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    タグ:空爆

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    モスクワからベオグラードまでは、約3時間半のフライト。 ベラルーシ、
    カルパチア山脈、パンノニア平原を越えて、いよいよ、セルビアの首都である
    ベオグラードに到着です。

    空路でドナウ川を越えると、ベオグラードの街が見えて来ます。ベオグラードは、
    セルビアの中でも、最北端に位置しており、すぐ隣りには、ハンガリー系住民が
    多いヴォイヴォディナ自治州が広がっています。 ニコラ・テルサ空港も、
    そのヴォイヴォディナのすぐそばにあるため、コソヴォのみならず、
    ヴォイヴォディナまでもが独立宣言をすると、セルビアはますます窮地に
    立たされます。

    【モスクワ ⇒ ベオグラード】
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    ベオグラードの町の中心部を流れているのは、サヴァ川で、ドナウ川の支流。
    旧ユーゴ内では、泥沼の内戦後に、各民族ごとに完全に住み分けが進められて
    おり、他の民族の領地に入ると、雰囲気が一変するため、一目で分かります。

    セルビアは、東方正教の国で、文字はロシアと同じキリル文字を使っていましたが、
    近年、ローマ字への完全移行を行っているため、古い看板はキリル文字、新しい
    看板は、全てローマ字で書かれていました。

    アメリカを中心とするNATO軍に空爆された跡が生々しいベオグラード中心部は、
    表面的には、かなり復興が進み、街も明るくなりましたが、前回ベオグラードに
    来たのは、1997年のため、内戦終了間際。 ベオグラードが空爆されたのは
    1999年で、その命令を下したのは、元アメリカ大統領のビル・クリントン。

    【ベオグラード】
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    旧ユーゴの内戦終了から20数年程度既に経過していますが、今でも、その残骸が
    まま残されています。 やった方はすっかりと忘れ去っているのに、やられた方は
    いつまでも覚えているとは、正にこのこと。 数年前のトランプの大統領選の際に、
    クリントンが出馬していましたが、クリントン夫婦は、2人揃って世界各地で殺戮を
    繰り返している人間のクズです。

    数ヶ月前に閉鎖された旧ベオグラード中央駅は、一応中には入れるが、両替屋以外、
    特に何もありません。 但し、空港行きのバスは、今でもここから出ているため、
    閉鎖の意味が分かりません。

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    アメリカが突如、シリアに空爆を始めた。 この空爆は、トランプ大統領の
    命令を受けた米軍が行い、巡航ミサイル『トマホーク』59発を、シリア政府軍の
    基地に向けて発射した。 この基地は、民間人を化学兵器で攻撃した戦闘機の
    拠点だったとしている。

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    米国防総省のデービス報道官によると、ミサイルは米東部標準時の午後8時40分
    (現地時間の午前4時40分)、基地の活動が最も少ない時刻に発射され、航空機や
    格納庫、ガソリンなどの倉庫、弾薬庫、防空システムなどを標的とした。

    米軍によるシリアのアサド政権に対する軍事攻撃は初めてで、トランプ大統領は、
    アサド政権が化学兵器を使用して攻撃を行ったと断定し、『致死性の神経ガスを
    使って、アサドは無力な男性、女性、子供の息の根を止めた』と強調。 対抗措置
    として化学兵器攻撃の拠点となった飛行場への攻撃を命じたと明らかにした。

    一方、ロシアのプーチン大統領は、この米軍による空爆を『主権国家に対する
    侵略だ』、『作り上げられた口実』と非難しており、ロシアとアメリカは、
    シリア上空で軍用機が飛び交う空域で事故が発生するのを回避するため、両軍を
    直接結ぶホットラインを設置していたが、ロシアはこの合意を停止すると発表した。

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    米ロ関係が一気に緊張した形だが、アメリカによる過去の空爆事例を見てみると、
    セルビア、イラク、リビア、シリア、ウクライナとアメリカによる一方的な空爆
    ばかりで、『世界の警察』を自称するアメリカが己の『平和』を一方的に主張して
    介入をして来ると、ろくでもない事しか起こらない。 この事は、広島や長崎を
    見ても一目瞭然。

    >>アメリカが一方的に決めつける平和とは?

