多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:石巻

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    東日本大震災で当時6歳だった仲の良い姉を亡くした宮城県石巻市の小学2年生の
    佐藤珠莉(じゅり)ちゃん(8)が、2人の人形を『世界旅行させてください』と願う
    手紙をサンタクロース宛てに書いた。 いつか海外に行くことを夢見ていた姉と
    自分の代わりに人形が世界中を旅出来るようにと、サンタクロースにお願いをした。

    『あいり姉ちゃんとたくさんりょこうしたかったので、わたしのゆめをかなえて
    ください。 たびをしたときの人形のしゃしんをいっぱいとってきて、きねんに
    ほしいです』
     
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    珠莉ちゃんの姉の愛梨ちゃんは、石巻市内にある私立『日和幼稚園』に通い、
    震災後に幼稚園の送迎バスで自宅に帰される途中、津波と火災に巻き込まれて
    命を落とした。



    当時3歳の珠莉ちゃんは、いつも一緒に遊んだ姉を突然失い、喪失感を抱えたまま
    成長した。 クリスマスや七夕などの度に帰ってくるよう願ったが、叶わなかった。

    昨年夏、珠莉ちゃんは、あるテレビ番組にくぎ付けになった。 病気の子に似せた
    人形を世界中を旅する人々に持ち歩いてもらい、名所を背景に写真を撮ってもらう
    企画。 番組では後日、その子にたくさんの写真が届いた。

    『愛梨もこうしてもらえないかな』その年のサンタへの手紙で、姉妹の人形を
    お願いした。 母親の美香さんが、復興支援団体を通じて人形を作れる人に製作を
    頼み、クリスマスに姉妹に似た編みぐるみが届いた。 珠莉ちゃんは大喜びで
    お礼の手紙を書き、今年は人形の世界旅行の願いを綴った。
     
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    父親の文貴さんが家族旅行を計画し、美香さんが人形も持って行くことを提案
    したが『サンタさんに連れて行ってもらう』と珠莉ちゃん。 美香さんは
    『姉と自分を人形に投影し、自分の中に2人の世界があるのでしょう』と
    推測する。

    愛梨ちゃんの死後、事態の真相究明に奔走する両親を珠莉ちゃんはおとなしく
    見守った。 美香さんは『甘えたい盛りに我慢ばかりさせた』と悔やみ、
    『姉に対する思いの深さは親も驚くほど。 サンタの存在を信じる純粋な心を
    大切にしてあげたい』と思いやる。

    両親は、海外に行く用事があり『人形を持って行ってもいい』と申し出てくれる
    人がいれば、サンタの代役をお願いしてみようかと考えている。

    愛梨&珠莉人形 世界旅

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    現在Facebook上には、『愛梨&珠莉人形 世界旅』 というページが制作され、
    あいり&じゅり姉妹は、世界中を飛び回っている。 サンタクロースになって、
    2人を海外へ連れて行っても良いという方は、こちらのフォームから問い合わせ
    お願いします。

    【EN】
    A girl who has lost her older sister (at the time she was 6 years old) by
    the tsunami in 2011, she dreams her dolls to travel around the world with
    her lost sister.

    【DE】
    Das Mädchen, das ihre ältere Schwester(zu der Zeit war sie 6 Jahre alt)
    vom Tsunami im Jahr 2011 verloren hat, träumt ihre Puppen, wie sie,
    um die Weltreisen mit ihrer verlorenen Schwester zu machen.

    【FR】
    La jeune fille qui a perdu sa sœur aînée (au moment elle avait 6 ans)
    per le tsunami en 2011, elle rêve des poupées comme ils voyagent à travers
    le monde avec sa sœur perdue.

    【RU】
    Девочка, которая потеряла свою старшую сестру(в то время ей было
    6 лет) в результате цунами в 2011 году, очень мечтает о том, что
    куклы похожие на них путешествуют по всему миру вместе со своей
    потерявшей сестрой.

