多言語のススメ ~ロシア・東欧情報~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    【プロフィール】
    旧ソ連・ロシア、オーストリア、カナダ、ベルギーに語学留学経験あり。
    1991年より、一貫して通訳・翻訳や海外営業等の語学専門職としての経験を
    積んでおり、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語他の多言語を扱う
    語学のプロ。 専門はロシア語⇔ドイツ語の通訳論、言語学、並びに心理学。
    詳細はLinkedInを参照。

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    タグ:野蒜

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    東北最大の海水浴場である野蒜海岸から、車で更に10分弱走ると、宮戸島と呼ばれる
    風光明媚な『奥松島』に到着します。 その宮戸島にあるのが、大高森。 松島四大観の
    中でも、最も美しいとされる『壮観』と呼ばれています。 登山道入り口から、山頂までは
    徒歩で15程度。 山頂からは、360度の大パノラマから見えるが、そこから見えるのは、
    被災した場所ばかり。 特に、野蒜地区は、上から見ると、何もかもなくなったのが
    よく分かる。



    この地は、日本三大渓の『嵯峨渓』がある場所としても有名で、女性的な曲線的な美しさが
    特徴の松島と比べると、荒削りな男性的な美しさを持つのが、この嵯峨渓となっている。
    大高森山頂からは、その嵯峨渓と石巻の町を望む事が出来る。 煙が出ている場所が、
    石巻市門脇地区。 大高森から出ている遊覧船は、3,000円も掛かるため、松島から
    出ている2,000円の遊覧船(見る場所はほぼ同じ)をお勧めします。

    【大高森】

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    宮戸島への入り口付近にあった観光桟橋は、津波で完全に破壊されたため、この宮戸島の
    大高森登山道の入り口へと移転した。 東松島市の名前の由来は、この『奥松島』と
    航空自衛隊『松島基地』があるためで、どうしても『松島』という単語を入れたいという理由で
    こうなったのだが、地元では殆ど誰も使わないという、無意味な名前となっている。

    【野蒜海岸付近】
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    野蒜から奥松島の宮戸島へ行く途中の道。 津波で何もかもなくなり、この場所は、
    地盤沈下により、3年以上に渡り、水没していた。 つい最近になって、ようやく防波堤の
    工事が始まったため、高さ15メートル程の防波堤が出来たが、その前までは、この高さと
    同じぐらいの瓦礫置き場だった。 単なる荒れ地にしか見えないこの場所には、被災前
    までは、観光客が宿泊する「奥松島ユースホステル」があった。 建物も松林も、電柱の
    一本すら残らなかった野蒜の復興は、まだ始まってもいない。

    この付近に到達した津波の高さは、約10メートルで、この場所にある防波堤は、25年ぐらい
    前に、2メートルほどかさ上げしたものだが、それでも、何の役にも立たなかった。 この
    場所は、東北最大の海水浴場であるのと同時に、奥松島という観光地であるため、
    かつては、民宿街と松林だったのだが、松林も10本程度を残して、全て流出した。

    【月浜海岸】
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    かつて民宿街であった月浜海岸。 野蒜海岸は、外洋にあるため、波が高いのと、
    海水浴客で混み合うため、地元の人間は、大体、この宮戸島で海水浴をしていた。
    むしろ、こちらの方が、観光客が余り来ないため、ほぼプライベートビーチ状態だったの
    だが、その民宿街も津波によって全て流されたため、現在は、その場所には、仮設住宅が
    立ち並んでいる。 当然、観光客は、ひとりも来ないため、非常に閑散としている。
    この場所は、夏になると、海水浴客から、車の駐車料金を500円も取るという殿様商売を
    してたが、その面影は、一切残ってはいない。

    今年に入ってからは、海岸の防波堤の工事が本格的に始まったため、砂浜には入れなく
    なった。 工事関係者の話によると、春ぐらいまでには、工事を完了させたいとの事
    であった。 東松島市は、市域の60%以上が津波で水没しているため、津波が再度
    襲った場合は、このような仮設住宅は、ひとたまりもないが、高台が多くないため、
    仕方がない。

    【観光桟橋跡】
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    宮戸島入り口にあった観光桟橋跡。 その観光桟橋からは、石巻の街がもう見えて
    います。 この付近には、航空自衛隊松島基地があるため、ブルーインパルスが通常
    訓練を行っているのも、この海上付近。 ブルーインパルスは、展示飛行のために
    日本全国でアクロバット飛行をしているのだが、その本拠地の状況が、このような有様
    だとは、一言たりとも言わないが、元々、自衛隊の宣伝のためだけにある
    ブルーインパルスなので、被災地の事などどうでも良いのであろう。

    先日行った、入間基地での航空祭においても、『航空自衛隊松島基地所属』と言ったのは、
    一度きりで、被災地の事には一切触れず。 国立競技場で展示飛行を行った際にも
    同様で、マスコミの偏向報道には、騙されないようにした方が良いと思います。 尚、
    野蒜海岸の入り口には、このお地蔵様があるが、石巻の門脇小学校の脇にあった、
    同じお地蔵様は、道路工事のため、どこかへと移設されてしまった。



