横浜通詞 ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    横浜通詞】横浜、大阪、仙台にある多言語翻訳会社
    多言語を専門とした翻訳会社を運営しています。 日本語⇔英語の他にも、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語、中国語、韓国語他、世界80言語以上に対応しています。 お気軽にお問い合わせください。

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    タグ:観光

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    広州は、中華人民共和国広東省省都であり、広東省だけでなく華南地域の経済、
    文化、教育の中心となっている。 中国では北京および上海に次ぐ、第3の
    大都市でもあります。『食は広州にあり』に表れている通り、広州の食文化は
    豊かで、飲茶点心やフカヒレ、アワビといった高級海鮮食材から、ヘビ、カエル、
    ツバメの巣までもが食材として市場で売られている。

    【陳氏書院】
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    木、レンガ、石等、敷地内の至るところに見事な彫刻が施され、大量の陶器、
    彩色上絵、鋳物などの並ぶ、清代広東の民間建築芸術の粋を集めた芸術館の
    ような館。 無名な工匠たちが残した芸術作品は、120年以上の時間を経て
    尚も輝きを放ち続けている。 後院の通路の上は『三顧の礼』、『赤壁の戦い』
    など、日本でも馴染みの深い三国志や水滸伝などの物語にちなんだ彫刻で飾られ、
    さながら歴史彫刻の回廊』となっている。 歴史文化的な価値が高い史跡として
    『広州八景』に選ばれている。

    【中山記念堂】
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    越秀公園内にある中山記念堂は、辛亥革命の指導者、孫文を記念して1931年に
    柱を一本も使われずに建てられたもの。 清の皇帝の帽子を模ったという8角形の
    ホールは天井まで58メートルと高く、5,000人近くが収容可能。 孫文は日本亡命
    時代に東京府の日比谷公園付近に住んでいた時期があり、公園の界隈に『中山』
    という邸宅があったが、孫文はその門の表札の字が気に入り、自身を孫中山と
    号すようになった。 日本滞在中は『中山 樵(なかやま きこり)』を名乗って
    いた。 孫文の故郷は現在は中山市(ちゅんざんし)となっており、香港や
    台湾等にも同名の記念館がある。

    【道教寺院本山 三元宮】
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    三元宮は三元大帝を祀る道教寺院で中国各地にある寺院。 場所は地下鉄2号線
    紀念堂駅から解放北路を北上し、応元路を東に入ってすぐ。 越秀公園の南端と
    隣接しており、また応元路をさらに東へ進めば中山紀念堂がある。 拝観料は
    1元。 中へ入ると、様々な像が並んでおり、地元の人達が熱心に祈りを
    捧げる場所となっている。

    【西漢南越王博物館】
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    今から2100年前に建てられた、西漢初期の南越国君主であった文帝趙昧の墓。
    1983年に発掘調査が始まり、中から15人の殉死者と、玉器、青銅器を中心とする
    1000件以上の埋葬品が発見され、10年を掛けた遺跡の保存と共に博物館が建設
    された。 西漢南越王博物館は、2000年以上の歴史を持つ古都広州のシンボル的な
    存在となっており、総合展示館、王墓遺跡、本館の3つの部分から形成されてる。
    入館料は12元。

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    豫園を中心としたエリアは、上海の中で最も中国的な場所。 現在の人民路と
    中華路は城壁を壊して造られた道で、この中は近代以降、租界時代も上海城と
    呼ばれた中国人居住区だった。 この周辺には、上海市内のほかの地域ではもう
    見られなくなった市場もまだ残っており、昔ながらの屋台も点在している。

    また、豫園付近にある豫園商城は、中国の伝統的江南デザインの建築物が立ち並ぶ
    観光エリアとなっている。 上海を訪れた観光客が、必ず訪れるという、上海随一の
    観光名所であるため、常に観光客で溢れ返っている。 また、この周辺には、
    飲食店が多く、安い値段でボリュームのある本格的な上海料理を堪能することが
    出来る。

