東京通詞 ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:美里町

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    邦楽 に参加中!

    みちのくを活動拠点とし、和太鼓、篠笛、津軽三味線を用いて、伝統民謡などを現代風に
    アレンジした新世代4人組邦楽ユニット。 バンドでの演奏スタイルが特徴となっており、
    これまでに、日本全国のみならず、台湾、韓国、アメリカ等の海外でも公演活動を行って
    きた。

    希望の音 和太鼓とともに

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    現在の4期メンバーは、三浦公規、石田陽祐、千葉響の3名の和太鼓と、津軽三味線
    の高橋勇弥。 結成当初の初代メンバーから残っているのは、和太鼓の3名で、2005年の
    閃雷結成以来、数名のメンバーチェンジを行ってきた。



    東日本大震災以降は、ふるさと宮城を中心に、東北を支援する活動を積極的に行い、
    青いこいのぼりプロジェクト』では、全国から、青いこいのぼりを寄付して貰い、毎年、
    5月5日に東松島市内に青いこいのぼりを掲げ、犠牲になった子供達の鎮魂と、世界中の
    子供達の平和のシンボルとしている。

    瓦礫から再生した楽器を被災地に寄付する活動も行っており、これまでに、大太鼓5基を
    被災地に寄付している。



    2005年の結成以来、10周年を迎えた閃雷が、2015年12月6日(日)、結成の地である
    宮城県美里町文化会館にて、ツアーファイナルを行った。 本拠地なだけに、丸3時間の
    非常に見応えのあるライブでした♪ ライブの後は、恒例のサイン会o(^-^)o ロビーから
    客席に入ろうとしたところ、民謡歌手の庄司さんが突如現れたので、握手と記念撮影して
    頂きました♪ この場所には、云十年ぶりに入りましたが、中にある緞帳が大昔のままで、
    非常に懐かったです。 



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    被災地通信 に参加中!

    宮城県美里町は、12年前の「宮城県連続地震」の最大の被災地。 この付近を
    流れる鳴瀬川は、白鳥の越冬地としても有名で、冬になると、白鳥が大量に
    飛来する。

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    2003年7月26日、1週間も降り続いた長雨の直後に震度6強連続3回という地震が
    発生したため、この周辺は、液状化現象を起こして、概ね地盤沈下した。
    その際に、堤防も決壊し掛けたのだが、元々、この付近には、この堤防以外に
    高い場所が一切ないため、堤防が切れてしまうと、一巻の終わり。 先日の
    集中豪雨で堤防が決壊した大崎市の渋井川は、実は、この川の15キロ上流にある。



    但し、この堤防は、12年前の連続地震が起きた後に、丸2年間もの歳月を掛けて
    (一部の家屋は、別の場所へ移転)、堤防の厚さを3倍強に補強し、更に、昨年
    再度堤防を補強したため、このような頑丈な厚さの堤防となった。 砂利道の
    部分が、被災後に付け足した部分で、それ以前は、このサイクリングロード
    として舗装されている部分の厚さしかなかった。

    【3倍強の厚さに補強された堤防】
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    宮城県連続地震」が発生した際に、最も被害が酷かったのは、墓地付近で、
    概ね50センチ~1メートルほど、墓石が沈下した。 お寺と神社も完全に倒壊した
    ため、その後、5年間に渡り、それぞれ、年間で5万円づつ檀家料を徴収された。

    この付近だけは、人口が少ないという安易な理由により、被災地指定からも
    外されたため、瓦礫の処理は自腹だった。 町が瓦礫の処理の費用を半分負担
    したため、若干ましにはなったものの、それでも、東北の家屋は、全て大きいため、
    それぞれの家庭で、60万円~200万円程度の費用が掛かった。 その際に、税金を
    一部免除されたのだが、その金額は、何と1,000円。

    家を失い、住む場所すらなくなった人達に対する免除額が1,000円とは何とも
    情けない話し。

    美里町は、2016年1月で合併10周年なのだが、10年経過した今でも、ハッキリ
    言って小牛田と仲が悪いのは、その当時、小牛田が被災しなかったため。
    当時は、震度4強程度の揺れだったらしい。 よって、小牛田の人達は、この
    事実を覚えてはいない。

