明治維新』とは、文明開化であり、それまでの後進的な考え方を全て捨て去り、
近代日本の幕開けであると謳っているが、明治維新とは、本当に庶民が望んだ
ものだったのか?

19世紀後半、帝国主義の列強は、アフリカやアジアでの植民地の拡大を競っており、
中国、朝鮮、日本の東アジア諸国は、ヨーロッパ列強、ロシア、アメリカ合衆国から
開国を迫られるようになった。

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【欧米列強のアジア侵略】

清(中国)
1662 年以降、中国を支配した満州族の清は、東インド会社が経営するインドとの
貿易を開いていたが、イギリスとのアヘン戦争(1840~42年)や、アロー戦争
(1856年~1860年)の敗北を契機に、列強諸国と不平等条約の締結を迫られ、
外国からの圧力を受け、香港島は、この時、イギリスに奪われた。 日清戦争
(1894~1895年)の敗北以降は、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ等に
よって、鉄道の敷設権や要地の租借権を奪われ、清は、半ば植民地の状態と
なった。

インドネシア
14世紀にジャワ島を中心に、マジャバヒト王国が勢力を拡大し、17世紀には
マタラム王国等、イスラム系の群小国家が成立した。 17紀よりポルトガル、
オランダ、イギリス等が進出し、1818年にオランダがマタラム王国を滅ぼして
植民地にし、19世紀末までにスマトラ、ボルネオを支配した。 1904年には、
オランダ領東インドを作って、オランダの植民地体制が確立された。

ベトナム
ベトナムは、中国による千年に渡る支配から独立したのもつかの間、その後、
100年間も続くフランス統治の植民地となった。 自分達の土地を自分達のために
耕してきた人々が、フランス総督の重税のために土地を手放し、ゴム園の小作農
として働かされ、少しでも反抗を企てると、逮捕監禁、重労働を課せられた。
無理に値段を高くされたアルコールや阿片を吸引することを強制され、体も心も
疲れ果て、それでも毎日作業をしなければならなかった。

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日本
日本でも1808年には、九州でフェートン号事件や、1811年には北海道でゴローニン
事件といった海外との摩擦が起こり始めた。 徳川宗家最後の将軍となった慶喜は、
英国系とフランス系フリーメイソンによる日本を内戦に誘い込む意図を見抜き、
これに対抗した。 持久戦に持ち込めば、幕府側にも十分に勝ち目があったにも
拘らず、あっさりと大政奉還をし、薩長に降伏した。 これによりフリーメイソン
目算が外れた。 フリーメイソンの手の内にあって操られていた、岩倉具視や、
木戸孝允が、慶喜にしきりにケンカを売ったが、慶喜は忍の一字で耐えた。
慶喜が倒幕派の誘いに乗り、フランスの軍事援助を受けていたら、戊辰戦争
(1868年~1869年)は注文通りに長期化した筈である。 慶喜は、腰抜けと
罵倒されることを覚悟しつつ、あえて政権委譲に応じた。 大政奉還は、
フリーメイソンに抵抗するための最善の方策だったと言えるのかも知れない。

幕末から維新へと日本全土を巻き込む戊辰戦争を、日本人はわずか2年で終わら
せた。 他のアジア諸国では、内戦が長引き、次々と植民地となった。 西欧
金貸しの真の狙いは、他国を内争へと導き、漁夫の利を得ながら、支配権を
自らの手中に収め、骨の髄までしゃぶり尽くすことであった。

【アメリカ至上主義】
明治維新に限らず、この他にも日本では、『年次改革要望書』、『郵政民営化』、
直近では、『TPP』等、これまでに官僚主導によって、アメリカに有利な政策
ばかりが進められて来た。 その中でも、特に中心となって動いて来たのは、
フルブライト留学制度や、ローズ奨学金制度等で、アメリカの教育を受けた
官僚達となっている。

日本人がこうしたアメリカに都合の良い政策ばかりを安易に受け入れてしまう
背景としては、戦後教育によって植え付けられた『個人主義』、『民主主義』、
『市場主義』等、欧米から持ち込まれた教育制度によるものが大半を占めて
いるが、更にその教育機関は、近代以降、金貸しが国家や民衆を支配して行く
ための『洗脳』の道具と化している。

【明治維新】
実際の『明治維新』の実態は、欧米列強諸国による、アジアでの『植民支配』の
拡大でしかなかった。 歴史を紐解くと、『尊皇攘夷』を掲げた維新志士達は、
いつの間にか『尊皇』から『倒幕』へと転換して行く。 孝明天皇の意に従い、
外国勢力を国内から排除しようというのが本来の『攘夷』の意味なのであるが、
国内最大武力の徳川幕府を倒して、どうやって外国勢力を排除出来るのか?
どれもこれも、海外金融勢力が日本にもたらした内戦の火種でしかない。
 
大政奉還による政権交代以後、国際金融資本によって操られた明治新政府は、
政府とは別の軍事組織である総督府を勅命で組織し、官軍を名乗り『戊辰戦争
という侵略戦争を開始、江戸を攻め、会津を攻め、東北全土、函館をも戦火に
巻き込み、略奪暴行虐殺の限りを続け、植民地とした。 つまり、『維新』とは、
極左テロリストによって政権転覆させられた『革命』のことなのである。

現在の日本政府は、その流れを汲んでおり、未だに残忍非道な極左テロリスト組織で
あった長州出身の首相を戴いているため、どうにもならない。 尚、戊辰戦争
よって、破壊され尽くされた地への謝罪は、150年が経過した現在になっても、
未だに一度も行われてはいない。

2014061

尚、戊辰戦争を引き起こす引き金となった思想家達を育てた吉田松陰は、その
過激な思想や言動を抑えられずに、安政の大獄により、若くして粛清、斬首
されている。

【お勧めの一冊】


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