多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:被災地

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    被災地通信 に参加中!

    2015年11月28日(土)、地元の人間ですら、全く知らない宮城県石巻市内の無名の
    小さなライブハウスで、X JAPAN の被災地での約束が果たされた。 X JAPANに
    とっては、24年ぶりのライブハウスでのチャリティーライブとなり、「ヤフオク!」での
    チケットオークション落札総額は2,828万9,358円に上った。 中央共同募金会を
    通じて全額寄付され、東北被災地の子どもたちの支援に充てられる。
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    被災前の石巻にやって来る歌手と言えば、演歌歌手と売れない歌手だけと相場が
    決まってたのだが、東日本大震災以降は、実に様々なミュージシャンがやって来た。
    極めつけは、アメリカから、2度もシンディ・ローパーがやって来て、小学校と
    幼稚園にピアノを寄付して行った。 AKBもやって来た、さだまさしもやって来た、
    長渕剛もやって来た、加藤登紀子もやって来したし、八代亜紀もお忍びでやって
    来たぞw
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    2011年3月11日の震災当日、シャンソン歌手のクミコさんが、石巻市文化センターで
    コンサートのリハーサル中に被災して、そのまま地元民と共に避難生活を送ったのは、
    かなり有名な話で、それ以降、クミコさんと石巻の関係は続いているのだが、
    その石巻の関係者が、余りにも酷過ぎて、一言では言い表せないのが残念。



    X JAPANで街興しして欲しいぞ石巻w
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    夢のような約束が実現する――。人気ロックバンド「X JAPAN」が11月28日、
    石巻市のライブハウスから世界ツアーをスタートさせる。 被災地にある150人
    収容の小さなステージを選んだその始まりは、2年前に現地を見たリーダーの
    YOSHIKIさん(50)が、ライブハウス従業員につぶやいた一言だった。

    今年9月、ライブハウス「石巻ブルーレジスタンス」の従業員山村孝雄さん(32)は
    一瞬、耳を疑った。「X JAPANのライブをするので会場予約をしたい」。
    イベント主催者が店にかけてきた電話は、そう告げていた。 山村さんは
    「あの時の言葉は、約束だったんだ」と気づいた。

    2013年9月、YOSHIKIさんが自分の目で被災地を見たいと石巻を訪れ、
    幼稚園や小学校を回った。 最後に立ち寄ったブルーレジスタンスで、運営
    資金を寄付してくれた人の名前を書いた木札を店内に貼っていることを知った。
    YOSHIKIさんも3万円を寄付した。

    そして帰り際。 「ここからワールドツアーを始められたらいいね」とぽつりと
    口にした。 案内した山村さんは何と答えればよいのか、言葉に詰まった。
    「夢みたいな話で、冗談だと思っていた」と振り返る。 
    -------

    リーダーのYOSHIKIは2013年9月、被災地の石巻を訪問。幼稚園や小学校を
    回り、最後に訪れたのがこの日公演を行ったライブハウスだった。 当時、
    再訪を約束したYOSHIKIは、X JAPANにとって24年ぶりとなるライブハウス
    公演を行うことで約束を果たした。

    震災復興チャリティーコンサートとして開催された同公演に入場できる観客は
    わずか150人。 半数の75枚はインターネットオークションサイト ヤフオク!内
    特設サイトのチャリティオークションに出品され、残りの半数75枚は地元の
    石巻市・東松島市・牡鹿群女川町在住者を対象に無料招待した。

    ライブハウスには、石巻市長をはじめ、地元を代表した高校生たちがお出迎え。
    会場から15分ほどの場所にある石巻市総合体育館では、急きょパブリック
    ビューイングが行われ、約3,000人がスクリーンに向かって大声援を送った。
    『ニコニコ生放送』を通じて全世界にもネット配信され、番組中も視聴者に寄付を
    呼びかけた。

    「ヤフオク!」でのチケットオークション落札総額は2,828万9,358円にのぼり、
    中央共同募金会を通じて全額寄付。 東北被災地の子どもたちの支援に
    充てられる。

    X JAPANの日本ツアーはこの後、12月1~4日の横浜アリーナ4daysを皮切りに、
    7日に大阪、9日に福岡、11日に広島、14・15日に名古屋の5都市で計9公演開催。
    大みそかには18年ぶりに『NHK紅白歌合戦』に出場する。
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    被災地通信 に参加中!