    この付近は、家屋がもれなく倒壊したため、田舎町なのに、新しい家屋だらけ
    なのだが、家を建てられなかった人達は、町から出て行ったため、その後、
    人口が劇減りした。 すぐ近所の小学校にあった仮設住宅は、2年キッカリで
    撤廃された。 東日本大震災では、東松島市の仮設住宅がその小学校のすぐ裏に
    建設されたのだが、そちらは、2015年の3月まで、丸3年間あった。 連続地震の
    すぐ後に、市町村合併の話が持ち上がったため、予算を使い果たした町には、
    既に合併を拒否出来るだけの力は残ってはいなかった。
     
    【復旧が完了した墓地と石巻から移転して来た工場】
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    この周辺は、市町村合併前までは、町の中心部だったのだが、合併後は、
    何もかも小牛田に持って行かれてしまったため、何もなくなった。 この
    付近の住民は、元々、小牛田方面へは行かないため、2015年の4月からは、
    バスすらなくなった。 バスの終点は、元々は、小牛田などではなく、涌谷
    だったのだが、市町村合併後に、強引にルートを変えられたもの。 

    この場所は、東北最大の海岸である野蒜からは、15キロ地点にあるのだが、
    東日本大震災が発生した際に、この川を伝って、津波が遡上して来たため、
    堤防内にあった木が殆どなくなった。 東日本大震災の際には、家屋の倒壊は
    1軒もなかった。 その理由は、倒れそうな家屋は、12年前に全て倒壊したため。
    美里町は、石巻からも至近距離にあるため、被災後は、石巻港から2つの工場が
    移転して来た。



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    3.11東日本大震災 に参加中!

    今回は、2003年7月26日に発生した『宮城県北部連続地震』の最大の被災地、
    宮城県美里町をレポート致します。 石巻の中心部からは、車で約20分程度、
    東松島市の中心部からは10分程度、大崎市との境界線付近の場所になります。
    この場所は、10年程前までは、南郷町という自治体だったのですが、隣町の
    小牛田町と合併をしてしまったため、町の名前が美里町へと変更されました。
    元々は町の中心部であったものの、市町村合併により、何もかも全て町の
    中心地である小牛田へと持って行かれてしまったため、今では、何もなくなり
    ました。

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    当時は、周辺全ての家屋が合計4回もの大規模な連続地震により、倒壊、または、
    半壊したのですが、それでも、人口が少ないという安易な理由により、被災地指定
    からは外されました。 よって、瓦礫の処理は自腹。 地震発生から数ヶ月以内で
    あれば、町がその費用の一部を負担するという話だったのですが、この周辺の
    家屋は、農家が多いため、非常に大きい家屋が多く、納屋や牛小屋等も付いて
    いるのが当たり前であるため、瓦礫処理の費用は、1軒に付き、最低でも60~
    200万円程度でした。 その当時も、災害義援金をあちらこちらで募集していた
    ものの、実際は、びた一文足りとも現地には届かず、仮設住宅も丸2年で撤去
    されてしまったため、瓦礫の処理だけで預金を使い果たした人達は、どこかへと
    引っ越して行ってしまいました。 よって、この周辺は空き地だらけ。

    この地区の特徴としては、地震が極端に多いため、その後ブロック塀や瓦屋根の
    再建を断念した家屋が殆どであるため、ブロック塀と瓦屋根が殆どないのが
    最大の特徴と言えるかも知れません。 また、余りにも地震が多過ぎるため、
    電柱が1本たりとも真っ直ぐには立っておりません。 現在、河川工事により、
    堤防の補強が行われておりますが、この付近は、堤防以外、坂道が一切ないため、
    この堤防が切れてしまうと、逃げる場所がありません。 よって、地域住民に
    とっては、この堤防が命綱となっています。

    元々町の中心部であったため、その昔、地方創生予算を利用して、このような
    取って付けたようなログハウスがあるのですが、一体こんな田んぼのド真ん中に
    誰が宿泊するものやら?と言いたくなるほど。 このログハウスのすぐ隣には、
    東松島市の仮設住宅が丸4年間もあったのですが、つい先日撤去されました。
    旧南郷町と旧矢本町、旧鳴瀬町(現在の東松島市)との間には、12年前の同じ
    被災地という理由により、災害協定が結ばれていたため、野蒜・宮戸地区の
    避難者たちは、このすぐ近所にある体育館に長期間避難をしていました。
    木の柵のようなものは、元々は、ブロック塀だった場所で、多い時には、体に
    感じない地震を含めると、1日に約300回程度もの地震が起こるため、この付近の
    住民は、震度5強程度であれば、特に話題にはしません。