    【お勧めの一冊】


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    宮城県石巻市にある小高い日和山。 ここから見える場所だけで、約3,000名が
    津波の犠牲となった。 この地に、約1,200軒もあった家は、ほぼ全て津波で
    流された。 鉄筋コンクリート建てであった、市民病院や石巻文化センターも
    全て取り壊されてなくなった。



    石巻は、津波災害後に、流出した重油により、海が燃えたため、この辺り周辺
    では、大規模火災が起きて、数日間燃え続けた。 被災直後に、この場所に
    『探しています』と貼り出されていたのは、物ではなく人であった。 東日本
    大震災で最も酷い被災地をひとつだけ挙げるとすれば、この石巻の門脇地区周辺。

    日和山は、約50メートルほどの標高であるため、この地域周辺を見渡すことが
    出来るが、それと同時に、被災状況も目の当たりにすることとなる。 遠くには、
    牡鹿半島も望むことが出来るため、石巻随一の観光スポットであったが、今では、
    その観光客もまばらで、時折、津波災害の被災現場を見に来る人たちばかり。 

    【日和山からの景色】
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    以下の画像は、被災前と被災後の石巻の比較画像。 被災前の石巻の画像は、
    ウェブ上にもYoutubeにも殆ど残ってはいない。 この画像で比較すると、河口
    付近が津波で何もなくなったのが、良く分かる。 このような被災前の画像は、
    非常に貴重であるため、なかなか見ることが出来ないのだが、『がんばろう!石巻』
    の看板のすぐ隣に新しく出来た、『震災伝承』つなぐ館では、被災時の様々な
    資料が展示してあり、係員が常駐しているため、更に詳しい話を聞くことも出来る。

    【被災前後の石巻】
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    石巻は、仙台藩唯一の港町として栄え、港湾設備の規模では、東洋一とも言われて
    いるのだが、その施設の活用は、まだまだで、災害復興だけではなく、この先を
    見据えての都市計画も非常に重要となって来る。 現在、北上川の河口付近には、
    新たな橋が2本建設中であり、街の再開発が進んではいるものの、まだ目に見える
    変化は特にない。

    新たに建設された防波堤により、海岸沿いでは、海が全く見えなくなったが、その
    ようなハード面ばかりに頼るのではなく、防災意識を更に高めて、様々な自然災害
    にも打ち勝てる強い街づくりが今後必要になるであろう。 

    日和幼稚園
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    日和幼稚園』ご遺族で、語り部をされている佐藤さんに、送迎バスの資料を
    見せて頂いた。 これが、日和幼稚園の送迎バスの最後の姿。 1枚目の写真で
    見ると分かるのだが、家屋の屋根が上から覆い被さっていたため、バスが瓦礫で
    見えなかったそうです。
     
    現在、この場所は、道路工事の工事現場となってしまっている。 
    『頑張ろう!石巻』の看板の斜め向かいの場所なのだが、日和山のすぐ麓で、
    助けられたのではないかと何度も思ってしまった。 日和幼稚園の裁判は、
    既に園側とは和解しているのだが、その後、園長とは全く連絡が付かず、未だ
    謝罪すらしていない状況となっている。

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    がんばろう!石巻の看板も、この道路工事により、裏側からしか入れなく
    なった。 がんばろう!石巻の看板の下には、『復興するぞ!』と書かれている。
    この周辺にあった住宅街の面影は、今では全くなく、荒涼とした景色ばかりが
    続く。

     

    【新蛇田周辺】
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    新しく街開きをした新蛇田地区。 街開きとは『集団移転先』という意味。
    沿岸部の人達は、今後順次この場所へと移り住む事となるのだが、これで
    街開きをした言われても、一切何もない。 遠くに見えているのが、災害復興住宅。
    来年の3月に石巻めぐみ野駅が開業するため、駅が出来れば、多少なりとも活気が
    出るのかも知れないが、山側へ移転した仙石線の野蒜駅を見ても、期待は出来ない
    であろう。 この場所は、東松島市との境界線上にあるため、石巻西高校の
    高校生も利用する駅となる。 最後の2枚の画像は、先日X JAPANがライブを
    行った『石巻ブルーレジスタンス』。