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    美里編で紹介した堤防を海側へ約15キロほど下ると、野蒜海岸へと出ます。
    2015年5月30日に約4年ぶりに営業再開を果たした、JR仙石線の野蒜駅は、
    山側へと移転し、新たに街開きを行ったため、駅前には、未だ一切何もない。

    【新しく移転した野蒜駅前】
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    工事関係者の人達の話によると、来年の5月までにこの場所を宅地造成して、
    個人に引き渡すそうです。 どの場所を誰に引き渡すかは、既に決まっていて、
    後は宅地造成するばかり。 野蒜に限らず、『街開き』した筈の新しい町には、
    道路の1本すらまだなく、単なる荒れ地を切り開いただけの状態となっています。

    この場所に災害復興住宅が完成するのは、2年後と言われており、工事が遅れて
    いるため、再来年の3月に仮設住宅が全て廃止されるまでに間に合うのかすら
    分からない状況です。 この後紹介する、石巻の新蛇田地区は、街開きしたにも
    関わらず、ここよりも酷く、道の一本すらまだない。 

    【津波で廃止となった旧仙石線跡】
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    津波災害により、廃止となったJR仙石線跡。 1枚目は、新しくなった仙石線。
    この付近は、20年ほど前にも、強風時に安全に運転を行えるよう、陸前小野⇔
    野蒜駅間で若干ルート変更をしたため、その時の旧線も残っているのだが、現在、
    ファミリーマートになっている、旧野蒜駅は、その時に新しくした駅であるため、
    仙石線の駅の中では、比較的新しい駅舎だった。

    このすぐそばにある野蒜小学校では、折角仙石線の電車から乗客が避難をして来た
    のにも関わらず、校長が校舎に鍵を掛けてしまったため、体育館に避難をしていた
    人達数名が津波の犠牲となった場所。 東日本大震災発生時に、電車が津波で折れ
    曲がって倒れていたのを覚えている人も多いと思うのだが、それがこの場所。

    下り列車は、乗客の判断により、ちょうど高台部分で停車したため、翌日に乗客
    たちは、全員助けられたが、その車両自体は、2011年の12月末まで、その場に
    放置された。 

    【津波で廃止となった旧野蒜駅】

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    津波災害で残った旧野蒜駅は、今後、『津波伝承館』として整備される事が
    決まっている。 この元駅舎には、観光案内所もあり、東日本大震災で被災した
    時のパネルが展示されている。 この付近も『宮城県連続地震』の被災地である
    ため、観光局の人達に、その時の地震災害の情報も展示して下さいとお願い
    して来た。

    『東日本大震災』の時よりも、『宮城県連続地震』の時の地震の方が、地震災害
    としては、凄まじかったのだが、その事を覚えている人は、東松島周辺にしか
    居ない。

    尚、『宮城県連続地震』で被害を受けた場所は、『東日本大震災』では、ほぼ
    無傷だったのだが、その理由は、そんな程度の地震で倒壊する家屋やブロック塀は、
    その時に既に全て倒壊して無くなっていたのと、その後、地震に対する災害強化を
    更に行ったため。

     

    野蒜駅前に到達した津波の高さは、3.7メートルとなっており、町と共に、
    うっそうとした松林もほぼ全てが流出したため、一切何もなくなった。
    工事関係者に尋ねたところ、この場所は何になるのか分からないとの事だった。
    このすぐ先が野蒜海岸なのだが、工事中であったため、海側へは一切入れなく
    なった。 尚、この付近での死亡者の数は、約500名。
     
    福島県と東電によれば、福島第一原発付近に到達した津波の高さは、15メートル
    だそうだが、その津波の高さは、実は、『遡上高』であった事を住民らの追求
    により、東電と福島県が既に認めています。 3.7メートルの高さの津波で、この
    有様なので、福島第一原発付近に到達した津波の高さは、明らかに2メートル以下。
    その証拠に、福島の建物は、ほぼ全て残っている。

    【新しくなった東名駅】
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    野蒜駅と同じく、5月30日に4年ぶりに営業を再開したJR仙石線の東名駅。
    高台に移転したため、その高台への入口側から見ると、野蒜駅とほぼ同じような
    位置となった。

    内陸側へ移転し、その入り口部分がほぼ同じであるため、地域住民にとっては、
    かなり使いづらい駅になった。 周囲に建物は、まだひとつもない。 この付近は、
    潮干狩りで有名な場所だったのだが、現在、潮干狩りは出来ない。



    JR仙石線の陸前小野駅前にある『空の駅』。 ここでは、仮設住宅に住むお母
    さんたち手作り、ソックモンキーの『おのくん』を購入する事が出来る。
    どれでも1体1,000円となっており、通信販売での場合は、1年半待ちの大人気
    商品となっている。 但し、この『空の駅』まで来れば、その場で購入する
    事が出来る。

    【空の駅】
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    『空の駅』とは、東松島市内にある『航空自衛隊松島基地』の事を指しており、
    日本で唯一のアクロバット飛行が出来るブルーインパルスの本拠地らしい名前と
    なっています。