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    ここからさほど遠くない場所には、町営施設である『花野果市場』があり、朝採れた
    ばかりの新鮮な野菜が、100円程度で手に入ります。 国道356号線沿いにあり、
    道の駅でもないのに、かなりの売上高を誇っております。 三陸自動車道の
    松島北インターチェンジからは車で15分で来る事が出来るため、日本三景松島で
    魚を購入した後は、美里まで足を運んでみては。 ここでは、1,000円もあれば、
    野菜、果物、花が、沢山購入出来ます。

    美里町のバラの生産は、30年ぐらい前から始まったものなのですが、その理由は、
    減反政策により、米が思うように作る事が出来ずに、休耕地が多かったため、
    その農地を転用したのが始まり。 国が押し進めた減反政策に従うと、余剰米の
    調整のために、米が思うように作れなくなるものの、その見返りは特にないため、
    遊休地をそのまま遊ばせて置くと、単なる税金の無駄使いとなるため、近所の農家
    同士が話し合い、バラの生産を始め、現在のバラの生産高は、東北1位となっています。

    また、この付近では、イチゴの生産が盛んに行われており、『仙台イチゴ』として
    出荷されています。 宮城県産イチゴのオリジナルのブランドは、『もういっこ』と
    なっており、『花野果市場』で販売して生産品は、全て付近の農家で生産したもの
    ばかりなので、地産地消の代表格となっております。

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    その他、美里町内には、『黄金澤』の酒蔵があり、市町村合併をする前までは、
    米の生産高が、宮城県内で第二位であったため、日本酒の製造も盛んです。
    ひとめぼれ、ササニシキ、まなむすめ、全て宮城県オリジナルの一等米となって
    います。

    鯨大和煮の缶詰は、被災後に石巻港から工場が移転して来たため、石巻産として
    販売をしている鯨の缶詰は、全て美里産となっております。 中に入っている野菜は、
    工場移転の際の美里町との協定により、全て美里産の野菜を使っております。
    尚、その移転してきた工場は、女川原発から30キロ圏内にあるため、実際に原発で
    事故が起きた際には、再度移転しなければならないでしょう。

    こちらの農家レストラン『はなやか亭』では、美里町の郷土料理、『すっぽこ汁』を
    堪能出来ますが、すっぽこ汁は、他地域では、『おくずがけ』と言い、法事の際の
    定番料理となっています。



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    被災地通信 に参加中!

    東北電力女川原発周辺にある5市町が、東北電力と安全協定を結ぶ事となった。
    これまでとの相違点としては、東日本大震災前までは、女川原発の立地自治体
    である、石巻市と女川町の了承さえ得られれば、原発の再稼動が可能だった
    ものが、今後は、周辺5市町全ての承諾がなければ、再稼動出来なくなった点。

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    これまで女川原発は、原発から5キロ圏内のみが避難区域として指定されていたが、
    被災後に、その避難区域が30キロ圏内へと拡大された。 女川原発は、東日本
    大震災で唯一、原発施設内が避難所となった場所で、最大で約364名程度が、
    原発内の体育館に3ヶ月以上も避難をしていた場所。

    女川に到達した津波の高さは、山間部が狭まったリアス式の海岸であるため、
    約25メートルとなっており、遡上高では、約43メートル。 これは、東日本
    大震災で押し寄せた津波の高さとしては最大で、震源地から最も近かったのも
    原発立地自治体である女川。

    死者・行く不明者の数で見ても、東日本大震災における最大の被災地は、女川で、
    住人の10人に1人以上が死亡した。 更には、4月7日に起きた余震では、5本あった
    非常用電源回路のうち、4本までが消失し、あわや、福島の二の舞だったのが
    女川原発。 そのような状況であったのにも関わらず、石巻市長、女川町長、
    宮城県知事は、相次いで女川原発を訪れ、二つ返事で再稼動容認の意向を示した。

    女川原発付近は、津波はもとより、世界でも指折りの地震群発地域であるため、
    この付近への原発の建設自体、かなり無理のある話。 震度5強程度の弱震で
    あれば、月に数回程度は起きる地域であるため、その度に、地元ではニュースにも
    取り上げられる。