    石ノ森萬画館

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    石巻編の最後は、『石ノ森萬画館』。 この漫画館自体も、川の中州にあるため、
    一時完全に孤立して、避難者が生活を共にしていた場所。 今では、すっかり
    リニューアルされて、その面影すらないが、こういう記憶は、大事にしたいところ。

    漫画館の前に建っているシージェッター海斗像は、津波で流され、後日瓦礫の
    中から発見されたのだが、破損度合いが酷過ぎて、東京の制作会社からキカイダー
    01の像共々石巻市に贈られたもの。 ご当地ヒーローで街興しをしている街は
    多々あるが、その先駆けが、石巻となっている。



    【お勧めの一冊】


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    東北電力女川原発では、度重なる地震により、度々緊急停止や、非常用電源の消失が
    起こっているが、福島第一原発の事故を経ても尚、その緊急時の対応には、疑問が
    残っている。 そもそも、女川原発は、世界一の地震群発地域の真上に位置しているため、
    震度5強程度の地震であれば、月に2回程度は発生している。

    TKY201105110131

    福島第一原発で事故が発生した際にも、周辺自治体への連絡が遅れた事によって、
    本来であれば、無用な筈であった周辺住民の被爆問題が起きたが、有事の際の
    周辺地自体への緊急連絡網を早急に確立して欲しいところ。

    尚、福島第一原発での事故の際には、東電社員が地域住民を無視して、我先に
    第二原発へと自主避難をしたのは、まだ記憶に新しい。 こんな動画を堂々と
    映像センターで流しておきながら、言っている事とやっている事に乖離が見られる
    東北電力は、余り信用出来ない。



    出典:河北新報
    東北電力女川原発1号機(宮城県女川町、石巻市)で2015年9月下旬、外部電源が
    失われ非常用発電機が作動した問題で、東北電の原田宏哉社長は28日、周辺
    自治体への連絡が遅れたことについて「社会的にどう受け止められるかの感度が
    鈍かった。 地域に迷惑を掛け申し訳ない」と陳謝した。

    原田社長は定例記者会見で「東京電力福島第1原発事故以降、電源喪失や冷却
    設備の停止は地域の一大関心事になった」と説明。 同様の事態が発生した場合
    には「速やかに発表していきたい」と述べた。
     
    連絡が遅れた周辺自治体は原発から30キロ圏内にある緊急時防護措置区域
    (UPZ)の登米市など5市町。 東北電は法令や安全協定に定めがないことを理由に
    挙げていたが、地元からは改善を求める声が出ていた。

    国や立地自治体にはトラブル発生直後に自主的に連絡していた。
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    東北電力女川原発は、津波災害での事故は免れたものの、これまでに、度々地震での
    運転停止や、非常用電源回路の喪失事故を起こしているため、実際に事故が起きた際の
    具体的な避難場所を含めてのより実践的な訓練が必要。 特に、原発立地自治体の石巻は、
    市の全域が全て30キロ圏内に入るため、30キロ圏内の自治体だけでは、全住民の
    受け入れは不可能となっており、どの自治体が、どの程度の数の避難者を受け入れるのか、
    具体的な数値を決めなければならない。

    女川原発の体育館には、最大で364名が3ヶ月以上にも渡り、避難生活をしていましたが、
    大手メディアは、その事実を一切報じませんでした。 また、女川原発は、4月7日に起きた
    余震により、5本ある非常用電源回路の内、4本までもが消失し、後もう1本電源回路が
    消失していたら、福島と同じ運命でしたが、その事もこのビデオではハッキリと言っている
    ため、必見です。

