多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

世界80言語対応の『多言語翻訳GoWest』を運営しています。 お見積もりはお気軽に『お問い合わせ』からお願い致します (^-^)b 『我孫子ゲストハウス』の運営も行っております。



    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    I’m participating in blog ranking, please click the following buttons!
    Je participe au classement des blogs, veuillez cliquer sur les boutons suivants !
    Ich nehme am Blog-Ranking teil. Bitte klicken Sie die folgenden Schaltflächen!
    Я участвую в рейтинге блогов, пожалуйста, нажмите на следующие кнопки!
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    タグ:語り部

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote
    ◎日和幼稚園訴訟(下)悲劇の伝承

    9279af45.jpg

    <現場で語り部に>
    東日本大震災の津波で子どもを亡くした私立日和幼稚園(宮城県石巻市、休園中)の
    遺族4人が9月30日、園の周辺で、修学旅行で訪れた香川県丸亀高の2年生約90人を
    案内した。

    園児を乗せた送迎バスが炎上した現場付近にたたずむ。 遺族にとって、つらい
    けれど大切な場所だ。 次女明日香ちゃん=当時(6)=を失った佐々木めぐみさん
    (36)が、わが子の遺体を見つけた際の様子を静かに振り返った。

    「体を触るとポロポロと崩れてしまい、抱きしめることができませんでした。
    もっと長生きしてほしかった。 皆さんは家に帰ったら『ただいま』と言って
    ください」

    耳を傾けていた丸亀高の生徒が手で涙を拭った。 小中学生のきょうだい2人が
    いる大麻悠香さん(17)は「胸が苦しくなったけれど、遺族の話を聞いて良かった」
    としみじみ思う。 「香川県は南海トラフ巨大地震の被害が想定されている。
    ちゃんと避難訓練をする必要があると痛感した」。 教訓を持ち帰り生かしたい
    という。



    遺族は訴訟の和解から5カ月後のことし5月、男鹿市の海岸へ足を運んだ。
    その地では1983年5月、日本海中部地震の津波で、遠足中の旧合川南小
    (北秋田市)の児童13人が犠牲になった。

    佐々木さんの夫純さん(36)が、初対面した日本海中部地震の遺族に自分の
    苦しみを重ねて尋ねた。 「32年間、どのようにして子どもたちの死と向き
    合ってきたのかが知りたい」

    小学4年だった長女=当時(9)=を失った福岡史恵さん(65)が答える。
    『ただいま』という言葉がないまま、32年前の姿のままに供養しています」。
    悲劇を語り継いでいくことが、風化の防止につながるとも助言した。

    <苦悩抱えながら>
    震災から間もなく4年9カ月。 早世した園児のきょうだいは、少しずつ成長
    している。 西城春音ちゃん=当時(6)=の仏壇がある石巻市の自宅の座敷で
    11月中旬、姉の楓音(かざね)さん(13)が震災後初めて、妹と一緒に遊んで
    いた形見のおもちゃを広げた。

    女児に人気のリカちゃんの家とシルバニアファミリー。 弟の靖汰君(7)、
    春汰ちゃん(2)が夢中になって遊んだ。 母江津子さん(40)は、何も
    言わず黙って見守っていた。 楓音さんの気持ちを想像してみる。

    「妹が亡くなり、一人でどうやって遊んでいいのか、分からなくなっていた
    と思う。 でも中学生になり、抱え切れなかった思いを少し抱えられるように
    なったのかもしれない」

    江津子さんも、愛するわが子を失った悲しみを抱えながら、命の大切さを
    伝えていくつもりだ。

    >>【日和幼稚園】~救えなかった命~

    >>【津波訴訟和解1年】「心から」の思い見えず

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote
    ◎日和幼稚園訴訟(上)謝罪の意味
    東日本大震災の津波で園児5人が亡くなった宮城県石巻市の私立日和幼稚園
    (休園中)の訴訟で、園児4人の遺族側と園側が和解してから2015年12月3日で
    1年となる。 園側からいまだに直接的な謝罪はなく、遺族側は一層、苦悩を
    深める。 遺族らは園側に血の通った対話を求める一方、語り部として命の
    大切さを伝える。 和解後の遺族の日々を追った。

