多言語のススメ ~ロシア・東欧情報~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    【プロフィール】
    旧ソ連・ロシア、オーストリア、カナダ、ベルギーに語学留学経験あり。
    1991年より、一貫して通訳・翻訳や海外営業等の語学専門職としての経験を
    積んでおり、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語他の多言語を扱う
    語学のプロ。 専門はロシア語⇔ドイツ語の通訳論、言語学、並びに心理学。
    詳細はLinkedInを参照。

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    タグ:英語

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    カナダでは毎年7月1日が『カナダの日』(建国記念日)となっているが、2017年
    7月1日、カナダは建国から150周年の節目を迎える。 毎年、カナダの日では、
    首都オタワの国会議事堂前での式典をはじめ、カナダ各地でイベントやパレードが
    行われ、街中にカナダ国旗や楓をペイントした人々が溢れ、盛大に記念日を
    祝います。

    イギリスのヴィクトリア女王がイギリス系とフランス系住民の融和を目指して新たに
    建設されたのが、現在の首都のオタワであり、英語とフランス語の境界線上にある。
    カナダの公用語は、英語とフランス語となっており、バイリンガル教育も盛んに
    行われているが、ケベックでは、現在でもフランス語のみが公用語となっている。
    英語話者はフランス語を、フランス語話者は英語を学校で習わなければならない。
    海外から年間約25万人の移民を受け入れ続けているカナダは、世界一の移民超大国で
    あり、カナダに居ない民族はないとまで言われている。

    ag2011

    【カナダの略歴】
    1497年、イギリスの探検家ジョン・カボットがニューファンドランド島のセント・
    ジョンズに上陸。 そして1534年、フランスの探検家ジャック・カルティエが
    ガスペ半島に到達し、ヌーヴェル・フランスを宣言。 1864年にシャーロット
    タウンで最初の建国会議が開催されてから3年後の1867年、ついにカナダ連邦が
    誕生した。

    16世紀にフランスがセント・ローレンス川中流域にフランス植民地ヌーベル・
    フランスを建設したが、アメリカに植民地を広げていたイギリスが次第に
    カナダへと領土を拡大する動きが広まりフランスと対立を深めて行った。
    最終的には1763年のパリ条約により、カナダはイギリスの植民地と定められた。
    それ以降、カナダはイギリス領となり約100年間イギリスの支配下にあった。

    カナダ建国の切っ掛けとなったのは1812年の米英戦争である。 カナダ併合を
    狙っていたアメリカに対抗するため、1867年7月1日英国議会は、当時イギリスの
    自治領であったカナダをカナダ連邦と定めたことが独立への一歩となった。
    当初はオンタリオ州、ケベック州、ニューブランズウィック州、ノバスコシア州の
    4州から成り立っていた。

    その後、マニトバ州、ブリティッシュ・コロンビア州、プリンス・エドワード・
    アイランド州と徐々に領土を広げ、1885年の大陸横断鉄道の完成により現在の
    カナダが誕生したのである。 アルバータ州とサスカチワン州も連邦に加わり、
    第一次世界大戦の後にカナダは外交権を与えられ法的にイギリスから独立を
    果たした。 その後、先住民族を中心とするユーコン準州、北西準州、ヌナブト
    準州が新設された。



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    5月のカナダの祝日と言えば、ヴィクトリアデー。 この祝日は、イギリスの
    ヴィクトリア元女王の誕生日を祝う日。 ビクトリア元女王の誕生日は1819年
    5月24日で、毎年5月25日より前で一番近い月曜日がヴィクトリアデーとなる。



    【ヴィクトリア女王】
    18歳で即位してから63年7ヶ月在位し、歴代イギリス国王の中ではエリザベス2世に
    次いで2番目に長かったと言われている。 世界各地を植民地化・半植民地化して
    繁栄を極めた大英帝国を象徴する女王として知られ、その治世は『ヴィクトリア朝』
    と呼ばれている。

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    カナダはイギリス連邦王国のうちの一つであり、オーストラリア・
    ニュージーランド・ジャマイカなど、カナダを含め、現在16カ国が属している。
    これらの国はそれぞれ独立しているのだが、現在でもイギリスの王位がそれぞれの
    国の君主の地位にある。

    カナダの首都は、ヴィクトリア女王が選定したものだが、この時、彼女は目を
    つぶって地図にピンを突き刺した場所を首都に選び、それがオタワだったという。
    現在、オタワは、英語圏とフランス語圏の境界線上にあるため、首都以外にも、
    両言語話者の融和の象徴としての役割も果たしている。