    >>七十七銀行津波訴訟署名活動にご協力お願いします



    有事の際には、原発からギリギリ30キロ圏外にある涌谷町、美里町が、その受け入れ先の
    最前線になります。 原発のすぐそばに、航空自衛隊があるのは、全国でも石巻のみ。
    実は、女川原発は、撮影禁止のため、これ以上の画像はありません。
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    日本で唯一のアクロバット展示飛行が出来る「ブルーインパルス」の本拠地は、石巻地区
    なので、全国の航空祭等でも、被災地の状況や、原発問題等もハッキリと言うべき。
    入間基地や百里基地まで、ブルーインパルスを見に行った際には、「ブルーインパルスは、
    被災地からやって来た」とは1度しか言わなかった。

    こちらの動画では、石巻市長面・尾崎地区には、震災後2年5ヶ月間も電気がなかったと
    ハッキリと言っています。 尚、この両地区に水道が開通したのは、東日本大震災から
    4年8ヶ月後の2015年11月。

     

    出典:河北新報
    東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)の重大事故に備え、県と原発から
    30キロ圏にある女川町など7市町は2015年10月30日、本年度の県原子力
    防災訓練を実施した。 自治体や自衛隊など70機関と住民約2万8000人が参加し、
    非常事態での対応や避難手順などを確認した。

    訓練は宮城県沖で地震が発生し、運転中の2号機が自動停止後に全交流電源と
    原子炉冷却機能が喪失。 炉心が損傷し、外部に放射性物質が放出された
    との想定で行われた。
     
    現地災害対策本部が置かれた仙台市宮城野区の暫定事故対応拠点
    (オフサイトセンター)では、国や県、7市町と参加機関の担当者が情報収集や
    住民への避難指示といった対応の確認に追われた。 村井嘉浩知事や7市町の
    首長らがテレビ会議を通じて状況を報告し、国に支援を要請した。

    7市町では住民も参加し、バス、自家用車での避難や屋内待避、ヘリコプター
    でのけが人搬送などに取り組んだ。 原発事故に備える避難計画策定後初の
    訓練となった東松島市は、30キロ圏の住民に防災無線やエリアメールで屋内
    待避を指示し、小中学校12校の屋内待避状況を確認するなどした。

    登米市豊里町から同市米山町の中津山公民館に避難した無職酒井和義さんは
    「訓練はスムーズに終わったが、本当の事故の場合は大変な渋滞になる
    恐れがある。 狭い道もあり、大型バスでは進みにくいかもしれない」と指摘した。
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    2015年11月28日(土)、地元の人間ですら、全く知らない宮城県石巻市内の無名の
    小さなライブハウスで、X JAPAN の被災地での約束が果たされた。 X JAPANに
    とっては、24年ぶりのライブハウスでのチャリティーライブとなり、「ヤフオク!」での
    チケットオークション落札総額は2,828万9,358円に上った。 中央共同募金会を
    通じて全額寄付され、東北被災地の子どもたちの支援に充てられる。
    20151128221246
    被災前の石巻にやって来る歌手と言えば、演歌歌手と売れない歌手だけと相場が
    決まってたのだが、東日本大震災以降は、実に様々なミュージシャンがやって来た。
    極めつけは、アメリカから、2度もシンディ・ローパーがやって来て、小学校と
    幼稚園にピアノを寄付して行った。 AKBもやって来た、さだまさしもやって来た、
    長渕剛もやって来た、加藤登紀子もやって来したし、八代亜紀もお忍びでやって
    来たぞw
    xjapan_tuika_ishinomaki
    2011年3月11日の震災当日、シャンソン歌手のクミコさんが、石巻市文化センターで
    コンサートのリハーサル中に被災して、そのまま地元民と共に避難生活を送ったのは、
    かなり有名な話で、それ以降、クミコさんと石巻の関係は続いているのだが、
    その石巻の関係者が、余りにも酷過ぎて、一言では言い表せないのが残念。



