忌野清志郎氏の三回忌での答辞。 何やら、一見、素晴らしい答辞に見えるのだが、
こんなきれいごとを言えるのは、これまでに、原発の事を考えた事すらなかった
人たちであって、常日頃から原発周辺に住んでいる人間にとっては、こんな
ふざけた内容を言われたところで、全くそうだとは感じない。
小学校5年生当時の社会科の授業で、『福島第一原発は、東電の施設であり、
福島の人たちは、その電力を一切使用していない』としっかりと習ったが、その直後に
完成した女川原発は、住民たちが必死の抵抗をしたのにも関わらず、ほぼ強行
突破で原発に核燃料が運び込まれた。
女川原発を稼動させるための地域住民を納得させるための理由付けとしては、
『福島の人たちは、原発の電力を一切使用していないので、宮城県に原発を造り、
福島にも電力を送らなければならない』というものであった。 当時は、まだ小学生
だったのだが、今でもこの事をハッキリと覚えている。 女川原発は、世界一の
地震群発地域の真上にあるため、小学生の頃から、原発は、いつか爆発すると
ずっと思っていたのだが、それが福島第一だとは思わなかった。
『原発は、最も安価な発電施設』と言われているものの、それは、安価な安全対策
しか施していないため。 事故後の補償まで考えれば、到底安価などでは済まされず、
原発事故を引き起こした東電は、『原発から放出された放射性物質は、無主物』だと
して、頑として住民への補償を拒んでいる。 何もかも、『知らぬ存ぜぬ』だけで
済まされるのが、日本社会。 何も知らないだけで何もかも済まされるのであれば、バカが
一番幸福という理論が成り立つが、そのような無責任な大人ばかりが増え過ぎたため、
日本は、既にどうしようもないところまで来ている事に、早く国民全員が気付くべき。