エストルップは国王クリスティアン9世の支持を受け、長期に渡って政権を
維持した。 しかし、1894年の選挙で敗北したため、総辞職した。 以後、
デンマークは、広い分野での社会福祉政策を次々に実施した。 全ての国民に、
基本的に必要なものを政府が提供するという福祉国家の基礎が出来上がった。
1915年、憲法が改正されて、女性参政権、投票年齢の引き下げ、資産家の
投票上の特権廃止が定められた。

経済は1900年代以後、繁栄に向かった。 豚と乳牛はこの国の農業で、ますます
生産量も増加した。 比較的小規模な企業では、銀製品や陶磁器のような
高品質の輸出品を製造し始めた。

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貿易を促進するため、デンマーク政府は、コペンハーゲンを自由港にした。
つまり、コペンハーゲン港に運び込まれる貨物に対しては、輸入関税が免除
されるという制度である。 デンマークの商船保有数は世界最大級となり、
労働者は権利擁護のため、労働組合を結成するようになった。 1900年までには
労働組合運動は、この国に根付き、労働者のストライキ権を保護する法律も
制定された。 労使双方の努力で、工業労働者の賃金は1875年から1915年
までに2倍になった。

1914年に第一次世界大戦が勃発すると、デンマークは中立を宣言した。 この
戦争では、ドイツを中心とする同盟国が、イギリスなどの連合国を相手に戦った。
1918年、ドイツは敗北し、講和条約の結果、デンマーク系住民の多い
シュレスウィヒ北部はデンマークに返還された。

1920年代は経済問題の相次いだ時期だった。 社会民主党は、政府の資金に
よって工業と農業を発展させ、また、大規模な建設計画を実施して職場を創設
しようという主張を掲げ、次第に支持層を拡大した。 1924年、トルヴァール・
スタウニングは、デンマークで初めての社会民主党政権を樹立した。

しかし、社会民主党は、上院では過半数に達していなかったため、主張を
実施出来る事が出来ず、スタウニングは、間もなく辞任した。 1929年、
スタウニングを党首とする社会民主党は、急進党の協力を得て、総選挙に勝利を
おさめた。 同年、世界大恐慌が始まったが、社会民主党は、1930年代も政権を
維持した。 スタウニングは、社会福祉を拡大する法律を更にいくつも導入したが、
財政状況は悪化し続けた。

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