スペイン自治州のひとつであるバスクは、フランスとの国境ピレネー山脈の
西側に位置し、北は大西洋ビスケー湾に面している州である。 一般にバスクと
呼ばれる地域は、現存する他の言語と明確な関係性を持たない、いわゆる孤立した
言語とされるバスク語を話し、かつ固有な文化を持つ民族が住んでいるという
意味で、スペイン自治州だけではなく、国境を挟んだフランス側を含めて指す。

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バスク人は、ヨーロッパ言語やインド言語を話す民族がヨーロッパ大陸に進出
する以前から 、この地方に住んでいた。 ことに民族衣装の一部として使われ、
第二次世界大戦頃からは、軍部に普及し、今では、世界各国の軍隊において広く
用いられるようになったベレー帽は、このバスクが発祥の地である。

19世紀の産業革命以降、この地で産出される鉄鉱石により、バスク地方の
ビルバオは早い時期から重工業地帯として発展した。 これは、同時に雇用の
拡大を促したが、バスク人以外の民族が大量に流入することで、バスク固有の
文化や伝統が破壊されることを恐れるバスク人の民族運動に火を付けること
にもなった。

固有の言語、固有の文化を持って来たバスクに自治政府が生まれたのは、1936年に
起こったスペイン内乱が切っ掛けだった。 だが、ナチス、ドイツ、イタリアに
支持されたフランコを指導者とする反乱軍に破れ、自治権獲得どころか、地方議会
第一党だった穏健政党の国民党の解体、更には、バスク語までもが禁止されるなど、
厳しい弾圧を受けた。

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斧にとぐろを巻くへびをシンボルにしたバスク分離独立派の組織ETA(バスク
祖国と自由)は、1959年にこのような弾圧の中から生まれた。 彼らは、バスク
国民党から分かれた武装過激派組織で、スペインやフランスからの分離独立を
目的とする。 1973年には、マドリードで、フランコの継承者であり、当時の
首相だったルイス・カレロ・ブランコの車を爆破し殺害するなど、テロ組織
として成長を始めた。 以来彼らは、分離独立に反対する政府関係者や軍、
警察関係者、ジャーナリスト、知識人などへのテロ行為はやむを得ないとした。

ETAの資金源は、誘拐、強盗、ゆすり、武器取引、それに、強制的な税の徴収
である。 特に、『革命税』は、有名人や企業、商店から徴収するもので、
従わない企業には、爆破テロや社員誘拐で対抗するなど、相当荒っぽいものと
なっている。 1960年代からこれまで標的とされ、殺害された人は、800人を超す。

独特の文化を背景にバスクの独立を求める動きに対する同情や理解は、フランコ
独裁が続いた1975年頃まではあった。 しかし、それ以降は、無差別テロを繰り
返すETAに対して反対デモが全土に広がった。 孤立化したETAは、1998年には、
一旦無期限停戦を宣言したものの、翌1999年には、一方的にこれを破棄、政治家、
軍人、ジャーナリストなどを標的にしたテロ活動を再開して、40人以上を殺害した。

21世紀に入っても、2006年には、マドリードのバラハス国際空港での爆破テロ
事件、2007年には、フランスで、スペイン治安部隊員を射殺、2009年には、
マジョルカ島で車を爆発させ、警備隊員2人を死亡させるなどの事件を起こして
いる。

2010年9月、ETAはビデオで声明を出し、武装闘争の停止を決めたと発表した。
声明によると、スペイン政府と和平交渉再開の用意があると述べたとされる。
スペイン政府の当局者は、事態打開への一歩前進だが、恒久的な武装解除が示されて
いないとして、慎重な姿勢を崩さないという。 ETAがテロ活動に完全に終止符を
打つのは難しいだろうという懐疑的な意見がまだ多い。

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