    ヴィクトリアデーを含めた週末は、3連休となるため、May Long Weekend
    (メイ・ロング・ウィークエンド)と呼ばれることもある。 日本でいう夏至の
    ように、ヴィクトリアデーを境に夏が始まると言われている。 また、各地で
    様々なイベントが催されたり、屋外プールや夏の営業時間などが開始される日と
    なっている。

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    英語の歴史は1500年以上にも及ぶ。 5世紀にアングロ・サクソン人たちによって
    イングランドにもたらされた英語は、イングランド全域に定着するだけでも1000年
    以上の歳月を要している。 イギリス諸島を離れて本格的に海外進出を始めたのは
    17世紀初頭になってからのこと。

    英国史上に残る様々な出来事は、英語の伝播においてもターニングポイントと
    なった。 1066年のノルマン征服を境にアングロ・サクソン人による支配が
    終わりを告げ、フランス出身の王たちがイングランドを支配するようになる。
    フランス語およびラテン語が公的な言語となり、標準語として徐々に発達しつつ
    あった英語は、一転して庶民の使う日常語という地位に甘んじることになった。

    しかし英仏百年戦争(1337~1453)によって、フランス語への敵意と、英語が自国語
    であるという意識が芽生えてくる。そして16世紀頃になると宗教改革が起こり、
    格調高いが専門家しか理解できないラテン語の書物よりも、多少拙くとも誰にでも
    わかる土着語による書物が重んじられ始めた。 さらに印刷技術の普及も相まって
    英語の「社会進出」は加速して行く。 

    そんな個々のプロセスから、さらに一歩視点を下げて大きな流れを見て行くと、
    他の言語から取り入れられた「借用語」が英語発展の鍵になっていることがわかる。

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    英語で洗練された文章を書こうとすると、語彙不足のために満足な表現ができない
    ことが度々あったため、表現力不足を解消する1つの方法として作家や翻訳家たちが
    行っていたのが、外国語から語彙を借用することだった。

    フランスからの借用語は政治や宗教、軍事、ファッション、食文化、学問などに
    関するものが多く、ギリシア語は専門的で高度な語が多い。 ラテン語は借用の
    時期によって傾向が全く異なる。 至るところで、おなじみの単語の意外な
    ルーツに出くわす。 語彙の乏しさによる劣等感をバネに、英語が他の言語を
    巻き込みながらうねるように広まっていた様子が分かる。

    国際標準語として不動の地位を確立した英語。 メインの言語として話す
    「母語話者」がいない会話でも使われるほど、その影響力は大きい。だが元を
    辿れば、英語にも北ヨーロッパの片田舎で使われる言語に過ぎなかった時代がある。

    オランダやドイツの一部地域で使われる、フリジア語という言語があるそうだ。
    現在の話者は約50万人で、そのほとんどがオランダ語あるいはドイツ語との
    二言語併用者である。 実は、フリジア語と英語それぞれの元になった言語は、
    隣り合う地域で使われる方言同士だった。 英語史を勉強すると、英語と最も
    系統の近い言語としてフリジア語の名が出されるという。

    地理的にも言語的にも事実上同じところから出発したと言っていいような言語が、
    片や世界的な存在に、片や母語話者もほとんどいない状態になっているのは、
    英語史を紐解く上で、非常に興味深い。

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    【古英語とバイキングの侵入】
     現代英語の元となった古英語は、実は、アングル族が持ち込んで来た言語
    であり、アングロサクソン人が1100年頃まで使っていた言葉である。 つまり、
    系統的には、インド・ヨーロッパ語族の中の西ゲルマン語群に属する言葉と
    なっている。 現代英語の基礎的な単語は、その殆んどが、アングロサクソンの
    言葉であると考えて差し支えない。

    やがて、紀元前597年には聖オーガスティンがケント州からキリスト教の布教を
    開始、イギリスがキリスト教化するに伴って、キリスト教に関連した多くの
    ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語起源の語彙が英語の中に入って来た。

    8世紀に入ると、バイキングと呼ばれる人々がスカンジナビアからイギリスへと
    侵入して来る。 彼らもまた、ゲルマン民族の一派であったが、彼らの言葉は
    同じゲルマン語でも北ゲルマン語群に属していた。 彼らは先住のアングロ
    サクソン人と激しい戦いを繰り広げた後、ローマ人の築いたウォトリング街道の
    北東部に定住することとなった。 その結果、その地域は、デーンロー地域と
    呼ばれ、現在もスカンジナビア起源の地名が残っている。 現代英語の中にも
    900語ほどスカンジナビア起源の語彙が残っている。

