多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:鎖国

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    ティラナ中心部にある広場は非常に明るい雰囲気で、また来たくなるような国
    アルバニア。 元々社会主義の国なので、建物は重厚な造りとなっています。

    ティラナで見る物と言えば、放置されたピラミッドぐらいだが、共産党時代に
    建設された物が今でも放置されているとか。 とかく、旧共産主義国家には、
    〇〇廟なる崇拝施設があるのだが、アルバには、そのような物はない模様。

    【ティラナ】
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    ティラナのバスターミナルは、中心部から歩いて約30分の場所にあり、鉄道の便は
    更に少ないため、東欧の移動はバスが主流となります。

    【バスターミナルの場所】

    ティラナのバスターミナルは、東欧に良くある情報が一切何も書いていないため、
    行き先表示板もなければ、案内所もないため、適当な窓口に入って、ポドゴリツァ
    行きのバスのプラットフォームを確かめたものの、定刻よりも15分程度遅れている
    そうで、暫く外でバスを待つことになりました。

    【ティラナ中心部~バスターミナル】
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    ティラナを出てモンテネグロへ向かう途中、アルバニア最古の都市にして、第4の
    都市であるシュコドラを通ったのだが、こちらの街もかなりの経済発展を遂げて
    いる様で、こちらは、元々は、モンテネグロ領だったらしい。

    シュコドラを越えて、再度モンテネグロへと入る際の国境がなかなか曲者で、国境を
    越えるだけで1時間以上も掛かりました。 モンテネグロに入ってからは、首都の
    ポドゴリツァまでは、ものの20分程度という至近距離です。

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    アルバニアは、長らく「ヨーロッパ最貧国」と呼ばれ続けて来たのだが、
    大規模内戦により、ウクライナがヨーロッパ最貧国に落ちたため、アルバニアは
    非常に貧しい国のイメージを持っていたのだが、今では、このように凄まじい
    経済発展を遂げ、物価も東京並と、ヨーロッパの中では非常に安いものの、
    アルバニアにすら追いつかれてしまった日本を見て、非常に情けなくなりました。

    【ティラナ】
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    ティラナの広場では、ビアガーデンが開かれており、長年鎖国政策を採っていた
    国とは思えない程、非常に明るい感じがしました。 今時、日本製品程度の
    商品は何処ででも手に入るため、中国人による爆買いが日本では全くなくなった
    のも、そういう意味だと思います。 アルバニアは、コソボ人の国であり、
    隣国であるコソボとの併合を望んでいるものの、コソボは大国の利権が複雑に
    絡んでいるため、アルバニアとコソボの合併は容易ではない。 アルバニア人は、
    見た目的にも、スラブ人とは全く異なり、髪の毛や目が黒く、どちらかと言うと、
    ギリシャ人に見た目が似ていると思います。

    【夜のティラナ中心部】
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    アルバニアは、長年鎖国政策を敷いていたため、他の社会主義諸国とは、全く
    別の道を歩んでいたものの、ここにも近代化の波が押し寄せ、日本とも差ほど
    違わない生活がおくれるようになりました。 しかも、後から発展した国の方が、
    建物が真新しいため、アルバニアは今後かなり発展するのではないかという
    可能性すら感じました。

    双頭の鷲をシンボルにしている国は、ヨーロッパでは非常に多いものの、
    黒い鷲に赤の背景は、ショッカーの旗を連想させるため、悪の帝国・・・
    ではなく、非常にかっこいいですw

    お土産品として、マグネットや木工品を置いてあるのは、ヨーロッパ各地で共通。
    長年鎖国をしていたとしても、文化はある程度ヨーロッパと共通であることが
    分かります。

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    バルカン半島(南東欧)の小国アルバニア共和国は山がちの国であり、その歴史は
    長く波乱に富んでいる。 数世紀にも渡り、外国勢力の征服を受けて支配された。
    つい最近では、外国との交易や外交関係を一切絶つ鎖国政策を取ったことで知られて
    いる。 鎖国政策のお陰で経済は酷い状態になったが、その反面で、アルバニア人は
    古くからの独自の文化を守ることが出来たとも言える。

