多言語のススメ ~ロシア・東欧情報~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    【プロフィール】
    旧ソ連・ロシア、オーストリア、カナダ、ベルギーに語学留学経験あり。
    1991年より、一貫して通訳・翻訳や海外営業等の語学専門職としての経験を
    積んでおり、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語他の多言語を扱う
    語学のプロ。 専門はロシア語⇔ドイツ語の通訳論、言語学、並びに心理学。
    詳細はLinkedInを参照。

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    タグ:移民

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    エマニュエル・マクロン大統領は2017年7月27日、密航業者の粗悪なボートで
    地中海を渡ってヨーロッパへ向かうアフリカ人の主要な出航地となっている
    リビアに難民申請手続きを行う施設を今夏中にも設置する考えを明らかにした。

    【リビア「統一政府」のシラージュ首相、マクロン仏大統領、民兵組織「リビア国民軍」指導者のハフタル将軍】
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    マクロン大統領は、「難民資格がない人びとが常軌を逸した危険を冒すのを
    回避するための拠点づくり」としているが、これは、今週リビアの二大対立勢力が
    パリで停戦と選挙実施に向けた合意を受けたもので、5年に及ぶリビアの内戦に
    終止符を打ち、今後の大量の移民の流出を食い止める目的があるものと思われる。

    国連傘下の国際移住機関によると、今年に入ってから10万人以上がリビアから
    粗悪な船で地中海を渡ろうとし、2,300人以上が水死したという。

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    トランプ米大統領が、中東・アフリカ7カ国からの入国を一時禁止した直後、
    カナダのジャスティン・トルドー首相は、ツイッターで『難民歓迎』の姿勢を
    打ち出し、話題を呼んだ。 同じ英語を公用語とし、移民国家同士でありながら、
    アメリカとカナダは明らかに違う路線を行っている。

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    日本では、アメリカとカナダは、似たようなイメージを抱く人も多いのだが、
    同じ移民社会でも、その受け入れ方はまるで異なっている。

    共に長年に渡り、移民を受け入れて来た歴史があるため、アメリカでは
    『メルティング・ポット(人種のるつぼ)』、カナダでは『人種のモザイク』
    と例えられているのだが、移民に対して、アメリカの価値観に溶け合うように
    求めるのがアメリカであるのに対し、カナダではそれぞれのルーツを生かし、
    それぞれが尊重し合うことを目指しているため、それぞれが独立した共同体と
    なっている。

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    カナダ最大の街であるトロントの街中を路面電車に揺られていると、色々な
    コミュニティーが、隣り合って共存していることに気付かされる。 イギリス風の
    街並みが、一転して、香港になったり、インドになったり、韓国になったり、
    イタリアになったり、ウクライナになったりと、市内で世界一周気分を味わえる
    のもカナダの醍醐味。 地下鉄に乗車していても、右も左も移民だらけである
    ため、むしろ、カナダ人がどこにいるのかすら分からない。

    カナダのこの多民族・多文化主義のは、1970年代から進めてられており、この
    多文化主義を導入したのが、当時のピエール・トルドー首相、現首相の父。 
    英語圏の学校では、フランス語が、フランス語圏の学校では、英語が義務化
    されており、道路の標識や、アナウンスも英語とフランス語で必ず行われる。

    カナダのGDPや人口は、アメリカの約10分の1しかなく、アメリカへの人材
    流出も課題となっているが、近年では、トランプ大統領らによるアメリカの政策を
    嫌ったアメリカ人が列挙して移民をして来るのも、実はカナダ。

    カナダは、アメリカとの差別化を図らなければ、生き残れないとも言われているが、
    大国であるアメリカの利用出来る部分は大いに利用し、譲れない部分は決して
    譲らないのが、カナダ流の外交政策かのかも知れない。

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    ロシア第2の都市サンクト・ペテルブルクの地下鉄で起きた爆破テロ事件で、地元
    メディアは実行犯とみられる男がキルギス共和国出身でロシア国籍の男だと報じた。

