東京通詞 ~多言語のススメ~

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    タグ:聖ワシリー寺院

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    カリーニングラード・フラブロヴォ空港からモスクワ・シェレメチェヴォ
    空港へは、約2時間のフライト+1時間の時差があるため、モスクワ到着が、
    夜中の11時30分過ぎとなり、アエロエクスプレスは午前0時30分が最終列車で
    あるため、タクシーに乗車した。

    【夜中のタクシー乗車時の注意点】
    空港内には、客引きが多数おり、ここで値段交渉をしなければならないのだが、
    空港内の客引きは、既に定価を示すボードを所持しており、当初の値段よりは
    1,000ルーブル値下げして貰ったものの、シェレメチェヴォ空港からタクシーで
    40分程度のベラルーシ駅前にあるホテルまで、4,000ルーブル(約7,000円)も
    取られる結果となった。

    それまでは、何度タクシーに乗っても、大体250ルーブルとか、ワールドカップで
    大渋滞であったカリーニングラード市内ですら、最高で1,000ルーブルまでしか
    請求されなかったのだが、ここ首都モスクワでは、物価が地方とはまるで違う。
    モスクワは、収入に対する物価の高さが世界一の都市であるため、夜中に
    タクシーに乗るのは止めた方が無難。

    【空港からモスクワ市内へ】
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    この日は、ベラルーシ駅前のホテルに宿泊したため、まずは、ベラルーシ駅に移動。
    モスクワのホテルは、どこも高いのだが、今回の旅行で最も高い値段であった
    ホテルは、一番ボロボロで冷房も付いていなかった。

    その後、世界一美しいと言われているモスクワの地下鉄で中心部へと移動。
    モスクワの地下鉄は、有事の際には、核シェルターとなるため、地下4階以上の
    浅い部分は一切通らず、そのため、エスカレーターが異様に長いのが特徴。
    但し、日本のエスカレーターの様に、とんでもなく遅い物はひとつもなく、
    日本の3倍以上の超高速運転をしているため、初めてモスクワを訪れた場合は、
    度肝を抜かれて、なかなかロシアのエスカレーターには乗れない。

    【ボリショイ劇場付近】
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    地上に出ると、すぐ目の前には、ボリショイ劇場と、カール・マルクスの像が
    あった。 社会主義の生みの父であるカール・マルクスが語った最も有名な言葉は
    『全世界の労働者階級たちよ団結せよ!』で、この言葉は、旧ソ連邦の象徴である
    エンブレムにも、15共和国全ての言語で書かれていた。

    29年前は、モスクワに留学をしていたのだが、それ以来、丸29年ぶりに
    ツムデパートへ。 当時は、ソ連末期であったため、深刻な物不足で、
    ろくな物が売っていなかったのだが、29年の時を経て、三越もビックリの
    超高級デパートへと大変貌を遂げていた。 昔は、マルボロとかグラビア雑誌が
    賄賂の代わりだったのだが、今では、その賄賂も物価上昇により、とんでもない
    値段となっておりますw

    【赤の広場】
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    さて、ここからが、モスクワ観光のハイライト☆ 市の中心部にある赤の広場へと
    入ります♪ ワールドカップ開催期間中のため、荷物の持込が規制され、トランクを
    持っては中に入れなかった。 ロシアの建物は、非常に大きいため、見えてからが
    遠く、基本的に、凄まじく歩くこととなるのだが、ロシア人の主な趣味は『散歩』
    なので、数キロ程度であれば、普通に皆歩いております。

    モスクワ中心部の赤の広場~グム百貨店~レーニン廟~聖ワシリー寺院付近。
    クレムリン宮殿の中にも入る予定であったが、ワールドカップ開催期間中の
    ため、警備が非常に厳しく断念。 クレムリン宮殿は、ロシアの政治の中心地で
    あるばかりではなく、モスクワ観光の目玉でもあります。

    クレムリンへの入り口、スパスカヤ塔(一般人はここからクレムリン内へは
    入れない)とグム百貨店とその内部。 グム百貨店へ入るためには、赤の広場
    手前の検問と、グム百貨店手前にある入り口で再度検問を受けなければなら
    なかった。『グム』とは、『国営百貨店』の意味で、カタカナで表記すると、
    『ゴスダールストヴェンヌィー・ウニヴェルサーリヌィー・マガジン』の
    頭文字を取った省略形。

