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    タグ:避難誘導

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    志津川湾から約300メートルの平地に立つ宮城県南三陸町の総合結婚式場
    『高野会館』。 震災時、利用客や従業員ら約330人は会館に留まった。
    『帰したら、津波で危険だ』。 避難誘導に当たった従業員らのとっさの判断が、
    全員の命を救った。

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    高野会館の屋上まで水が押し寄せ、建物最上部に移動する避難者ら
    2011年3月11日午後3時40分ごろ(従業員提供)


    逃げる その時 帰さず(宮城・南三陸町、高野会館)
    出典:河北新報 2011年6月23日

    会館を出ようと、ロビーに殺到した人だかりが歩みを止めた。 階段の前で、
    従業員らが大きく手を広げ、仁王立ちになって行く手を遮っていた。
    『生きたかったら、ここに残れ』。 男性の怒鳴り声が響いた。

    『頑丈なこの会館が崩壊するなら町は全滅する』。 同会館営業部長の佐藤由成さん
    (64)は、1988年の開館当初から勤務。 設計段階から知り尽くした建物の強度に
    自信を持っていた。

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    330人を救った高野会館の屋上。 中央奥に見えるのが公立志津川病院
    2011年6月19日 宮城県南三陸町志津川


    『お年寄りの足では途中で津波に遭遇してしまう』と判断したのは町社会福祉
    協議会総務課長の猪又隆弘さん(52)。 経験と利用客の状況を踏まえ、4階
    建ての会館に留めるのが最善と考えた。 地震発生時、3階の宴会場は、老人
    クラブによる『高齢者芸能発表会』の閉会式の最中。 強烈な横揺れに大勢の
    客はパニック状態になった。

    1階にいたマネジャーの高野志つ子さん(67)が階段を駆け上がると、従業員
    らが来館者を上階に誘導するのが見えた。 最高齢90代後半、平均80歳前後。
    来館者の避難は困難を極めた。 『早ぐ上がって、早ぐ上がって』。 営業課長の
    西條正喜さん(44)は列の最後尾で追い立てた。 階段は人でびっしり。
    『このままでは津波に飲まれる』。 体力のある人がお年寄りを背負った。

    町社協老人クラブ担当の佐々木真さん(39)は4階への階段を上りながら、
    背後に津波を感じた。 ガチャン、バキバキ。 1階の窓ガラスが割れ、2階にも
    がれきが流れ込んだのが音で分かった。 3階を振り返ると、ロビーの窓ガラスを
    大量の水が突き破った。 足元もぬれていた。

    屋上には既に水が押し寄せていた。 水位は膝まである。 『ここもだめか』。
    西條さんと佐々木さんらは、普段人が入らないエレベーター室や高架水槽などが
    ある会館最上部へ避難誘導を急いだ。

    四方を水で囲まれた会館はまるで孤島のようだった。 佐藤さんの手帳には
    津波の記録が残る。

    <午後3時26分、第1波。 40分、引き始め>
    <4時13分、第2波。 28分、引き方開始>
    <5時、第3波。 10分、引き波開始>

    そう書いたところで手が止まった。 2キロ弱先の荒島までの海底が姿を
    現している。 『次の波が来たらみんな死んでしまう』。 スーツの内ポケットに
    手帳を仕舞い、ボタンを掛けた。 自分が流されても記録は残るように―。

    佐藤さんの記録によると、第4波は午後5時32分に襲来。 屋上までには到達
    しなかった。 会館に孤立したのは約330人。 4階にある約25平方メートルと
    約30平方メートルの会議室二つは人であふれ、廊下や更衣室まで埋め尽くされた。

    室内は人いきれで息苦しいほどだった。 深夜、80代の女性が意識もうろうと
    なった。 『脳梗塞の疑いがある』と町社協の看護師。 佐藤さんは最上部に
    上がり、公立志津川病院へ向かって大声で呼び掛けた。

    『先生、倒れている女性がいます。 波が引いたら、そちらで診ていただけ
    ませんか』 医師とみられる男性の声が返ってきた。 『こちらは薬も電気もない。
    7人が亡くなりました』

    7424a5f5.jpg

    風通しの良い場所で寝かせるよう助言された佐藤さんは、全員に屋上に出るよう
    促した。 『外の空気吸ってきてけさい』。 10分ほどの短時間だったが、
    室内に外気が入ると女性は持ち直した。

