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    タグ:義捐金

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    東日本大震災後における、各国から日本赤十字社に寄せられた義援金の金額。
    米国、台湾からの義援金は、共に29億円を超えた。 その一方で、最貧国
    30カ国からも支援があった。 全体では、179の国と地域から、合計で227億円に
    上る義援金が集められた。 国連が認定する後発開発途上国49カ国のうち、
    30カ国からも計約6億円が集まった。

    『最貧国』と呼ばれている国々からも、多くの義援金が寄せられ、
    バングラデシュから1.6億円、アフガニスタンから1億円が集まり、ブータンと
    東ティモールからも9千万円を超えた。 最貧国からの義損金の背景について、
    日赤は『日本からの途上国援助(ODA)や過去の自然災害支援への感謝もある
    のではないか』と説明している。

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    現地の日本人による支援も含まれるかも知れないという。 海外からの義援金は
    国内で集まった分と共に、被災した15都道県に配分されている。 今回日赤が
    集計した義損金は、自治体を通じて被災者の支援に充てられるもので、日赤の
    活動に充てられる義損金とは異なる。

    日本は、台湾との国交はないものの、震災追悼式に参加した台湾からの代表を他国と
    同様に扱った。 中国からの義援金は、約9億円で5位。 但し、香港と合わせると、
    約16億円で、タイに次ぎ4位となる。 日本から最も近い隣国である、韓国と
    ロシアがトップ20には入っていないが、常に差別発言ばかりを繰り返していると、
    いざという時に、さほど助けては貰えないという現実を如実に表している。

    そもそも、『義援金』とは、何らかの支援をするために寄付をする金銭のこと。
    特に、地震などで被災した人々や地域を援助するための寄付金の事を指し、
    『義捐金』とも書く。 近年では、福祉団体や公的機関などを名乗り、義援金を
    騙し取ろうとする『義援金詐欺』と疑われる事例の情報が寄せられているため、
    義援金は、募っている団体等の活動状況や使途をよく確認し、納得した上で寄付
    した方が無難。 義援金は、被災地に届いてこそ、義援金なのであって、その
    流通経路でピンはねをされるために寄付をしている訳ではない。 日本国内で
    集められた義援金は、これまでにも、かなりの額が、その流通経路で消えている。

    このような事例を未然に防ぐという意味でも、国民ひとりひとりが意識を持ち、
    単に寄付をしただけで終わりにはせずに、被災者に義援金が確かに届いたのかを
    監視するシステムが早急に必要。 最近では、財布を路上で落としたとしても、
    ほぼ見つかる可能性はないが、そのようなことを考えても、お金の流れには、
    それなりの注意が必要。

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    東日本大震災における被災地には、今後の復興事業を円滑に行うための国費が
    投入されていますが、その被災地における『恩恵』の多くは、今でも手付かずのまま、
    そのまま眠っています。 被災地には、この『恩恵』以外にも、義捐金がまともには
    届きませんでした。 石巻市内で、運良く義捐金を貰えたのは、沿岸部の極一部の
    人たちだけ。 私の母親の実家は、石巻市中心部(沿岸部)から約10キロ離れた
    石巻市内にありますが、義捐金の支給対象地域からは、外されました。 私の実家が
    ある美里町自体も、石巻市中心部からは、15キロ程度しか離れておりませんが、
    状況は完全に同じです。

    11年前の『宮城県連続地震』の際には、震源地から、わずか3キロしか離れていなかった
    私の実家付近が最大の被災地だったのですが、激しい地震による揺れで、周辺一帯
    全ての家屋が、全半壊し、地面は液状化現象を起こしていたのにも関わらず、人口が
    少ないという安易な理由により、『被災地指定』すら外され、義捐金以前に、一切何の
    補償金すら貰えませんでした。 最大の被災地と言えども、被災地指定を外されたため、
    地震で倒壊した瓦礫の処理は、当然全て自腹でした。 東北の家屋は、比較的大きい
    家屋が多いため、瓦礫の処理には、1軒に付き、最低でも、60~200万円程度掛りました。