    実行犯と見られる男は、1995年生まれのキルギス共和国出身、ロシア国籍の
    アクバルジョン・ジャリロフと報じられた。 この爆破テロ事件は、2017年4月3日
    午後2時半頃、サンクト・ペテルブルク中心部を走っていた地下鉄車内で起きた。
    タス通信によると、これまでに14人が死亡、更に49人が現在も入院中であると
    発表した。



    ソ連時代は、民族対立や人種差別が全くと言っていいほどなかったロシアだが、
    最近は、中央アジアや、ウクライナからの移民や難民が増え過ぎた関係で、
    ロシアと中央アジアとの関係が緊迫している。 そういうところに、このような
    中央アジア出身者によるテロ事件が起きると、アジア人やウクライナ人に対する
    差別が目に見えて増えるため、暫くは情勢不安定になると見るのが妥当。

    180を超える超多民族国家のロシアでは、誰が何人とはハッキリと言えない位に、
    色々な民族が入り混じって生活をしているため、一度争いが起きると、歯止めが
    掛からない。 特に、キルギスは、ロシアにとって、カザフスタンと並んで、
    最も仲が良い国なので非常に残念。

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    近年、モスクワなどでも、移民が増え過ぎて、ロシア人でも仕事がなかなか
    見つからないという話を時折耳にする。 キルギス人は、本来、皆真面目で
    温厚な人が多いが、どうして、こうなってしまったのか? ここ数年、
    中央アジア人は、かなり差別をされており、なかなか仕事が見つからないため、
    こうなってしまったのか。。

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    現在、イギリスに住む人の多くはケルト人、ローマ人、アングロ・サクソン人、デーン人、
    ノルマン人など、かつてイギリスに侵入し、住み着いたヨーロッパ民族の子孫である。
    イングランドには、ケルト人が刻んだ石灰石の像や、ノルマン人が建てた聖堂など、
    先祖の造った物が残っている。

    18、19世紀に激しかった貧富の差は、2回の世界大戦で縮まった。 社会的差別は
    尚もあるものの、以前ほど厳しいものではない。 例として、1964年以降、どの首相も
    中流ないし、労働者階級の出であることがあげられる。 また、若者は、独自の流行や
    言葉を生み出し、かつては服装や言葉遣いにハッキリ見られた階級差は消えた。

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    20世紀にはヨーロッパ、インド、パキスタン、香港、カリブ諸島から難民として、あるいは、
    かつての植民地からよりよい暮らしを求めて、大勢の人がイングランドに移住して来た。
    1990年代前半には、移民は500万人にも上った。 その多くは、都市のスラム街に
    住んでおり、少数派であるがために、住居や職を探すのに差別を受けることがある。

    民族の違いから来る都市生活の不安も、イギリスにおける新しい問題である。 ロンドン、
    リバプール、ブリストル、バーミンガムなどでは、黒人や東洋人の住んでいる地区で
    暴動が起きている。 原因は、失業率の高さなどの経済問題や、警察と住民の関係の
    悪さにあると考えている人が多い。

    しかし、最近の総選挙では、東洋系や黒人の下院議員が誕生しており、また、少数
    民族が地域ごとに、自分達自身の力で問題解決の計画を立て、運営するなど、明るい
    動きも見られる。

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    2005年、フランスで起こった移民系の若者を中心とした暴動は、警察に追われた若者2人が
    変電所に入り込んで感電死した事件が切っ掛けだった。 暴動は、フランス全土に広がり、
    死者が出るに及んで政府は、非常事態宣言を出したが、暴動が終息する気配はなかった。