    アルバニア人はこの地域の先住民イリリア人の子孫である。 イリリア人は今から
    3000年以上も前に、バルカン半島に進出して住み着いた。 その後、ローマ帝国は
    イリリクムという州を置いて支配したが、イリリア人の多くは独立の精神を捨て去る
    ことはなかった。 5世紀に西ローマ帝国が滅亡すると、バルカン地域は混乱した。

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    これ以後の1000年の間、イリリア人の名で呼ばれたアルバニア人は、統一した
    政府を持つことは出来なかった。 アルバニアの河川の流域や、岩だらけの
    高地にわずかにある小さな土地を支配したのは、対立し合う有力な部族や強い
    力を持つ領主たちだった。 一方、イタリアのヴェネツィア共和国がアドリア海
    沿岸部の低地に港や貿易のための拠点を築いた。

    15世紀になると、オスマン・トルコが小アジアからバルカン半島に進出して来た。
    オスマン・トルコはアルバニア人領主を隷属させて支配を確立する。 そのため、
    アルバニアの都市や港の交易活動は衰えた。 アルバニアには肥沃な土地が
    ほとんどないため、農業生産は限られていた。 主要な輸出品と言えるのは、
    武器や外国軍隊への傭兵に過ぎなかった。

    アルバニアは1912年に、オスマン・トルコ帝国から独立を宣言した。 しかし、
    ヨーロッパ列強が新国家の国境を定めた後、数百万のアルバニア人が隣国に取り
    残されてしまった。 第一次世界大戦と第二次世界大戦の時期に、アルバニアは
    バルカン半島の支配権を狙う外国勢がぶつかり合う戦場となった。

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    第二次世界大戦期に抵抗運動を指導したエンヴォル・ホジャの下てで、戦後、
    社会主義政権が成立した。 1970年代末になると、ホジャは、真の社会主義国家の
    建設を理由に、社会主義国を含む全ての国との関係を絶った。 同時に、ただ
    ひとつの合法的な政治組織であった共産党が国内の反対勢力を容赦なく排除した。

    アルバニアは、1980年代初めまでに、孤立無援の国となった。 ホジャの鎖国
    政策は国内の産業を衰退させ、生産が落ちるにつれて、食料や日用品の不足が
    目立ち始めた。 ホジャが死去した1985年までに、アルバニアはヨーロッパで
    最も貧しい国になった。

    1990年代初めに社会主義体制が崩壊すると、新たな時代が始まった。 1992年には
    民主的な政権が成立し、経済再建に取り組んだ。 欧米の国々が再びアルバニアへの
    投資を開始し、貿易も再開された。 ここ数十年来初めてのことだが、アルバニア
    でも観光客が歓迎されるようになった。 これに伴い、政府は観光産業の進展に力を
    入れている。

    しかし、依然として貧困と、食料や日用品、職場の不足といった状態が続いている。
    隣接するバルカンの国々の民族紛争も、この国を新たな戦争に引き込む危険性を
    はらんでいる。

    政権が代わり、経済の面で多くの変化が見られたが、アルバニアは国を安定させ、
    繁栄を導くための長い戦いに直面している。

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    仙台藩白老元陣屋とは、 今から約150年前の江戸時代末の安政3年(1856年)に
    置かれた陣屋跡。 当時、北海道はまだ蝦夷地と呼ばれ、日本はまだ鎖国をしていた
    時代であった。 幕末の日本沿岸には、アメリカやロシア等の諸外国が交易を
    するように迫って来ており、箱館(函館)が開港となった時、幕府は、松前藩だけで
    蝦夷地を守るのは困難と判断し、仙台藩をはじめとする東北地方六藩に蝦夷地の
    警備を命じた。