    世間では、相変わらず、福島のことばかりが大袈裟に語られているが、大袈裟な報道
    ばかりを好む、いわゆる、『放射脳』の許せない点は、震災孤児や、被災地の事実を
    完全に無視して、自分に都合の良い事柄しか言わないところに尽きる。 特に、被災地
    から離れれば離れる程、その傾向が強くなるのは、助け合いの精神すら、この国には
    まともに根付いていない証拠とも言える。



    東日本大震災の後、特に、海外のメディアでは、実際の被災地を無視して、福島の事
    ばかりが大袈裟に語られたが、間違いやウソが多く、その情報が、そのまま現在まで
    残っている事が多々見受けられるため、事実とはかけ離れている事が多い。 このような
    際にも、必ず、自分達が住んでいる場所は、度外視して語られる事が多い点にも注目
    して頂きたい。

    >>放射脳によるフクシマの偏向報道

    そもそも、日本には、自分さえ良ければ、それで良しとする人間が非常に多いのと、事実
    無根の情報であったとしても、それを鵜呑みにして、右から左に流す際に、更に、尾ひれ
    足ひれが付いて、ウソと事実の見極めが非常に困難になっているため、常に事実と向き
    合って現実を知ろうとしない限り、騙されてしまう事が多くなっている。

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    津波災害が本当に酷かった宮城県と岩手県には、両親や片親を失った子供も少なく
    ないが、そのような事実が公の場で語られる事は、これまで、殆どなかった。 
    被災から、既に4年半以上が経過したが、未だ、その心の傷は癒えてはいない。



    一方、福島では、2014年6月16日に中間貯蔵施設問題に関して、石原環境大臣が、
    『最後は金目でしょ?』との問題発言をしたが、この問題は、早急に解決をしなければ、
    除染した土を満載したフレコンバッグが野ざらしにされているため、 問題が多いのも
    事実。 よって、福島は、被災地の中でも、優先的に語られる事が多いのだが、ウソの
    情報が非常に多いため、それが問題を更に複雑にしており、宮城、岩手よりも、復興が
    遅れている原因となっている。 

    >>福島と鼻血 

    人間とは、非常時にこそ、その人間の人と成りが完全に出る事を理解しなければ
    ならないのと、常に、相手の話を聞く姿勢を大事にしなければ、何も知り得ないままで
    終わってしまう。

    被災地で起きた数々の出来事は、正しい情報を持った人間が、正しく後世に伝えて、
    この出来事を教訓としなければならない。

    >>東北の子どもたちのために今できること

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    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    被災地で始まった、新しい試みのひとつとして、『語り部タクシー』なるものがあるが、個人的な
    意見を忌憚なく述べると、これは、かなり難しいと思う。 首都圏では、未だブラック企業が
    猛威を振るっているため、まともな給与はこの先も期待出来ず、自分が生きて行くだけで
    精一杯の状態であるため、正直、被災地に関心がある人は、極端に少ない。 そもそも、
    わざわざ被災地まで行く人間が、かなり少ないのと、例え、被災地まで足を運んだとしても、
    高額なタクシーに気軽に乗れるのは、バブル世代以上のプラチナ世代程度にほぼ限定される。
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    もし、自分が、語り部タクシーに乗るか?と言われたなら、恐らく、乗らないだろうし、被災地に
    多少は興味はあるが、そこまでする気はない人たちのために、「語り部タクシー」に変わる、
    『語り部Skype』、あるいは、『語り部Youtube』を考えてみた。 この2つは、場所さえ
    あれば、どちらも無料で出来るし、これであれば、被災地の人たちとその他の地域の
    人たちをいつでもどこでも簡単に結ぶ事が出来る。 最近の会議では、Skypeを使った
    会議が通常化しているが、それを被災地に応用したもの。 首都圏では、既に、災害の
    風化すらも終わり、何も無かった事になっているが、それは、そもそも、中央メディアが、
    まともに被災地を報道していないため。

    一番良いのは、当然、被災地まで足を運んでもらって、お土産を買うなり、食事をするなりして、
    現地に多少なりもお金を落として貰うのが一番だが、首都圏にそんな余裕はない。 余裕は
    ないが、何もかも無かった事にされるのも、何の進歩もないのと、首都圏でも、多少なりとも、
    被災地に関心がある人は居るため、その中間を取ってみたが、如何なものであろうか?