    X JAPANで街興しして欲しいぞ石巻w
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    夢のような約束が実現する――。人気ロックバンド「X JAPAN」が11月28日、
    石巻市のライブハウスから世界ツアーをスタートさせる。 被災地にある150人
    収容の小さなステージを選んだその始まりは、2年前に現地を見たリーダーの
    YOSHIKIさん(50)が、ライブハウス従業員につぶやいた一言だった。

    今年9月、ライブハウス「石巻ブルーレジスタンス」の従業員山村孝雄さん(32)は
    一瞬、耳を疑った。「X JAPANのライブをするので会場予約をしたい」。
    イベント主催者が店にかけてきた電話は、そう告げていた。 山村さんは
    「あの時の言葉は、約束だったんだ」と気づいた。

    2013年9月、YOSHIKIさんが自分の目で被災地を見たいと石巻を訪れ、
    幼稚園や小学校を回った。 最後に立ち寄ったブルーレジスタンスで、運営
    資金を寄付してくれた人の名前を書いた木札を店内に貼っていることを知った。
    YOSHIKIさんも3万円を寄付した。

    そして帰り際。 「ここからワールドツアーを始められたらいいね」とぽつりと
    口にした。 案内した山村さんは何と答えればよいのか、言葉に詰まった。
    「夢みたいな話で、冗談だと思っていた」と振り返る。 
    -------

    リーダーのYOSHIKIは2013年9月、被災地の石巻を訪問。幼稚園や小学校を
    回り、最後に訪れたのがこの日公演を行ったライブハウスだった。 当時、
    再訪を約束したYOSHIKIは、X JAPANにとって24年ぶりとなるライブハウス
    公演を行うことで約束を果たした。

    震災復興チャリティーコンサートとして開催された同公演に入場できる観客は
    わずか150人。 半数の75枚はインターネットオークションサイト ヤフオク!内
    特設サイトのチャリティオークションに出品され、残りの半数75枚は地元の
    石巻市・東松島市・牡鹿群女川町在住者を対象に無料招待した。

    ライブハウスには、石巻市長をはじめ、地元を代表した高校生たちがお出迎え。
    会場から15分ほどの場所にある石巻市総合体育館では、急きょパブリック
    ビューイングが行われ、約3,000人がスクリーンに向かって大声援を送った。
    『ニコニコ生放送』を通じて全世界にもネット配信され、番組中も視聴者に寄付を
    呼びかけた。

    「ヤフオク!」でのチケットオークション落札総額は2,828万9,358円にのぼり、
    中央共同募金会を通じて全額寄付。 東北被災地の子どもたちの支援に
    充てられる。

    X JAPANの日本ツアーはこの後、12月1~4日の横浜アリーナ4daysを皮切りに、
    7日に大阪、9日に福岡、11日に広島、14・15日に名古屋の5都市で計9公演開催。
    大みそかには18年ぶりに『NHK紅白歌合戦』に出場する。
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    東日本大震災から、4年半以上が経過し、一部では、既に大災害の風化すら終わって
    いるが、3,500名以上の死者を出した、最大の被災地である、宮城県石巻市では、
    未だ、震災以降に関する意見がまとまってはいない。 子供を失った遺族の間でも、
    意見が分かれ、話がまとまらないためだ。

    石巻市は、今月の28日にも、市民に対して、門脇小学校と大川小学校の両校舎を震災
    遺構として、存続を問うためのアンケートを送付するが、未だ意見は容易にはまとまり
    そうにない。

    石巻市は、12年ほど前の宮城県連続地震でも被災したが、その時の震災遺構は、
    何一つとして残さなかったため、既に記憶の彼方に消え去っている。 同じような
    誤ちを繰り返さないためにも、震災遺構は、必要なものだが、市民の納得は、容易に
    得られそうもない。