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    【フランス語の侵入】

    バイキングは、フランスのノルマンディーに国を建て、彼らは、やがて文化的には
    フランスに融合し、言葉もフランス語を用いるようになって行った。 1066年
    には、ノルマンディー公ウィリアムが、イギリスに侵入し、ヘイスティングスの
    戦いにおいて、ハロルド王を打ち破ってイギリスの王位に就いた。 いわゆる、
    ノルマン征服王朝の成立である。 この時、ウィリアムは、国政と宗教の主な
    ポストには、全てフランスから連れて来た家臣をあてたので、以後数世紀に
    渡って、イギリスの重要なポストには、フランス語を母国語とする人々で占め
    られることとなった。

    国王も例外ではなく、ハロルド王以後は、ほぼ300年の間、英語を用いる王は
    居なかった。 そして、この間に、英語は実に多くのフランス語の語彙が入った。
    それは、ちょうど今日の日本語に、本来、日本語にあった大和言葉と漢語と
    呼ばれる中国語が混在している状況と良く似ている。 日本語の中に漢語に
    あたるものが英語ではフランス語やラテン語となっている。

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    【英語の復活から世界支配へ】

    しかし、ウィリアムと共にイギリスへ渡って来た支配階層も、時が経つに連れて、
    土地の女性と結婚し、生まれて来る子供の世話をする乳母にも土地の女性を雇う
    などしているうちに、次第にフランス語を失って行った。 やがて、13世紀に
    入ると、中世英語で書かれた詩なども出て来るようになり、1337年にフランスとの
    間に百年戦争が起こると、英語に対する意識が急激に高まり、1362年には、議会の
    開会宣言が初めて英語で行われた。

    やがて、15~16世紀になると、現在の英語に近い近代英語が成立し、
    シェイクスピアを初めとする英文学史上でも良く知られた人々の活躍が始まる。
    ちょうどこの頃、ヨーロッパでは大航海時代が始まり、コロンブスがアメリカ
    大陸へ到達し、やがて英語を話す人々は、北アメリカ大陸へも移住を始めた。
    こうした歴史を反映して、アメリカの英語の中には、実は、シェイクスピアの
    時代のイギリス英語に近いものが残っていることがある。

    もちろん、近代的なテクノロジーや音楽、映画などの娯楽産業、それに政治、
    経済の先進国であるアメリカで生まれた言葉がイギリスに逆輸入されることも
    多いが、現代アメリカ英語の発音や、日常会話の語彙の中には、イギリスの
    この時代の発音や語彙が残っていることがあり、人々は、それとは知らずに
    使っていることが良くある。

    近代に入ってイギリスが広大な植民地を建設した結果、英語はアメリカ大陸のみ
    ならず、アジアやアフリカからオセアニアまで世界中の広い地域で使われるように
    なった。 そして、現在では、互いに英語を母語としない人々の間でも国際的な
    共通語の言語として使われている。

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    【英語はドイツ語の兄弟】
    今や英語が国際語であることを疑う人はいない。 それどころか、子供を国際人に
    育てると証して、何の疑いもなく小学生から英語教育を行おうとしている。
    しかしながら、English がアングル族の言葉を意味する Englisc を語源とすること
    からも分かるように、英語は、ブリテン島のイングランドとスコットランドの
    低地地方で話される地域的な言葉でしかなかった。

    更に、近世に入るまでは、ラテン語やフランス語に比べて、その地位も低く
    見られており、神の言葉である聖書は、英語には翻訳出来ないという議論まで
    あった程である。 英語が国際語としての現在の地位を確立するまでには、
    その過程で征服や侵略や植民地化の歴史、そして辛く悲しい移民の歴史があった
    のである。

    英語の歴史的研究も、18世紀になって当時イギリスの植民地であったインドに
    駐在していたひとりのイギリス人判事ウィリアム・ジョーンズ卿の講演から
    始まったに過ぎない。

    ウィリアム・ジョーンズ卿は、古いインドの言葉であるサンスクリット語(梵語)を
    研究し、サンスクリット語とラテン語それにギリシャ語の類似性に気が付いた。
    そして、1786年には、『これらの言語は、現在では既に消滅した共通の言語から
    枝分かれしたものである』ことを示唆する講演を行った。