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    豫園は、旧上海城の北東部に位置し、江南古典庭園の名園と称されている。 最初に
    着工されたのは1559年で、明代の役人藩充瑞が父親のために19年掛けて造った
    私庭が始まり。 造園は、明代の名工が施工したもので、その美しい造りから江南
    名園の中でも一番と古人に称えられたと言う。 現在の面積は約2万平方メートル
    だが、その当時は5万平方メートルの敷地があったと伝わる。 創建当時は美し
    かった庭園も、藩充瑞の死後に藩家が衰えると荒れてしまう。 その後、1760年に
    庭園の管理が移り、20年掛けて楼閣を建て石山を築く等、再度整えられて行った。
    更に歴史の並に翻弄されながら、1961年に現在の形が完成した。

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    豫園商城では、概ね一品15~45元程度でボリュームのある上海料理を楽しむことが
    出来る。 1品の分量がかなり多いため、2皿食べると、かなりお腹が一杯になり
    ます。 また、飲み物は別料金だが、10~15元で、絞りたてのフルーツジュースを
    販売しているため、食料に関しては、中国の方が断然日本よりも安い。 中国も
    近年は物価高で、物によっては、日本よりも高いのだが、安くて美味しいものを探し
    歩くのも楽しいかも知れない。

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    東京駅から高速バスで1時間足らずで行ける茨城県。 関東の中でも、最も
    地味で目立たない県とされているため、『都道府県魅力度ランキング』では、
    毎年常に最下位が定位置となっているが、茨城は、北関東というよりも、
    南東北の文化圏に属しているため、販売している商品が、東北と概ね同じ。

    茨城は、関東にいる限り、最下位争いからは抜け出る事が出来ないが、
    南東北に移れば、福島を抜いて東北第二位に浮上出来る可能性が高いため、
    東北への移籍をお勧めしますw

    【筑波山】
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    筑波山は、つくば市北端にある標高877mの山で、西側の男体山と東側の女体山
    からなる。 茨城県のシンボルの一つとされており、富士山と対比して
    『西の富士、東の筑波』と称される。 全域が『水郷筑波国定公園』に指定
    されており、日本百名山、日本百景の一つとされる。 百名山では最も標高が
    低く、開聞岳(標高924m)と共に1,000m未満の山となっている。



    【茨城県 フラワーパーク】
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    筑波山のすそ野に広がる花の一大テーマパーク。 約30ヘクタールの広大な
    園内には、世界中のバラ500種3万株や、シャガ、やまゆり、ダリア、ベコニアなど
    四季折々の花が楽しめる。 春と秋にはバラまつりが開催され、花のすべり台や
    フラワーサイクルなどもおすすめ。 花と緑の公園となっており、特に、茨城県の
    花であるバラに力を入れている。

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    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    伊達62万石の城下町仙台は、東北最大の都市であると共に、東北最大の観光地。
    今回は、その歴史と主な見どころを紹介します。



    伊達政宗公の肖像画や木造は、生前片目だけで非常に親不孝をしたという遺言により、
    基本的に全て両目が入れられている。 仙台市博物館所蔵の肖像画に書かれて
    いるのは、辞世の句。 現代語に翻訳をすると、『少年時代は、いつも馬の上で
    過ごしたが、世の中が平和になり、白髪も多くなったため、この世を楽しまないで
    どうするよ?』

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    伊達政宗の従兄弟の伊達成実は、戦場では、決して後退りをしなかったという非常に
    勇猛果敢な武将で、常に政宗を助けた。 藩政時代の仙台藩の藩図は、明治政府に
    無理やり割譲させられた岩手県の南3分の1と、同じく、福島県に割譲させられた
    新地が含まれており、この他にも、仙台藩は、愛媛県の宇和島と、滋賀県にも領土が
    あった。 蝦夷地(北海道)が独り立ちするまでは、仙台藩が蝦夷地を統括して
    いたのと、戊辰戦争に負けた際に、仙台藩の武士は、蝦夷地へと強制的に
    送られたため、仙台弁と北海道弁は、概ね同じとなっている。 但し、言語的に別れて
    から、既に150年程経過しているため、北海道弁の方が古い形を残しているのが特徴。

