多言語のススメ ~ロシア・東欧情報~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    マルチリンガル通訳・翻訳者によるブログ。

    英語、ロシア語、フランス語、ドイツ語、オランダ語、ポルトガル語、
    スペイン語、スウェーデン語他の多言語通訳/翻訳業を行っております (^-^)
    仙台弁、石巻弁、宮城弁、東北弁の方言指導、テープ起こしも致します。
    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    タグ:管弦楽

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    オーストリアの最も古い音楽は、バーベンベルグ家王朝時代に教会や修道院で演奏
    された宗教的ナ賛美歌や聖歌である。 12世紀のミンネジンガーたちの叙事詩は、
    各種の楽器による伴奏付きで、当時の支配者たちの人気を集めた。

    14世紀から16世紀に掛けて、ドイツの音楽家たちがオーストリアへ来て、合唱団や
    楽団の指揮を執った。 17世紀には、イタリア音楽が流行し、オーストリアの
    作曲家たちは、イタリア音楽の形式を自国の民衆音楽と結合させて、
    ジングシュピーレと呼ばれる軽演劇を創造した。

    18世紀には音楽は、王侯貴族たちの後援を受けて、ウィーンその他の都市で盛んに
    なった。 富裕な貴族エステルハージ公の音楽指揮者だったヨーゼフ・ハイドンは、
    管弦楽やソナタを数多く書いた。 彼は生前に多数の作品の楽譜を出版し、
    ヨーロッパで最も有名な作曲家の1人となった。 こうしてクラシック音楽は誕生
    した。



    モーツアルトは幼少時代に宮廷の聴衆を驚嘆させた早熟な演奏家で、優れた歌劇、
    管弦楽、器楽などを含む600曲以上の作品を作曲した。 彼の作品の多くは批評家
    たちに賞賛されたが、演奏家や歌手たちにとってモーツアルトの作品は演奏し
    にくかった。 生活苦と戦いながら、モーツアルトは35歳の生涯を閉じた。



    ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン(1770年~1827年)は、ドイツ生まれ
    だが、成人してからの生涯の大半をウィーンで過ごした。 ベートーベンは、
    作曲とピアノ演奏で、ウィーン市民の間で名士になった。 しかし、生涯の
    絶頂期に聴力を失い始めた、聴衆の前で演奏が出来なくなった。 聴力を失った
    後も、表現力豊かで力強い音楽を書き続け、後世のヨーロッパの作曲家たちに
    影響を与えた。

    フランツ・シューベルト(1797年~1828年)は、ピアノ曲、管弦楽、室内楽を
    数百曲も作曲した。 彼の作品の中で最もポピュラーなのは、ピアノ伴奏付きの
    歌曲、リートである。



    グスターフ・マーラーとアントン・ブルックナーはどちらも19世紀後期に長大で
    劇的な管弦楽を作曲した。 ヨハン・シュトラウスとその同名の息子は、ウィンナ・
    ワルツを多数作曲し、父は『ワルツの父』、息子は『ワルツ王』と呼ばれた。
    フランツ・フォン・ズッペとフランツ・レハールは、オペレッタの作曲家で、
    彼らの作品は、今でもウィーンでは人気が高い。

    【お勧めの一枚】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    オーストリアの国民の大部分は、ドイツ系であるが、その民族構成は、初期の
    歴史時代に起こった異民族の侵入や、移住を反映している。 ハプスブルク家が
    13世紀に権力を握る以前には、ケルト人、ローマ人、ゲルマン人、マジャール人、
    スラブ人が次々とオーストリアの河川沿いや山間の谷間に植民地を建設した。

    その後、クロアチア人、スロベニア人、ハンガリー人らが、ブルゲンランド、
    ケルンテン、シュタイヤーマルクに移動した。 北部と東部では、異民族同士の
    結婚が多く見られた。 この地域では、道路やドナウ川の水運党の交通が発達
    したが、それは、旅行や定住が容易だったため。 チロル、フォアアールベルグ、
    ザルツブルグ等の山岳部諸州では、大多数の住民がドイツ系となっている