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    ブログネタ
    教育 に参加中!

    渋谷と銀座では、週に2~3回程度、必ずデモを行っているが、その中心は、『反原発』と
    『戦争法案反対』。 東京に住んでいると、東日本大震災は、既になかった事になって
    おり、たまに関心がある人が居たとしても、被災地=福島にしかなっておらず、全く
    現実を見ずに、明後日の方向へ向かってデモをしているため、全く話が先に進まない。

    結局のところ、東京へは、地方からの正確な情報が全く入って来てはいないのと、
    戦争に関しても、目に見えて残っているものが一切なく、妄想ばかりが膨らんで、自分の
    言いたい事しか言わないため、全くもってラチが空かない。 更には、威圧的な広告や
    情報に押し流されて、何が真実すら分からなくなっており、デマやウソが多過ぎるため、
    ウソと現実の区別がなくなっている。 特に、首都圏のメディアは、デマ、ウソ、間違いを
    平気で垂れ流しているため、かなり有害なレベル。


     
    日本では、自分の発言や行動には必ず責任が伴うという感覚が一切ないため、何でも
    言いたい放題、やりたい放題やった後に、何もかも知らんぷりされるため、デモに参加
    したところで、特に何も変わりはしない。 むしろ、無責任な人間に限って、『言論の自由』を
    振りかざしてくるため、始末が悪い。 日本では、中間の意見を取って、一番下に合わせる
    というのが習わしとなっているため、結局、良い意見が出て来たところで、下の意見に
    かき消されて、何もなかった事にされてオシマイ。 何でも言いたい放題、やりたい放題
    やった後に、責任を取らないのは、民主主義とは言わないため、責任を取らないので
    あれば、黙っているべきだが、それを民主主義と勘違いしている人間が多いため、
    日本ではこの先にも何も変わらない。
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    そもそも、日本は、完全に『全体主義』の国であるため、民主主義が存在した事すらないと
    気付いていない人間が多い。 全体主義の特徴としては、どうでも良い時には、規則や
    決まりに縛られれるが、イザという時には、見捨てられるという特徴がある。 東日本
    大震災で被災した沿岸部を見たくないという人も多々居るが、ここで何もかもなかった事に
    すると、東京のような一切何も感じられない無意味な街になります。 大量消費社会を
    維持するためには、国民はバカでなければならないというのを地で行っているのが日本と
    アメリカです。 他の国の場合は、もっと自分達の頭で考えて行動をしていますが、特に
    何も考えていない人達の場合は、全て感情だけで話しをしているため、事実を無視して
    います。
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    最近、『そうだデモに行こう!』というキャッチフレーズを時々目にしますが、そのような
    場当たり的な思いつきでデモに参加したところで、意味はないため、自分の意見をハッキリと
    言えるようになってからデモに参加すべきです。 そうでなければ、デマやウソに洗脳されて
    帰って来るだけであるため、無意味を通り越して、有害です。 『反原発』も『戦争法案反対』も
    自分達に都合の良い話しかしていないため、妄想ばかりが膨らむばかり。 特に、日本の
    若者に対しては、日本の大学に進学をすると、必ず洗脳されてしまうため、学費が無料な
    ドイツやフランスの大学に進学する事をオススメします。 日本やアメリカの大学は、
    単なる金儲けの場に過ぎないのと、その教育レベルも異常に低いため、行ったところで、
    学生ローンという借金地獄に叩き落とされ、その後は、ブラック企業に一生こき使われる
    人生しか残っておりません。 まともな生活をしたければ、外国語を習得して、日本からは
    出て行くべきです。

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    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    宮城県石巻市は、市中心部の高台を除く、ほぼ全域が津波に襲われた事で、
    このエリアだけで2,038人が死亡し、377人の行方不明者を出すという東日本
    大震災で最大の被害を受けた。 この動画に出て来る『捜索済み』とは、
    この瓦礫の下には、遺体はないという意味である。

     

    石巻市はこの地区の他にも、雄勝、牡鹿、河北、北上でも大きな被害を被り、
    全体(全人口約16万2千人)では、何と死者数3,282名、不明者699人という
    甚大な被害状況となっている。 これだけの人的被害を受けた各地域共に、
    建物の基礎だけが残る壊滅地帯が広がっている。

