1日20万人が行き交う東北の玄関口が2011年3月11日、激しい揺れに大きな
ダメージを受けた。 『仙台駅ホーム天井、数十メートル落下』。 3月15日の
朝刊は、地震当日の仙台駅の状況を伝えた。 JR東日本によると、幸いにも
死傷者はゼロ。 元々、宮城県は地震が非常に多い地域のため、防災意識が
非常に高く、地震にはすこぶる強い。

地震の直前に仙台駅を出発した新青森行きの新幹線は、トンネル内に8時間以上、
閉じ込められることになる。

その時何が 新幹線ホーム損壊(仙台駅)
仙台駅の新幹線ホームは静まりかえっていた。 午後2時42分、盛岡行きやまびこ
61号が出発。 午後2時44分には東京行きMaxやまびこ144号を送り出していた。

地震が発生したのは、やまびこ144号がたった2分後。 下り線ホームで1時間先の
列車を待っていた、むつ市の会社員阿部学さん(38)は、立っていられないほどの
強い揺れに襲われた。

15秒後、頭上でけたたましい音が鳴り響いた。 金属製の天井がベラベラと剥がれ
落ちてきた。 ホーム南側の喫煙所前にいた阿部さん。 『死ぬかもしれない』。
あわてて北側へホームを走った。 必死に逃げるも、天井板は追い掛けるように
次々と落ちてくる。

剥がれ落ちた天井板が強い揺れで激しく波打っている。 『まるで竜のような
生き物に見えた』 こぶし大のコンクリート片と金具も矢のように降ってくる。
待合室に逃げ込み、揺れが収まるのを震えながら待った。 駅員が駆け上がって
きた。

『外に出ましょう』。 待合室を出ると、ほこりで辺りは黄色がかって見えた。
誘導されたのは、駅西口のタクシー乗り場前。 約1,000人の駅利用者と
駅従業員が不安そうにたたずんでいた。

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JR東日本の関連会社『日本レストランエンタプライズ』仙台支社の三浦仁志さん
(32)は、上りホームの売店にいた。 あまりの揺れに、しゃがんで床に手を
ついた。 ふと、顔を上げた瞬間、目の前にスーツ姿の若い男性が腰が抜けた
ようにへたり込んでいた。

落下する天井板と売店の看板が2人を襲う。 『上に注意して』。 三浦さんは
何度も男性に叫んだが、動く気配はない。 『直撃したら危ない』。 三浦
さんは男性の腕とベルトをつかみ、激しい揺れの中、階段を駆け下りた。
とっさの判断だった。

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東北新幹線のレールでは、上下18本が営業運転中だった。 約830人を乗せた
新青森行きはやて・こまち27号は、大崎市の第1三本木トンネル内で緊急
停止した。 仙台駅を出て8分後。 走行時速は270キロだった。

『脱線してしまうんじゃないか』。 8号車にいた仙台市太白区の税理士
大藤正樹さん(57)は、右に左にうねりながら走り続ける列車に恐怖を覚えた。

車内は節電のためか、空調と照明はギリギリに抑えられた。 車内販売の食料は
買い尽くされた。 大藤さんは空腹に耐えながら、待つこと8時間。 時計は午後
11時を回っていた。 救出に駆け付けたJR社員が照らす懐中電灯を頼りに脱出、
乗客はトンネル内をぞろぞろと歩き続けた。 20~30分後、外に出ると雪が
舞っていた。

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『不幸中の幸い。 大惨事になっていてもおかしくない』。 居合わせた乗客らは
口を揃える。 渡辺英明仙台駅長(57)も『地震発生が、夕方のラッシュ時の前
だったのが幸いした』と>認める。

仙台駅を地震発生の2分前に発車したやまびこ144号は、仙台市太白区長町の
高架上に緊急停止。 乗客約280人は間もなく脱出したが、車両は電柱の復旧
工事などが終了する4月22日まで、その場にとどまった。 大惨事を免れた
東北新幹線。 『安全神話』はかろうじて守られたものの、全線復旧には
50日を要した。

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