    【石巻市立大川小学校付近】


    <震災遺構>亡きわが子と会うため通い続ける
    東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市大川小の
    児童遺族が、悲しみを抱きながら被災校舎に通い続けている。 震災から4年7カ月
    たった今も教室などで、わが子に思いをはせる。 大川小と門脇小を震災遺構候補に
    挙げる市は28日にも、両校舎の保存の賛否などを問う市民アンケートを送るが、
    遺族からは「遺構としての意義をじっくり考える過程が必要だ」と異論もある。

    「ここに来ると娘がいるなという気持ちになり、心が落ち着く」。 只野英昭さん
    (44)は20日、校舎を訪れ、3年生だった長女未捺さん=当時(9)=が学んだ
    教室を丹念に掃除した。 市の相談員や臨床心理士と合流し、校舎を歩きながら
    震災前の様子などを語る。 市震災心の支援室が2014年度から、市立小児童
    遺族ら約150世帯を対象にした支援の一環だ。 只野さんは相談員ら2人に
    現在の心境を打ち明けた。 「校舎を残したい遺族や壊したい遺族が本音を
    話し合い、理解を深めるプロセスが大事。アンケートの実施は尚早だ」

    大川小の児童遺族は54家族に上る。学校との関わり方は一様ではない。花壇の
    花植え、慰霊碑の清掃、行方不明者の捜索…。
    一方、「同じ悲劇を繰り返してほしくない」との思いは多くの遺族に通じる。
    6年生だった次女真衣さん=当時(12)=を失った鈴木典行さん(50)は9月、
    文部科学省の学校事故対応に関する有識者会議ヒアリングに出席した後、記者会見で
    訴えた。 「遺族の気持ちに近づかなければ絶対に良い事故対応指針はできない。
    想像してください。 なぜ、亡くなったわが子を抱きしめなければいけないのか」
    鈴木さんは校舎の外にあるプールを修復し、17年夏に水を張る構想を描く。
    14年夏に校舎を訪れた際、土砂の積もったプールが目に留まった。 
    「子どもたちが楽しみ、笑顔があふれていた場所。きれいにしたい」。 1人で
    土砂を取り除く活動を始めた。 理解を示したボランティアや遺族ら十数人が
    加わり、約2カ月かけて除去した。
     
    亀山紘市長はアンケートなどを踏まえ、年度内に保存の是非を判断する方針。
    神奈川県の高校2年生50人が研修旅行で26日、大川小を訪れ、6年生だった
    次女みずほさん=当時(12)=を亡くした佐藤敏郎さん(52)の話を聞く。
    佐藤さんは「悲しみは校舎がなくなっても消えるものではない。 悲しみを
    多くの方に伝えることで命の大切さを深く考えることにつながると思う」と
    訴える。 
    shibousyamap

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    毎年7月31日と8月1日に開催されている『石巻川開き祭り』は、北上川の流れを変えて、
    石巻に港を開いた川村孫兵衛を称えるお祭り。 東日本大震災で、被災するまでは、
    川に灯籠を流す灯篭流しはなかった。

    宮城県内の河川は、沼地を開拓して、水田を開墾するために、江戸時代にその
    流れを変えたものばかりであるため、天然の河川は殆どない。 河川の流れを
    変える事によって、仙台藩は、その石高を元の約4倍まで引き上げたため、実際の
    仙台藩の石高は、約250万石とも言われており、伊達家は、最終的には、徳川宗家に
    次ぐ第二勢力にまでのし上がった。



    その中心地が、この石巻で、江戸時代までは、仙台藩唯一の港街として、体外的な貿易を
    一手に引き受けていたため、仙台よりも石巻の方が新しい物が入って来るスピードが早く、
    石巻の方が発展していると言われたほど。 その後、戊辰戦争に敗北し、明治政府の
    愚策により、幹線鉄道からは完全に外されてしまったため、現在に至るまで、石巻が
    発展する事はなかった。

     