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    これは、現在インドからヨーロッパに掛けての広大な地域で話されている様々な
    言葉は、実は、インド・ヨーロッパ語族と呼ばれるひとつの言語グループに
    分類されうること、そして、そのインド・ヨーロッパ語族には、その元になった
    古い言葉、いわゆる『印欧祖語』と呼ばれる言語が存在したことが想定されうる
    という、驚くべき事実の発見であった。

    英語は勿論このインド・ヨーロッパ語族に属しており、その中でも、ドイツ語、
    オランダ語、フリースランド語などと同じく、ゲルマン語派の中の西ゲルマン語群
    に属している。 つまり、英語は、ドイツ語やオランダ語、それに、オランダの
    北西の沖合いに浮かぶ列島フリースランド地域で現在30万人程の人が話すだけに
    なったフリースランド語などと兄弟の言葉なのである。

    フランスの言葉や文化の影響をイギリスに持ち込んだ1066年のノルマン征服が
    なければ、現在のイギリス人は恐らく、オランダ語のような言葉を話していただ
    ろうとまで言われている。

    そもそも、最初にブリテン島に住んだのは、インド・ヨーロッパ語族の中でも、
    ケルト系の言葉を話すブリトン族であった。 その後、ブリテン島を支配して
    いたローマが、5世紀になって、ブリテン島から引き上げると、アングル族、
    サクソン族、ジュート族などのゲルマン民族が現在のデンマークや北海沿岸の
    ドイツからブリテン島へと渡って来た。 この時の様子は、『アングロ・サクソン
    年代記』という古い書物などによって、うかがい知ることが出来る。

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    オランダ語は、英語やドイツ語と同じくゲルマン系の語派に属しているため、これらの
    言語と基礎語彙がかなり良く似ている。 また、歴史を振り返ってみると、オランダ人が
    荒波を乗り越え、世界の隅々まで出掛け、言語を含めて文化的影響を残したという
    一時代があった。 日本もその恩恵に浴した国であることは言うまでもない。 もっとも、
    オランダ語の語彙も、他言語からの影響を少なからず被っている。 主に英語や
    フランス語の語彙を取り込み、その多くの借用語がオランダ語には欠かせないものと
    なっている。



    今日、最も多くの語彙を借用するのは英語からで、実際、単語に留まらず、成句や諺に
    まで及んでおり、今やほとんど全く英語を話さないオランダ人ですら口にするように
    なっている。 例えば、tram、flat、fift-fifty、up to date などが挙げられる。 ただ、逆に、
    オランダ語の語彙は、例えば、ドイツ語などの隣接の言語と外見上良く似ているのに、
    意味の上で微妙な違いがあることもあって、注意が必要となっている。

    例えば、蘭:aardig 素敵な、独:artig 行儀が良い、蘭:aandacht 注意、独:Andacht
    敬虔さ、蘭: verzoecken 懇願する、独:versuchen 試みるなどがある。

    dutch

    【オランダ語の今】

    現在の標準オランダ語は、パタビア共和国以来の中央集権によって発達したホラント州の
    社会的上流階級の言葉が1900年ごろから標準語として認められるようになったもので、
    そもそも、オランダ語の呼称に関して言うと、その国名はHolland あるいは、Netherlandと
    して知られているにも関わらず、その国民名と言語名は Dutch という言語名で呼ばれる
    ことが普通となっている。

    12~13世紀以降、ドイツは Deutschland という国名で知られていた。 そして、15~16
    世紀になると、英語の Dutch は、オランダ国内の諸方言を含んだ意味でのドイツ語の
    ことを指すようになった。 オランダが独立し、大航海時代(17世紀)に入ると、英国との
    接触が頻繁になり、英語において Dutch という語は、次第に意味が狭まって行き、単に
    現在のホラント州を中心としたオランダ北部統一7州として知られる地域を指すように
    なった。

    日本におけるオランダ語の研究の歴史は長く、江戸時代の『ハルマ』や『訳鍵』といった
    蘭日辞書の編纂に始まる。 蘭学とは、広義には、当時の日本人がオランダ語を通じて
    学んだ西洋の学問一般を指し、医学をはじめとする西洋の学問は、オランダ語を媒体
    として日本に取り入れられた。 わずか4000坪の長崎の出島は、日蘭貿易の拠点で
    あったのみならず、近代科学や思想が日本に流入する唯一の窓口でもあった。