    すぐ近所にある小学校の校庭には、2年間だけ、仮設住宅がありましたが、丸2年を
    経過した時点で、全員そこからは出されました。 その後、私の実家付近からは、
    約2,000人の人たちが行くあてもない状態で出て行きました。 今でも皆どこに行った
    のかすら分かりません。 自腹で瓦礫を処理するだけで、預金を使い果たし、家を新築
    するだけの資金的な余裕がなかった人たちは、11年経過した今でも、戻って来ては
    おりません。 それでも、見た目上は、崩れた家屋もなくなり、新築の家が増えましたが、
    空き地だらけで、復興したのかすら分からない状態です。 震度6強前後の地震が
    立て続けに3回も襲ったため、付近には、瓦屋根やブロック塀は、ほぼありません。
    すぐ隣にある石巻でも、約2万人前後の人たちが、東日本大震災での震災後、町から
    出て行ったと言われています。
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    東電による原発事故の補償対象となった福島県の場合は、補償金の対象となりましたが、
    福島を除いて、最も福島第一原発から至近距離にある宮城県の場合は、県最南端の
    丸森町だけが、福島県の半額の補償金を貰えただけで、それ以外は、一切何の補償
    すらされておりません。 尚、丸森町の場合は、最南端部分が、原発からは、45キロしか
    離れておらず、約60キロ離れた福島市よりも、至近距離となっています。 私の友人は、
    原発から、約60キロ離れた宮城県側に住んでいますが、特に何の補償も貰ってはおりません。

    義捐金を取り巻く環境は、殆ど全てが任意で管理されているため、その流通経路の途中で、
    実は、かなりの金額が消え失せています。 とあるNPO法人の話では、義捐金の約1割だけ
    寄付すれば、特にお咎めはないとの話でした。 この義捐金の問題は、阪神淡路大震災の
    時にも問題になりましたが、その後、特に変更される事もなく、現在に至っています。
    一部の都市伝説などでは、被災地には、略奪や犯罪などなかった事になっておりますが、
    それは、ウソで、このように、何をしても何もかも『きれいごと』で済まされる社会を変えない
    限り、今後も被災地を食い物にした、このような状況は、一向に改善せず、『明日は我が身』
    という問題意識を常に持って生きていないと、何もかもなかった事として、闇に葬り去られて
    しまいます。

    被災住民に届かぬ3兆円の恩恵




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    私の実家がある宮城県美里町は、11年前の『宮城県連続地震』の際に、
    周辺地域全てが倒壊し、震度6強連続4回という史上最大の被災地だった
    のにも関わらず、被災地指定からは外され、周辺からボランティアがやって
    来たのは、ものの数ヶ月程度であった。 人口が少ないという安易な理由
    により、被災地指定を外されたため、当然、義捐金は一切届かなかった。

    >>宮城県北部連続地震と美里町

    周り全ての家屋が倒壊したとしても、結局は、倒壊家屋の件数だけで判断
    されてしまうため、人口が少ない自治体は、、おちおち被災すら出来ない。
    すぐ近所の小学校には、2年間だけ、仮設住宅があったのだが、丸2年間が
    経過した時点で、強制的に撤去されたため、自宅の再建が叶わなかった
    人たちは、皆町からは出て行った。

    当時は、まだ南郷町という名前の自治体であったのだが、この時に地震の
    影響なのか、すぐ隣の小牛田町と合併をして、これまでの地名とは一切縁も
    ゆかりもない美里町という名前になった。

    >>市町村合併

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    当時は、私の実家にも『倒壊判定』の赤紙が張られたのだが、私の母親は、
    避難所には一切行かず、自宅で過ごした。 避難所に行くと、食事が貰えた
    のだが、それすら貰わなかった。 その後の余震は、半年以上も続いたため、
    常に家屋が倒壊する危険性があったのだが、そのまま家に留まった。

    被災時に、被災地指定から外されてしまうと、どうなるかと言うと、倒壊家屋の
    瓦礫処理が、全て自腹となりるため、私達の場合は、瓦礫処理代として、家屋
    1軒につき、60万~200万円程度の支払いが必要だった。 隣近所全ての家屋が
    無くなったのだが、それでも被災地指定からは外されたため、特別税制優遇
    として、被災したその年だけ、年間で1,000円が免除された。 すぐ近所にある
    神社とお寺も倒壊したため、檀家代として、5年間もの長きに渡り、毎年5万円
    づつの寄付を取られた。 近所にある小学校と中学校に対しても、寄付を取られ
    たが、その見返りとして貰ったものは、タオル1枚だけ。

    >>被災から4年が経過した石巻の状況

    その際に、すぐ隣の自治体である石巻は、全く無事だった。 より正確に言うと、
    旧河南町の部分だけ被災し、その他、旧来の石巻市内は無事だった。 相当
    大規模な地震が連続で起きた割には、死者が1人も出なかったため、その後は、
    全て忘れ去られた。