    『空の駅』は、1年半後の本格運営を目指して、現在募金を募っている。 より
    正確に言うと、1年半後には、仮設住宅が全てなくなるため、それまでにこの
    『空の駅』を何とかしないと、この先、どうにもならなくなるという意味。

    ここには、『おのくん』以外にも、ブルーインパルスグッズが多数あるため、
    ブルーインパルス好きのお方にもオススメの場所かも知れない。 

    【小野駅前応急仮設住宅】

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    JR仙石線の陸前小野駅前にある『おのくん』を販売している仮設住宅。
    陸前小野駅からは、線路沿いに歩いて10分程度掛かる。 仮設住宅を入ると、
    まず、ブルーインパルスが目に飛び込んで来る。 『おのくん』は、宮城県
    東松島市の『小野駅前応急仮設住宅』の主婦らがひとつずつ手縫いで作っている、
    サルがモチーフのキャラクターのぬいぐるみのソックモンキー。 東日本大震災
    からの復興への願いがこめられている。 『めんどくしぇ』が合い言葉。

    【お勧めの一冊】


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    東松島市は、2003年の『宮城県北部連続地震』でも大規模被災をしているが、
    その当時、野蒜地区は、余り被災しなかったのだが、その隣の小野、大塩地区は、
    震源地の真上にあったために、大規模被災し、かなりの家屋が被害を受けた。

    過去に東日本大震災よりも大規模な地震に遭遇しているため、、野蒜小学校
    校長の証言にも『地震は予知出来なかった』とは出ていないのだが、野蒜
    小学校は、海から、ものの数百メートル程度しか離れていないため、津波が
    予想出来なかったというのは、教育者としても余りにも甘い考え方。

    付近を走っていたJR仙石線の乗客達も、地震発生直後に全員野蒜小学校の
    体育館へと避難をしたが、校長が校舎への入り口の鍵を掛けてしまったため、
    その一部は、津波に飲み込まれて死亡した。



    <野蒜小津波訴訟>校長『津波到達予想できず』

    出典:河北新報
    東日本大震災で宮城県東松島市野蒜小体育館に避難し、津波で死亡した住民と児童
    計3人の遺族が市に計約5,300万円の損害賠償を求めた訴訟の口頭弁論が2015年
    10月22日、仙台地裁であり、当時の女性校長が『学校に津波が到達するとは予想
    できなかった』と証言した。

    校長は理由として、市防災マップで学校が避難区域外だったことや停電などで情報
    収集ができなかった点を挙げた。 津波情報の収集は『教頭に任せていた』と証言
    したが、学校に電池式のラジオがなく、情報収集ができなかったという。

    訴えによると、2011年3月11日の地震発生後、野蒜地区の住民らは市の地域防災
    計画で避難所に指定された野蒜小に避難し、校長らに体育館へ誘導されたとして
    いる。 校長は『児童は体育館に避難させたが、住民の避難は各自の判断だった』と
    反論した。

    死亡した3人のうち、児童1人は担任の女性教諭が同級生の親に引き渡し、学校より
    海側の自宅付近で津波にのまれた。 校長は『保護者に引き渡すのがあるべき姿だ』
    と認めつつ、『震災下では一つの判断。 引き渡し後の安全確保は同級生の親に
    委ねていた』と語った。

    児童を引き渡した担任は『(県教委の指針に)違反したかもしれないが、児童を早く
    安心させてあげたい一心だった』と当時の心境を語った。

    市の調査によると、体育館では住民ら計13人が死亡したとされる。


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    2015年5月末に約4年3ヶ月ぶりにJR仙石線が営業を再開し、それに合せて新たに
    街開きを行った野蒜駅前。 駅前には何もないという話は聞いてはいたものの、
    余りにも工事が進んでいなかったため、絶句。。 現状、野蒜駅前には、この駅舎
    以外、一切何もなく、建物がひとつもない。 線路を山側に移設した新野蒜駅の
    ホームからは、旧野蒜駅、現在のファミリーマートが見えているが、新駅舎に登る
    ための階段がないため、道路を使って旧野蒜駅まで行こうとすると、坂道を下って
    約1キロ程度の道のりとなる。

    野蒜地区は、約10mの高さの津波が襲い、何もかも流されてなくなったため、
    山側のこの場所への集団移転が決まっているものの、移転工事がかなり遅れている
    ため、災害復興住宅が完成するまでには、これから2年程度掛かる。 野蒜地区、
    宮戸地区の被災者の一部は、東松島市と災害協定を結んでいる美里町に建設された
    仮設住宅で丸4年間生活をしていたが、その仮設住宅も、今年の3月で全てなく
    なった。

    新たに建設された新野蒜駅付近
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    野蒜駅
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    野蒜駅
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    野蒜地区入口
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    野蒜駅ホーム
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    野蒜駅前
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    野蒜駅前
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    野蒜海岸(石巻方向)
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    野蒜海岸(松島方向)
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    東名駅

    福島の自主避難者に関しては、メディアでも色々と伝えているものの、野蒜や
    石巻の被災者の事は何も伝わってはいない。 宮城県の被災状況は、関東を
    はじめとする、その他の地域には、情報が5%も伝わってはいない。 よって、
    関東方面からわざわざ被災地まで行っている人達は、全てネットから情報を得て
    いる。 写真だけだと余り伝わらないと思うが、360度何もないこのような景色
    ばかりが続く。