    8fbbb03d.jpg

    <拒否された手紙>
    長女愛梨ちゃん=当時(6)=を失った佐藤美香さん(40)の自宅に11月中旬、
    園側の関係者に出した手紙が返送されてきた。 未開封の封筒には、直筆の
    文字があった。 「受取拒否」 佐藤さんがしたためた手紙はA4判1枚。
    「園側が法的責任を認め、心からの謝罪をする」という訴訟の協議内容を胸に
    納め、和解を決心したいきさつを記した。 和解成立後、園側から連絡がなく、
    手紙を送らざるを得なかった心境もつづった。

    佐藤さんは感情を押し殺して語る。 「法的なしがらみはありません。
    園側には一人の人間として、私たちと向き合ってほしいだけです。 せめて、
    未来を奪われた愛梨たちに真実を伝え、心から謝ってほしい」

    2014年12月3日、仙台高裁。 津波犠牲者をめぐり、初の賠償命令が出た
    訴訟は提訴から3年4カ月で幕を閉じた。

    和解調書は「園側は被災園児らと遺族側を含む家族に心から謝罪する」との
    文言を明記する。 園側は「司法の勧告を厳粛に受け止め、幼くして失われた
    尊い命に思いを致し、冥福を祈る」との談話を出した。

    今年3月と夏、一部の遺族宅に花が郵送された。 差出人は園側の関係者。
    手紙や文書は添えられておらず、遺族は真意を測りかねた。



    <踏み出せぬまま>
    遺族は9月、文部科学省の学校事故対応に関する有識者会議のヒアリングに
    臨んだ。 次女春音ちゃん=当時(6)=を亡くした西城靖之さん(47)が
    研究者ら委10人に訴えた。

    「判決では園側の謝罪を得られないだろうと考えて和解を選んだ。 裁判の
    出口は出たけれど、そこから一歩を踏み出せずにいる」。 いまだに心の
    整理がつかない真情を吐露した。

    被告が原告の遺族に面会し、直接謝罪する。 日和幼稚園の遺族が対話の
    一歩として望むことが、震災関連の犠牲者をめぐる別の訴訟では実現した。
    その遺族は匿名を条件に胸の内を明かす。

    「訴訟で一番求めていたのは謝罪です。 亡くなった家族は帰ってこない
    けれど、位牌(いはい)の前で手を合わせ、頭を下げてもらったことには
    納得している。 人として最低限のことはしてもらいました」

    民事訴訟の和解に詳しい東北の元裁判官は「日和幼稚園のケースは気持ちの
    面で解決を望む遺族と、法的な問題を解決する裁判との間に大きな落差がある」
    と指摘する。

    「心からの謝罪」は目に見えない。 どうすれば、それがなされたといえるのか。
    元裁判官は「捉え方は難しい。 和解項目は任意であって強制執行はできない。
    園側が亡くなった園児や遺族とどう向き合うかが社会的、倫理的に問われている」
    と話す。

    [日和幼稚園訴訟]東日本大震災の津波で亡くなった園児4人の遺族が2011年8月、
    園側は安全配慮義務を怠ったとして、園側に損害賠償を求め仙台地裁に提訴。
    地裁は2013年9月、法的な責任を認め、園側に賠償を命令。 園側が仙台高裁に
    控訴し、訴審では園側が和解金計6,000万円を支払うことなどで和解した。
    訴えによると、園児を乗せた送迎バスは2011年3月11日午後3時ごろ、園のある
    高台から海側の低地に向けて出発。 約45分後に津波に巻き込まれ、提訴した
    遺族の子ども4人を含む園児5人が死亡した。