    被災直後、市内の体育館は、全て避難所、または、遺体安置所となった。
    市内の掲示板にあった『探しています』の張り紙は、全て『人』に関する
    ものばかりで、死者が余りにも多過ぎたため、火葬が間に合わず、土葬による
    仮埋葬を行ったのも、主に石巻地区である。

     

    被災後、石巻の人口は、約2~3万人程度減少したと言われているが、正確な
    数字は分かってはおらず、誰がどこに行ったのかすら分かっていないため、
    町内会での話し会ですらままならず、復興に関する話し合いが遅々として
    進まない。

    被災から8年が経過しようとしていますが、この状況は、あれから、さほど
    変わってはいない。

    【お勧めの一冊】


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    宮城県石巻市釜谷地区の北上川河口から約4キロの川沿いに位置する
    大川小学校は、3月11日の東日本大震災で全校児童108人の7割に当たる74人が
    死亡、行方不明となった。 教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が
    死亡した。 東日本大震災で起きた数々の悲劇の中でも、最も悲劇的な場所と
    される所以である。

    児童108人のうち、無事が確認されたのは31人。 21人は遺体で見つかり、
    56人は未だ安否が分かっていない。 学校にいた教職員11人のうち、助かった
    のは男性教諭1人だけだった。柏葉照幸校長(57)は午後から年休で不在だった。

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    地震直後、校舎は割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れもあった。
    教師らは児童を校庭に集めて点呼を取り、全員の安否を確認した後に、避難先
    について議論を始めた。 学校南側の裏山は有力な避難先であったが、急斜面で
    足場が悪い事から、児童らが登って避難するには問題があるとされていた。
    約200m西側にある周囲の堤防より小高くなっていた新北上大橋の三角地帯も
    避難先候補となり、裏山へ逃げるという意見と、老人も含まれている事を考慮して
    三角地帯にするべきという意見が教職員の間で対立し、最終的に三角地帯に
    避難する事になり、移動を開始した。



    その直後、堤防を乗り越えた巨大な津波が児童の列を前方から飲み込んだ。
    列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて、裏山を駆け上がり、一部は
    助かったが、迫り来る津波を目撃して腰を抜かし、地面に座り込んで避難
    出来ない児童も居た。 家族が車で迎えに出向き、独自に避難した児童は
    助かった。 避難先として選定した三角地帯も標高不足で津波に呑み込まれて
    おり、避難が完了していたとしても、被害は避けられなかった。 校庭には、
    スクールバスも停車していたが、その運転手も、津波に飲み込まれて、死亡した。



    難を逃れた児童22名は新学期より、同校より10km離れた石巻市立飯野川第一
    小学校へ通学していたが、2014年からは石巻市立二俣小学校敷地内の仮設校舎に
    移転している。 校舎も新たに建て直す予定だが、時期や場所などは未定。
    その大川小には、犠牲者を慰霊するために制作された母子像が設置され、2011年
    10月23日に除幕式が行われた。



    地震発生から津波到達まで50分間の時間があったにも関わらず、すぐに退避せず
    校庭に児童を座らせて点呼を取る、避難先についてその場で議論を始めるなど、
    学校側の対応を疑問視する声が相次いだ。 普段から避難に関する教育を徹底し、
    児童だけの自主的避難で全員無事だった釜石小学校や、地震直後より全員高台に
    避難させ、在校児童が全員無事だった、門脇小学校と対照的とされた。 宮城県が
    2004年3月に策定した第3次地震被害想定調査による津波浸水域予測図では、
    津波は海岸から最大で3km程度内陸に入るとされ、大川小学校には、津波は到達
    しないとされていた。 そのため、大川小自体が避難先とされていたため、地震の
    直後には、高齢者を含む近所の住民が大川小学校に避難して来た。



    石巻市教育委員会は、2010年2月、各校に津波に対応するマニュアル策定を
    指示していたが、被災後の議論で教育委員会は、学校の危機管理マニュアルに
    津波を想定した2次避難先が明記されていなかった点で責任があると認め、
    父母らに謝罪している。 2011年4月9日の説明会で、無事だった教諭が、
    裏山に『倒木があった』と証言した。 同年6月4日夜の説明会で、石巻市
    教育委員会は、前述の証言を『倒木があったように見えた』と訂正し、裏山へ
    避難しなかった理由を、津波が校庭まで来ると想定していなかった事に加え、
    余震による山崩れや倒木の恐れがあったためと説明した。 避難が遅れた
    理由には保護者や避難住民への対応を挙げた。