    東北最大の海水浴場である野蒜海岸では、約500名が津波の犠牲となったため、
    震災から丸4年経過した今でも海開きをしていない。 これから先、10年後に
    海開きが出来るのかすらも分からない状況となっている。 現在、この海岸
    部分では、約15mほどの新たな防波堤の建設が行われており、3年程ほど前
    までは、それと同じ高さの瓦礫が同じ場所に積み上げられていた。

    この場所は、本州では、最もアメリカ大陸に近い場所であり、元々津波が到達
    しやすい場所であるため、25年ほど前にも、防波堤のかさ上げ工事を行ったが、
    そのかさ上げした5m程度の防波堤は、一切何の役にも立たなかった。
    被災後に宮城県内で海開きを行った海水浴場は、5ヶ所のみとなっている。

    旧野蒜駅付近
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    陸前大塚駅
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    陸前大塚駅
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    陸前大塚駅
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    廃止された仙石線跡
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    廃止された野蒜駅跡
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    廃止された野蒜駅跡
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    津波災害後の野蒜駅前
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    仮設住宅
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    新たに新設された慰霊地蔵

    東松島市内の復興状況は、他の被災地を比べると、恐らく、一番遅れており、
    この場所は地盤沈下により、3年4ヶ月もの間、海水に沈んでいたため、
    陸地に戻って、まだ1年も経過してはいないが、それでも中央メディアでは、
    全く報道されないため、東松島に来る人は、かなり稀。

    元々、野蒜港は、「明治3大築港」と呼ばれ、明治初期に建設された、日本でも
    指折りの港だったが、開港から数年後に台風によって破壊されたため、その
    代わりに、横浜に港が開かれた。 よって、横浜開港◯◯周年は、野蒜港が
    消滅して◯◯周年と言っているのとほぼ同じ。

    東名駅前も、野蒜駅前同様、5月末に路線を山側へと移転し、新しい街を
    建設中だが、やはり周辺には、1軒たりとも建物がない。 旧東名駅からは、
    歩いて10分以上も掛かる坂道の上にあるため、ここに街を移転しても、それを
    嫌がる人が出るかも知れない。 わざわざ新しく建設した筈の道路も、かなり
    遠回りとなるため、高齢者には非常に住みづらい新しい街が建設されている。
    被災前の東名では、潮干狩りが非常に有名だったが、津波災害後は、いつ
    潮干狩りが再開するのかすら分からない。



    【野蒜小避難訴訟】 仙台地裁、現地調査へ 時期や範囲を協議 2015.07.17
    東日本大震災で東松島市野蒜小体育館に避難し津波で亡くなった住民と児童
    計3人の遺族3人が、避難誘導に過失があったなどとして市に計約5,300万円の
    国家賠償を求めた訴訟の口頭弁論が2015年7月16日、仙台地裁であった。

    弁論では、遺族側が裁判所に現地調査を求めていることが分かった。 地裁は、
    現地調査を実施する意向で、実施時期や範囲について現在協議を進めている
    という。

    訴えによると、地震発生後、亡くなった3人のうち2人は野蒜小体育館に避難
    した後、津波で犠牲になった。 もう1人は同校児童で下校後にいったん
    体育館に避難したが、教員から他の児童の保護者に引き渡され、自宅付近で
    車を降りた後に津波で亡くなったとしている。

    【瑞巌寺の塩害】
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    国宝にも指定されている瑞巌寺は、伊達家の菩提寺であり、伊達政宗の正室、
    陽徳院愛姫が祀られているが、その瑞巌寺の景色が一変していて、絶句。。
    樹齢400年を超える杉の木林が、塩害により概ねなくなった。 松島は、津波
    被災地の中では、一番ましな被災度合いであったものの、この付近は、1メートル
    程度の津波を被ってしまったため、日本三景松島のお土産屋も長期に渡って
    休業を余儀なくされた。

    その後の復興は順調であったが、塩害の被害は、かなり深刻。 毎年夏の
    灯篭祭りの時期には、この杉林の下でろうそくを灯して、幻想的な景色を見る
    事が出来たが、今では、こんな寂しい景色になった。 瑞巌寺では、過去の
    観光客を呼び戻そうと、これまで非公開であった陽徳院愛姫の廟所を期間
    限定で公開している。

    【お勧めの一冊】


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    JR仙石線の線路移設区間と高台への集団移転問題。 現状、野蒜、東名、両駅の
    駅前は、街開きを行ったばかりであるため、人家が1軒もない。 これは、JR石巻線の
    女川駅も同じ。 よって、現状、夜間の警備が問題となっている。 野蒜地区の災害
    復興住宅の完成予定は、2年後の2017年。 駅だけ先に開業しても、誰も住んで
    いないため、この先の利用客も全く不透明な状況。 但し、仙石線の場合は、仙台⇔
    石巻の2大都市を結ぶ幹線であるため、ここを通過する乗客は幾らでも居る。