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    イギリス英語の起源は、現在のドイツ北東部方面に住んでいたアングロ・サクソン人が
    ブリテン島に渡来したところから始まる。 5世紀半ばの出来事であった。 インド・
    ヨーロッパ語派に属し、古英語、中英語、近代英語と発展を遂げ、20世紀になってからは、
    現代英語と呼ばれている。 また、イギリスの英語は、17世紀初頭に大西洋を渡り、
    アメリカに根付き、アメリカ英語として独自の発展を遂げている。 英米語は基本的には
    共通しているが、それでも違いは多々ある。



    発音:母音の後の r (bird、car、dark など)は、イギリスでは発音されず、アメリカでは
    発音される。 ask、cat、hat などの a は、英では[a]、米では[ӕ]、dot 、God、hot
    などの o は、英では[ɔ]米では[a]となっている。

    綴り:英 programme materialise kilometre labour
       米 program materialize kilometer labor

    語彙:英 lift、米 elevator などの違いは良く知られている。 ここでは、英米の順で、
    自動車用語を見てみたいと思う。

    bonnet/hood boot/trunk bumper/ fender, dip switch/dimmer, gear lever/stick shift,
    fascia/daschboard, indicator/blinker, silencer/muffler, windscreen/windshield

    面白いことに、日本語のカタカナ表記では、両方をごっちゃに使っている。

    imagee

    【英米語の今】


    現在、イギリスの言語学者が注目しているのは、ロンドンの中心に拡大しつつある
    エスチュアリ・イングリッシュ(Estuary Englich)で、これは、イギリス英語の変化の
    見本のようなもので、変化は発音に顕著に現れている。

    ① l が母音化する。
    これは語頭以外のとこで良く生じる。 例えば、milk bottle ミウクボトゥ(miwk bottoo)、
    football はフッボゥ(foobaw)のように聞こえる。

    ② th が f になる。 birth、thin、youth などは、birf、fin、youf と発音される。



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    ドイツ語の初学者は、名詞の性に悩まされ、動詞や形容詞のめまぐるしい語尾変化に
    挫折感を感じてしまう。 しかし、その峠を越えて、文法体系をマスターしてしまえば、
    後は結構自由自在で、分かりやすい。

    西ゲルマン語の代表であるドイツ語は、同系統の英語と異なることろも多く、まずは、
    語彙が本来のゲルマン語起源の単語を多く堅持しており、一方の英語は、ロマンス系の
    語彙を多く取り入れている。

    deutsch

    ドイツ語は、動詞が文の2番目に来る(従属節では文末)。 この原則さえ守っていれば、
    後は自由な語順となっている。 その他は、語順自由という日本語とも通じるところが
    ある。 未来のことを表すのも現在形で大丈夫というところも日本語と似ている。 他にも、
    複合語を得意、格がある(日本語の格助詞に相当)、ローマ字発音でかなり通じるなど、
    日本語話者には、比較的取り組みやすい言語となっている。

    日本人にとって、少々手ごわい発音は、3つのウムラウト(変母音)と、lとrの区別だろう。
    äは、アの口の形でエと、öはオの口の形でエと、üは口唇を丸めたウの形でイと発音
    する。 lは舌の先を上の歯茎の裏側に付けて、rは水なしでうがいをするように口蓋垂
    (喉仏)を震わせて出すのラ行の音となっている。 大聖堂、オーデコロン(ケルンの
    水の意味)、カーニバルで有名なケルンは、Kölnと表記する。



    【ドイツ語の今】


    ドイツ語も他の多くの言語の例にもれず、昨今英語の影響を強く受けている。 それも
    単語の流入だけではなく、文法にまで及んでいる。 ドイツ語は文法が複雑と言われて
    いるが、それでも簡略化の道を進んでおり、教科書では再帰動詞として紹介される
    Ich erinnere mich daran(私はそれを思い出す)が Ich erinnere das のように一般的な
    他動詞として使われ、Ich kenne den Student(en)(私はその学生を知っている) では
    不規則な語尾変化が消失しつつある。

    また、ドイツで最大の外国人居住者のトルコ語が数世代に渡る紆余曲折を経ながら
    新しいドイツ語の形成に一役買っている。 それに加えて、若者言葉の革新性も入りつつ、
    伝統的な造語力も今尚健在となっている。