    仙台藩は、豊富秀吉によって、現在の福島、並びに、山形の旧領地を全て召し上げられ、
    現在の宮城県へと国替えになったが、伊達家が最終的に目指したのは、武力ではなく、
    経済力による江戸の支配。 伊達家は、全国第3位の大大名であったものの、それに
    満足する事なく、近江の国出身で、治水の名手と言われていた、川村孫兵衛に命じて、
    河川を切り開き、水田と港を開いて他藩との交易を活発に行なった結果、仙台藩の
    実質石高は、その表高の約4倍にまで膨れ上がり、江戸に流通している米の約半分を
    完全に牛耳るまでになった。 その経済力を使い、仙台藩は、直接ローマやスペインとの
    交易を試みたものの、時は既に鎖国、切支丹弾圧へと進んでいたため、最終的には、
    うまくは行かなかった。

    仙台市博物館では、それらの資料が「慶長遣欧使節団関連資料」として展示してあり、
    現在は、国宝、並びに、世界記憶遺産として指定を受けている。 慶長遣欧使節団は、
    日本で初めて太平洋と大西洋を単独で横断した使節団であり、散切り頭で有名な
    岩倉使節団が欧州を訪れた際に、この事実を知り、非常に感銘を受けたと言われて
    いるが、それが幕末に大逆賊の汚名を着せられた仙台の地に日本で2番目の帝国大学
    (現在の東北大学)が開設された直接の理由とも言われている。

    支倉常長を描いた洋画は、日本人を描いた世界で初めての油絵で、切支丹へと改宗した
    常長の子孫が、幕府からの弾圧を恐れて折り畳んだ後、更に丸めて筒に入れて隠し
    持っていた跡がクッキリと残っている。 使節団の一部は、切支丹へと改修の後、
    弾圧を恐れて、そのままスペイン南部に残り、現在は、「日本」を意味する「ハポン姓」を
    名乗っているが、サムライの末裔である事を大変誇りにしているとか。 400年以上も
    前に、単独で船を建設して、危険を犯してまで海を渡ってスペインとの交易を試みたのは、
    表面上は、貿易のためとされているものの、実際のところは、当時世界最強の力を
    誇っていたスペインの力を借りて、江戸の徳川幕府を倒すためとも言われている。

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    毎年、仙台七夕の夜にだけ開催される瑞鳳殿のライトアップイベントでは、夜の瑞鳳殿を
    見る事が出来る。 瑞鳳殿は、伊達政宗公の御霊屋で、今でもこの下に遺骨が納められて
    いる。 仙台大空襲を受けるまでの瑞鳳殿は、国宝指定されており、日光東照宮と
    同時期に建てられたため、「奥の日光」とも呼ばれていたが、戦災で消失。 その後、
    昭和54年に再建されたものの、現在は、国宝指定はされていない。 派手好きであった
    政宗公の御霊屋らしい、安土桃山時代の豪華絢爛な建築様式となっているため、
    非常にお勧めのスポットとなっている。

    仙台は日本におけるスケート発祥地となっており、仙台城三の丸にある五色沼には、
    スケート発祥の地の碑が建っている。 二の丸の入口付近には、支倉常長の像が
    建っている。 本丸への入り口にある隅櫓は、戦災で消失の後、再建されたが、
    大手門は、消失したままの状態となっている。



    昭和46年に建設された仙台港は、現在トヨタ東日本の積出港となっているため、新車が
    常に駐車されているが、東日本大震災の際には、これらの新車も全て津波に流され、
    瓦礫と化した。 仙台フェリーターミナルからは、北海道の苫小牧と名古屋までのフェリーが
    運行されており、苫小牧まで7,500円、名古屋までは5,000円で行く事が出来る。

    貨物専用駅の仙台港駅付近は、東日本大震災の際に、鉄路ごと流されたが、今では、
    全ての復興が完了しているため、細かく見て行かないと、津波の爪痕は残っていない。
    仙台港のすぐ裏にあった蒲生干潟は、津波で破壊されて、干潟ではなくなった。

    尚、「被災地に略奪はなかった」と言う都市伝説は、全くの大ウソで、仙台港付近では、
    かなり略奪が発生したが、東北の場合は、人が優しいため、「困っているのであれば、
    どうぞ持って行って下さい」と言った人が多かったため、結局は、略奪にはならなかった
    というのが事実。 但し、本当の略奪も実はかなり多かった。

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    ブログネタ
    国際交流 に参加中!