    この区間は、前財務大臣であった安住氏が、是が非でも複線で再開しなければなら
    ないと陳情したものの、無視された。

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    仙石線の運行が遅いのは、直流電化区間であるのと、約半分が単線区間であるため、
    列車のすれ違いが多く、その度に5分程度列車交換時間が発生するため。 仙石線と
    並走している三陸自動車道は、現在全区間で4車線化を進めているため、仙石線も
    せめて野蒜⇔陸前小野間は複線にすべき。

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    仙石線は、内陸側に線路を移設したため、運転距離が数百メートル短くなり、仙台⇔
    矢本駅間であれば、運賃が数十円程度安くなった。 被災地で工事を請け負ったのは、
    どこもマンモスゼネコンの『鹿島』ばかりで、地元の建設会社は殆どが無視された。

    資本がある企業ばかりが儲けを出すのは、資本主義の定めとは言え、ここまで鹿島
    ばかりだと、賄賂絡みなのかと疑りたくなるぐらい。

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    震災から4年2ヶ月ぶりに石巻に帰って来る205系マンガッタンライナー☆
    全車両石ノ森キャラクター塗装で、このキャラクター塗装車両は、2パターン
    あります♪ これまでの石巻は、仙石線が止まったままであったため、市内の
    交通量が約2倍程あったのだが、仙石線は止まっても鉄道と並走している
    三陸自動車道は無料にはならなかった。

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    仙台⇔石巻間は、仙石線で行くよりも、高速バスの方が早いため、どこまで
    仙石線に乗客が戻せるかが鍵。 また、仙石線が全通した事により、これまで
    石巻線経由で運転をしていた直通の特別快速と、石巻線のマンガッタンライナーは
    姿を消す事となった。

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    【仙石線マンガッタンライナーと石巻線マンガッタンライナー】
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    営業再開直前のJR仙石線の旧野蒜駅前。 建物と松林は100%全て流されたため、
    一切何もなくなりました。 元々は住宅地で、防潮林が生い茂るうっそうとした松林が
    ありました。 旧野蒜駅から野蒜海岸までは、歩いても3分程度なのですが、その
    変わり果てた景色は、東日本大震災の被災地の中でも、最も景色が変わり果てた
    場所のひとつ。 この付近で死亡した人達の数は約500名。 旧野蒜駅の遥か山側に
    新しい野蒜駅のホームが見えています。 防潮林があった場所には、3年の長きに渡り
    瓦礫が置かれ、現在では、15メートル程度の新しい防波堤が建設中。 野蒜地区は
    5月30日に山の上に集団移転をして街開きを行うため、この付近が住宅地に戻る事は
    もうない。

    【旧野蒜駅前と野蒜海岸】
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    東北最大の海水浴場である野蒜海岸には、日本の開国直後に『明治三大築港』と
    呼ばれる大規模港湾が建設されましたが、数年後にこの地を襲った台風により、
    港湾施設が破壊され、その後、この地に港は戻らず、新たに横浜に港が開かれ
    ました。 この付近は、本州で最もアメリカ大陸に近い場所であり、港として最適で
    あったため、港が建設されたもの。

    その築港跡を世界遺産に推す動きもありましたが、その築港跡も津波で流出した
    ため、現在では、全て幻と化している。 野蒜海岸と宮戸島は『奥松島』とも呼ばれる
    風光明媚な観光地でしたが、今ではその面影すらない。 新旧防波堤の間を県道が
    走っているが、その周囲には一切何も残っていない。 もう一本内側の道路は、
    現在では工事車両のみで、一般車両の通行が出来なくなった。 海側にある防波堤は、
    25年ぐらい前に2メートル程嵩上げして5メートル程度まで高くしたものだったのだが、
    全く役には立たなかった。
     
    野蒜海岸をそのまま進むと日本三大渓谷のひとつ『嵯峨渓』があり、遊覧船に
    乗る事が出来る。 元々は別の場所に桟橋があり、津波災害後に宮戸島に
    移転したもの。 但し、嵯峨渓は、松島から遊覧船に乗った方が1,000円程度
    安くなるのと、松島の方が遥かに交通の便が良いため、そちらから乗船した方が楽。
    この付近は、地盤沈下により、3年以上にも渡って海に沈んでいたのだが、安倍首相は
    何度東松島に来ても、その場所を訪れる事はない。

    これまでに訪れた場所は、既に復興が完了した航空自衛隊と既に完成した災害復興
    住宅他。 東松島は、国道45号線や三陸自動車道も通っているものの、皆石巻へ
    行く際に素通りしてしまうため、殆どの人達が、その被災度合いに気付かない。
    東松島の被災地は、国道や高速道路からは見えない。 大高森にある展望台は、
    松島四大観のひとつ『壮観』。

    【大高森からの奥松島の景色】
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    遥か遠くに野蒜海岸付近が見えるが、津波で何もかもなくったのが、ここからは良く
    見える。 松島の島は、八〇八島とも言われているが、実際の島の数は、約260程度。
    この付近は、砂が白いため、海は松島よりも、奥松島の方が綺麗。
     