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    イングランドでは、イギリス国教会が国教となっており、19世紀半ばまでは、イギリス
    国教会信者でない者は、国会議員にはなれず、オックスフォード大学には入学出来ず、
    ケンブリッジ大学では、学位を取る事が出来なかった。  しかし、今はこのような差別は
    ない。 イングランドの人々の多くはイギリス国教徒だが、今では欠かさず教会に
    通う程敬虔な人は少ない。

    イギリス国教徒以外の人は、イギリスでは非国教徒と言われる。 中でも、新教に
    属する宗派は、イギリス国教会から分かれたという意味で、分離派と呼ばれ、
    メソディスト派、バプティスト派などがある。 どの派も厳しい迫害の中で発展して来た。
    ローマ・カトリック教会も、16~19世紀まで受けて来た差別は現在はなく、学校や教会を
    設立する程の力を持っている。

    イングランドには、ヨーロッパでも有数のユダヤ人社会があり、その人口は40万人にも
    昇る。 ユダヤ人の多くは、20世紀前半ドイツ、ソ連、東欧での迫害を逃れてやって来た。
    ユダヤ人の地域社会では、独自の学校や、高齢者や障害者のための福祉事業が運営
    されている。

    近年、多くの国から移住して来る人が多いため、イングランドの都市にはシーク教徒、
    ヒンドゥー教徒が主にインド出身であるのに対して、イスラム教徒はパキスタン、
    バングラディッシュ、中東などから来ており、両者共に、宗教的伝統を保つため、独自の
    学校を運営している事が多い。

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    移民には母国語を話している者が多いが、イングランドの公用語は英語である。 英語は
    アングロ・サクソン人の言語であったゲルマン語から発展したもので、発達の段階に
    よって、時代順に古英語、中英語、近代英語の3つに分けられる。 アングロ・サクソン
    年代記など、最も初期の文献に見られる古英語は、およそ1100年まで使われた。
    ノルマン語の影響を受けている中英語は、1100年から1400年後半に掛けて使われた。

    その後は、近代英語の時代だが、この英語は17世紀の『欽定英訳聖書』で使われた。
    この聖書は、後の英語に大きな影響を与えた。 イングランドの人々の話す英語には、
    地方によって方言も多い。 例えば、リヴァプール出身の人は、スカウスと呼ばれる方言、
    ニューカッスル・アポン・タインでは、ジョーディーという方言を話す。 ロンドンっ子の
    中には、コックニーと言われるロンドン訛りを使う人もいる。

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    方言は、その土地の人でなければ分かりづらい。 何十年に渡ってラジオやテレビで
    標準とされる英語が流されてはいるが、未だに言葉の違いが階級の差を強めている
    事もある。

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    米カリフォルニア州議会は、2016年3月28日、最低賃金を時給15ドル(1,680円)に
    引き上げることについて合意に達した。 現在カリフォルニア州の時給は10ドルだが、
    これを段階的に15ドルまで引き上げる。 計画では、2017年に10.5ドル(約1180円)、
    2018年に11ドル(約1240円)、以降は毎年1ドルずつ引き上げ、2022年には15ドル
    にする。 従業員が25人以下の中小企業は、15ドルへの引き上げ期限が2023年
    までと、1年間猶予される。

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    米国の最低賃金には連邦制度と州制度があり、労働者に有利な方が適用される。
    連邦制度における最低賃金は現在7.25ドル(約812円)だが、大都市において
    この賃金で労働者を雇うことは現実的に難しい。 全米各地の大都市では、最低
    賃金を15ドルにする動きが進んでおり、カリフォルニア州の決定もこれに沿った形と
    なっている。

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    さらに極端なケースでは、スイスのように最低賃金を22スイスフラン(約2500円)に
    するという国民投票を行った国もある。 結果は否決だったが、現実問題として、
    これに近い水準の賃金がないと生活できないくらいスイスの物価は高い。

    いつの間にか、世界の中でも、時給の安い国に成り果てている日本だが、2016年
    現在の日本の最低賃金は、最高が東京都の932円、最低が沖縄県と宮崎県の
    714円となっており、年々東京と地方との格差が開いているが、全国平均で見ると、
    時給823円となっている。

