多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:言語

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    ウクライナはソ連の優等生
    ウクライナは、ソ連時代までは、温暖な気候を利用した工業化と農業が盛んな
    地方(ロシア語で「地方はクライと言う」)で、ソ連国内では、ロシア、
    ベラルーシと並び、「スラブの3大国」「ソ連の優等生」と呼ばれる程非常に
    発展した国であったが、1991年12月にソ連が崩壊、その後は度重なる経済危機、
    政治クーデター等により、国内はすっかりと荒廃した。 旧ソ連邦構成国家の
    中でも、ソ連時代と比較して発展どころか、後退した国は、このウクライナと
    グルジア(ジョージア)のみ。

    ウクライナ言語地図
    赤がロシア語、オレンジがロシア語とウクライナ語併用、黄色がウクライナ語

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    ウクライナ系アメリカ人とは?
    ソ連邦崩壊後のロシアも状況は同じどころか、ソ連からの独立時に旧ソ連邦が残した
    天文学的な負債をほぼ1国だけで背負ったため、状況的には、ウクライナなどよりも
    遥かに酷かった。 ウクライナは、国内政治の腐敗を長年放置し、そこをアメリカに
    よって国ごと乗っ取られた格好だが、北米へのウクライナからの移民は、1600年代
    初頭から開始されたものの、大規模な移住は、1880年代に入ってからであった。
    ソ連邦崩壊の後、1990年代初頭にもユダヤ人やプロテスタントを中心に、大挙して
    アメリカへと渡って行ったが、大都市に移住するケースが多く、アメリカやカナダ
    国内では、ウクライナ系の少数民族集団を形成しているが、特にウクライナ系住民が
    多いカナダを経由してアメリカへと入国したウクライナ系アメリカ人が非常に多い。

    2000年にアメリカ合衆国が行った国勢調査によると、ウクライナ系アメリカ人が
    最も多い都市圏はニューヨーク(16万人)、フィラデルフィア(6万人)、
    シカゴ(4万6000人)、ロサンゼルス(3万4000人)、デトロイト(3万3000人)、
    クリーブランド(2万6000人)、インディアナポリス(1万9000人)となっている。
    これらのウクライナ系アメリカ人は、元々ウクライナ人であるため、ウクライナ人と
    顔が全く同じであり、当然、ウクライナ語も喋れるため、今回のウクライナ危機でも
    大いに利用された可能性がある。 尚、これらのウクライナ系アメリカ人は、既に
    3世や4世の世代になっているが、その間に「過去の恨み」が増大しており、ロシアに
    対する怨念は並々ならぬものがある。 尚、ウクライナ議会では、これらの
    ウクライナ系アメリカ人がウクライナ国籍取得後にかなり起用されており、さながら
    アメリカの傀儡政権と言ったところ。

    ウクライナ分裂予想図
    ●東部と南部(クリミア、ドンバス、スラビツカ・ウクライナ)がロシア
    ●南部(ブコビナ)がルーマニア
    ●西部(ガリツィア)がポーランド
    ●南西部(カルパチア)がスロヴァキア
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    ウクライナは、ウクライナ人の意思には関係なく、ロシア革命時に重要な役割を
    果たしたボリシェヴィキによって造られた人工国家であるが、第二次世界大戦の
    結果、欧州の国境は大きく様変わりし、ポーランド、スロバキア、ルーマニア等、
    様々な地域が統合された結果生じた人工国家である。 そもそも、ウクライナは、
    西部、中部、南東部と大きく文化的にも分かれており、東部ではロシア語が
    圧倒的に優勢であるものの、西部ではポーランド時代の影響が色濃いため、
    ウクライナ語が普及している。 経済的に見ても、東部では主に工業、西部では
    主に農業が盛んとなっている。

    現在のキエフ政権は、中部と西部が中心となっており、特に、元々ポーランド領で
    あった西部(ガリツィア)がウクライナの唯一のイデオロギーとされている。
    住民らの基本的な物の考え方も親欧的とされている中部&西部、並びに、親露的な
    東部とでは全く折り合わず、1つの国家とされながらも、実際は全くの別国家で
    ある。

    ウクライナでは近年、10代~30代前半を中心とした「ネオナチ」と呼ばれる
    若年層による国粋主義者が台頭しているが、ウクライナのファシストに若年層が
    大幅に多いのは、ソ連邦崩壊から30年しか経過しておらず、ソ連時代の教育とは
    全く異なる教育を受けた世代が台頭して来たためである。 但し、この教育は、
    ソ連時代のファシストであるステパン・バンデラを担ぎ出した洗脳教育となって
    おり、ウクライナにおける若い世代の大幅な劣化が叫ばれている。

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    デンマーク語は、かつてヨーロッパ北部の多くの地域で使われたゲルマン語から
    派生した言語である。 12世紀には、スカンジナビア半島使われる言語は、
    西スカンジナビア語と東スカンジナビア語に分かれた。 前者は、ノルウェー語と
    フェローズ語で、後者は、スウェーデン語とデンマーク語である。  しかし、
    現代の北欧三国の言語は、非常に良く似ている。