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    お寺があった場所に新たに設置された地蔵。 後世に津波災害の恐ろしさを伝える
    ために設置されたもの。 ここにあったお寺は、境内ごと津波で流されて、直ぐ目の
    前の川に落ちていたのだが、現在では、その川も埋め立てられて、何もなくなった。
    元々観光桟橋であった場所は、1メートル近く嵩上げされて、何もなくなった。 現在
    沿岸部各地では、防波堤が建設されているため、景色が一変し、どこからも海は
    見えなくなった。

    仙石線が営業再開を果たしたので、是非被災地を訪れて直接自分の目で見て欲しい。

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    JR仙石線は、2011年3月に発生した東日本大震災での津波災害により、駅屋や
    線路が流出したため、その後、4年以上にも渡って、一部区間で不通が続いていたが、
    震災から4年2ヶ月を経て、2015年5月30日に営業運転を再開する。 それに
    合わせて、JR東北本線との乗り入れ運転を開始する。

    これまでは、仙台⇔高城町、並びに、陸前小野⇔石巻間だけの折り返し運転を
    行っており、陸前小野⇔石巻間は、津波で送電施設を破壊されたため、気動車での
    運転を行っていた。 陸前小野⇔陸前大塚間は、高台への線路の移転に手間取り、
    営業再開までには、4年以上の歳月を費やしたが、5月30日の野蒜地区の街開きと
    共に、野蒜駅と東名駅が山側へと移設され、営業を再開する。

    高城町⇔陸前大塚間の線路は残ったたものの、海のすぐ隣に線路があるため、
    送電線が壊れたりしたため、海側に防波堤を新たにに建設し、陸前大塚駅は嵩上げ
    工事の後、このような駅となった。 陸前大塚⇔陸前小野駅間は新線での営業運転
    となる。

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    尚、高城町駅から先は、300メートルほど新線が建設されたため、仙石東北ライン
    として営業を開始するため、仙台⇔石巻間は、約10分程度時間短縮される。
    仙石線の高城町駅から東北本線の松島駅までは、徒歩10分程度で行く事が出来る
    のだが、これまでの代行バスは、松島駅には停車しなかったため、停車してれば、
    仙台駅までは20分以上も到達時間を短縮出来たところを、わざとそれをしなかったのは、
    JRがバカだから。

    現在仙石線は、東北本線との乗り入れ部分を含めた試験運転を開始しており、
    仙台⇔石巻間は被災前と比べて、10分程度の時間短縮が見込まれている。
    仙石線と東北本線は、電化方式が異なるため、ここで使用される車両は、その問題を
    考慮して、電車ではなく、発電機能付きのディーゼル車、いわゆる、ハイブリットカーが
    導入される。

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    5月30日に街開きを行う野蒜地区。 それまでは中に入れないため、街の様子が
    どのようになっているのかが分からない。 今では使われなくなった旧野蒜駅の
    遠くの方には、新しい野蒜駅が既に完成していた。 この付近で、仙石線の上り電車が
    流されたのだが、報道当初は、電車が津波により流され、全員が死亡したと伝えられた。

    実際は、このすぐそばにある野蒜小学校に避難をしたのだが、そこの校長が、学校の
    校舎に鍵を掛けたため、校舎の上に登れず、折角電車から避難をして来た人達が数名、
    その体育館で死亡した。 野蒜地区だけで、死者・行方不明者の数は、約500名、
    東松島市全体では、約1,100名が死亡している。

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    高台への野蒜地区の移転現場。 まだ街開きをしていないため急ピッチでの工事が進んでいる。

    元々あった線路からの分岐地点は、コンクリートの色が明らかに異なっていたため、
    ここから新路線である事がすぐに分かった。 この地点は、25年ぐらい前にも強風
    による列車の遅れをなくために、路線変更をしたのだが、その地点は、現在では、
    盛土が施されて、道路側からは写真撮影が出来なくなっていた。 元々は、この
    部分から、海側へと線路が下っていた場所なのだが、そこから山を切り崩して、
    高台に新しい街を建設中。

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    津波で流されて何もなくなった旧野蒜駅前。 元々この周辺は、住宅地、並びに、
    防潮林の松林だったのだが、その松は、ほぼ全て流されて、残された松も防波堤
    建設のため、全て伐採してしまったため、現在この付近に松は1本もない。 現在、
    この地区全体が大規模嵩上げ工事中につき、全く別物の景色となってしまった
    野蒜地区では、海側に15メートル程度の防波堤を建設しているため、この駅からも
    潮の香りと波の音は聞こえるものの、海は全く見えない。 元々あった5メートル
    ほどの防波堤の内側に更に高い防波堤を建設しているため、その間を走っている
    県道が、防波堤の上に移設されるのか、それとも、そのまま地上を走るのか、今の
    ところ全く分からない。 尚、旧野蒜駅は、現在ではファミリーマートとなっているが、
    この付近の民家はほぼ流されたため、ここに来るのは、概ね工事関係者ばかり。

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    旧野蒜駅。 現在は、ファミリーマートとなっている。