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    このように、日本の人件費は、世界的に見ても安いため、むしろ、海外に出た方が
    まともな賃金を貰える。 東京の場合は、今でも賃金が下落し続けているため、
    既にギリギリの生活しか出来ない。 最近は、60歳を超えた『新人』を見掛けるように
    なったが、安い労働力は、女性、高齢者、外国人で補っているため、外国人は、
    間違っても日本で働こうなどと考えてはならない。 海外に行くと、Samsung や
    LGばかりの販売が目立っており、実質的に日本は、既に韓国に抜かれていると
    言える。

    日本が根本的に間違っていると感じる点としては、長年同じメンバーで働いている
    ため、職場のマンネリ化が進み、周囲からは異様としか見えない事でも、それが
    当たり前になってしまっており、後から入って来る新人にもそれを当然のように
    強要するため、まともな人間は、早々に辞めてしまい、ろくでもない人間しか職場に
    残らないという特徴がある。

    日本の職場では、仲良しごっこ以外、特に何も重要視されないため、異質な人材が
    入ると、即排除されることとなる。 よって、日本社会は、この先も何も変わらない。
    日本は、現状維持ばかりを掲げて、何の変化もなくなり、現状維持すら既に出来なく
    なった。

    現状、アジアでも優秀な人材は、英語の通じる香港やシンガポールへと流れており、
    日本は、逆に、日本語に拘っており、アジアからの優秀な人材の確保すら難しく
    なった。 良質な人材を海外から招き入れるという意味でも、法外な時給で外国人を
    こき使っているブラック企業の一掃と、英語教育の充実に期待するしかない。

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    現在のカナダ東部海岸を最初に探検したのは、1497年、イギリス国王ヘンリー7世の
    命を受け、ニューファンドランドやケープ・ブレトン島周辺を探索した、ジェノバ生まれの
    航海士、Jカボットである。 カボットの探検隊は、後に同地域がイギリス領となることの
    発端となった。

    フランスは、イギリスの動きに少し遅れて、1524年、フランス国王のフランソワ1世の
    命を受け、フロリダからニューファンドランドまでを航海し、その『新大陸』を『ノヴァ・ガリア』
    と名付けた。 1534年には、ジャック・カルティエが、ニューファンドランドからセント
    ローレンス湾の沿岸、リシュリュー湾周辺を探検している。 カルティエは、現ケベック州の
    ガスペ半島の先端である、ガスペ岬に上陸し、この地に『フランス国王万歳』と彫り込んだ
    十字架を建て、同地をフランス領とする事を宣言している。 これを持って、『ヌーヴェル・
    フランス』の歴史の始まりとされている。 その後、サムエル・ド・シャンプランがケベックを
    創設し、以降、この地が北米におけるフランスの植民地活動の拠点となって行く。

    【ヌーベル・フランスの領土】(青い部分全て)

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    現在、『ケベック問題』と呼ばれるカナダの最大の政治的課題は、17世紀から18世紀
    中期に掛けてのカナダ東部沿岸地域における英仏の覇権争いに端を発していると
    言える。 英仏の衝突は、ケベックの陥落(1759年)、そして、1763年のパリ条約
    (1763年)によって、一応の決着を見せ、『ヌーベル・フランス』は、スペインとイギリスに
    移譲された。 その後、カナダでは、イギリスの覇権が確率されたが、ケベック州の
    人口の約8割を占めるフランス語系住民達のナショナリズムは、その後のカナダ政府の
    文化政策、移民の動向、エスニック集団の扱いに大きな影響を与えて来た。

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    カナダの総人口のうち、民族的には、イギリス系が最も多数となっているが、一口に
    イギリス系と言っても、その内訳は複雑で、カナダへの移民は、アイルランド人、
    スコットランド人、ウェールズ人の順となっている。 イギリス系カナダ人がケベック
    以外のカナダで安定した覇権を確立して行った分岐点のひとつは、アメリカ合衆国
    からの執拗な攻撃を食い止めた1812年戦争からであると言える。 アメリカ軍は、
    アメリカに親近感を持つものの多い、『ウェスト・カナダ』(現在のオンタリオ州)をまず
    攻撃した。

    しかし、イギリス軍は、有能な司令官アイザック・ブロックの巧みな作戦と、イギリス側に
    付いた先住民の協力によって持ち堪え、いくつかの曲折を経て、1817年のラッシュ・
    バゴット協定と1818年の協定によって、英領北アメリカ(現在のカナダ)とアメリカの
    間の国境確定が、ロッキー山脈の東側の麓までで、ほぼ確定されている。 この1812年
    戦争では、フランス系カナダ人は、革命的で脱宗教的なフランス共和国とヨーロッパで
    戦うイギリス人に好感を持ち、イギリス軍と共にアメリカ軍と戦っている。