    長い間、フランスは、移民や外国人を受け入れて来た国だった。 その理由は、ヨーロッパ
    中央に位置する地理的条件や、産業革命後の経済成長にある。 最初は、スペインや
    イタリアからの移民だったが、20世紀中頃からは、アルジェリア、モロッコ、チュニジアなど、
    かつてフランスが植民地としてきた来たアフリカ諸国を始め、中東、アジアからの移住が
    本格化した。

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    背景には、第二次世界大戦で多数の戦死者を出し、人口が大きく減少したことや、戦後は
    自動車や建設業など、フランスの高度成長を押し上げた業界の労働力不足があった。
    政府は、経済効率を優先させる政策を採り、移住して来た彼らに対しては、ほぼ無制限に
    滞在と労働の許可を与え、不法侵入者の取り締まりもあまいものだった。

    オイルショック後の1974年、当時のジスカール・デスタン政権は突如、就労目的の移民
    受け入れ停止を決定する。 その背景には、低賃金など過酷な労働条件や劣悪な環境の
    地域の形成、それに移民たちの労働争議が新たな社会、経済、政治的問題に発展する
    ことを恐れたことがあると言われている。

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    1976年には、『帰国奨励政策』が行われたが、これは、帰国を望む移民たちに1万フラン
    (約20万円)を支給することで、本国への帰国を促すものだった。 1981年、ミッテラン
    大統領の誕生で、既に入国している移民については一層の権利の確立が保障されたが、
    その後の議会で、右派が過半数を占めると、権利の縮小や、1993年には改定移民法、
    国籍法修正案によって、入国も滞在した場合の保護も大幅に制限された。 また、
    1997年の移民法は、滞在許可証の更新を認めないという、更に厳しいものとなった。

    21世紀初頭、世界を襲った経済成長の鈍化や同時不況は、フランスでは、移民たちと
    フランス人との間で新たな摩擦を生むことになった。 移民の多くは、3K(きつい、汚い、
    危険)と呼ばれる職場で、しかも、低賃金の仕事しか貰えない。 にも関わらず、移民達が
    自分達の仕事を奪っていると考えるフランスの若者達は、彼らの排斥に向かう。 こうした
    風潮の高まりが、大きな社会問題となって来ている。

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    【労働環境】
    スウェーデンでは、会社がその従業員を大切にするのは極当たり前のことであり、
    管理職と一般従業員がひとつになって働くことが奨励されている。 皆がチーム
    作りのために協力し、重役であったとしても、カジュアルな服装をし、重役室も
    簡素である場合が多い。 受付係も置かず、重役が自分で電話に出る。 この
    スウェーデン式の経営は、世界で賞賛されている。

    また、スウェーデンでストライキが起こることは殆どない。 政府、労働者、
    産業界、それそれのリーダー達が緊密に連携しを取って問題を解決している。
    この体制においては、労働組合が極めて重要な役割を果たしている。

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    【失業率】
    1970年代から80年代に掛けて、ヨーロッパの殆どの国々では経済状態が悪く、
    失業者が沢山居た。 しかし、スウェーデンでは正反対であった。 全ての職を
    満たせるだけの国民が居なかったのである。 この時期に、仕事を求めて移民が
    スウェーデンに来るようになった。 その多くは、チリ、パレスチナ、ソマリア、
    イラク、イラン等からの難民で、武力衝突等のために、母国を離れなければなら
    なかった人達であった。

    スウェーデン政府は、スウェーデン国民と同様のチャンスを新たにこの国に来た
    人達にも与る事に努めた。 しかし、1990年代に国の経済が悪化し始めると、
    それは極めて難しくなった。 移民だけはなく、この国の多くの人達にとっても、
    仕事を見つける事は困難になった。 1990年代中頃には、スウェーデンに住む人の
    10人に1人が失業者という状態であった。