    震災時の議論の詳細は明確にならなかった。 謝罪はあったが、学校も教育
    委員会も責任に言及しなかった。 2012年12月、大川小の惨事を検証する
    第三者検証委員会が設置された。 2013年7月の中間報告で調査委員は、
    大川小の『地震(津波)発生時の危機管理マニュアル』に『第1次避難』は
    『校庭等』、『第2次避難』は『近隣の空き地・公園等』と記載があるのみで
    具体的場所の記載が無かった事を指摘したものの、遺族からは既に判明して
    いる事柄ばかりで目新しい情報がない、生存者の聞き取り調査を行っていない、
    なぜ50分間逃げなかったのか言及がないなど不満が噴出した。

    2013年9月8日、石巻市教育委員会による遺族説明会が約10ヶ月ぶりに行われ、
    『話し合いを拒んできた理由を説明して欲しい』など批判が相次いだ。 2014年
    3月1日に『大川小学校事故検証報告書 最終報告書』が石巻市に提出された。
    2014年3月10日、犠牲となった児童23人の遺族が宮城県と石巻市に対し総額
    23億円の損害賠償を求める訴訟を仙台地方裁判所に起こした。
     
    okawa-sho_map
     
    【現在の石巻市立大川小学校付近】


    >>あの日大川小学校で何が起きていたか 津波が迫る中で教師達は権力闘争

    【お勧めの一冊】


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    SENDAI光のページェント
    は、1986年(昭和61年)から、毎年開催されている、仙台の
    冬の風物詩。 実行委員会を中心とし、市民ボランティアが開催しているイルミネーション・
    イベントとしては、日本国内でも、かなりの先駆例であり、かつ、20年以上も『市民主体』の
    体制を維持しているため、神戸ルミナリエを初めとする、日本国内やアメリカなど国内外
    からの問い合わせや、視察等を積極的に受けており、イベント運営方法や資金集めの
    ノウハウなどを各地に伝える活動も行っている。

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    今では、東京でも普通に開催されている、イルミネーション・イベントは、この
    SENDAI光のページェントがお手本。 1981年(昭和56年)から開催されている、
    さっぽろホワイトイルミネーションと並ぶ、2大先駆例であり、太平洋戦争後に、焼け野原と
    化した、仙台市都心部の定禅寺通と青葉通のケヤキ並木に数十万にも上る数の
    LED電球を取り付けて点灯する、日本屈指の規模のイルミネーション・イベントと
    なっている。 開催期間は、毎年、12月初旬~31日まで。 毎年、25日には、市民
    総出で、サンタクロースの格好をしてパレードを行う、『サンタの森の物語』が開催
    されている。

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    自治体等からの補助金があるものの、運営資金の半分以上を企業からの寄付と市民
    からの募金によって賄っている。 光のページェント期間中に市内の各地に専用の
    募金箱が設置される他、期間外においても、街頭募金や募金ライブイベントがある。
    また、飲料1本に付き、設置者と自販機管理会社が1円ずつ計2円を募金する仕組みに
    なっているユニークな自動販売機が仙台市内にある。

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    サンタパレードを開催している縁から、20周年にあたる2005年(平成17年)には、
    サンタクロース村があるフィンランド・ロヴァニエミ市が主催するクリスマス・シティ・
    ネットワークに仙台市が加盟した。 2008年(平成20年)からは、けやきの立ち枯れ
    問題等を踏まえて、イルミネーション電球をバイオマス発電によるグリーン電力によって
    100%まかなっている。 2009年(平成21年)からは、総電球数の1/3(約20万球)を
    消費電力が白熱球の約1/10であるLEDに置換し、17,000kWhまで使用電力を削減した。

    2011年の東日本大震災により、このLED電球を保管している、仙台港付近の倉庫が
    津波で電球ごと、流出したため、2011年の開催時には、全国からの資金援助とLED
    電球の寄付を受け、かろうじて、継続して開催された。