    元陣屋とは、本陣を示す意味があり、仙台藩では、十勝の広尾、道東の厚岸と根室、
    更に、千島列島の国後(トマリ)と択捉(フウレベツ)の5ヶ所にも出張陣屋という
    脇陣屋を置き、太平洋沿岸の東蝦夷地一体の警備にあたった。

    赤い部分が仙台藩の担当地域。 東蝦夷のほぼ全ての警備にあたった。
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    幕府は当初、仙台藩の元陣屋を当時交通の要所となっていた勇払(苫小牧)に
    置くように命じた。 ところが、仙台藩の重役三好監物が現地を調査したところ、
    勇払は湿地帯で陣屋を建てにくい上に波が荒く船の出入りには適していないため、
    箱館に近く、自然の地形をそのまま利用出来る白老が選ばれ、幕府にこれを
    許された。

    仙台から白老までは、約800キロほど離れているが、記録によると、この間の
    移動は、早い時で20日間、川の氾濫や津軽海峡のしけ等で2ヶ月以上も掛かる
    ことも珍しくはなかった。

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    仙台藩元陣屋には、約120人の藩士達が毎年交代で故郷を離れ、慣れない気候風土の
    中で暮らしていた。 藩士達は、弓や剣術の稽古の他、火縄銃や大砲の訓練に
    励んだ。 当時の白老には、400人ほどのアイヌ人達が住んでいたが、北の地で
    生活をするの多くの知恵を彼らから学んだ。

    山と川等、自然の地形を巧みに利用した白老元陣屋の面積は、66,000㎡で、堀と
    土塁と4つの門に囲まれたお城の形をしていた。 内曲輪は、上級武士達が住んで
    いたところで、本陣や勘定所、兵具庫、穀倉等の主要な建物があった。 また、
    外曲輪には、下級武士達が暮らす4棟の長屋と武芸をみがく稽古場等があった。

    慶応4年(1868年)、約260年続いた徳川幕府が倒れ、蝦夷地の警備にあたっていた
    陣屋の武士達は、賊軍と呼ばれて箱館から攻めて来た新政府軍に追われるように
    白老を去った。 こうして、仙台藩元陣屋は、12年間の歴史を閉じたのである。

    その後、東北各地では、仙台藩を中心として、戊辰戦争が始まったが、東北の
    各藩は、この幕末の蝦夷地での警備に資金を大量に費やしてしまったため、
    最新の武器を揃える事が出来ず、旧式の武器だけで戦うこととなっため、
    奥州越列藩同盟は、新政府軍に負けたとも言われている。

    【お勧めの一冊】


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    1600年、オランダのリーフデ号が大分県に漂着した。 日本とオランダの
    交流は、この時から始まる。 徳川家康は、リーフデ号の乗組員を熱くもてなし、
    船長に貿易の許可を与え、オランダは、平戸に商館を設立した。 これが後に
    長崎の出島に移され、以後、オランダは、そこを拠点に貿易を幕末まで続けた。

    リーフデ号の乗組員ウィリアム・アダムズは、日本に帰化し、三浦按針と名乗り、
    徳川家康の外交顧問として仕えた。 出島は、鎖国時代の約200年間、日本の
    世界へのただ一つの窓だった。 ヨーロッパの文化や学問(蘭学)は、出島を
    通して日本へともたらされた。

    19世紀、島内には住居や料理部屋、蔵、番所など49棟もの建物があったが、
    明治時代になり、鎖国が解かれ、オランダ一国との貿易が終わると、出島は
    忘れ去られ、周囲の埋め立てにより、消えて行った。 その後、今から60年ほど
    前から始まった復元工事により、一部では、往年の雰囲気を取り戻した。

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    【日本語になったオランダ語】

    『おてんば』
    オランダ語の『ontembaar』は、『飼い馴らせない』とか、『野生の』という
    意味で、これが日本語に入って『おてんば』になったと言われている。
     
