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    タグ:記念館

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    石川県北部の輪島市にある永井豪記念館は、全国に複数あるマンガ家を
    題材にした記念館の中でも、ヒーロー、ヒロンやロボットをテーマとした
    展示が非常に多いため、他の「マンガ館」とは、趣が異なっている。

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    【永井豪記念館】
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    永井豪氏の代表作と言えば、「ハレンチ学園」「デビルマン」「マジンガーZ」
    「ゲッターロボ」「キューティーハニー」「ドロロンえん魔くん」などがあり、
    少年マンガの世界に性やバイオレンスの要素を大胆に取り入れ、後続のマンガ家に
    多大な影響を与えたことでも知られている。

    石ノ森章太郎氏のアシスタントを経て、1967年『目明しポリ吉』でデビューし、
    続々と「マジンガーZ」「グレートマジンガー」「UFOロボグレンダイザー」
    「ゲッターロボ」等々のロボットヒーローを発表し、世界中のロボットアニメの
    お手本となった。

    1945年生まれの永井氏は、現在70歳を超えているが、現在でも現役で、2015年から
    ビッグコミックに「デビルマン」の最新作である「デビルマンサーガ」を
    掲載中である。

    【輪島の朝市】
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    尚、輪島には鉄道が通っていないため、能登空港からタクシー、レンタカー、
    または、金沢から特急バスで行くしか方法がないが、そこまでしてでも見る価値は
    十分あるため、それなりの装備を整えてから行くことをお勧めします。 尚、
    輪島からさほど遠くない場所には、高岡市 藤子・F・不二雄 ふるさとギャラリーも
    あるため、2つまとめて訪れると、効率的な旅が楽しめる。

    館内は、入り口付近を除いて、撮影禁止の場所の方が多いため、余がっかり
    しないように。


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    カウナスは、第二次世界大戦、すなわち、ソ連邦への併合以前までは、
    リトアニアの首都であったため、『杉原千畝記念館』は、元々は、
    日本大使館であった。 1939年9月1日、ドイツ軍のポーランド侵攻により、
    多くのユダヤ人たちは隣国リトアニアへ逃げ込んだが、ソ連によるリトアニア
    併合が確実となり、彼らには日本通過ビザを得て、第三国へ逃げるという
    方法しか残されていなかった。

    >>杉原千畝 ~六千人の命のビザ~

    杉原は、苦悩の末、外務省の訓命に反し、『人道上、どうしても拒否出来ない』
    という理由で、受給要件を満たしていない者に対しても、独断で通過査証を
    発給した。 それは、人道、博愛精神第一という大きな決断であった。 その後、
    戦況が悪化したため、日本大使館は閉鎖、カウナス市内を転々としながら、更に
    ビザの発給を続けた。 合計で約2,000枚のビザを発給したものの、本国からの
    命令に逆らったとして、その後は、ルーマニアヘと送られ、後に、外務省をも
    追われる事となる。

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    カウナス駅に今でも杉原千畝のプレート残されている。 日本大使館が閉鎖され、
    最後の最後までビザを書き続けたのがカウナス駅。 千畝は、その後、汽車で
    ベルリンへと向かった。 ユダヤ人たちが日本の通過ビザを欲しがったのは、日本へ
    行きたかったからではなく、日本を経由して、第三国へ脱出しかたったためで、
    当時は、シベリア鉄道に乗って、日本を経由して、オランダ領のキュラソーに
    行くしか残された道はなかったのである。

    その後、杉原は、ユダヤ人たちからは非常に感謝されたが、日本での扱いは、
    外務省に無断で勝手にビザを発給したとして、名誉剥奪のまま無念の死を遂げた。
    2000年に日本政府から正式に名誉回復がなされたのは、杉原の没後14年目、
    そして生誕100年という節目のことであった。

    【お勧めの一枚】


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