答は、返還以来減少していたが、2000年代末頃
    から増加に転じ、2012年上半期には、返還後最も高い45.6%を記録している。
    これに対して『中国人』という回答は、ほぼ逆の動きを見せている。

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    『香港人』という意識は、一般に、1960~70年代の香港の社会的、文化的変容の
    中で原形が生まれ、返還後の1980年~90年代には、『香港人』は『中国人』とは
    異なるという意識が顕著になって行ったとされる。 改革、開放当初、発展を
    始めたばかりの中国大陸は、戦後の高度成長を経て、国際金融センターとしての
    地位を確立していた香港から見れば、『貧しくて遅れた』存在であり、大陸側から
    来る新移民に対して、テレビドラマ等を通じて『ダサい、怠慢、公的道徳に欠けた』
    等、ネガティブなイメージが共有されて行った。

    とは言え、一方で、香港在住民の対部分は、中国大陸から移って来た難民、移民、
    および、その子孫であり、民族的、文化的起源が中国にあることは否定し難い。

    こうした中で、香港住民は、非民主的で遅れた中国大陸と対比されたり、中国共産党
    政権の脅威を訴える局面では『香港人』となり、一方で伝統文化や中国人スポーツ
    選手の活躍を誇りに思う時は『中国人』となるというように、両者を使い分け、
    あるいは、両者の間を揺れて来た。 帰属意識の矛先が、20年も経たない短期間の
    うちに二転三転しているということ自体、この交錯した心理を良く物語っている。

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    2014年12月23日、RFI中国語版によると、香港で行われた世論調査で、『香港人』
    としてのアイデンティティーが『中国人』としてのアイデンティティーを大きく
    上回った。  香港大学民意研究計画センターは香港市民のアイデンティティーに
    関する世論調査を実施した。 12月10日から16日に掛け、1,016人を対象に電話
    調査が行われた。『香港人』と回答したのは42%。 『中国人』との回答は18%
    となった。 

    また、『香港人』『アジア人』『中華民族の一部』『世界市民』『中国人』
    『中華人民共和国公民』というそれぞれの項目に対して、どれほどの帰属感を
    感じるかを0〜100点で表現してもらったところ、『香港人』の平均得点は約80点と
    前回調査を2点上回った。 その他、『アジア人』69.8点、『中華民族の一部』
    65.9点、『世界市民』63.7点、『中国人』62点。『中華人民共和国国民』
    54.4点となった。 

    『中国人』『中華人民共和国国民』の平均点は、2008年の調査開始以来、過去最低
    となった。

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    マカオ(澳門)は、東アジアで最も古いヨーロッパと中国明代の面影が残る
    小さな街。 2015年現在、人口64万人、面積30平方キロメートル、東京都
    府中市とほぼ同じ大きさで、板橋区よりも少し小さい。 最初に街が開かれた
    のは、マカオ半島、タイパ島、コロアネ島の3部分から成っていたが、両島を
    繋ぐ橋の両側に広大な埋立地コタイが造られ、面積が大きくなった。

    中国の歴史的商業都市、広州に連なる珠江の東シナ海の河口の西南部に位置して
    いるのがマカオとなっており、北東部に位置しているのが香港となっている。
    両地域の移動は、高速フェリーで1時間だが、建設中の港珠澳大橋が開通すれば、
    車で30分となる。 両地は近くなる上、似た歴史を持つが、マカオは決して
    リトル香港ではない。

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    15世紀以降、ヨーロッパで最も大規模な航海に出たポルトガルが、アフリカ西岸を
    南下し、喜望峰を超え、イスラム圏を東に進み、インドを超え、東南アジアを抜け、
    中国南部へと至る。 16世紀はじめに中国に到達し、1557年頃マカオに居留地を
    得て、19世紀に統治権を得た。

    第二次世界大戦後は、ポルトガル本国の力が弱く、1960年代の中国の文化大革命の
    影響を受けて、マカオで起こった中国人による暴動(12.3事件)をポルトガル側が
    単独で鎮圧出来なかったため、マカオでは、中国の影響が強まったと言われている。

