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    タグ:防災無線

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    大震災では、大勢の外国人も被災した。 警察庁によると、2011年6月
    27日現在、死亡した外国人は29人。 うち7割近い20人が宮城県内で亡くなった。
    震災発生直後、外国人が取った行動を調べると、運に加え、『日本語』
    『近所付き合い』『防災意識』の3点が生死を分けた要因として浮かび上がった。

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    逃げる その時 外国人(宮城)出典:河北新報 2011年6月28日

    『高台に避難してください』 津波から多くの日本人の命を救った防災無線や
    ラジオの呼び掛けが、宮城県南三陸町のフィリピン人にはほとんど理解されて
    いなかった。

    35年前に来日した英語講師佐々木アメリアさん(57)は『心配していた通りに
    なった』と表情を曇らせる。 震災後、フィリピン人妻ら十数人に聞いたところ、
    『高台』『避難』の意味が分からなかった人が多かった。 大半は日本人の夫と
    逃げたか、隣近所の日本人に促されて逃げ、一命を取り留めたが、女性(29)が
    津波で亡くなった。

    アメリアさんによると、女性は日常会話は出来たものの、防災無線の日本語は
    聞き取れなかった可能性が高い。 石巻市のスナック勤めで、南三陸町の
    フィリピン人社会や、隣近所との付き合いはほとんどなかった。 『日本人の夫
    以外に、避難するよう教えてくれる隣人はいなかったはず』とアメリアさんは
    見る。

    流ちょうな日本語を話す千葉ジョイさん(44)は『私も『高台』『避難』の
    意味は分からなかった。 『高い所に逃げて』と繰り返し言われれば、助かった
    かもしれない』と同胞の死を悼む。

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    志津川中で避難生活を送る来日20年の小山ジュリエットさん(44)を救ったのは、
    防災無線を聞き取る日本語能力と夫からの電話だった。 地震と停電で通話
    出来ないと思っていた携帯電話が午後3時10分過ぎ、突然鳴った。

    『大津波が来る。 出来るだけ高い所に逃げろ』。 夫の宣広さん(42)だった。
    宣広さんは近海マグロはえ縄船の漁師。 太平洋の沖合数十キロで津波をいち
    早くキャッチし、衛星電話で危機を知らせた。

    地震発生時、海沿いにある水産会社の加工場にいたジュリエットさんは防災
    無線に従い、既に指定避難所の志津川小へ向かっていた。 途中、志津川
    保健センターにほど近い夫の実家に立ち寄った。

    直後、宣広さんから電話があった。 忠告に従い、義父母と一緒に高台に
    逃げた。 振り返ると『真っ黒な濁流が、数分前までいた小高い場所を
    のみ込んでいた』という。

    ジュリエットさんの友人の斎藤ジュリエットさん(44)は同じころ、日本人の
    夫と逃げた高台で、泣きながら上空を見上げていた。 『この世が終わる。
    イエス・キリストが降臨する』と。

    あの時、中国・大連出身の広岡燕燕さん(37)は宮城県山元町の自宅にいた。
    海岸まで約1.2キロ。 『地震が起きたら津波が来る。 すぐ役場へ逃げて』。
    日本人の夫の口癖が頭に浮かんだ。

    サンダル履きのまま、3キロ以上離れた町役場を目指し、長女歩実さん(7)と
    自宅を飛び出した。 道路はひび割れ、水が噴き出す。 空は暗く、海岸から
    真っ黒い土煙が追い掛けて来る。

    津波の恐怖と闘いながら、十数分走り続けた。 息も絶え絶えになり、道路に
    飛び出して白いワゴン車を止め、叫んだ。 『娘だけでも』。 ワタナベと
    名乗る男性が2人を乗せてくれた。

    津波は町役場の近くまで迫り、自宅1階は水に漬かっていた。 『夫の口癖と、
    親切な日本人のおかげ』。 山元町の仮設住宅で、燕燕さんは歩実さんの
    髪を優しくなでた。