    オーストリア国民の大多数は、ドナウ川流域と国の東半分に住居している。
    このうち、約56%が農村部に住んでいる。 第二次世界大戦後、ユーゴスラビア、
    チェコスロバキア、ハンガリーからの移民や政治的亡命者が増えた。 1980年代
    には、トルコやユーゴスラビア等の比較的貧しい国から20万人近くの未熟練
    労働者達が、仕事を求めてオーストリアの各都市にやって来た。

    000064A80

    【言語】
    ほとんどのオーストリア国民は、ドイツ語を使用している。 但し、この国の
    ドイツ語には、多数の外国語の単語が含まれている。 ブルゲンランドには、
    ハンガリー語を話す人達も居る。 ケルン店に住む2万人のスロベニア人の
    多くは、スロベニア語を使う学校に子供を通わせている。

    【音楽】
    オーストリアの最も古い音楽は、バーベンベルグ王朝時代に教会や修道院で
    演奏された宗教的な賛美歌や聖歌である。 12世紀のミンネジンガー達の
    叙情詩は、各種の楽器による伴奏付きで、当時の支配者達の人気を集めた。

    14世紀から16世紀に掛けては、ドイツの音楽家達がオーストリアに来て、
    合唱団や楽団の指揮を取った。 17世紀には、イタリア音楽が流行し、
    オーストリアの作曲家達は、イタリア音楽の形式を自国の民衆音楽と結合
    させて、ジングシュピーレと呼ばれる軽演劇を創造した。

    18世紀には音楽は、王侯貴族達の公演を受けて、ウィーンその他の都市で
    盛んになった。 富裕な貴族エステルハージ公の管弦楽やソナタを数多く
    書いた。 彼は、生前に多数の作品の楽譜を出版し、ヨーロッパで最も
    有名な作曲家の一人となった。 こうして現代音楽は誕生した。

    モーツアルトは、少年時代に宮廷の聴衆を驚嘆させた早熟な演奏家で、
    優れた歌劇、管弦楽、器楽等を含む600曲以上の作品を作曲した。 彼の
    作品の多くは、批評家達に賞賛されたが、演奏家や歌手達にとって、
    モーツアルトの曲は演奏しにくかった。 生活苦と闘いながら、
    モーツアルトは35歳の生涯を閉じた。



    ルートヴィヒ・ヴァン・ベートベンは、ドイツ生まれだが、成人してからの
    生涯の大半をウィーンで過ごした。 ベートベンは作曲とピアノの演奏で、
    ウィーン市民の間で名士になった。 しかし、生涯の絶頂期に聴力を失い始め、
    聴衆の前で演奏が出来なくなった。 聴力を失った後も、表現力豊かで力強い
    音楽を書き続け、後世のヨーロッパの作曲家達に影響を与えた。

    フランツ・シューベルトは、ピアノ曲、管弦楽、室内楽を数百曲も作曲した。
    彼の作品の中で、最もポピュラーなのは、ピアノ演奏付きの歌曲、リートである。
    グスタフ・マーラーとアントン・ブルックナーは、どちらも19世紀後期に長大で
    劇的な管弦楽を作曲した。



    ヨハン・シュトラウスとその同名の息子は、ウィンナ・ワルツを多数作曲し、
    父は、『ワルツの父』、息子は、『ワルツの王』と呼ばれた。 フランツ・
    レハールは、オペレッタの作曲家で、彼等の作品は、今もウィーンでは
    人気が高い。

    20世紀になって、この国の作曲家達は、洗練された新しい作曲技法を次々に
    作り上げた。 アルノルト・シェーンベルグ、アルマン・ベルグ、アントン・
    フォン・ウェーベルンは、伝統的なハーモニーを用いないで歌劇や管弦楽を
    作曲した。 エリッヒ・ウォルフガング・コルンゴルトは、ポピュラーソング、
    ミュージカル、映画音楽を作り出した。 この国では、今でも、軽い歌劇と
    重厚な管弦楽のどちらも盛んとなっている。

    【お勧めの一冊】



    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
    にほんブログ村

    このページのトップヘ