アイヌ文化体験のため、日高地方にある二風谷を訪れた。 新千歳空港に
降り立ってから、まず最初に向かったのは、すぐそばにあるウトナイ湖。
8月下旬なのに、ウトナイ湖には既に白鳥が飛来しており、夜は10度位まで
気温が下がっていて、完全に秋であった。
【白老ポロトコタン】
気温が下がっていて、完全に秋であった。
【白老ポロトコタン】
胆振地方の中心地は室蘭なのだが、鉄の街はどこも地盤沈下が激しく、室蘭を
抜いて、苫小牧が胆振地方では最大の街。 港湾を中心とした工業地帯で
あるため、街中には煙突が数多く建ち並んでいる。
札幌は常に人口増加率では全国でも1、2を争うぐらいの伸び率を示しているが、
北海道全体で見ると、徐々に人口が減少している。 北海道で人口が増えて
いるのは、札幌と苫小牧と帯広ぐらいで、それ以外の地域は、人口の減少が
著しく、離農をした農家がほぼ全員札幌へと集まって来るため、札幌は常に
人口が増加している。
無料の日高自動車道を利用して、胆振地方から日高地方へと移動。 二風谷を
抜いて、苫小牧が胆振地方では最大の街。 港湾を中心とした工業地帯で
あるため、街中には煙突が数多く建ち並んでいる。
札幌は常に人口増加率では全国でも1、2を争うぐらいの伸び率を示しているが、
北海道全体で見ると、徐々に人口が減少している。 北海道で人口が増えて
いるのは、札幌と苫小牧と帯広ぐらいで、それ以外の地域は、人口の減少が
著しく、離農をした農家がほぼ全員札幌へと集まって来るため、札幌は常に
人口が増加している。
【苫小牧】
無料の日高自動車道を利用して、胆振地方から日高地方へと移動。 二風谷を
訪れた8/24(日)は、たまたま、舟おろしのお祭り『チプサンケ』の開催日だった。
『チプサンケ』とは、丸太舟を造って、川を下るお祭りなのだが、船の転覆が
続出しており、乗船前に川に落ちても全て『自己責任』でお願い致しますという
念書まで書かされた。 しかも、川下りであるため、同じ場所には戻っては来ない
という理由により、持参したデジカメやスマホ等の荷物を一切預かっては
くれないため、この行事は、舟が沈没するかどうかは、一か八かの賭けとも言える。
『チプサンケ』とは、丸太舟を造って、川を下るお祭りなのだが、船の転覆が
続出しており、乗船前に川に落ちても全て『自己責任』でお願い致しますという
念書まで書かされた。 しかも、川下りであるため、同じ場所には戻っては来ない
という理由により、持参したデジカメやスマホ等の荷物を一切預かっては
くれないため、この行事は、舟が沈没するかどうかは、一か八かの賭けとも言える。
二風谷は、同じアイヌ人居住区域の白老と共に、元々は仙台藩士が開拓した
土地である。 仙台藩は元々、外様大名としては、最大規模の経済力を持って
いたため、江戸幕府から再三お家取り潰しの嫌がらせを受けたのだが、幕末には、
広大な蝦夷地の開拓を無理やり押し付けられ、後に、それが仇となり、戊辰戦争で
負ける切っ掛けとなったとも言われている。
実は、仙台藩が開拓した場所は、戊辰戦争で逆賊として負けた見せしめとして、
開拓しても全く意味のない場所ばかり明治政府から与えられた。 最も酷い扱いを
受けたのは、亘理伊達家で、老若男女武士一般人を問わず、1人残らず、全員
蝦夷地の開拓をさせられたため、開拓の印として『伊達市』となったもの。
戊辰戦争では、会津ばかりが注目されるが、最も領地を召し上げられて、
明治政府から最も酷い扱いを受けたのは、実は仙台藩である。
土地である。 仙台藩は元々、外様大名としては、最大規模の経済力を持って
いたため、江戸幕府から再三お家取り潰しの嫌がらせを受けたのだが、幕末には、
広大な蝦夷地の開拓を無理やり押し付けられ、後に、それが仇となり、戊辰戦争で
負ける切っ掛けとなったとも言われている。
実は、仙台藩が開拓した場所は、戊辰戦争で逆賊として負けた見せしめとして、
開拓しても全く意味のない場所ばかり明治政府から与えられた。 最も酷い扱いを
受けたのは、亘理伊達家で、老若男女武士一般人を問わず、1人残らず、全員
蝦夷地の開拓をさせられたため、開拓の印として『伊達市』となったもの。
戊辰戦争では、会津ばかりが注目されるが、最も領地を召し上げられて、
明治政府から最も酷い扱いを受けたのは、実は仙台藩である。
【二風谷】
アイヌ人は、北海道全体で見ても、数千人程度しか居ないとも言われていますが、
差別を恐れて、アイヌ人とは言わない人が多く、和人との混血が進み過ぎており、
既に、見た目的には判断出来ない人が多くなっているため、正確な数は分かっては
いない。
アイヌ人であったとしても、アイヌ語を自由に喋れるのは、高齢者しかおらず、
この施設内に居たアイヌ人の方に、日本語とアイヌ語は、どちらが難しいですか?
と訊いたところ、アイヌ語の方が難しく、普段は全く使っていないと言っていた。
アイヌ語は、消滅危機言語の中でも、『極めて深刻』と判定されており、ロシア側の
サハリンと千島列島のアイヌ語は、既に消滅している。
この施設内に居たアイヌ人の方に、日本語とアイヌ語は、どちらが難しいですか?
と訊いたところ、アイヌ語の方が難しく、普段は全く使っていないと言っていた。
アイヌ語は、消滅危機言語の中でも、『極めて深刻』と判定されており、ロシア側の
サハリンと千島列島のアイヌ語は、既に消滅している。
【チプサンケ】
この日は、アイヌ模様の木彫り体験と、アイヌ語の語り部であるユカラを聞いた
のだが、ユカラとは、アイヌ語で『叙事詩』を意味している。 この日語り部を
していた方は、50歳を過ぎてからアイヌ語教室でアイヌ語を学んだそうで、
それまでは、父親の方針で、家庭内ではアイヌ語を決して使わず、アイヌ人の
知り合いが来ても、家の隅で聞かれないようにアイヌ語を使っていたため、
アイヌ語には、全く触れずに育ったとのこと。
このため、アイヌ民族は、バカにされるだけの存在だとずっと思っていたそうだが、
アイヌ語を学ぶうちに、アイヌ民族は、決してバカではないことに気付いたとか。
アイヌ語ネイティブは、基本的に90歳を越えているらしい。
のだが、ユカラとは、アイヌ語で『叙事詩』を意味している。 この日語り部を
していた方は、50歳を過ぎてからアイヌ語教室でアイヌ語を学んだそうで、
それまでは、父親の方針で、家庭内ではアイヌ語を決して使わず、アイヌ人の
知り合いが来ても、家の隅で聞かれないようにアイヌ語を使っていたため、
アイヌ語には、全く触れずに育ったとのこと。
このため、アイヌ民族は、バカにされるだけの存在だとずっと思っていたそうだが、
アイヌ語を学ぶうちに、アイヌ民族は、決してバカではないことに気付いたとか。
アイヌ語ネイティブは、基本的に90歳を越えているらしい。