ブログネタ
ニュース速報VIP に参加中!
1983年9月1日未明、ロシア極東サハリン沖上空で大韓航空機が旧ソ連軍戦闘機に
撃墜され、乗客乗員269人全員が死亡した事件から43年。 撃墜した戦闘機の
元操縦士が共同通信の取材にこのほど応じ、『軍人としての命令を果たしただけだ。
ただ、別のやり方もあったのかも知れないい』と事件の重荷を背負ってきた人生を
振り返った。



元操縦士は、ロシア南部アドイゲヤ共和国の首都マイコプに住む、ゲンナジー・
オシポビッチ元中佐(77)。 76年からサハリンでスホイ15戦闘機の操縦士として
服務。 予定航路を逸脱したニューヨーク発ソウル行き大韓機ボーイング747が、
サハリン上空を飛行した際、極東各地から緊急発進した戦闘機10機のうち1機を
操縦していた。

029fec21

当時38歳。 元中佐によると、防空軍の上官から交信で受ける命令に基づいて
行動した。 計4回の警告射撃後も大韓機は針路を変えず『撃墜せよ』の命令が
下った。 大韓機の右側約5キロの地点から2発のミサイルを発射。 『尾翼
付近に命中し、炎上するのを目撃した』。 帰還した基地で同僚に祝福された。
『撃墜後は怖い夢をよく見た』。

事件後に軍の面談調査を受けた後、異動となり、事件10日後にはマイコプに
着任した。 元中佐は知らなかったが、領空侵犯機の撃墜を正当化する
ソ連政府と、民間機撃墜の非人道性を批判する米国などの非難の応酬が
始まっていた。



>>トップページに戻る



クリックをお願いします☆
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村