    『やんちゃ』
    オランダ語で、『男の子』のことを『ヤンチェ』と言うが、日本語の
    『やんちゃ』は、ここから来ていると言われている。

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    『ドロップ』
    オランダ語でも『ドロップ』は、飴を意味するが、オランダのドロップは、
    漢方薬のような味がする。

    『半ドン』
    日曜日を意味する『ゾンダッハ』の『ゾン』が『ドン』へと変わった。
    土曜日は、休みが半分という意味で、『半ドン』という日本語になった。

    【お勧めの一冊】


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    日本人の外国語音痴は、世界でも群を抜いており、この比率は、アメリカ人とさほど
    違わないが、アメリカの場合は、英語が、世界各地で通じるため、特に外国語を
    学ぶ必要性もないが、日本語の場合は、韓国と台湾、その他アジアのメジャーな
    観光地でしか通じないため、言葉の時点で完全に鎖国が完成している。 日本には、
    一部有能な人材も居るものの、それを遥かに上回る無能な人材が多過ぎるため、
    結局は、その人達に足を引っ張られて何もかもおしまい。

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    日本には、極端に右脳型の人間が多いため、イメージだけで判断をする場合が多く、
    正確な判断を下せない人間が多いというのが実情。 転職自体を悪と考えているため、
    極端に人材の流動性が少なく、キャリアアップというもの自体がない。 また、
    人事担当者が、特に無能な場合が多く、今時、これまでの経験企業数は2社まで
    という戒厳令を敷いている企業とかもザラ。

    その間違った部分は、全て「協調性」という名の仲良しごっこで何もかもなかった事に
    されるため、あえて、何も考える必要性すらないのだが、このような事を長年続けて
    いるため、既に、国自体が、かなり没落気味の位置まで後退しているにも関わらず、
    そのような状況にすら気付いてはいない。 または、気付いていたとしても、決して
    口外してはならないため、一言で説明をすると、裸の王様のような国が日本。

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    そもそも、この国には、自分たち一人ひとりがこの国を作っているという意識が足りず、
    何でも人任せにしては、それを「自己責任」と呼んでいるため、始末に終えない。
    まずは、教育の部分から改革をしなければ、日本は、このまま本当に世界から置いて
    行かれてしまう。真のグローバル化は、心の障壁を取り除くところから始めなければ
    ならない。

    30年後の日本が世界でリーダーとなるために

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    海外に住むと性格が変わると良く言われるが、外国語を1つ喋れるようになる度に、
    新たに選択出来る情報チャンネルの数が増え、視野が広がり、これまで閉鎖的で
    あった思考回路にも影響を及ぼし、別の考え方もこの世には存在している事に
    気付くため、結果的にこうなるのだと思う。 日々、仕事に追われていたり、周囲に
    流されてばかりしていると、自分のままで居ることすら困難となるため、他人と異なる
    意見や考え方を持つ事すら、許されてはいない事実に呆然としてしまう。

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    江戸時代に長らく鎖国をしていた日本では、周囲全て海で囲まれた島国という地理的な
    条件も相まって、社会全体が極度に閉鎖的な村社会となっている。 しかも、敗戦後の
    日本の全ての海外への目は、アメリカへと注がれており、アメリカを通してのみ、海外の
    情報が入って来るため、それ以外の情報は、全てかき消されている。 アメリカは、いわば、
    現代の「出島」的な存在であり、蘭学が盛んであった時代には、オランダ語が出来る人間
    のみが、海外との接点を持てた様に、現代では、英語が出来る人間のみが、海外との
    接点を持つ事が出来る時代となった。

    そこで問題となるのが、アメリカ以外の国々との接点。 学校教育において、骨の髄まで
    アメリカ好きに仕立て上げられている日本においては、海外と言うと、何故か、皆アメリカを
    指しているものと勘違いするのだが、世界には、アメリカ以外の国々も当然存在している
    訳で、その事を知るだけでも、当然視野は広がる。 日本人の視野を非常に狭いものに
    している主な原因としては、「海外=アメリカ」に完全になってしまっている点で、良い方の
    目は、全てアメリカに、悪い方の目は、全て中国と韓国に向けられているため、それ以外の
    国々とは、今でも鎖国を続けているのが実情。