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    【新しい取り組み】
    一部の人々は、新しい取り組みを求め始めた。 2006年9月、穏健党の率いる4党
    連合が、それまで70年近くの大部分の間政権の座にあった社会民主党から政権を
    奪った。 そして、穏健党党首のフレデリック・ラインフェルトが首相に就任した。
    新政権は、雇用を増やし、福祉手当を削減することに乗り出した。 しかしながら、
    この4党連合は、競争力のある産業と強固な福祉制度とを兼ね備えたスウェーデン
    方式を今も変わらず支持している。

    世界の人々は、スウェーデン・モデルと呼ばれるこの方式を賞賛している。 この
    方式の成功は、スウェーデン国民の特性に掛かっている。 彼らは、良識を働かせる
    事を喜びとし、そして妥協する事をも喜ばしい事と考える国民であるため、
    スウェーデン人は、この方式を誇りを持ち、自分達は他の国々が見習う事の出来る
    ひとつの見本を示していると思っている。

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    イギリス人は、香港を自由貿易港とし、一切関税を掛けなかったため、香港は
    アヘン貿易の中継地としての役割を果たすようになり、それまで広州、マカオで
    中国との交易に従事していた多くの商社が香港に拠点を構えた。 更に中国大陸
    からも、沿岸部を荒らしまわっていた海賊や、アヘン戦争の際にイギリス軍へ
    食料を提供したために、清朝側から敵視された人々等、多くの人達が香港へと
    移り住んだ。 このように、イギリスへの割譲初期の香港は、にわか作りの
    移民社会といった様相を呈していた。

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    1850年代に入ると、香港社会は、中国内外の新しい動向に大きな影響を受ける
    ようになる。 当時、中国国内では大勢の人達が、太平天国による戦乱を避ける
    ために住み慣れた土地から離れることを余儀なくされていた。 一方、アメリカ
    西海岸やオーストラリアでは、ゴールドラッシュにより、鉱山経営者が安価な
    労働力を大量に求めていた。 こうした事情が重なり、中国から香港を経由して
    アメリカやオーストラリアへ移住する人が急増した。

    移民の大半は、男性の肉体労働者であり、欧米の商社が運行する輸送船で渡航先
    まで運ばれて行った。 こうした移民の中には、斡旋業者によって騙された者も
    多く、輸送中の死亡率も高かったことから、香港政庁は1860年代に入ると、
    移民船への監視体制を強化したが、実情はなかなか改善しなかった。

    香港を通じた移民の流れは、1870年代後半以降、北米やオーストラリアにおける
    排華運動の高まりや、華人の移民に対する規制の強化に伴い、当時欧米列強の
    植民地開発が進行していた東南アジアへと向かうようになる。 そして、華人の
    活動範囲が広がるにつれて、香港は北米、および、東南アジア各地と中国との
    間の人、物、金の流れを結ぶ結節点としての役割を果たすようになった。

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    1930年代には、日中間の武力衝突が香港社会にも影響を与えるようになり、
    とりわけ、1937年に始まった日中戦争の拡大は、中国大陸から香港へ避難する
    人々の数を増加させた。 太平洋戦争が勃発すると、日本軍は香港にも侵攻し、
    同地を1941年12月25日に陥落させた。 以後3年8ヶ月に渡り、香港は、日本軍の
    統治下に置かれた。

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    日本とブラジルの関係を語る時、日本人の移民とその歴史を抜きで語ることは
    出来ない。 日本からのブラジル移民が始まったのは、今から100年以上も前の
    明治時代まで遡ることが出来る。 明治時代に入り、日本は急激に近代化が
    進められたが、それに伴い、社会のあちらこちらに歪が生まれた。 農村では、
    今までお米で納めていた年貢をお金で支払うこととなり、貨幣経済に慣れて
    いない農民は、たちまち生活苦へと追い込まれた。

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    そんな生活から逃れるために、移民となって海外の新天地へと出掛けて行き、
    そこで働いてお金を稼ぐ人も出て来た。 出稼ぎ先は、はじめは、ハワイや
    アメリカ合衆国、メキシコ、ペルー等だったものが、やがて、アメリカの日本人に
    対する移民制限が始まった。 そんな時に、奴隷制度が廃止されて、労働力
    不足に悩まされていたブラジルから、日本政府に対して移民の誘いが届いた。