    日本では、何でも『箱もの』、いわゆる、建物だけにお金を掛け過ぎるため、その中身に
    ついては、一切お金を掛けないのが原則。 よって、その中部で働いている人たちは、
    かなり安い給料で使われており、更には、足りない部分は、全て無料のボランティアで
    補ってその運営活動を補っているため、それぞれの市町村ごとに、独自の国際交流を
    細々と行ってはいるものの、その実態は、単なる『外国人との暇つぶし』、または、
    『外国人との仲良しごっこ』レベルだったりします。 国際線に搭乗をしているキャビン
    アテンダントは、語学の達人と思われがちですが、航空機の客室内では、さほど
    専門的な会話をする必要性がないため、実は、日常会話に毛が生えた程度の会話しか
    しておりません。 



    私の学生時代は、ロシア人が日本国内には、ほぼ居なかった関係上、国際交流会館
    なるものにも足繁く通ったりもしておりましたが、毎回、当然のように無料で通訳を依頼
    されるため、次第に足が遠退き、今では一切行かない場所のひとつとなりました。
    海外の場合は、建物よりも、人材の方にお金を掛けて、じっくりと人材育成を行うの
    ですが、日本の場合は、その真逆を行っております。 それもこれも、見た目重視で、
    中身は一切問われないという、日本ならではの風習とも言えるべき特筆事項。 真昼間
    から時間を持て余している主婦、学生、高齢者程度しか参加しない日本の国際交流とは、
    一体誰のために行っているものなのでしょうか? それぞれの国際交流会館にある
    語学講座のレベルも、初級~中級クラス程度しかありません。 

    各自治体が募集している語学通訳者も、当然のようにボランティアが主体。 行政が
    率先して、堂々とこのようなまねをするために、他の企業も、当然のように、通訳は
    無料でやらせるもの、その言い訳として、『語学は単なるツール』という思想が日本国内に
    広がりました。 語学音痴大国、更には、超内向き思考大国の日本では、専門性は
    二の次三の次で、対人関係で最も重要となる筈のコミュニケーション能力は、特に
    問われず、何となくその場の雰囲気が伝われば、後は、にやけるだけでその場を
    誤魔化せてしまうため、わざわざ大金と時間と労力を掛けてまで海外へと語学留学を
    する意味すらなったため、日本人留学生は、減るばかり。 むしろ、海外へ行ってしまうと、
    扱い辛い人間としか思われないため、日本社会においては、海外生活は、かなりの
    マイナスポイントとなります。

    日本社会では、『協調性』ばかりが強要されますが、それは、仲間内だけでダラけた
    仕事をしていても、誰にも報告されないためのものであり、大企業に限って、このような
    昔からの慣例がまかり通っているため、日本社会そのものが、停滞期へと突入、更には、
    下降し続けているにも関わらず、そこでも、『協調性』ばかりが重んじられるため、誰も
    それが変だとすら感じなくなりました。

    そもそも、英語の『ボランティア』と言う単語は、『進んで申し出る』、『自発的に行動する』
    という意味ですが、日本語の『ボランティア』は、単なる『都合の良い只働き』という意味
    しかありません。 語学を習得するためには、膨大な時間と労力が必要ですが、それを
    完全無視して、第三者の善意だけに頼って、何もかも無料でやらせるのは、先進国の
    する事なのか、かなり疑問が残ります。

    元々、日本には、『通訳・翻訳学部』というものが存在しないため、その専門性の重要さに
    すら気付いてはいないと言ってしまえば、それまでのお話。 日本は、その昔、蒙古に
    襲来された際に、『カミカゼ』が吹いて助かったそうですが、その時に、『カミカゼ』さえ
    なければ、ここまで内向き思考で凝り固まる事はなかったと思います。

    その当時、ロシアは、そのままモンゴル支配の時代へと突入しましたが、今では、世界一の
    超多民族国家となっております。 日本人の内向き思考は、周囲全てを海に囲まれている
    ため、通常の生活を営む限りは、国境を越える事はないというところから来ています。
    近年では、日本国内在住の外国人が増えていますが、そのような状況下でも、その人
    たちが、流暢な日本語を話せてしまうため、逆に、日本の対外的な国際化を妨げている
    原因となっていると思います。

    日本社会における通訳者への理解と地位向上には、まだまだ時間が掛かりそうです。

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