    石巻川開きは、元々は、8月1日と2日に開催されていたが、恐らく、古川祭と1日被るため、
    日程が変更され、例年固定開催となっている。 被災直後は、東京ディズニーランドからも
    ミッキーとミニーマウスが来石して、話題になったが、最近は、被災の風化が進んだため、
    若干注目度が落ちている。



    マンガで街興しをしている町らしく、お祭りの期間中は、コスプレーヤーも登場するが、
    航空自衛隊アクロバット飛行隊の本拠地らしく、ブルーインパルスが展示飛行を行う
    という地方のお祭りとしては、かなり珍しい出し物もあるが、東北最大級とも言われて
    いた、花火大会が、予算不足のために、規模を縮小して開催しているため、真の意味
    での復興はまだまだ遠いと言えるのかも知れない。

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    東日本大震災の犠牲者を一時的に土葬した『仮埋葬』の跡地の大半が、当時の
    形跡すらない状態になっている。 宮城県内6市町の15カ所は、復興工事の
    作業場や更地になり、伝承碑などは設けられていない。 荼毘に付して弔う
    こともできないほど過酷だった震災の現場をどう語り継ぐのか、課題を指摘
    する声も出ている。

    宮城県内で仮埋葬がなされた場所は図の通り。 石巻市が最多の7カ所で、
    亘理町3カ所、気仙沼市3カ所、東松島市と女川町、山元町各1カ所だった。
    各地とも犠牲者の多さに火葬の処理能力が追い付かず、震災後の2011年6月
    までに計2,108人の遺体を一旦土葬した。 その後、掘り起こされ、同11月
    19日までにようやく全て荼毘に付された。

    20150805_060010jc

    埋葬地には公園や墓地などが選ばれた。 石巻市のうち雄勝地区では、公園脇の
    市有地で52人を仮埋葬した。 現地にはいま、被災した岸壁工事の業者向けの
    作業小屋が立つ。 門脇地区の広場は、12年秋に人工芝を敷き、早期に復旧した。
    市内の他の5カ所も当時の状況を伝えるものはない。 市の担当者は『家族
    としては受け入れ難い緊急避難措置だった。 そうした感情を考えれば残す
    選択はそぐわない』と語る。



    亘理町の観音院は仮埋葬地を提供。 跡地には砂利を入れ、駐車場として
    使えるように整備した。 既におはらいの法要が執り行われた。 和尚の
    本郷正繁さん(73)は『たとえ慰霊碑を建てるにしても誰がやるのか』と
    戸惑う。 仮埋葬地をめぐっては12年、宮城県内外の有識者でつくる
    『3.11震災伝承研究会』が15カ所を震災遺構の保存候補に挙げたが、機運は
    高まらなかった。 研究会座長で減災・復興支援機構(東京)の木村拓郎
    理事長は、『災害のスケールの大きさを物語る場所で、個人的には残念に思う。
    仮埋葬があった現実を伝える看板などの設置をどこか1カ所でも考えても
    いいのではないか』と話す。

    【お勧めの一冊】



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    常に黒い噂が絶えない政治家と言えば、民主党議員の辻元清美。 元ピースボート
    主催者で、在学中にこのピースボートを立ち上げたが、その後、社民党の土井たか子に
    請われて、政界入りを果たした筈が、その社民党をもいとも簡単に簡単に見限った。

    東日本大震災が起きた際に、宮城県には、重機がなかなか入って来なかったため、
    家屋に押し潰された遺体は、そのまま約4ヶ月もの間、放置された。 その重機を
    被災地に入れるのを阻止していた政治家と言われているのが、この辻本清美。

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    辻本清美が創設したピースボートは、東日本大震災の最大の被災地である
    石巻にやって来て、ボランティアから、宿泊費込とは言え、6,000円前後の金額を
    善意で訪れたボランティアから参加費用としてふんだくっており、今でも石巻に
    平然と居座っている。