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    東北電力女川原発は、被災当初、原発内の体育館が避難所になりました。
    最大で350名ほどが、その原発内で、長期間の避難生活を強いられましたが、
    その事は、関東では、一切報じられませんでした。 女川原発自体も、2011年
    4月2日に起きた余震により、非常用電源回路が麻痺し、後1本、非常用電源
    回路が失われていたら、宮城県も福島県と完全に同じ運命でした。

    女川原発は、名前は『女川』ですが、原発施設の約5分の1程度は、石巻市内に
    あります。 よって、東日本大震災の最大の被災地である石巻は、原発立地
    自治体です。

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    女川に到達した津波の高さは、20メートルを超え、遡上高で最大43メートル、
    住民の死亡率で比較すると、住民の10人に1人以上が津波災害で死亡した、
    東日本大震災最大の被災地です。

    石巻も、死亡者数だけで、約3,000名、被災後、人口の約2万人近くが、市外へと
    出て行ったと言われているため、復興に関する町内会での話し合いすら出来
    ない状況です。

    津波で、何もかも流され尽くされたJR女川駅周辺は、女川原発からは、直線
    距離にして、約7.5キロの位置にありますが、被災前までの女川原発の避難
    区域は、5キロ圏内のみでした。

    女川駅前には、『女川原発原子力保安委員会』の鉄筋コンクリート製の建物も
    ありましたが、津波により破壊され、真っ先に瓦礫として処理されたため、今では、
    何もない更地になっています。

    私の実家は、その女川原発からは、直線距離にして、約32キロの位置にあるため、
    例え、30キロ圏内が避難区域であったとしても、完全に見殺しにされた地域です。

    被災当初、建物や、車両等の下には、「捜索済み」という張り紙が、あちらこちらに
    張り出されたのですが、それは、『その下には、もう遺体はない』という意味です。
    石巻市内には、6月の末まで、倒壊家屋を撤去するための重機がなかなか入って
    来なかったのですが、その間、倒壊した家屋に潰されて死亡した人たちは、その
    ままにされました。

    重油が海に流れ出したため、海が燃え、今度は、それが沿岸部を焼き尽くしました。
    一番悲惨な死に方をした人は、津波に飲まれて、何十時間も寒空の中、放置され、
    その後起きた火災により、生きたまま焼かれて死亡しました。

    関東等では、『放射能汚染瓦礫受け入れ反対!』などと言っていた頃、宮城県内
    では、1万人程度が、一気に津波で死亡したのにも関わらず、その遺体を燃やす
    燃料すらなかったため、一旦土倉にして、後日、再埋葬を行いました。 その
    土葬が全て終了したのは、2011年12月の末の話です。 今でも、遺体が見つから
    ない人が大勢居ます。

    遺体が見つかったとしても、身元が分からないため、お寺に預けられて、無縁仏に
    なった人たちも、大勢居ます。 岩手県の人の遺体が、茨城県の沿岸部で
    見つかったという話も聞いた事があります。

    東日本大震災では、略奪は起きなかったと、皆言いますが、石巻やその周辺では、
    一時期無法地帯と化したため、現金が盗まれたり、物が略奪されたりは、かなり
    頻繁にありました。

    被災地の現状を正確に伝えなかった、中央メディアには、特に何も期待はしており
    ませんが、これ以上、『風評被害』を拡散するようなまねだけは、止めて欲しい
    ところです。 宮城県の被災を何もかも、『フクシマ』にしないで下さい。 被災地の
    現状を勝手に歪めないで下さい。

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    東日本大震災発生から45回目の月命日

    死者       行方不明者
    宮城県 9,538人  1,256人
    岩手県 4,673人  1,130人
    福島県 1,611人   204人
    全国 15,889人    2,594人

    全国避難者数 23万6千人

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    石ノ森萬画館のすぐ隣にあった日本ハリストス正教会。 津波災害にて、奇跡的に
    流出は免れたものの、かなりの被害を受けたため、その後、暫くは、雨風から守る
    ために、シートが被せられていた。 その後、他の場所への移築が決定し、現在
    この地は何もない更地。

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    この教会は、元々この地にあったのではなく、30年ほど前に、石巻市が、北上川に
    浮かぶこの中州を再開発した際に、別の場所から、この地に移されたもの。 現在
    石ノ森漫画館のすぐ南隣りにある公園は、その以前までは、樹木がかなり生い茂る
    緑の多い公園であったが、この教会が移転して来た際に、大々的に樹木を伐採して、
    現在の姿になったもの。