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    1812年戦争までは、アメリカ13植民地からの英語系の移民が多かったが、その後は、
    第二次イギリス系の波がカナダへと押し寄せた。 1815年から1850年までの
    35年間の間に80万人近いイギリス系移民がやって来た。 彼らは、イギリスが
    フランスを破った、ワーテルローの戦いの後に職を失ったイギリス軍の将校たち、
    アイルランドの職人や貧民、スコットランドの職人や小作人、イングランドの工場労働者
    たちであった。

    1815年から38年の間にイギリスから新しく到着した人々の多くは、スコットランド人で、
    それでの王党派が多かったノバスコシア、プリンス・エドワード島、ニュー・ブラウンズ
    ウィックや、セントローレンス湾岸に定着して行った。

    【お勧めの一冊】


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    カナダは、英語とフランス語の2言語を公用語とするバイリンガル国家であり、
    『1982年憲法』では、両言語を以下のように規定している。

    『英語、及び、フランス語は、カナダの公用語であり、連邦議会、及び、連邦政府の
    全ての機関における使用言語として、対等な地位と権利が認められる』(憲法第16条
    第1項)

    但し、これは、国民に両言語の習得を義務付けている訳ではなく、連邦政府の全ての
    公的機関において、この両言語が対等に扱われているため、どちらかの言語を話す
    事が出来れば、国のサービスを受けられる事を意味している。

    【カナダ国歌】 バイリンガルバージョン


    アメリカでは、英語を強要されるが、カナダの場合は、基本的に、この両言語によって、
    公的機関でのコミュニケーションが図られる事となっているが、実際は、多民族の
    移民国家らしく、窓口には、多数の移民を取り揃えているため、その他の言語でも
    一律にサービスを受ける事が出来る。

    カナダ人の約85%(2,686万人)は英語を話し、約31%(979万人)がフランス語を話す
    ため、バイリンガルを含めて合計すると、100%を超えることとなる。 但し、カナダでは、
    言語的な地域格差が大きいため、皆一様に両言語を自由に操れる訳ではない。
    小学校等の義務教育では、お互いの言語を学ぶことが義務付けられてはいるものの、
    両言語のバイリンガルは、概ね、両言語の言語的な境界線上にある首都のオタワ~
    ケベック州周辺に限られる。 首都であるオタワは、元々、ビクトリア女王が、両言語
    話者達の融和を願って、わざわざ言語境界線上に新たに建設したバイリンガル都市。

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    カナダ最大の都市である、トロントがあるオンタリオ州では、約85.9%が英語を話すが、
    残りの約14%が全てフランス語話者という訳ではない。 トロントにおける
    英仏バイリンガルの比率は、約11.4%となっており、決して高くはない。 逆に、フランス語
    だけが公用語となっている、カナダ第二の都市であるモントリオールを有するケベック州
    では、約53.9%が、フランス語を話すが、全ての方向を英語話者らによって囲まれて
    いるため、約4割がバイリンガルとなっており、バイリンガル率がカナダの中で最も高い。

    ケベック州は、カナダ連邦の中でも唯一、フランス語のみを公用語としているが、その
    面積は、カナダの約4分の1を占めており、英語話者に対しても、かなり敵対意識が高い。



    この他にも、カナダは、多民族国家、移民国家であるため、公用語以外の言語が
    日常的に使用されている。 例えば、家庭言語として、英語、フランス語に次いで最も
    多く話されているのは、約2.6%=76万人の話者を抱えている、中国語(広東語)である。
    その次に、インドやパクスタンで話されている、パンジャビ語が、約0.8%=約27万人を
    占めている。

    更に、カナダの多様化に拍車を掛けているのが、アラビア語話者の急激な増加で、
    約0.5%の14万4,000人となっている。 この他にも、近年は、アジアからの移民が
    増加しており、カナダでは、言語の多様化が進んでいる。 世界一の移民都市である
    トロントでは、地下鉄やバスに乗っていても、見渡す限り移民ばかりが乗っているため、
    通常、英語などでは喋っていない事の方が圧倒的に多いのだが、例え英語や
    フランス語で話していなくとも、お互いに理解する努力さえ惜しまなければ、世界中
    どこに行っても、誰とでも仲良くなれるため、カナダでは、積極性が非常に重要となる。

    【お勧めの一冊】


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