    >>【日和幼稚園】~救えなかった命~
    >>津波訴訟和解1年>わが子の命思い語る

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote
    東日本大震災の津波で死亡した七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の
    元行員田村健太さん=当時(25)=の両親が2016年6月18日、初めて企業
    関係者を前に講演した。 銀行を相手に訴訟に至った経緯や、長男の健太さんに
    対する思いを語り、従業員の命を守る企業防災の大切さを訴えた。

    父孝行さん(55)と母弘美さん(53)が、カシオ計算機グループの労働組合で
    つくるカシオ関連労働組合連合会(東京)の要請で講演。 宮城県松島町の
    ホテルで15人が耳を傾けた。

    孝行さんは『企業管理下では勝手な行動ができない。 息子は銀行や仲間を
    信じて行動し、高台に逃げたかったのに支店屋上にとどまったのだと思う』と
    説明。 原因究明や改善策、謝罪を求め訴訟に臨んだものの、2月に敗訴が
    確定したことに触れ『息子らの身に起きたことを語り継ぎ、安全な社会を
    つくりたい』と語った。

    49890267.jpg

    田村さん夫妻は女川町で語り部活動を続けている。 弘美さんは『企業が真正面
    から惨事と向き合わなければ、真相は明らかにならない。 息子の経験を伝え
    教訓にしてもらうことが、せめてもの供養になると思い、震災からの5年3カ月を
    生きてきた』と話した。

    カシオ労連は17日に女川町の復興状況も視察した。事務局長の熊谷浩伸さん
    (45)は『震災に対する意識が薄れてきていると感じる。 震災の教訓を企業
    防災に生かし、災害に備えなければいけない』と語った。

    出典:河北新報

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote
    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    東日本大震災の最大の被災地、宮城県女川町の現在の姿。 余りにも変わり果てており、
    大規模な道路工事により、通常の国道から女川の町には入れなくなっていました。 現在、
    女川の中心部まで車で行く場合は、一旦、コバルトライン方向へと入ってから、再度、女川
    方向に戻るしかありません。



    現在、堀切山から望む女川の中心部には、建物のひとつすらありません。 女川に押し
    寄せた津波の高さは、この堀切山をも超え、25メートル前後と言われています。 但し、
    この堀切山は、階段で更に上に登れるのと、山上にある女川町地域医療センターの
    建物が4階建てであるため、そこへ登って、多くの人達が命を守り切りました。

    【堀切山から望む女川の中心部】

    IMG_0926
    IMG_0928
    IMG_0987
    IMG_0970
    IMG_0932
    IMG_0934

    女川は、死亡率で見ると、住民の10人に1人が死亡した、東日本大震災最大の被災地
    ですが、すぐそばに女川原発があるせいなのか、その被災状況は、全国では全く伝え
    られてはいません。 今回は、この献花台で『七十七銀行女川支店』のご遺族の田村さん
    ご夫婦と『日和幼稚園』のご遺族の佐藤さんと待ち合わせをしてからこの献花台へと
    向かいました。 共に、語り部をされていますので、女川、石巻へお越しの際は、お話を
    聞いて、命の大切さを今一度考え直してみては?



    まずは、田村さんご夫婦に、『七十七銀行女川支店』の被災状況を伺いました。 田村さん
    ご夫婦は、毎週末、この場所で、語り部を続けていますので、一度訪れてお話を聞くだけの
    価値は十分にあると思います。 JR石巻線の終点駅である女川駅からも、さほど遠くあり
    ませんが、行く度に道路が変更になるため、若干分かりづらいかも知れません。
     
    【七十七銀行女川支店の被災当時の惨事を伝える資料】
    IMG_0965
    IMG_0968
    IMG_0969
    IMG_0972
    IMG_0973
    IMG_0974
     