    尚、女川原発30キロ圏内で、唯一死者・行方不明者が0名であった美里町では、
    町をあげて、女川原発の再稼動に反対をしており、町の施設の一部では、東北電力
    からの電力の供給を止めて、別の電力会社からの電力供給、或いは、ソーラー
    システムへの移行を行っている。 また、美里町では、町が独自でモニタリング
    ポストの設置を行っている。

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    美里町役場本庁舎前にあるモニタリングポスト

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    本日のお題は、『市町村合併』

    我が宮城県美里町は、当時の宮城県知事の掛け声の下、平成の大合併により、
    強引に誕生した町。 当初は、遠田郡全ての町である、涌谷町、小牛田町、田尻町、
    南郷町全てと、すぐ隣の旧志田郡全ての町である、鹿島台町、松山町、三本木町との
    合併を目指しましたが、旧志田郡全ての町が、大崎地区の中心地である、古川市との
    合併を選択。 同じ遠田郡内の田尻町も古川市との合併を選択し、その後、古川市は、
    意味不明な『大崎市』という名前になりました。

    最後に残った、涌谷町、小牛田町、南郷町との3町合併で、『遠田市』という市の名称
    まで決定していたものの、町の中心地をどこに置くかで、涌谷と小牛田が激しく対立
    した結果、その戦いに敗れた涌谷が合併協議からギリギリのところで離脱しました。
    結果として、仕方なく残りの2町だけ合併をする事になりましたが、この時点で、
    合併後の人口が28,000人余りしか居なかったため、市に昇格をするための条件である
    『人口3万人』を割り込んでしまい、市ではなく、町のまま留まる事になりました。

    合併後の名前を大々的に募集した結果、何故か非常に意味不明な『美里町』となりました。
    よって、地元では、今でも『美里』とは誰も言いません。 取って付けたような無理やり感
    満載の町の形。 そもそも、美里って何だよ?と言いたくなるような変な名前。
    小牛田町と南郷町が合併すると、何がどうなって美里町になるのかが疑問。 元々、
    5年以内に大崎市と合併をする計画であったため、誰も町の名前なんて気にも止めて
    いなかったのだが、8年以上も経過した今でも、そのままの状態。

    町の中心部である、小牛田への一極集中は、ますます増すばかり。 市町村合併で、
    良くなった点は、1つもなく、むしろ、悪くなる一方。 南郷地区は、元々、涌谷警察署
    管内であったため、運転免許を取る際には、すぐ隣の石巻運転免許センターへ行って
    いたのだが、市町村合併後は、100%古川管内である小牛田のお陰で、非常に遠い
    古川運転免許センターへと管轄が移されました。 市町村合併前までは、石巻運転
    免許センターまでは、車で20分程度で行けたところを、古川運転免許センターの場合は、
    45分程度も掛かるため、非常不便。 ハッキリ言って、倍以上遠くなりました。

    美里町は、水道料金が日本国内でも12を争うぐらい高いのですが、それは、合併後に、
    公共料金全てを高い方に合わせたため。 元々、南郷地区は、江戸時代にも領土問題で
    争いになった場所なので、領土問題でもかなりのデリケートゾーン。 石巻、仙台、古川、
    矢本を都合良くつまみ食い程度に完全に使い分けているため、車で15分も掛かる
    小牛田へは、基本的に行きません。 バス路線も、市町村合併前までは、涌谷が終点
    だったのにも関わらず、合併後は、全て小牛田が終点に。 買い物の多くを涌谷で
    しているこちらと致しましては、不便極まりなし。 美里町民バスは、どこまで乗っても
    100円という超破格値だったのだが、遠い古川駅まで1時間半を掛けて、100円で
    行けますと言われても、普通に車で行けば、25分で到達出来ます。

    むしろ、買い物の殆どを石巻でしている南郷地区の場合は、石巻へのバスがあった方が
    便利で近い。 住民の意思を完全に無視して、市町村合併をすると、こんな大失敗を
    仕出かすと言う見本のような町が、宮城県美里町。 ここが自分の地元ですと言われても、
    一切そんな実感すら沸かない名前となってしまいました。 すぐ隣の大崎市と合併を
    すれば、宮城県第二の都市に成り上がれるため、早めの合併を強くお勧め致します。
    misato01
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