    【コーヒー農園での移民の暮らし】
    第一回の日本からの移民158家族、781名を乗せた笠戸丸が、ブラジルの
    サントス港に入港したのは、1908(明治41)年6月18日のことであった。
    日本からは、約50日間の船旅であった。 当時の移民の多くは、コーヒー農場に
    1年契約で雇われた。 移民家族は、農場内の住居に住み、朝から晩まで
    コーヒーの木の手入れをした。 1つの農場には、何万本ものコーヒーの木があり、
    家族ごとに木が割り当てられ、草取りからコーヒーの実の収穫まで責任を負わ
    された。

    収入は、出荷した袋の数に応じてお金が貰える仕組みであったが、出来の良い
    コーヒーの木があるとは限らなかった。 霜の害により、コーヒーの木が全滅
    することもあれば、逆に採れ過ぎて、価格が暴落してしまい、殆ど収入がない
    こともあった。

    日本からの移民の多くは、3~4年もすれば、沢山お金を稼いで帰る『出稼ぎ』の
    つもりで来ていた。 しかし、夢と現実の落差に気付き、ブラジルの大地に
    しっかりと根をおろして生きて行こうと決意する人達も居た。 また、ある人は、
    農業を辞めて、街に出て別の職業に就く人も出て来た。 このような苦労を重ね、
    日本人移民は次第にブラジルに定着して行った。

    この移民は、日本政府の援助の下に行われ、第二次世界大戦前にブラジルに
    渡った日本人の移民は、約19万人を超えた。

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    【戦中、戦後の不幸】
    第二次世界大戦(1939年~1945年)が始まると、ブラジルは、中立の立場を
    取っていたが、1942年、アメリカが属していた連合国側に付いて参戦した。
    そのため、ブラジルは、敵対する日本からの移民に対し、公の場での日本語の
    使用、日本語で書かれた書物の所持、日本語新聞の発行等を禁止した。 日本の
    敗戦をめぐっては、日本人移民同士での『勝ち組』『負け組』の対立にまで
    発展した。 『勝ち組』は、日本の敗戦を信じず、『信念派』、『負け組』は
    日本の敗戦を認め、それを知らせようとした人達で『認識派』とも呼ばれている。

    ブラジルに出稼ぎに来ているという認識が強かった当時の移民の中には、
    ポルトガル語を理解しようともせず、また、当時、日本で受けて来た教育の
    影響で、日本への想いが非常に強く、敗戦が信じられない人達も居た。 更に、
    日本語新聞の発行禁止により、情報が伝わりにくくなったため、孤立した人達も
    居た。 そのような人達が、『勝ち組』を襲って殺害する事件が、1950年頃まで
    続いた。



    【戦後の日本人移民】
    1951年、サンフランシスコ講和条約(対日平和条約)が日本とブラジルを含む
    連合国との間で結ばれると、翌年からブラジルへの移民が再開された。 敗戦後の
    日本は、外地から引き揚げて来た人達で人口が増え、食料が不足する状態で
    あった。 そんな時、ブラジルへの移民は、日本人にとって、大きな希望と
    なった。 戦後の移民も、初めは、農業移民が募られたが、そのうち、工業化を
    進めるブラジルと共同で事業を行う工業移民が募られた。 しかし、1960年代に
    入ると、日本が高度成長時代を迎え、経済的に恵まれるようになったため、
    1995年を最後に、ブラジルへの移民政策は、打ち切られた。 現在、
    ブラジルには、三世や四世等を合わせると、140万人以上の日系人が居ると
    言われている。