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    セルビア共和国の自治州であったコソボは、住民の約8割以上がアルバニア系で、
    セルビア人は1割ほどしか居ない。 元々、旧ユーゴスラビア連邦の時代から、
    他の6つの共和国に準じる自治権を与えられていた。

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    しかし、1988年にセルビアの大統領に就任したミロシェビッチは、コソボの
    自治権を奪って政府機能を中央に集中し、アルバニア語による放送や教育を禁じ、
    アルバニア系住民を官庁から追放するなどの弾圧政策をとった。

    コソボ住民は、これに反発。 初めは非暴力・不服従で対抗していたが、後に
    独立を求めてコソボ開放軍が結成され、武力闘争を始めた。 ユーゴスラビア
    連邦軍やセルビア治安部隊との間に激しい戦闘が続き、多くの死者や難民が
    出たり、家が破壊されたりした。

    1999年に北大西洋条約機構(NATO)が介入して、セルビアを空爆し、セルビア
    国民の生活が圧迫され、やがてミロシェビッチ大統領は失脚した。
    ユーゴスラビア連邦政府は、和平案を受諾し、武力紛争は終わりを告げた。

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    しかし、その後、アルバニア系住民によるセルビア人などへの報復攻撃により、
    多くのセルビア人難民が出るなど、対立は解消していない。

    アルバニア系の人達は、おだやかなイスラム教徒が多い。 しかし、歴史的には、
    ローマ帝国の影響を受けて、キリスト教徒(カトリック)が多かった。 後に、
    オスマン・トルコの侵略にあってから、イスラム教徒が増えた。 セルビア人の
    影響もあり、東方正教会の人も居る。

    コソボの殆どが、こうしたアルバニア系の人たちとなっており、ロマ人は、
    セルビア人よりももっと少ない。

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    現在は、東北の中心地として発展著しい仙台なのだが、現在の美しい杜の都の
    街並みは、戦後の焼け野原から長年を掛けて復活したもので、特に、現在仙台の
    表玄関となっている仙台駅西口付近は、アメリカ軍のB-29によって、焼け野原と化
    したため、何も残らなかった。

    仙台駅東口付近は、逆に戦後も焼け残ったため、20年ほど前までは、戦争で焼けた
    地域と焼け残った地域がハッキリと分かったのだが、現在では、東口も大々的に
    再開発が行われたため、その差が殆どなくなった。



    1945年(昭和20年)5月20日、B-29による仙台の偵察飛行が行われ、街の様子が
    上空から撮影された。 アメリカ軍は、仙台を工業面での重要性はないが、住宅が
    密集し延焼を防ぐ広い道路や広場がほとんどないといった点から焼夷弾攻撃に適した
    都市であり、爆撃による心理的効果も期待出来ると評価していた。 アメリカ軍は、
    大規模空襲を行う前に、ビラを上空から撒き空襲を予告しており、そこには、
    『仙台よい町森の町 7月10日は灰の町』と印刷されていたという。 更に連合国は、
    ラジオでも恐怖を煽るために、繰り返し『仙台にお邪魔します』と放送したという。

    1945年7月10日、テニアン島からB-29 124機が飛び立ったが、そのうち1機は引き
    返した。 B-29 123機は、午前0時3分から2時5分まで、仙台中心部を大規模
    攻撃し、約912トン、1万2,961発の焼夷弾を投下した。 仙台上空に到着した
    爆撃機は、3~5機編成で飛行し、25回に渡る空爆を敢行した。 この時の死者は
    1,399人にも上り、負傷者は1,683人となった。 主に仙台駅西側の約500
    ヘクタールが焼け野原となり、被災戸数は約1万1,900戸にも上った。



    仙台空襲では、仙台城付近も空爆されたため、その際に大手門や当時国宝であった
    伊達政宗の墓所、瑞鳳殿も焼け落ちた。 戦後の復興において仙台では、大幅な
    道路の拡張が行われ、杜の都を取り戻す活動が行われた。 仙台が城下町であり
    ながら、片側5車線もの幅の広い道が整備されているのは、戦後の復興計画による
    ものであり、戦後の更なる仙台の発展を見越して計画されたもの。 計画当初は、
    余りにも広い道路であったため、一体何に使うのかと揶揄されたという。

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    伊達政宗が仙台にやって来た際、それまでにあった『千代』の街と城は徹底的に
    破壊され、新たな城下町が建設された。 その後、日本を二分した内戦『戊辰戦争』
    において、仙台藩は総指揮を取ったが、戦に敗れてしまったため、仙台の街は
    官軍によって徹底的に破壊された。 太平洋戦争でも徹底的に街が破壊され、
    2011年には、東日本大震災によって、今度は沿岸部が消滅した。

    『仙台の街はフェニックス』という言葉があるが、それは、過去に何度も破壊され
    ながら、その度に着実に復興、復活をして来た仙台の街の歴史を物語っている。

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