    デンマーク語は、長い歴史を通して何度も外部からの影響を受けた。 キリスト教の
    伝来は新しい単語とアルファベットをもたらし、ハンザ同盟との接触は、ドイツ語
    からの多くの借用語を招いた。 都市住民と地方との生活格差が広がるにつれて、
    方言が発達したが、18世紀には、リグスモーレットと呼ばれる標準デンマーク口語が
    使われ始めた。 19世紀末の言語改革によって、リグスプロゲットと呼ばれる
    標準的な文語デンマーク語が成立した。

    デンマークからは、多くの偉大な作家や学者が輩出された。 デンマーク文学の
    創設者と呼ばれる18世紀のルドヴィー・ホルベアは、当時の社会を批判する喜劇を
    書き、歴史に関する著作を数多く著したり、詩を書いたりして、言語としての
    デンマーク語の形成に寄与した。

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    最も有名なデンマーク人作家のひとりに、セーレン・キルケゴールがいる。
    1813年生まれのキルケゴールは、実存主義の父と言われている。 信仰は理性に
    よって支えられるものではなく、信念に基づく行為であると説いた。 キリスト教徒
    でありながら、しばしば福音教会を批判し、教会員たちは振興の基本を本格的に
    検討していないと主張した。

    1805年生まれのハンス・クリスティアン・アンデルセンは、世界で最も広く
    翻訳され愛読されている文学者のひとりである。 作品の中で最も有名なのは、
    『人魚姫』、『みにくいあひるの子』、『はだかの王様』などの童話で、彼の
    作品は、物語が面白いだけではなく、人間性への深い洞察力に富んでいる。

    19世紀後半には、デンマークでは多くの写実的な文学作品が生まれた。 この
    時代の作家には、イエンス・ペーター・ヤコブセン、ヘルマン・ハング、ヘンリク・
    ポントピダンなどがある。

    アイザック・ディネセンの筆名で多くの作品を書いたカーレン・ブリクセンは、
    1885年デンマークの上流階級の家に生まれた。 スウェーデン貴族と結婚した
    彼女は、アフリカの農場に移住し、アフリカでの彼女の経験は、『アフリカの農場』
    などの小説や回想録の元となった。 ブリクセンと並んで、1900年以後の
    デンマーク文学で活躍した作家のひとりに、ヨハンネス・V・イエンセンがあり、
    小説『長い旅』で1945年にノーベル文学賞を受賞した。

    牧師カイ・ムンクは、1930年代に戯曲を書き始めた。 彼はキルケゴールの強い
    影響を受けて、人類はその根本的な罪深さゆえに滅びる運命にあると信じた。
    第二次世界大戦中、ムンクは、ドイツ占領軍に激しく抵抗し、1944年に
    ゲシュタポに虐殺された。

    現代の一流作家としては、マリアネ・ラーセンとヴィタ・アネルセンがある。
    2人の作品は、社会における女性の役割の変化をテーマとしている。 クラウス・
    ルフビャーは、沢山の小説、戯曲、詩、映画台本を書いている。

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    イングランドでは、イギリス国教会が国教となっており、19世紀半ばまでは、
    イギリス国教会信者でない者は、国会議員にはなれず、オックスフォード大学
    には入学出来ず、ケンブリッジ大学では、学位を取る事が出来なかった。 しかし、
    今はこのような差別はない。 イングランドの人々の多くはイギリス国教徒だが、
    今では欠かさず教会に通う程敬虔な人は少ない。

    イギリス国教徒以外の人は、イギリスでは非国教徒と言われる。 中でも、新教に
    属する宗派は、イギリス国教会から分かれたという意味で、分離派と呼ばれ、
    メソディスト派、バプティスト派などがある。 どの派も厳しい迫害の中で発展
    して来た。 ローマ・カトリック教会も、16~19世紀まで受けて来た差別は
    現在はなく、学校や教会を設立する程の力を持っている。

    イングランドには、ヨーロッパでも有数のユダヤ人社会があり、その人口は
    40万人にも昇る。 ユダヤ人の多くは、20世紀前半ドイツ、ソ連、東欧での迫害を
    逃れてやって来た。 ユダヤ人の地域社会では、独自の学校や、高齢者や障害者の
    ための福祉事業が運営されている。

    近年、多くの国から移住して来る人が多いため、イングランドの都市にはシーク
    教徒、ヒンドゥー教徒が主にインド出身であるのに対して、イスラム教徒は
    パキスタン、バングラディッシュ、中東などから来ており、両者共に、宗教的
    伝統を保つため、独自の学校を運営している事が多い。

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    【英語の発展】
    移民には母国語を話している者が多いが、イングランドの公用語は英語である。
    英語はアングロ・サクソン人の言語であったゲルマン語から発展したもので、
    発達の段階によって、時代順に古英語、中英語、近代英語の3つに分けられる。
    アングロ・サクソン年代記など、最も初期の文献に見られる古英語は、およそ
    1100年まで使われた。 ノルマン語の影響を受けている中英語は、1100年から
    1400年後半に掛けて使われた。