    高台へと移転した野蒜駅と東名駅では、坂道や階段が多くなるため、高齢者には
    利用し辛い構造となるため、バリアフリー化や、その他高齢者対策をしっかりと
    施して欲しいところ。 尚、これまでの終点駅は、仙台側が、高城町駅、石巻側が、
    陸前小野駅であったが、高城町駅以南では、これまで通りの電化での営業を行って
    いたものの、陸前小野⇔石巻間では、送電施設が津波で破壊されたため、気動車
    での運転を行っていたが、この度、その電化工事も終了し、晴れて、電車での
    営業再開となる。

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    現在石巻側の終着駅となっている陸前小野駅。 現在は東松島市となっているが、
    小野は元々は旧鳴瀬町の中心地。 小野小町ゆかりの地であるため、小野という
    地名となっている。 この付近は、11年前の宮城県連続地震の際にも、かなり
    大規模な被害を受けたため、東日本大震災では、津波さえ来なければ、全く被害を
    受けなかったのだが、この駅から海側は、全て流され尽くされて、何もなくなっている。

    元々この付近の家屋は、全て耐震構造であるため、震度6強程度では全く崩れない。
    この駅の内陸側には、海側から新たに移転して来た人達が新しい家を建てて暮らして
    いるものの、その場所も津波浸水区域であるため、防波堤を更に高くしなければ、
    また津波被害に遭遇する可能性が高い。

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    陸前小野駅は、営業を再開したとはいえ、1日にたった8往復しか列車が来て
    いなかったため、実際の代行バスの乗り換え駅は、この先にある矢本駅。
    小野駅前にもバスを停車出来るロータリーがあるため、この駅で全て乗り換えられる
    ようにした方が、かなり効率的だったのだが、どうしてそうなったのかは、今となっては
    分からないまま。 尚、この付近は、内陸側7キロまで津波が押し寄せた場所。
    陸前小野駅も営業再開時に新しくなった。

    【営業再開直前の旧野蒜駅付近】
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    宮城県東松島市にある東北最大の海水浴場、野蒜海岸。 目の前に見えて
    いるのは、石巻湾。 本州で最もアメリカ大陸に近い場所で、外洋に開けて
    いるため、明治時代には、「明治三大築港」として、野蒜港がこの地に建設
    されたが、その数年後に、大型の台風が発生し、港湾設備がことごとく破壊
    されてしまった。

    その後、関東にある横浜に新たに港が開かれたため、この地に港が戻る事は
    なかった。 よって、野蒜が消滅したのは、歴史上これで二回目。 開港前
    までの横浜は、単なるひなびた漁村に過ぎなかったが、その後大きく発展し、
    今では日本第二位の都市にまで成長しているが、何とも皮肉な話である。 

    尚、この場所は、3年4ヶ月もの間、地盤沈下により、海に沈んでいた場所で、
    被災直後、暫くは、山のような瓦礫置場となっていた。 2013年の夏に
    入ってから、かさ上げ工事が本格化したため、ようやく、この場所は、3年4ヶ月
    ぶりに陸地に戻った。

    被災直後の東松島市野蒜付近

    東松島市は、市全域の60%強が、津波被害を受け、内陸側7キロまで、津波が
    押し寄せた。 明治三大築港であった、野蒜築港跡を世界遺産にという話も
    あったのだが、津波により、それすら流された。 松島の海岸は、砂が黒く、
    海の色が、深緑色で、余り綺麗ではないのだが、野蒜の砂は、白いため、
    海の色は、青ではなく青緑色。 別名奥松島。 日本三大渓谷のひとつ、
    嵯峨渓があるのもこの場所。


    被災直後のJR仙石線野蒜駅前

    この海岸では、500名以上が津波により犠牲となった。 現在不通となっている
    仙石線の電車は、下り列車は、地元の乗客の判断により、丁度高台地点に
    停車したため、乗客は、一昼夜その場所に留まったのだが、翌日には、救助隊が
    助けに来たため、全員無事だった。

    一方、同時刻に野蒜駅を発車した上り列車は、被災当初、乗客全員が死亡したと
    報じられた。 実際は、直ぐ近所にある、野蒜小学校に全員が避難したのだが、
    そこの小学校の校長が、学校の校舎に鍵を掛けてしまったため、折角電車から
    降りてわざわざ小学校の体育館まで避難をしたものの、最後は、津波に飲み
    込まれて、数名が亡くなった。
     
    被災時の野蒜小学校

    被災後、宮城県内の海岸では、4年近くを経ても、4ヶ所しか海開きを行って
    いない。 この野蒜海岸も、この先、いつ海開きが出来るのかすら分からない
    状況となっている。 10年後、この海岸で泳げる日は来るのだろうか? 石巻の
    被災状況は、時々ニュースでも取り上げられるのだが、東松島は、殆ど報道
    される事はなかった。

    この場所には、ユースホステルがあり、かんぽの宿もあり、民宿も沢山あった場所。
    今は、何もかもなくなった。 野蒜には、建物は、一つたりとも残ってはおらず、
    元々、この場所は、うっそうとした松林だった。 その松林も95%以上が流出
    したため、今では何もなくなった。 防潮林だった筈の松林は、津波の激流に
    押し流れ、最後は、人や建物を襲うための凶器と化した。