    職員らの判断と機転。 会館で命拾いしたお年寄りは口をそろえて言う。
    『よく生きていられた。 従業員らの指示に従い会館に残ってよかった』

    【お勧めの一冊】


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    仙台港近くの展示場『夢メッセみやぎ』は震災時、イベントの最中だった。
    混乱に陥った来場者約700人をイベントの運営者が屋上へ避難誘導することで、
    幸いにも死傷者は出なかった。 だが、これがもし数千人規模の大イベント
    だったら―。 『避難場所が足りず、大惨事になっていたはず』。
    関係者は血の気が引く思いで振り返る。

    46985f6e.jpg

    逃げる その時 イベント会場(仙台港・夢メッセみやぎ)
    出典:河北新報 2011年6月22日

    建物がミシミシときしみ、はりがたわんだ。 食器は散乱。 照明が消えると、
    パニック状態に陥った人々は出口に殺到した。 2011年3月11日。 メッセ
    展示棟は平日ながら大勢の来場者でにぎわっていた。 全国のご当地グルメ
    100店を集めた『グルメコロシアム』が開幕。 華やかな食が並ぶ会場を
    午後2時46分、激しい揺れが襲った。 会場にいた仙台市青葉区の自営業泉田
    智行さん(35)は『多くの女性がしゃがみ込み、泣き叫んでいた』と語る。

    『大津波警報が出ています。 落ち着いて。ここを離れないでください』。
    揺れが収まった午後3時過ぎ、避難が始まった。 メッセ会議棟と、隣接する
    仙台港国際ビジネスサポートセンター(アクセル)の二手に分かれ、会場
    スタッフ50人が誘導した。

    いち早く動けたのは理由がある。 2日前にあった震度5弱の地震を受け、この日
    朝に津波を想定した避難手順を打ち合わせしていた。 障害者、高齢者らの
    避難には来場者も協力し、車いすを担いで屋上への階段を上った。

    それでも避難は間一髪だった。 『どうせ津波なんて来ない。 帰らせろ』。
    車に乗り込もうとする来場者を、スタッフは半ば強制的に押しとどめた。
    『無理にでも屋上へ避難させて正解だった』。 イベント主催者である
    仙台放送の倉内宏事業部長(46)が振り返る。

    2957577f.jpg

    午後3時53分。 隣接する仙台港の輸出用モータープールの車を押し流しながら、
    茶色い水が押し寄せてきた。 200人が避難した会議棟周辺には、津波に気付か
    ないまま走る車がいた。

    『運転手さん 止まってー』『急いで高い場所に上がれー』。 屋上から拡声器で
    必死に呼び掛けたが、何台もの車が津波に流されて行く。 宮城県亘理町の主婦
    (40)は『車中で聞こえなかったのだろう。 地獄絵図だった』と声を震わせる。
    高さ13メートル、2階建ての会議棟も屋上の数メートル下まで水が迫り、女性と
    子どもは給水タンクに上らせた。

    会議棟入り口に津波で激突した車3台から炎が噴き出し、建物に黒煙が入り込んで
    来た。 目の前のコンビナートも火の海になっている。 出店者の渡辺真奈美さん
    (43)=北海道利尻富士町=は『建物がいつまで持つか、みな恐怖の絶頂だった』。
    吹雪が容赦なく吹きつけ、うずくまる避難者も出てきた。

    『もう限界だ』。 歩けるくらいに波が引いたのを見計らい、会議棟の200人は
    裏口から、5階建てのアクセルを目指し脱出した。 『今また津波が来たら…』。
    渡辺さんは祈るような気持ちだったという。 元々いた人も含め、アクセルには
    700人を超える避難者が集まった。 ペットボトル10本程度の水と菓子を分け合い、
    一晩をしのいだ。 防寒用に配られたのは新聞紙1人1枚。 幸い医師と看護師が
    居合わせ、妊婦や透析患者のケアが出来た。

    主催者のマイクロバスで来場者をJR陸前高砂駅へピストン輸送し終えたのは翌日
    夕方だった。 アクセルが収容出来るのは、700人が限度とみられる。 『平日
    だったのが幸運だった。 数千人の訪れる土日だったら、逃げ場がなく誘導も
    無理だった』。 メッセを管理するみやぎ産業交流センターの高橋一夫常務
    (63)は胸をなで下ろしつつ、こう指摘する。 『津波はいつか再び来る。水、
    食料を備蓄できる避難ビルを早く仙台港に造って欲しい』

    【お勧めの一冊】


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