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    15メートル近く高さの津波が押し寄せ、この場所に奇跡的に残ったのは、この
    教会と石ノ森萬画館と、極々わずかな建物のみ。 この周辺だけで、約3,000名の
    死者を出したため、この周辺は、被災後に一時孤立した。 日本ハリストス
    正教会は、主に、東京を中心とする『東京大主教区』、仙台を中心とする
    『東日本大主教区』、京都を中心とする『西日本主教区』に大別されるが、
    この石巻教会は、その日本ハリストス正教会の中でも、木造としては、
    日本最古だったもの。

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    最近、どうも石巻の被災が、全て『福島』にすりかえられている場面に多々遭遇
    するのだが、私の実家がある場所は、石巻のすぐ隣の自治体である、美里町
    なのだが、石巻の中心部からは、15キロ程度の場所で、石巻市との境界線からは、
    3キロ程度しか離れていない。 しかも、母親が、石巻の出身であるため、私が
    生まれたのは、実は、石巻。 いとこが全員石巻に住んでいるため、当然、
    石巻弁も完全にネイティブ。
     
    ishinomaki

    出身地を聞かれると、かなり困るのだが、私の地元は、色々な地域と接点があり、
    結局、ハッキリとどの地域に属するとは言い切れないない場所にあるため、その
    時々に応じて、『美里の出身』と言う事もあれば、『大崎の出身』と言う事もあれば、
    『石巻の出身』という事もあれば、『仙台の出身』と言う事もあれば、『宮城県の出身』
    と言う事もある。

    被災直後の石巻~女川~南三陸

    私の母方の祖父は、石巻市内に昔あった、『広淵沼』の干拓に一生を捧げた人であった。
    かなり広大な沼地だったため、大正10年(1921年)に始まった干拓が完了したのは、
    昭和3年(1928年)だった。 今では、その土地は、広大な田んぼになっているのだが、
    この沼の干拓の後に、その土地への入植者を募ったのが、今の石巻市広淵地区。

    今でも石巻の地名として残っている『砂押』とは、その当時の名残。 尚、父方の
    祖父は、樺太の開拓に行った人であった。

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    関東に住んでいると、被災地に関する情報は、全く入って来ないため、関東の
    人たちが、被災地に全く関心がないのは、仕方がないとして、全ての被災を
    『福島』と言われるのは、ハッキリ言って、耐えられない。 海が重油で燃えたのも、
    燃料が全く足りなかったため、遺体を火葬出来ずに、一旦土葬にしたのも、
    石巻付近。 私のいとこは、全て石巻方面なのだが、今でも、怖くて、自分の
    親類縁者、友人、知人に至るまで、自分の母親にすら、誰か死んだかを聞いては
    いない。 沿岸部の山元や七ヶ浜にも友人がいるが、連絡の方法すら分からない
    ため、未だに、生きているのか、死んでいるのかすら分からない。

    被災前の石巻の様子

    40年前の石巻中心部が買い物客で溢れていた時代の街並みも覚えている。
    30年前に『石巻バイパス』が完成して、石巻駅前の衰退が始まった。 その時に、
    イトーヨーカードーが開業したのだが、そのヨーカドーは、今では、完全に建て
    替えられて、同じヨーカドー系列の『ヨークベニマル』になった。 2000年頃に、
    三陸自動車道が石巻まで開業して、市の中心部が、『イオン』周辺へと全て移された。
    瀕死の状態で、衰退激しい、石巻駅前とは、打って変わり、こちらは、被災後に、
    ますます勢力を増すばかり。

    広淵沼の干拓の様子

    石巻市内では、今でも、仙石線が、完全に運転を再開していないため、被災後は、
    市内の交通量が、かなり増えた。 石巻駅から三陸道のインターチェンジまでは、
    混まなければ、車で5分弱程度で到達出来たが、今では、15分ぐらい掛かる事も
    しばしば。 津波災害で、かなりのものを失った石巻だが、これが、再生のチャンス
    なのかも知れない。

    個人的には、現在の蛇田駅か、その付近に、新しい石巻駅を建設して、町の中心部に、
    石巻駅を置いた方が、実際の生活に合っていると思う。

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    2011年の東日本大震災の発生により、市域の約6割が津波により水没するという
    深刻な被害を受けた宮城県東松島市を何度も訪れて、歌で被災地を励ましてくれた、
    九州と広島出身の2人組みのアーティスト『Ryusei& Co』。

