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ドイツを代表する『パンクの母』こと、ニーナ・ハーゲンは、有名女優のエヴァ・
マリア・ハーゲンと脚本家ハンス・オリヴァ・ハーゲンの娘として、ベルリンで
生まれた。

父方の祖父は、ユダヤ人の銀行家・経済学者であったが、1942年にユダヤ人強制
収容所で死去している。 ニーナの養父となったのは、母親と一時同棲していた事の
ある高名な詩人、ヴォルフ・ビーアマン。 裕福な家庭の令嬢が、何を理由に、
エキセントリックで過激なパンクを歌うようになったのかは、本国ドイツでも謎と
されている。



元々は、旧東ドイツで女優を志していたが、演劇学校の入学試験であえなく不合格
となった。 この時期から、ポーランドでバンドのボーカルとして活動を開始し、
1974年に歌手養成コースを修了した後は、ドイツ国内のバンドである『
アウトモビール』に参加。

その後、アウトモビールは、彼女のバックバンドと化して行く。 1975年に
アウトモビールを脱退した後は、別のバンドでの活動を開始するものの、1976年に
音楽家のヴォルフ・ビーアマンが、旧東ドイツ政府により市民権を剥奪されると、
公然とビーアマン支持を行い、国外での演奏活動の帰りに旧東ドイツから再入国を
拒否されたため、そのまま西側へと亡命し、イギリスへと渡った。



1977年の秋には、イギリスから旧西ドイツに帰国後し、ニーナ・ハーゲン・
バンドを結成。 世界的なヒットを飛ばすも、4人のバックミュージシャンとの
間に埋めようのない確執が生じた。 この時、 レコード会社とは既に二枚目の
アルバムの契約が締結されていたため、アルバムのレコーディングは、バックの
演奏とは別に、歌の追加録音という不規則な形で行われた。 80年代には、
独自のUFO論を前面に押し出し、1985年3月には、日本での公演も実現している。

1998年、演出家ベルトルト・ブレヒトの生誕100年に際し、ようやく生まれ故郷の
ベルリンへと戻った。



ニーナ・ハーゲンの特長は、エキセントリックでスピリチュアルな感性、歌詞の
メッセージ性、並びに、並外れた歌唱力だが、ドイツ国内では、絶大な人気を誇る
ものの、それ以外の国々では、本国ほどの成功を収められていない。



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