    【日本へ出稼ぎに来る日系ブラジル人】
    一方、最近では、ブラジルに移民した日本人の子孫である日系ブラジル人が、
    逆に日本に出稼ぎに来るという現象が続いている。 ブラジルは、1980年代から
    度重なる不況で失業者が増え、逆に、日本は、その時期には好景気となっており、
    人手不足が深刻となっていたため、ブラジルから多くの日系人がやって来た。
    日本政府は、外国人が仕事のために来日することを厳しく規制してしたが、
    1990年に日系人に対しては、三世までと、その配偶者に限り、日本での労働を
    認めたため、最大で、日系ブラジル人は、約30万近くまで膨れ上がった。

    その後、日本は長期に渡るデフレ不況に陥ったため、逆に、国策によって、
    ブラジルへの帰国が促され、ブラジル経済が活性化して来た影響もあり、現在、
    日本国内のブラジル系日系人は、15万人程度にまで激減りしているとも言われて
    いる。

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    - 残念ながら、全ての難民がここに残る事は出来ません。。。
    - じゃ、あんたもまた東ドイツに帰らなければならないの?w

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    2017年、カナダは建国150周年を迎える。 世界でも指折りの住みやすい国としても
    知られるカナダは、トロント、バンクーバー、カルガリーが常に『世界で最も住みやすい
    都市』のランキングのトップ5にランクインしている。
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    カナダ最大の都市であるトロントでは、それぞれのエスニックコミュニティーがハッキリと
    分かれているため、路面電車で市内を移動していると、景色が急に、イタリアになったり、
    中国になったり、ウクライナになったり、ポーランドになったり、インドになったり、
    ギリシャになったり、韓国になったりする。

    「トロント」とは、ネイティブインディアンの言葉で「出会いの場所」という意味。 市民の
    大多数が移民1世とその子孫であるため、市民は普段から自国の文化を大切にしており、
    市内だけで世界一周気分を味わえる。 海外からの移民の殆どが、このトロントを目指して
    やって来るが、多様性とマルチカルチャーを国をあげて推進しているトロントでは、特に
    問題は等は起きていない。 カナダでは、人口のほぼ全てが都市部のみで生活をして
    いるが、世界で2番めの広さを誇る国土の中には3,500万人程度の人口しか住んで
    おらず、移民の受け入れには、まだまだ余裕がある。



    共に移民の国であるアメリカとカナダを表現する言葉としては、アメリカの『人種のるつぼ』と
    カナダの「人種のモザイク」があるが、カナダは、現在でも年間約25万人の移民を受け入れ
    続けているため、アメリカと比較すると、移民の数が圧倒的に多く、しかも、それぞれの
    文化を尊重しながら共存しているため、どこでも英語だけを強要されるアメリカとは根本的に
    異なる。

    【毎年開催されているウクライナ人コミュニティーのお祭りの様子】


    トロント市内には、サンフランシスコに次いで世界で2番目の規模の中華街、それぞれ
    世界最大のウクライナ人コミュニティー、ポーランド人コミュニティー、韓国人コミュニティー
    他があるため、ランチやディナーにそれぞれの国の本格的な料理を気軽に楽しめるのも
    嬉しい。
     
    尚、太平洋側のバンクーバーでは、約2万人の日本人が住んでいるため、日本人
    コミュニティーさえ出なければ、日本語だけでも十分生活する事が出来る。

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    世界でも有数の移民の国、カナダでは、毎年約25万人の移民を世界中から受け
    入れています。 様々なバックグラウンド、価値観を持つ人たちがお互いの違いを
    尊重し合いながら平和に共存しています。 その中でも、国をあげて力を入れている
    のが、多文化と多様性の推進。



    カナダ憲法第15条では、いかなる個人も人種、国籍、民族、肌の色、宗教、性別、
    肉体的・精神的障害の有無によって差別を受けず、法の下では皆平等であると
    うたわれています。 この原則はカナダ社会のあらゆる側面において徹底しており、
    カナダが国際社会に対して最も誇りにしている点でもあります。 典型的な例としては、
    カナダでは同性のカップルにも結婚が認められており、相続権をはじめとして、異性の
    カップルと全く同様の権利が与えられています。 カナダではセクシャルマイノリティーに
    対する差別は一切許されません。