    燃料が足りず、火葬が追いつかなかったため、遺体は一旦土葬にされました

    この海岸には、約5メートルほどの防波堤があったにも関わらず、津波の高さが
    余りにも高過ぎて、何の役にも立たなかった。 それでも、25年ぐらい前に、
    2メートルほどかさ上げ工事をして、高くした場所。 何もかもなくなって
    しまったため、もう昔の景色すら思い出せない。

    福島の人たちは、避難生活が長引いて、苦しんでいるとは言うものの、それは、
    宮城県でも同じこと。 福島の場合は、特に景色は変わってはいないが、宮城県の
    場合は、何も残ってはいないため、この地に何があったのかは、自分の記憶に
    頼るしかない。 まさか、何もかもなくなるとは思っていなかったため、写真の
    1枚すら手元には残ってはいない。

    復興が進んでいるとは、名ばかりで、一番復興が遅れているのは、野蒜なのでは
    ないだろうか? こんなに綺麗で穏やかな海なのに、どうして、この場所で500人
    以上も死ななければならなかったのか、かなり疑問だらけ。
     
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    2011年12月末に撤去された、仙石線の下り電車

    すぐそばにある、航空自衛隊松島基地は、津波で水没し、被災後の数日間は、
    全く機能しなかった。 よって、この地で真っ先に救助活動をしたのは、
    アメリカ軍。 被災後は、この付近の住民たちは、美里町と松島町に分かれて、
    半年から1年近くも寒い体育館での寝泊りを余儀なくされた。

     
    長渕剛 松島基地 自衛隊員激励ライブ

    【お勧めの一品】


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    JR東日本仙台支社は、東日本大震災で被災した仙石線の全線運転を2015年6月までに
    再開すると発表した。 これと同時に、仙石線が東北線に乗り入れる『仙石東北ライン』が
    運行を開始する。 不通区間の高城町~陸前小野駅間(10.4キロ)のうち、陸前大塚~
    陸前小野駅間の線路を約500メートルほど内陸側の高台に移設する工事がこの程完了し、
    2014年12月14日にレールの締結式が行われた。 2011年3月の津波災害により、長期に
    渡って運転不能となっていた仙石線がこの日1本のレールで繋がれた。 今後は、内陸部に
    移設する東松島市の東名、野蒜2駅の整備が進められる。
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    仙石線の東北線乗り入れに関しては、仙石線松島海岸~高城町駅間と東北線塩釜~松島駅
    間で両線が近接する区間に新たに約300メートルの接続線を設ける。 このルートを通ると、
    震災前と比べて、仙台~石巻間が、約10分程度短縮可能となる。 但し、この区間は、
    東北線が2万ボルトの『交流電化』、仙石線が1,500ボルトの『直流電化』となっているのと、
    交直切り替えのデッドセクション区間が、極端に短か過ぎるため、当面は、小海線で使用
    されている、ハイブリットカーで対応するとの事。
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    陸前赤井付近にあった送電施設が津波で破壊されてしまったため、再開区間の高城町
    以北は、現在でも電化での再開の目途は立っていない。 東北線との乗り入れを考えると、
    仙石線は、全線で交流電化に転化すべきで、今後は、スピードアップと、複線区間の延長等も
    考えなければならない。 全線複線でなくとも、例えば、松島海岸~高城町、野蒜~陸前小野、
    矢本~東矢本間を複線化するだけでも、かなりのスピードアップが期待出来る。
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    現状、石巻地区の復興状況は、女川もそうですが、東松島がかなり酷いです。
    東北最大の海水浴場である、野蒜海岸では、そこだけで、約500名が死亡し、
    現在、仙石線が不通となっています。 東松島市内だけでも、約1,100名が
    死亡しました。 人口約4万5千に対しての1,100人なので、被災度合いは、
    石巻よりも酷いです。

    しかも、東松島の場合は、11年前の『宮城県連続地震』でも自宅を失った人も
    おり、2回連続で被災しています。 そんな状況なのにも関わらず、よそから
    来た人たちにより、『被災地に花火を上げよう』というプロジェクトが開かれた
    のですが、自宅を2回も失った人たちが、頭上の花火を見て、喜ぶとでも思った
    のかは分かりませんが、私は、そのイベント自体、許せませんでした。



    東松島でも、内陸への集団移転が現在進んでいますが、野蒜海岸周辺は、
    地盤沈下により、約3年4カ月もの間、海に沈んでおり、今年の夏に、ようやく、
    かさ上げ工事が本格化したため、やっと、陸地に戻ったばかりです。 私の
    いとこと叔母は、今でもそこに住んでいます。

    石巻市内の長面地区は、今でも海に沈んだままで、2年半程度、電気という
    ものが通っていませんでした。 大川小学校から、たった2キロしか離れて
    いない場所の話です。 これが、何もかも忘れ去られてしまった被災地と、
    クリスマスに浮かれている関東との差なのだと思いますが、余りにも違い過ぎて、
    既に、同じ国だとすら思えません。

    被災直後に、仙台出身のお笑芸人のサンドウィッチマンが、被災地から帰って
    来た直後に、東京で、『カラオケ如何ですか?』と言われたと言っていましたが、
    地獄絵図最中の石巻から帰って来て、降りた駅で私も完全に同じ事を言われ
    ました。



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