日本式の民主主義の大きな問題点として、『話し合いこそが民主主義である』と
思い込まされている部分があるのだが、『話し合い』とは、何のルールも一切
決めずに、皆が好き勝手な事柄だけをただ述べ立てたところで、決してまとまる
ものではない。 むしろ、民主主義の大原則は、『話し合っても分からない』
である。

そもそも、『話し合い』は、対等な会話のやり取りが出来る相手としか成立
しない。 一方的に自分の事だけしか言わない相手の場合は、そのようなものは、
『諸刃の剣』に成り果てる。 コミュニケーションとは、双方向の会話の
キャッチボールがあって、初めて成立するものだが、ルールを全く知らない
人間は、どこにボールを投げて来るのか、一切予想出来ないため、そもそも、
まともなキャッチボールが出来ない。

『話し合い』と同義語に、会議、ディスカッション 、  討議、・ 討論、 議論、
相談、ネゴシエーション、談合などがあるが、それぞれ、目的に応じて
意味合いが異なる。

CL02011

何らかのルールや議題を取り決めて、結論を導き出すことを会議と呼ぶが、
それは、何の取り決めも定めずに、ただ漠然と話し合いを続けたところで、
一切何も決まらないため。 話し合いで決めるというのは、合議制であり、
民主主義の基本は、合議ではなく、会議となっている。  

話し合いは、基本的にルールがない。 この際、話し合いを仕切る者の能力に
全てが委ねられることとなるが、この話し合いを仕切る者にそれなりの能力が
なければ、話がまとまらないばかりか、むしろ、大喧嘩に発展する可能性も
秘めている。 日本の民主主義の最大の問題点は、話し合いを仕切る者に
一切力量がないため、その場が全くまとまらなず、三すくみになって終わる
ところにある。

heibia

本来、会議は、ルールに基づく話し合いであり、話し合いの前に必ずルールが
存在する。 それは、民主主義が話し合いだけでは、理解し得ないと言う前提に
立っているため。 話し合っても理解し合えないだのだから、ルールの下に
話し合い、最後はルールに基づいて、決着するというのが民主主義の基本原理
となっている。

話し合いとは、何の制限も設けない無差別級の試合であり、民主主義とは、
ルールに則った討論であるため、スポーツと同じ発想なのである。

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