    また、移民の増加により、カナダは白人の国という概念は既に過去のものになりつつ
    あります。 非白人系の人口は、カナダ建国150周年の2017年までには、人口の20%
    以上、トロント、バンクーバーでは50%に達すると予想されています。 カナダ最大の
    都市、トロントでは、様々な人種、民族、肌の色の異なる者同士が、極自然に交流を
    しています。 人種ごとに比較的分かれてしまっているニューヨークなどのアメリカの
    大都市とは異なり、多民族がそれぞれのコミュニティーを維持しつつ、共存をしています。



    カナダの食は、移民の国ならではの豊かさがあり、例えば、トロントではチャイナタウン、
    コリアタウン、リトルイタリー、リトルインディア、グリークタウンなど様々なエスニックコ
    ミュニティーがあり、本場の味を比較的安い価格で楽しむ事が出来ます。 一般的に、
    食料品は豊富で安く、生鮮食品には消費税は掛かりません。



    世界中を旅した人間が、最後に行きつく場所が、カナダだと言われている程、外国人に
    対して、寛容的な国が、カナダ。 『カナダ』とは、ネイティブ・インディアンの言葉で、
    『村』を表しています。 同じ英語圏でありながら、アメリカとは異なる国。 街中を回る
    だけで、それぞれのコミュニティーが分かれているため、世界一周気分を味わえるのも、
    カナダの醍醐味です。



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    世界でも有数の移民の国、カナダでは、毎年約25万人の移民を世界中から受け
    入れています。 様々なバックグラウンド、価値観を持つ人たちがお互いの違いを
    尊重し合いながら平和に共存しています。 その中でも、国をあげて力を入れている
    のが、多文化と多様性の推進。



    カナダ憲法第15条では、いかなる個人も人種、国籍、民族、肌の色、宗教、性別、
    肉体的・精神的障害の有無によって差別を受けず、法の下では皆平等であると
    うたわれています。 この原則はカナダ社会のあらゆる側面において徹底しており、
    カナダが国際社会に対して最も誇りにしている点でもあります。 典型的な例としては、
    カナダでは同性のカップルにも結婚が認められており、相続権をはじめとして、異性の
    カップルと全く同様の権利が与えられています。 カナダではセクシャルマイノリティーに
    対する差別は一切許されません。



    また、移民の増加により、カナダは白人の国という概念は既に過去のものになりつつ
    あります。 非白人系の人口は、カナダ建国150周年の2017年までには、人口の20%
    以上、トロント、バンクーバーでは50%に達すると予想されています。 カナダ最大の
    都市、トロントでは、様々な人種、民族、肌の色の異なる者同士が、極自然に交流を
    しています。 人種ごとに比較的分かれてしまっているニューヨークなどのアメリカの
    大都市とは異なり、多民族がそれぞれのコミュニティーを維持しつつ、共存をしています。



    カナダの食は、移民の国ならではの豊かさがあり、例えば、トロントではチャイナタウン、
    コリアタウン、リトルイタリー、リトルインディア、グリークタウンなど様々なエスニックコ
    ミュニティーがあり、本場の味を比較的安い価格で楽しむ事が出来ます。 一般的に、
    食料品は豊富で安く、生鮮食品には消費税は掛かりません。



    世界中を旅した人間が、最後に行きつく場所が、カナダだと言われている程、外国人に
    対して、寛容的な国が、カナダ。 『カナダ』とは、ネイティブ・インディアンの言葉で、
    『村』を表しています。 同じ英語圏でありながら、アメリカとは異なる国。 街中を回る
    だけで、それぞれのコミュニティーが分かれているため、世界一周気分を味わえるのも、
    カナダの醍醐味です。



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