    つい最近、『晩夏光』という新曲を出したのですが、この曲は、元々、2015年に
    営業再開を果たしたばかりのJR仙石線と晴れ渡る被災地の夜空の事を歌った曲で、
    CDの中では、東京にある世田谷線の曲として歌っています。

    現在、全国のラジオ番組へのリクエストを受け付けています。
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    毎月三軒茶屋のキャロットタワーで開催されている 【Ryusei & Co 絆ライブ】

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    東日本大震災における被災地には、今後の復興事業を円滑に行うための国費が
    投入されていますが、その被災地における『恩恵』の多くは、今でも手付かずのまま、
    そのまま眠っています。 被災地には、この『恩恵』以外にも、義捐金がまともには
    届きませんでした。 石巻市内で、運良く義捐金を貰えたのは、沿岸部の極一部の
    人たちだけ。 私の母親の実家は、石巻市中心部(沿岸部)から約10キロ離れた
    石巻市内にありますが、義捐金の支給対象地域からは、外されました。 私の実家が
    ある美里町自体も、石巻市中心部からは、15キロ程度しか離れておりませんが、
    状況は完全に同じです。

    11年前の『宮城県連続地震』の際には、震源地から、わずか3キロしか離れていなかった
    私の実家付近が最大の被災地だったのですが、激しい地震による揺れで、周辺一帯
    全ての家屋が、全半壊し、地面は液状化現象を起こしていたのにも関わらず、人口が
    少ないという安易な理由により、『被災地指定』すら外され、義捐金以前に、一切何の
    補償金すら貰えませんでした。 最大の被災地と言えども、被災地指定を外されたため、
    地震で倒壊した瓦礫の処理は、当然全て自腹でした。 東北の家屋は、比較的大きい
    家屋が多いため、瓦礫の処理には、1軒に付き、最低でも、60~200万円程度掛りました。

    すぐ近所にある小学校の校庭には、2年間だけ、仮設住宅がありましたが、丸2年を
    経過した時点で、全員そこからは出されました。 その後、私の実家付近からは、
    約2,000人の人たちが行くあてもない状態で出て行きました。 今でも皆どこに行った
    のかすら分かりません。 自腹で瓦礫を処理するだけで、預金を使い果たし、家を新築
    するだけの資金的な余裕がなかった人たちは、11年経過した今でも、戻って来ては
    おりません。 それでも、見た目上は、崩れた家屋もなくなり、新築の家が増えましたが、
    空き地だらけで、復興したのかすら分からない状態です。 震度6強前後の地震が
    立て続けに3回も襲ったため、付近には、瓦屋根やブロック塀は、ほぼありません。
    すぐ隣にある石巻でも、約2万人前後の人たちが、東日本大震災での震災後、町から
    出て行ったと言われています。
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    東電による原発事故の補償対象となった福島県の場合は、補償金の対象となりましたが、
    福島を除いて、最も福島第一原発から至近距離にある宮城県の場合は、県最南端の
    丸森町だけが、福島県の半額の補償金を貰えただけで、それ以外は、一切何の補償
    すらされておりません。 尚、丸森町の場合は、最南端部分が、原発からは、45キロしか
    離れておらず、約60キロ離れた福島市よりも、至近距離となっています。 私の友人は、
    原発から、約60キロ離れた宮城県側に住んでいますが、特に何の補償も貰ってはおりません。

    義捐金を取り巻く環境は、殆ど全てが任意で管理されているため、その流通経路の途中で、
    実は、かなりの金額が消え失せています。 とあるNPO法人の話では、義捐金の約1割だけ
    寄付すれば、特にお咎めはないとの話でした。 この義捐金の問題は、阪神淡路大震災の
    時にも問題になりましたが、その後、特に変更される事もなく、現在に至っています。
    一部の都市伝説などでは、被災地には、略奪や犯罪などなかった事になっておりますが、
    それは、ウソで、このように、何をしても何もかも『きれいごと』で済まされる社会を変えない
    限り、今後も被災地を食い物にした、このような状況は、一向に改善せず、『明日は我が身』
    という問題意識を常に持って生きていないと、何もかもなかった事として、闇に葬り去られて
    しまいます。

    被災住民に届かぬ3兆円の恩恵




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