    更にポルトガル本国では、1974年に民主革命があり、共産主義の影響を受けた
    軍人によって、独裁政権が倒され、海外領や、かつての海外の植民地が解放されて
    行く。 マカオについても、中国への返還に抵抗が見られず、香港の返還が決定
    した後で、すんなりとマカオの返還が決まり、1999年12月20日に中国の特別行政区
    となった。

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    マカオの返還前の住民社会構造は、4層から成っていた。 本国派遣のポルトガル人、
    最も多い中国(広東)人、その中間に位置するマカエンセ、中国や東南アジアからの
    出稼ぎ労働者である。 マカエンセは、中国とポルトガル、ないし、その他の地域の
    混血グループである。 世界に数万、マカオには、数千人居ると見られている。
    中ポ両言語を話し、独自の文化、コミュニティー、ネットワークを持つ。 伝統
    マカオ社会、行政や初期香港において、仲介以上の役割を果たして来た。

    出稼ぎ労働者は、主に工場、商店、家事労働なとに従事する期限付きの輸入労働力で
    ある。 返還の頃は1万人前後であったが、ここ数年間で急増し、2014年には、
    17万人近い規模となった。 そのうち、11万人が中国からで、中国の労働力輸出
    としても注目するところとなった。

    この社会構造は、エスニシティーによる役割分担である。 ローカル住民の中では、
    マカエンセは優位にあり、例えば、勤勉でなくとも、高位に就いた。 マカオの
    中国人にとっては、中国の政治力や経済力に期待を寄せる所以となった。 共産
    主義の中国の外に住む中国人の中で、最も中国への親近感が高いのが、マカオで
    あろう。

    ポルトガルの影響は、今後も文化や宗教の分野を中心に、色濃く残って行くだろう。
    文化を重んじる細やかな感性は、マカオの地に根付いており、マカオの中国人からも
    感じ取ることが出来る。

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    マカオをポルトガル大航海の終点と見る時、マカエンセ、マカオ料理、マカオの
    建築物や風景等は、旧ポルトガル領の他地域の特徴が融合し、その情緒がマカオ
    そのものと言えるのかも知れない。

    マカオ経済に関しては、特殊な産業構造、賭博産業と観光業が突出している。
    2014年の雇用者数を見ると、賭博関係が27.5%、ホテルやレストラン関係が16%を
    占めている。 マカオの公営賭博は、19世紀頃以来の歴史を持つ。 返還後、カジノ
    投資が自由化され、海外資本の大規模開発が行われ、中国からの客が押し寄せた
    結果、2006年には、カジノの売り上げが世界最高となった。 現在の売り上げ
    規模は、ラスベガスの7倍となっている。 それによって、マカオ全体の収入が
    急増した。

    2014年の一人当たりのGDPは、約8万9千米ドル(約1千70万円)で世界トップ
    クラス、返還当時の5倍以上にあたる。 だが、これらの数字は、中国に左右され、
    近年の中国幹部の汚職摘発の影響で、カジノの売り上げ、GDP共に、減少した。

    賭博が基幹産業となっている社会には、特殊性があり、ギャンブル依存の問題が必ず
    生じうる上、換金や性的サービスの分野も増長する。 そのため、子供や公務員の
    賭博場への出入りは禁止され、『カジノ社会学』という研究分野もある。 日本では、
    ギャンブル依存が放置されたまま、カジノ解禁が提案されている。 マカオの経験
    から日本が学ぶところは多いであろう。

    中国の対外的な窓口であったマカオは、香港の成立以降、その甘みを奪われた。
    地理的にも珠江が運ぶ砂が港としてのマカオを不利にしたという。 しかし、
    返還後は、中国の川砂ではなく、中国人の欲望をかき集め、繁栄に至った。 
    マカオは、今後も独自の戦略によって、大変貌するであろう。

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    イギリスは当初、主権を中国に返還しても、行政権をイギリスが持ち続ける
    という方式も考えていた。1982年9月24日、北京の人民大会堂で、マーガレット・
    サッチャーは鄧小平との会談に臨んだ。 フォークランド紛争に勝利して自信に
    満ちたサッチャーは、意気揚々と北京に乗り込んだが、そこで手痛い挫折を
    味わった。

