1918年に、ボリシェビキらによって、モスクワは、首都に返り咲いた。 1924年に
レーニンが死ぬと、共産党の主導権をめぐる闘争が始まった。 最も有能なトロツキーは、
戦略家のヨシフ・スターリンに敗れた。 スターリンは、他の2人の指導者と協力して、
トロツキーの力を奪うと、次に別の人間と手を組んで、この2人をも追い出した。
トロツキーは、1929年に、国外に追放された。

354528819

更に、スターリンは、急速な工業化と農業の集団化を進めて、権力を強化して行った。
1934年、ボリシェビキの最高幹部のひとりだったセルゲイ・キーロフの暗殺を皮切りに、
大粛清が始まった。 秘密警察NKVD(後のKGB)が全権を握り、悪名高いモスクワの
本部が大量逮捕の指揮を取った。 そして、ボリシェビキの有名な古参達が皆、裁判に
掛けられたり、銃殺されたりした。

ロシア正教は、1917年までは、ロシアの国教とされていた。 ソ連時代には、多くの
教会が破壊され、司祭たちは、銃殺されたり、投獄されたりした。 教会は、閉鎖された
ばかりではなく、1920年代の後半には、破壊が始まった。

スターリンの粛清によって、何百万という無実の人々が処刑され、あるいは、辺境の
労働収容所に送られた。 この恐怖政治の後に、今度は、第二次世界大戦の悪夢が
やって来た。 ソ連は侵略され、モスクワはドイツ軍によって陥落寸前まで行き、
レニングラード(サンクト・ペテルブルグ)は、長期に渡たる攻囲に苦しんだ。

第二次世界大戦が終わると、西側同盟国との友好関係が崩れて冷戦が始まった。
1953年にスターリンが死ぬと、関係は改善され始めたかに見えた。 しかし、フルシチョフ
による1962年のキューバ・ミサイル危機は、西側との関係を再度悪化させた。

この関係が大きく改善されるようになるのは、1985年にゴルバチョフが等の指導者と
なり、グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)の政策を取り入れてからのこと
だった。

【お勧めの一冊】


>>トップページに戻る



クリックをお願いします☆
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村