    東日本大震災のように、大量に死者を出して、3年半以上経過しても、未だ
    忘れられないのと、家が地震災害で無くなったとしも、ものの数ヶ月間だけで
    忘れ去られるのとでは、どちらがましなのかと、常々考えているのだが、石巻の
    人たちに、この事を言っても、当時の事を殆ど覚えてはいないため、如何に人事
    としてこちらの災害を捉えていたかが良く分かる。

    こちらもすぐお隣の自治体である、東松島市と松島町は、この時に美里町と
    一緒に被災したため、当時の状況を良く覚えているのだが、こちら側と石巻との
    関係が完全に溝になっている事を知っているのは、地元以外の人間では居ないと
    思う。

    >>【4年経過した】東松島市野蒜地区の被災状況

    石巻の人たちは、自分たちが一番不幸だと常々言っているが、それでは、完全に
    見捨てられた我々はどうなるのかと、言い返してやると、何も答えられないのは
    何故なのだろう。

    宮城県連続地震の際の災害が縁となって、現在、美里町と東松島市は、災害協定を
    結んでいるのだが、東日本大震災が発生した際には、美里町も被災地に指定された
    ものの、被災地の中では最も被災度合いがましであったため、真っ先に東松島市の
    救援活動に入ったのだが、災害後に設置されていた美里町内の東松島市の仮設住宅は、
    災害から丸三年を経て、全て撤去された。

    >>東北電力女川原発

    美里町は、東北電力女川原発の30キロ圏内に一部入るのだが、その場所は、私の
    祖父の実家がある場所で、私の実家自体は、原発からは、ギリギリ30キロ圏外の
    32キロの場所にある。 女川原発自体も、福島第一原発同様、地震により、
    非常用電源回路が消失したため、爆発し掛けたのだが、日本の中央メディアは、
    その事を一切報道しなかった。

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    私の実家は、11年前の宮城県連続地震の際に、周辺地域全てが倒壊し、震度6強
    連続4回という史上最大の被災地だったのにも関わらず、被災地指定を外され、
    ボランティアがやって来たのは、ものの数ヶ月程度。 人口が少ないという安易な
    理由により、被災地指定を外されたため、当然、義捐金は一切届きませんでした。
    周りの全ての家屋が倒壊しても、結局は、倒壊家屋の件数だけで判断されてしまうため、
    団体様でなければ、日本では、被災も出来ません。

    すぐ近所の小学校には、2年間だけ、仮設住宅がありましたが、丸2年間で強制的に
    撤去されたため、家の再建が出来なかった人たちは、皆町から出て行きました。
    私の実家にも『倒壊判定』の赤紙が張られましたが、私の母親は、避難所には一切
    行かず、自宅で過ごしました。 避難所に行くと、食事が貰えたのですが、それすら
    貰いませんでした。

    その後の余震は、半年以上も続いたため、常に家屋が倒壊する危険性がありましたが、
    そのまま家に残りました。 災害時に、被災地指定から外されると、どうなるかと言うと、
    倒壊家屋の瓦礫処理が、全て自腹となります。 よって、私達の場合は、瓦礫処理代
    として、1件につき、60万~200万円程度それぞれ支払いました。

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    近所の神社とお寺も倒壊したため、檀家代として、5年間、毎年5万円づつの寄付を
    取られました。 小学校と中学校に対しても、寄付を取られましたが、その見返りとして
    貰ったものは、タオル1枚だけ。 その時に、すぐ隣の石巻は、全く無事でした。

    大規模な地震が連続であった割には、死者は1人も出なかったため、その後は、全て
    忘れ去られました。 大量に死者を出して、4年半以上経過しても、未だ忘れられないのと、
    家が無くなっても、ものの数ヶ月間だけで忘れ去られるのとでは、どちらがましなのかと、
    常々考えていますが、石巻の人たちに、この事を言っても、殆ど覚えてはいないため、
    如何に人事としてこちらの災害を捉えていたかが良く分かります。

    東松島と松島は、この時にこちらと一緒に被災したため、当時の状況を良く覚えて
    いるのですが、こちら側と石巻との関係が完全に溝になっているのを知っているのは、
    地元以外の人間では居ないと思います。 石巻の人たちは、自分たちが一番不幸だと
    常々言っていますが、それでは、完全に見捨てられた我々はどうなるのかと、
    言い返してやると、何も答えられないのは何故。

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