    その後は、近代英語の時代だが、この英語は17世紀の『欽定英訳聖書』で使われた。
    この聖書は、後の英語に大きな影響を与えた。 イングランドの人々の話す
    英語には、地方によって方言も多い。 例えば、リヴァプール出身の人は、
    スカウスと呼ばれる方言、ニューカッスル・アポン・タインでは、ジョーディー
    という方言を話す。 ロンドンっ子の中には、コックニーと言われるロンドン
    訛りを使う人もいる。

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    方言は、その土地の人でなければ分かりづらい。 何十年に渡ってラジオや
    テレビで標準とされる英語が流されてはいるが、未だに言葉の違いが階級の
    差を強めている事もある。

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    2017年現在、台湾の人口は、約2,350万人となっており、1km²あたりの
    人口密度は620人と高く、200倍の広い国土を持ったオーストラリアよりも、
    200万人以上人口が多い。 そして、台湾人の人口の約半分が都市部に
    暮らしている。



    【民族と言語】
    台湾に暮らす人々の大半は、300年以上も前に中国南部の福建省や広東省から
    渡って来た漢族系移民の子孫とされるが、先住民との混血の割合も多い。
    福建省からの移民は漢族の多数派を占め、廈門を中心とした中国南方方言の
    ひとつとされる台湾語を話す。

    一方、東からの移民は、客家語を台湾に伝えた。 客家語を母国語とする人々の
    大半は、台湾北部の新竹や苗栗に住む。 今日ふたつのグループの違いは、主に
    彼らの話す言語である。

    1949年以降に渡って来た人々は、中国大陸の全域からやって来た。 彼らは、
    台湾の全人口の約15%を占める。 20世紀になって台湾に来た彼らは、北京語を
    中心とした北方方言、いわゆる北京語を話す事が出来る。 蒋介石は、北京語を
    台湾の公用語とした。

    北京語は、1950年代以後学校教育で使われ、80年代になると、教育を受けた世代の
    台湾人の間で広く使われるようになった。 こうして、台湾では、漢族の文化が
    支配的な文化となった。 ただ、福建系、客家系、戦後の移住者と、生活上の
    文化には異なる点もある。 この他、台湾の先住民は、異なった系統の文化を
    伝えている。 こうした先住民族は、全部合わせて台湾の総人口の1.5%である。
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    先住民は、大半がマレー・ポリネシア系で、タイヤル、アミ、ブヌン、パイワン、
    サイシャットなどの部族がいる。 彼らは、漢族とは異なる身体的な特徴を持つ。
    だが、今日では先住民達の多くは、生活上はl、周辺の漢族の文化に同化して
    いるように見える。

    先住民は、伝統的には農耕を行い、独自の宗教を持っている。 東海岸に住む
    アミと、南部の緑島に住むヤミを除けば、いずれの部族も山間部の村落に
    住んでいる。 だが、都市部に働きに出た先住民も多い。

    言語学者は、先住民の言語のルーツをみなマレー・ポリネシア語族であるとして
    いるが、部族が異なると互いに言葉が通じない。 そこで、共通語として北京語が
    使われているが、一部には日本語がまだ使われている。 マレー・ポリネシア
    語族は、マレー諸語やフィリピン諸語なども含んでいる。



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    ベルギーは、フランスとドイツに挟まれており、国として成立したのは、
    1830年である。 国名は、古代にここに定住したケルト人の一派
    『ベルガエ人』に因んでいる。 この地域は、西暦前50年頃以降、ローマ、
    フランク、スペイン、オーストリア、フランス、オランダ等の勢力に次々と
    制服された。 2度に渡る大戦の際には、ドイツの攻撃を受け、占領された。

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    この国には、フラマンとワロンという2つの大きな地域圏がある。 2つの
    地域の大きな違いは、言語である。 フラマン地域圏は、北部と西部にあり、
    ここに住んでいるのは、オランダ語(フラマン語)を使用している。
    そのうちの多くは、フランス語も知っている。 ワロン地域圏は南部にあり、
    ここの人々は、日常生活にフランス語を使用しているが、オランダ語も
    話せる人もいる。 また、ワロン地域圏の中には、ドイツ語を使用している
    グループもある。 外国に支配されていた時期が長かったにも関わらず、
    それぞれの地域圏に住む人々は、自らの歴史と文化に強い誇りを持ち
    続けている。

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    人々は、信仰と生活の上でカトリック教会と固く結びつき、教会は、
    いくつもの政党に強い影響力を持っている。 カトリック教徒ではない
    人々は、非宗教的な政党に所属している場合が多い。 これらの内部事情
    にも関わらず、近代と現代のベルギーは、ヨーロッパの経済的統合を目指す
    上で指導的な役割を果たして来た。 EU(欧州連合)の政策決定の本部は、
    ベルギーの首都に置かれている。 ベルギーは、EU加盟国として大きな
    市場に販路を持ち、また、EUに投下される財源から一定の助成を受けて
    いる。 これらの利点によって、ベルギー国民は高い水準に達することが
    出来た。

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