ロシア第三の都市、ノボシビルスク出身で、日本で活躍をしていた歌手の
オリガが、2015年1月17日に肺がんにより死去しました。 ロシアの
Wikipediaでは、日本よりも早く、2015年1月18日に『オリガ死亡』と記載
されました。
 
bg-origa

オリガのFacebookは、1月13日に最終更新がされており、以前、英語で、
これから暫く海外に行くとの記載があったのですが、オリガは、元々、
ロシアの学校では、フランス語を学んでいたため、英語がかなり苦手でした。
ただし、その後、必死に英語を学んで、苦手意識を克服しました。

1990年に姉妹都市締結を結んだ、札幌とノボシビルスクの国際交流は、私と
オリガの時代に始まりました。 姉妹都市締結後、オリガが、初めて札幌に
やって来たロシア人で、私が、ノボシビルスクに初めて留学をした日本人。
オリガは、ノボシビルスク音楽大学在学中に札幌にホームステイにやって
来たのですが、自分の身の回りから、芸能界にデビューを果たした人間は、
このオリガだけだったので、自分の事のように嬉しかったのが、つい昨日の
事のようです。

オリガの芸名の由来は、デビュー時に、『L』の発音が出来なかった札幌の
関係者が、『R』 で発音をしたものを、オリガが気に入り、そのまま使ったため。

 

オリガが日本でのデビューのチャンスを掴んだのは、札幌でホームステイを
していた際に、周りから勧められて、さっぽろ雪祭りのステージで歌った事が
切っ掛けで、その後、まず、札幌でインディーズデビューを果たし、その類稀な
歌声は、すぐに東京のプロデューサーの目に留まり、日本でのメジャー
デビューが決まりました。
 


私がノボシビルスクに居た頃は、オリガもまだノボシビルスクに住んでいて、
これから、東京へ引っ越す準備をしていた時期で、同じく当時ノボシビルスクに
住んでいた、私の知り合いから日本語を習っていましたが、あれから、時は流れて、
かれこれ、25年以上の月日が経過しております。 25年以上も前から日本に
住んでいたロシア人は、非常に稀で、当時は、日本全国でも、100名弱ぐらいの
ロシア人しか住んでいませんでした。 逆に、当時ノボシビルスクに住んでいた
日本人は、全員合わせても、7名でした。
 


当時は、ロシア人に対する差別もあったものの、その後、菅野ようこ氏と
出会い、アニメソングを歌うようになりました。 元々は、自分のオリジナル曲を
歌っていたのですが、菅野氏が作った曲もそれ以降、歌うようになり、活動の幅が、
大幅に広がりました。

その後、結婚をして、昔ほどは、音楽活動をしなくなりましたが、それでも、
Facebookを時々見ては、元気そうだと思っていた矢先の出来事なので、未だに
信じられません。
 


同じ時代、同じ場所を見てきた人間として、非常に残念でなりません。
オリガ・ヤコブレワのご冥福を心よりお祈り致します。 享年44歳・・・
 
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これが、オリガの最後の姿だとか・・・

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