イギリスとアイルランドの間で争われて来た北アイルランド紛争は、2010年に
司法、警察権がイギリスから北アイルランド自治政府に完全移行したことで、
1998年に結ばれた和平合意の主目的だった住民自治が完成した。 30年近くに
渡るプロテスタント系とカトリック系住民同士の対立で、3,500人もの人々が
テロの犠牲になった紛争も、これでようやく終章を迎えたことになる。

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背景には、アメリカで起こった9.11テロ事件で深まったキリスト教対イスラム教
という『文明の対立』論争が、イギリス、アイルランドの双方に、テロは絶対悪
だと思わせる効果を生んだことがあるとも言われている。

北アイルランド紛争は、民族、宗教、領土という3つの要素が絡んでいた。
そもそも、イギリスによるアイルランドの植民地化が進んだのは、12世紀に
ローマ法王がイギリスのヘンリー2世にアイルランドの領有権を与えることに
始まる。

時代と共に、プロテスタント系の移民が急増し、アイルランドに古くから住む
カトリック系住民と対立。 18世紀になると、イギリスに対するアイルランド人の
武装蜂起が頻発したが、全て鎮圧されてしまう。 19世紀半ばの大飢餓では、
人口の60%に当たる500万人もが祖国を見限って、アメリカやカナダへ移住して
行った。

第一次世界大戦終了後の1922年、アイルランドは、自治権を獲得したが、
プロテスタント系の多い北部地域をイギリス領として残したことが火種となった。
1949年、アイルランド共和国が誕生したが、この時も北部はイギリス領のまま
だった。 危機感を抱いたのは北部に残された少数派のカトリック系住民だった。
彼らは、イギリス自治権を要求したが、これを押し潰そうとする多数派の
プロテスタント系住民と衝突した。

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1969年になると、イギリスが北アイルランドに軍隊を投入、直接統治を始めた
ことに反発したカトリック系住民が『IRA(アイルランド共和国軍)』という
武力組織を結成、イギリスに対するテロ活動を活発化させた。 IRAは、テロ集団
だとするイギリスと、イギリス軍が撤退しない限り闘争を止めないとするIRAの
間で、一切の妥協はなく、犠牲者の数だけ増えて行った。 和平合意がなった
とは言え、北アイルランドは紛争では、被害者が出なかった家族はないと言われる
程癒しがたい傷を残した。

住民達は今でも街を流れるフォイル川を挟んで、別々に暮らすなど、対立が生んだ
亀裂も深く、本当の和解への道のりはまだこれからとなっている。

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