    【モスクワ市内から空港へ】
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    毎時定時に衛兵交代が行われる、『無名戦士の墓』。 無名戦士の墓とは、歴史を
    通して起きた戦争で戦死し、かつ身元が分からない兵士の遺骨を埋葬、または、
    納めた墓。 遺骨は無く、遺品を納めたり、英霊として葬り、祀る墓もある。
    モスクワの無名戦士の墓は、独ソ戦で亡くなった英霊を祭っており、永遠に消えない
    『炎』が燃えている。 また、このお墓には『君の名は分からないが、君の偉業は
    死なない』と記されている。

    【お勧めの一冊】


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    赤の広場に立つ旅行者の目をまず引き付けるのは、クレムリンの壁やグム・
    デパートではなくて広場の南側に立つ聖ワシリー大聖堂の特異な姿であろう。
    あの玉ねぎ型の屋根の群れ、それぞれの大胆なデザインと鮮やかな色彩の
    取り合わせは、一度見たら忘れることの出来ない強烈な印象を与える。

    この大聖堂は、ロシアによるカザン・ハン国に対する勝利を記念して1555年
    から61年に掛けて建立された。 カザンを征服してモスクワに凱旋した時の
    ツァーリは、まだ22歳のイワン4世だった。 建築を担当したのは、バルマと
    ポスニクという2人のロシア人である(同一人物とする説もある)。

    元々、対カザン戦争の勝利にちなむ8つの聖堂をひとつの大聖堂にまとめる
    という課題を果たすために、8基の祭壇と円屋根を設ける必要があった。
    そのうち、半分の4基は、大きな円屋根で、他の半分は、それぞれ多少とも
    小さめに造られた。 キリストを称えるという趣旨から、中央にひときわ高く
    テント型の屋根をそびえさせ、その頂上には、小ぶりのドームが付けられた。

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    変わっているのは、それをそれぞれの円屋根の形が、たまねぎ型に統一
    されているものの、全部異なった意匠が施され、色合いも様々なことである。
    構成上の調和は全く無視されている。 勝利の日が10月だったことから、
    この大聖堂は、ポクロフスキーと命名された(旧暦の10月1日がポクロフ=
    聖母庇護祭にあたる)。 もうひとつ怪奇なことは、この大聖堂が落成して
    献堂式を拳行して間もない1558年、癒癩行者として知られたワシリーが
    聖者の列に加えられたのを記念して、堂内の祭壇に祀られた途端に、
    ポクロフスキーという正式な名称を忘れられ、福者(ブラジェンヌィー、
    聖者の位のひとつ)ワシリーと呼ばれるようになったことである。

    癒癩行者は、東方正教会に特有な現象で、狂気のふりをして(あるいは、実際に
    狂気に侵されて)社会通念に反するような奇行を演じたり、奇言を吐いたりする
    者のことである。その中で特に正教会では、聖者と認定していた。

    16世紀の末、モスクワのイギリス商館にフレッチャーという人物が勤務して
    いたが、彼は、その著作の中で次のようにワシリーの噂を伝えている。
    『ロシアにはある種の世捨て人が居て一枚の布切れを腰に巻いている他、裸で
    歩き回っている。 髪の毛は長く垂れて、肩の周りを覆っている。 冬の最中
    にも鉄の首輪や鎖を巻いている者も居る・・・そのうちのひとりバジレオ
    (ワシリーのこと)は、先帝イワン4世が人民に対して残虐な圧政を加え続けた
    ことを絶えず非難していた』。

    イワン雷帝のような専制君主を公然と批判するような行為は、癒癩行者にしか
    許されなかったであろう。 その雷帝が1584年に他界したところから、今は
    亡きワシリーが時代の英雄として担ぎ出されたのに違いない。

    聖ワシリー大聖堂と向かい合って赤の広場の反対側に立っているのが、国立
    歴史博物館である。 中世ロシアの伝統的な建築様式で建てられ、クレムリンに
    調和するように赤レンガで積み上げられている。 ただ、中央の主屋の台形の
    屋根やいくつかのテント型の塔の屋根をはじめ、全ての翼の尖った屋根が純白に
    塗られている。 それが、いかにもパンケーキの上に粉砂糖をふりかけたような
    メルヘン的な印象を与える。

    こちらは、比較的新しく19世紀の70~80年代に建てられたものであるが、
    赤の広場に良く似合っている。 行政上、この歴史博物館のアドレス表示は、
    赤の広場1番地であり、聖ワシリー大聖堂は、この博物館の分館のひとつと
    なっている。

    【お勧めの一冊】


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