    石巻や女川の人達は、『かつてない地震』とは言うものの、『宮城県連続地震』の被災地
    から見れば、東日本大震災の地震の方が、地震災害としては、相当ましだったため、
    東日本大震災を未曾有の大地震と言うのには、かなりの疑問が残ります。

    【七十七銀行女川支店の被災当時の惨事を伝える資料】

    IMG_0992
    IMG_0993
    IMG_0977
    IMG_0989
    IMG_0977

     
    献花台の前で語り部活動中の田村さんご夫妻。 この日は、新聞社の方が取材をして
    いました。 暑い日も寒日も、夏も冬もここで語り部を続けています。 医療センターが
    ある堀切山の一段下の部分にこの献花台があるため、遥々堀切山まで来た人達でも、
    この献花台に気付かずに立ち寄らない人達も実は多いのが現状。
     
    七十七銀行女川支店は、海のすぐそばにありましたが、海側にあった4階建てのマリンパル
    女川の建物が完全に邪魔をして、津波が来たのが銀行の屋上からは、全く見えなかった
    そうです。 仙台銀行、石巻信用金庫の行員達は、全員堀切山に避難をして助かって
    います
    。 企業側の防災に対する意識の違いひとつだけで、明暗が完全に分かれた事案と
    言えます。

    【2015年12月24日に新しく街開きした女川駅前】

    IMG_0995
    IMG_0997
    IMG_0999
    IMG_1002
    IMG_1007
    IMG_1010
     
    2015年の3月に移転再開したJR石巻線女川駅。 200メートルほど内陸側に移転
    しましたが、この程度の移動では、恐らく、何の意味もないでしょう。 元の駅前は、
    若干嵩上げして、新しい町を建設していますが、元々、その場所は、津波で全て消滅した
    場所なので、再度津波が襲って来た場合は、ハッキリ言って、ひとたまりもないでしょう。
     
    この女川だけは、津波の威力が余りにも凄過ぎて、女川駅のホームに留めてあった
    気動車が山の上にまで流されて横転していたり、4階の屋根の上に車が刺さっていたり、
    山の上に家屋の屋根だけが流されていたりしました。 更に、鉄筋コンクリートの建物が
    横転したのも女川だけ。

    現在女川駅は、無人駅になりました。 駅の中には、温泉施設の『ゆぽっぽ』と無料の
    足湯がありますが、これは、絶対に原発マネーで掘り当てたものだと前々から思って
    います。 ここは、女川原発からは、直線距離で7.5キロしか離れていません。

    ゆぽっぽの入湯料は500円なので、関東の感覚だと安いと思います。 津波で流される
    前の足湯には、屋根があったのですが、今の足湯には、屋根がないので、雨が降った
    時には傘が必要です。

    IMG_1004

    女川で唯一残った倒壊した建物。 3つあった倒壊した震災遺構は、その2つが既に
    取り壊されたため、女川派出所のみが女川駅前に残りました。 新しい町と倒壊した
    建物、両極端な組み合わせですが、ほんの2年程前まで、この場所は、山のように
    高い瓦礫置き場でした。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote
    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    東日本大震災で多大な被害を受けた、宮城県名取市閖上地区で、旧閖上中学校の解体
    工事が始まった。 周囲には、高台等はなく、この中学校が唯一の高い建物だったが、
    多くの命を救った中学校の解体は、大津波により、ほぼ更地となった閖上地区の安全面
    にも不安を残す結果となった。

    yuriagechu

    閖上地区の大震災前の人口は、5,612人だった。 しかし大津波で壊滅した閖上は、かつて
    活気に満ちた漁港を中心にほとんど更地と化してしまった。 名取市の犠牲者数は1,027人
    (不明者は119人:2011年6月10日現在)にも上っており、そのほとんどが閖上地区に集中
    している。 9月末の人口は2,410人となり、犠牲者だけでなく、多くの住民が閖上から姿を
    消したことを物語っている。

