東京通詞 ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

世界80言語対応の多言語翻訳『東京通詞』を運営しています。 お見積もりはお気軽に『お問い合わせ』からお願い致します (^-^)b 『我孫子ゲストハウス』の運営も行っております。



    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    I’m participating in blog ranking, please click the following buttons!
    Je participe au classement des blogs, veuillez cliquer sur les boutons suivants !
    Ich nehme am Blog-Ranking teil. Bitte klicken Sie die folgenden Schaltflächen!
    Я участвую в рейтинге блогов, пожалуйста, нажмите на следующие кнопки!
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    タグ:農業

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    エストルップは国王クリスティアン9世の支持を受け、長期に渡って政権を
    維持した。 しかし、1894年の選挙で敗北したため、総辞職した。 以後、
    デンマークは、広い分野での社会福祉政策を次々に実施した。 全ての国民に、
    基本的に必要なものを政府が提供するという福祉国家の基礎が出来上がった。
    1915年、憲法が改正されて、女性参政権、投票年齢の引き下げ、資産家の
    投票上の特権廃止が定められた。

    経済は1900年代以後、繁栄に向かった。 豚と乳牛はこの国の農業で、ますます
    生産量も増加した。 比較的小規模な企業では、銀製品や陶磁器のような
    高品質の輸出品を製造し始めた。

    00hgf5

    貿易を促進するため、デンマーク政府は、コペンハーゲンを自由港にした。
    つまり、コペンハーゲン港に運び込まれる貨物に対しては、輸入関税が免除
    されるという制度である。 デンマークの商船保有数は世界最大級となり、
    労働者は権利擁護のため、労働組合を結成するようになった。 1900年までには
    労働組合運動は、この国に根付き、労働者のストライキ権を保護する法律も
    制定された。 労使双方の努力で、工業労働者の賃金は1875年から1915年
    までに2倍になった。

    1914年に第一次世界大戦が勃発すると、デンマークは中立を宣言した。 この
    戦争では、ドイツを中心とする同盟国が、イギリスなどの連合国を相手に戦った。
    1918年、ドイツは敗北し、講和条約の結果、デンマーク系住民の多い
    シュレスウィヒ北部はデンマークに返還された。

    1920年代は経済問題の相次いだ時期だった。 社会民主党は、政府の資金に
    よって工業と農業を発展させ、また、大規模な建設計画を実施して職場を創設
    しようという主張を掲げ、次第に支持層を拡大した。 1924年、トルヴァール・
    スタウニングは、デンマークで初めての社会民主党政権を樹立した。

    しかし、社会民主党は、上院では過半数に達していなかったため、主張を
    実施出来る事が出来ず、スタウニングは、間もなく辞任した。 1929年、
    スタウニングを党首とする社会民主党は、急進党の協力を得て、総選挙に勝利を
    おさめた。 同年、世界大恐慌が始まったが、社会民主党は、1930年代も政権を
    維持した。 スタウニングは、社会福祉を拡大する法律を更にいくつも導入したが、
    財政状況は悪化し続けた。

    【お勧めの一冊】


    お財布.com - 無料で手軽に貯まる魔法のお財布

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote
    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    本日3月11日で、東日本大震災発生から丸4年が経過した。 被災した沿岸部では、深刻な
    人口流出が続いており、この4年間だけで、被災前と比較して、人口が約30%程度減少し、
    20~30年分の過疎化が一気に進んだ。 その数は合計13万6490人。 但し、この数は、
    住民票を移した人達の数であるため、実際は、住民票を移さずに、他の自治体へと転居を
    余儀なくされている人たちが多いため、正確な数字は未だ把握されてはいない。

    2015年度までの復興予算は26兆円を超えたが、その大半は、先日全線開通した常磐
    自動車道や、防潮堤整備に象徴される社会基盤の復旧、整備に注がれた。 復興需要は、
    このような公共事業を中心として動いているが、その一方で、被災者からは暮らしが
    上向いたという声は聞こえて来ない。 むしろ、時が経つにつれて、右肩上がりの復興
    計画の進行状況と住民の復興感の落差は広がるばかり。

    img_7

    被災地の主力産業である、農業と水産業は、人手不足と高齢化により、将来の展望すら
    描けない。 より賃金の高い公共土木事業へと求職者が流れ、地元の基幹産業には
    人材がなかなか集まらない。 災害公営住宅の整備が徐々に進む半面、応急仮設住宅
    団地で築いたコミュニティーは崩壊が進む。 仮設住宅に住み続ける人は、集約に伴う
    転居の不安が常に付きまとう。 個々の被災者が復興を実感できず、若い世代ほど
    住まいと仕事を求めて都市部へと移る。 残されるのは、経済的な理由により、仮設住宅
    からなかなか出る事が出来ない高齢者ばかり。 その仮設住宅は、公共交通機関等全く
    整備されていない場所に立地しているため、高齢者の足の確保もままならない。

    竹下亘復興相は、集中復興期間を2015年度で終わらせる方針を示したが、実際に
    被災者のために役立つのかすら疑わしいインフラ整備ばかりを優先し、中身を伴って
    来なかった。 阪神淡路大震災の被災地である、神戸市長田区では、同様の集中的な
    復興が行われたが、今ではその場所は、一部ゴーストタウンと化しているため、住民の
    意思を無視した行政主導の復興には、疑問しか残らない。 何でもやれば良いのではなく、
    10年後、20年後の将来への計画性を持って復興を進めて貰いたい。

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ

    にほんブログ村

    このページのトップヘ