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    東日本大震災により、町が壊滅状態となった宮城県南三陸町。

    そこには、想像を遥かに超える大津波が何度も押し寄せたが、南三陸町危機管理課
    広報担当の遠藤未希さん(当時24歳)は、町民の命を守るために、自分が避難を
    促される最後の最後まで、防災無線で町民に避難を呼び掛け続けました。
     
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    自らをも省みず、避難を呼び掛け続ける声は、いつしか、『天使の声』と呼ばれる
    ようになり、埼玉県にある、公立高校の道徳の教材になりました。 遠藤未希さんの
    最後の声は、町民の心に深く刻まれています。 多くの人々が、この声に後押し
    されて、高台を目指し、命を救われました。

    只今、津波が襲来しています。
    高台へ避難して下さい。
    海岸付近へは、絶対に近づかないで下さい。



    【遠藤未希さんの最後の声】
    高台に避難してください
    ただいま、宮城県内に10m以上の津波が・・・



    多くの町民は、『あの声を聞いて、逃げなければと思った... あの声に救われた
    人が大勢いると思う...』と述べています。

    結婚したばかりのご主人は、『逃げて欲しかった... そして、生きて欲しかった...
    他の人に何と言われようとも...』とブログに綴っています。

    また、お母さんは『最期まで頑張ったって、いろんな方に言って頂いたけど...
    親とすれば、やはり助かって欲しかった... 私たちは、未希から守られたと思って
    います。 本当にいい子でした。』と仰っていました。



    防災庁舎を襲う大津波。 津波の高さは屋上をも遥かに超えた。

    親を心配させたくないと、仙台の専門学校を卒業し、地元の南三陸町の職員に
    なった遠藤未希さんは、被災の1年前から、町の防災課で働いていました。
    地震発生当時、防災庁舎には、30名の職員が残っていましたが、3階建ての防災
    庁舎の屋上を2メートルも上回る大津波が襲い掛かり、無事が確認されたのは、
    南三陸町長を含む8名だけでした。

    行方不明になった多くの職員は、防災担当でした。 職員の中には、屋上の更に
    上にある鉄塔に登って、助かった人も居ました。 多くの職員は、屋上にある
    フェンスにしがみついたが、津波の威力は、想像を遥かに超えていました。

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    鉄塔にしがみつく職員達。 この後、津波の威力になすすべもなく流された。

    未希さんの両親は、自ら被災しながらも、毎日、遺体安置所となっていた町総合
    体育館を訪れていた。 しかし、津波から43日後の4月23日、 未希さんの遺体が、
    志津川湾で見つかりました。 志津川湾に浮かぶ、荒島の北東700メートルの
    地点で、捜索隊が発見したそうです。 警察のDNA鑑定の結果、震災から50日
    余りも経った5月2日になって、ようやく未希さんという事が確認されました。

    未希さんの左足には、去年7月に結婚したばかりの夫、正喜さんがプレゼントした
    オレンジ色のミサンガが巻かれたままだった。 父親の清喜さんは『ずっと捜して
    きたので、やっと娘が見つかってよかったという気持ちはありますが、もう戻って
    来ないと思うと寂しい思いが募ります』と話していました。


    遠藤未希さんと高校の同級生で、同じく、南三陸町役場で働いていた、
    三浦亜梨沙さんが交際相手だった男性に向けて、最後に送ったメール。

    防災対策庁舎で津波に流されて行方不明になっていた同町職員三浦亜梨沙さん
    (当時24歳)の遺体が、2012年1月に、町内のがれき置き場で見つかっていた事が
    分かった。 DNA鑑定を終え、2012年2月に入り、ようやく、無言の帰宅をした。
    未希さんとは、剣道を通じて、小学生時代からの知り合いで、役場でも仲の良い
    親友同士だった。

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    南三陸町被災前の人口
    17,700人

    2014年3月現在;
    死者:619人
    行方不明者:219人


    南三陸町 語り部バス

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