    この様な極端に偏った情報社会で生活をしていると、当然、視野も狭くなるため、自分が
    何なのかすら分からなくなる。 日本は、相手を想いやる社会、相手に合わせる社会と
    言うが、余りにも相手に 合わせ過ぎた結果、自分というものがなくなった。 日本社会の
    最大の特徴のひとつに、『あなたはどう思いますか?』という質問が全くなされない点を
    挙げる事が出来るが、裏を返すと、暗黙の了解が社会を支配しているため、相手の事など
    想いやってはいない事が良く分かる。 その事は、『空気を読む』と言う日本語にも完全に
    現れているが、極度の同調性ばかりが支配をしている社会においては、個性などという、
    社会をかき乱す要因などは、当然必要ないのである。

    このような状況から解き放たれて、自我を目覚めさせる要因となりうるのが、外国語学習。
    外国語を学ぶという事は、そこに住む人達の考え方、文化、風習、習慣をも学ぶ事を
    意味しているため、その事によって、新しい人生が切り開かれる。 よって、外国語を
    1つ喋れるようになると、その数の分だけ、新たな人生が切り開かれるのと同じ状況と
    なるため、一本しかない道をひたすらなぞりながら苦難の道を歩み続けている人達とは、
    思考回路が異なってしまったとしても、むしろ、幸せとも言える。



    日本のような閉塞的な社会にばかり住んでいると、特に自分で何も考えなくとも、周囲が
    全てやってくれるため、自我が目覚める事はまずないが、海外で生活をすると、何もかも
    自分でやらなければならなくなるため、当然、自己主張が出来なければ生きては行けない。
    逆に、日本で最も嫌がられるのが、この自己主張で、自分の考えを持つ事すら許されては
    いないこの国では、何もかもが右に倣えばかりで、それ以外は、非国民扱い。 同調性が
    支配をしている全体主義社会では、足の引っ張り合いが社会の調和を保つため、当然、
    天才は生まれない。

    東日本大震災以降、日本国内では、情報規制が激しくなったが、多角的な視野を育てる
    という意味においても、是非とも、英語以外の語学の学習をオススメしたい。 日本で
    報道をされている外国のニュースは、概ね、英語からの翻訳によるものが多いが、
    英語のニュースは、ほぼ全て、アメリカのバイアスが掛かっているため、常にアメリカ視点
    からは抜け出す事が出来ない。 アメリカに語学留学に行ったとしても、当然、アメリカ
    視点からは抜け出せないどころか、逆に、開放的な面ばかりを強調する、アメリカかぶれに
    なって帰って来るのは、目に見えているため、余り意味が無い。

    外国語は、日本でも学ぶ事が出来ると良く言われるが、そのような事を言う人達は、
    文化の面には全く目を向けてはいないため、その言葉の裏の裏に存在する、その地域の
    特性を理解してはいない。 海外に住むと、考え方が変わるのは、全く別の文化を新たに
    吸収しているからであって、お受験戦争にありがちな、単に、外国語の単語を数多く知って
    いるだけでは、特に何も変わりはしない。 机上の理論をいくら振りかざしたところで、
    実際の知識や経験にはかなわないのである。

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    海外に住むと、性格が変わると言うよりも、新たな道が開けるため、外国語を全く知らない
    人達と比較をすると、別の人生を生きられる可能性が増えると言った方がより分かりやすい
    かも知れない。 海外での生活に馴染めない人達も当然多いのだが、そのような人達の
    場合は、逆に、右寄りの思考に傾倒してしまうため、むしろ、人生の選択の幅を自ら狭めて
    しまっているとも言える。

    具体的に、海外に住むと、何か変わるのか? より分かりやすく言うと、肩の力が抜けて、
    余り他人の目が気にならなくなるのが特徴と言えるかも知れない。

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