    イギリスが香港を条約によって正式に得たということ、香港の繁栄はイギリスが
    築いたということを堂々と主張するサッチャーに対して、鄧小平は大いに怒り、
    『爆撃しろ』という言葉も吐いたという。

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    サッチャーが香港に関するイギリスの法的な立場を強調したことに、鄧小平は
    一向に関心を示さなかったという。 中国人の目から見れば、イギリスが香港
    統治の根拠としている南京条約・北京条約・新界租借条約は、強制しされた不平等
    条約であり、中国人としては香港を取り戻すことはナショナリズムに触れる問題
    であった。

    この後両国は交渉を重ねるが、結局イギリスは香港統治の継続を断念し、1984年
    12月19日に中英共同声明が正式調印され、イギリスは1997年7月1日に香港を中国に
    返還すること、そして返還後の香港では『一国二制度』が実施されることが約束
    され、香港返還問題は決着を見た。

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    尚、1997年に租借期限を迎えたのは、新界地区のみであり、期限なしで割譲された
    香港島と九龍半島については、理論上この日を期限とする必要はない。 しかし、
    香港の発展はこの三地区を跨いで進められており、道路や地下鉄網だけではなく、
    啓徳空港の滑走路も新界と九龍の双方に跨っているため、新界のみを返還するのは
    事実上不可能であり、全ての香港が一括して返還されることになったのである。

    中英両国は、全ての香港の返還に基本合意したが、1984年の共同声明調印から
    1997年の返還までの過渡期と言われる時期の香港政治は波乱万丈であった。 特に
    民主化問題を巡って、両国は対立を繰り返した。 1997年の返還自体は、
    スムーズに行われ、『一国二制度』方式の実践が始まった。

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    香港は、『借りた場所で借りた時間を』過ごしていると言われる。 イギリスが
    1898年に新界を租借した際、その期間は99年間とされた。 すなわち、1997年
    以降、香港の地位がどうなるかについては、長い間議論がなされていなかった。

    1970年代になると、香港の将来問題が本格的に浮上して来た。 1971年着任の
    クロスフォード・マクルホース香港総督が、香港の社会福祉を急速に拡大した
    背景には、1967年の香港暴動に対する反省も言われるが、新界租借期限が迫る
    中で、中国よりもあらゆる面で優れている統治を行い、中国との交渉を有利に
    するためという、イギリスの外交政策の目的のためでもあったという。

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    イギリスは、1997年以降も香港の統治を続けることを希望していたが、中国は、
    香港の回収を目指した。 1971年11月、中華人民共和国は長年の努力の末、台湾の
    中華民国に変わって国連代表権を得た。 すると翌年1972年3月んみ、中国は
    香港について、イギリスに占領された中国の領土であるとの立場を明確化し、
    国連の植民地リストから香港とマカオを削除するよう求めた。 1979年3月、
    マルクホース香港総督は初めての香港総督の公式訪問という形で北京を訪問したが、
    その際、中国の最高指導者であった鄧小平は、イギリスの香港統治の継続を明確に
    受け入れることはせず、香港を回収する可能性をほのめかした。 しかし、
    マルクホースは、香港の動揺を恐れ、香港に戻ると『投資家は安心して良い』
    という鄧小平の伝言のみを発表した。

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    中国はこの頃、台湾問題の解決の手段として、社会主義中国の中で、一部地域に資本
    主義の政治、経済、社会等の体制を残すという『一国二制度』方式の原型を構想し
    初めていた。 1979年元日、中国はアメリカとの国交を正常化した。 これと
    同時に、中国は台湾に対して、『台湾同胞に告げる書』と題する公開書簡を発表し、
    台湾問題の平和解決、現状を重視した現実的な統一政策を提案していた。

    1982年に改正された新憲法では、特別行政区を設置出来るとの条項が追加された。
    台湾の統一問題が進展しない中、中国はまず香港で『一国二制度』を実践し、これを
    モデルケースとして示すことで、台湾を統一に導こうと考えたのである。

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