    多くの人が犠牲になった主因は、他地域と同様に、まさかここまで津波は来ないとの
    思い込みによる避難の遅れであるが、ここ閖上にはもう一つの要因、車での避難者が
    大渋滞に巻き込まれて身動きが取れないまま多数の人命が失われたことが挙げられる。



    2階に留まれば助かった公民館から津波が来る直前に強引に中学校に移動を指示した。
    公民館から一斉に避難を始めた車が渋滞に拍車を掛けた。 仙台方面への大動脈である
    閖上大橋上で事故があり通行止めになったため仙台方面への車がどんどん溜まり、
    たちまち身動きがとれなくなった。
     
    yuriage02720
    河北新報 <閖上中>悲しさ悔しさ…感謝 校舎と惜別
    宮城県名取市閖上地区で2015年12月24日、旧閖上中校舎の解体工事が
    本格化した。 関係者は複雑な思いで作業を見守り、校舎との別れを惜しんだ。

    校舎は1980年の完成。市は11月に正面の時計を取り外して以降、内装の解体や
    照明・備品の撤去を進めてきた。 この日から建物本体の解体を始めた。

    震災時は津波で1階部分が水没した。 周囲には高い建物がなく、3階や屋上などに
    住民らが800人以上避難して命をつないだ。

    同校に2年まで通った東北学院大1年菊地雄也さん(19)は、母訓子(のりこ)さん(52)と
    作業を見つめた。 「心のよりどころとして校舎を残してほしいという思いがあった。
    悲しさと悔しさが入り交じっている」と揺れる胸中を明かした。

    閖上で語り部の活動を続ける訓子さんは、義理の両親が避難して助かった校舎への
    感謝をにじませた。 「ここに素晴らしい学校があったことをしっかり語り継いでいく」
    と話した。

    市は早ければ本年度中に旧閖上小校舎の解体にも着手する。 同地区には新たに
    小中一貫校を建設する計画で、2018年春の開校を目指す。
    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote
    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    被災地で始まった、新しい試みのひとつとして、『語り部タクシー』なるものがあるが、個人的な
    意見を忌憚なく述べると、これは、かなり難しいと思う。 首都圏では、未だブラック企業が
    猛威を振るっているため、まともな給与はこの先も期待出来ず、自分が生きて行くだけで
    精一杯の状態であるため、正直、被災地に関心がある人は、極端に少ない。 そもそも、
    わざわざ被災地まで行く人間が、かなり少ないのと、例え、被災地まで足を運んだとしても、
    高額なタクシーに気軽に乗れるのは、バブル世代以上のプラチナ世代程度にほぼ限定される。
    kataribe_taxi_021
    もし、自分が、語り部タクシーに乗るか?と言われたなら、恐らく、乗らないだろうし、被災地に
    多少は興味はあるが、そこまでする気はない人たちのために、「語り部タクシー」に変わる、
    『語り部Skype』、あるいは、『語り部Youtube』を考えてみた。 この2つは、場所さえ
    あれば、どちらも無料で出来るし、これであれば、被災地の人たちとその他の地域の
    人たちをいつでもどこでも簡単に結ぶ事が出来る。 最近の会議では、Skypeを使った
    会議が通常化しているが、それを被災地に応用したもの。 首都圏では、既に、災害の
    風化すらも終わり、何も無かった事になっているが、それは、そもそも、中央メディアが、
    まともに被災地を報道していないため。

    一番良いのは、当然、被災地まで足を運んでもらって、お土産を買うなり、食事をするなりして、
    現地に多少なりもお金を落として貰うのが一番だが、首都圏にそんな余裕はない。 余裕は
    ないが、何もかも無かった事にされるのも、何の進歩もないのと、首都圏でも、多少なりとも、
    被災地に関心がある人は居るため、その中間を取ってみたが、如何なものであろうか?

    >>トップページに戻る


    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログへ
    にほんブログ村

    このページのトップヘ