    辻本清美は、人の顔を被ったエテ公ならぬ、人間にすらなれなかった猿そのもの
    なので、まともな生き物とは言えない。 公式サイトは、色々なデマに対する
    言い訳が述べられているが、被災地で大金を稼いだ事実は消えない。

    東日本大震災でやらかした人まとめWiki

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    【日和山】
    標高50メートルほどの日和山から望む太平洋の景色。 半年前に訪れた際と
    何も変わらず。 よくよく見ると、防波堤が建設されて、海側を通ったところ、
    海が全く見えなかった。 昔は、太平洋を眺めるための2階建ての展望台も
    あったのだが、それも津波で流されてなくなった。 2015年5月31日、この
    門脇地区で、ようやく用地買収の目処が立ったため、第一回目の遺体捜索が
    行われた。

     

    この付近では、約3,000名が死亡し、大規模な津波浸水区域であっため、住宅の
    建設も完全に禁止。 今後この場所は、国立の復興記念公園として整備される
    ため、元の住民がこの地に戻る事はない。 東洋一の規模を誇る石巻港だが、
    その有効活用は難しい。 15年ほど前に大々的に海を埋め立てて建設された
    埠頭の先には、2年後に火力発電所が建設予定。 その予定地には、約3年間に
    渡って、瓦礫の山と、日本最大の仮設焼却炉が置かれてあった。

    【日和山からの景色と門脇地区】
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    【門脇】
    日和山から見える石巻漁港から門脇地区を海側から進むとこんな感じの景色と
    なっている。 約3,000名が死亡した門脇地区では、防波堤の大規模建設が進め
    られており、海のすぐ隣を走っているものの、車からはもう海は見えなった。
    津波災害により、空き地が増えたものの、ところどころで、新しい家の建設が
    行われいた。 石巻港駅は、一部では営業を再開したものの、かなり規模が
    縮小された。 この場所に到達した津波の高さは、約7メートル。 石巻はロシアと
    定期貨物航路で結ばれていたが、被災後、ロシア人の姿は全く見掛けなくなった。
    門脇は、『かどわき』とよく間違われるが、正しい読み方は『かどのわき』。

    【巻石 / ハリストス正教会 / 風月堂】
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    【巻石】
    この日は、朝からかなりの干潮であったため、5年ぶりぐらいで『巻石』を見た。
    この『巻石』は、石巻の地名の元となったもので、この周辺は、約1メートル程
    地盤沈下したため、通常、巻石は水没しており、今となっては、かなり珍しい
    風景。 この巻石がある住吉公園は、仮設の防波堤を建設したため、入り口を
    全てコンクリートで塞がれて、中に入る事が出来なくなった。 尚、萬画館の
    すぐ目の前では、新しい橋の建設が進んでいた。 橋の完成後は、萬画館の
    ある中瀬を通らずに女川方面へ抜ける道となる。

    【石巻ハリストス正教会】

    津波で破壊された旧ハリストス教会は、現在は取り壊され、更地となっているが、
    そこから歩いて10分程度のところに、この教会がそのまま残っている。 津波被害を
    受けた教会は、木造のハリストス教会としては、日本最古のものであったが、元々は
    その場所にあったものではなく、40年近くも前に中瀬地区を再開発した際に、
    その場所へわざわざ移築したもの。 現在津波で流されて荒涼としている場所は、
    元々は木々が生い茂ったちょっとした林のような場所であったのだが、その林を
    全て伐採して、現在のような公園が整備された。

    【ベーリング】
    石巻は、日本とロシアが歴史上初めて接触を持った場所で、その交流の地と
    なった網地島には、それを記念して、ベーリングの像が建てられている。 石巻は、
    被災前までロシア極東のワニノとの間に貨物定期航路があったため、ロシア人が
    かなり町中を歩いていたが、今ではひとりも居ない。

    風月堂
    ゲテモノアイスで有名な風月堂。 陸前山下駅前のすぐ目の前にあるのだが、この
    付近の道はかなり入り組んでいるため、車で来るのは結構難しい。 今回は、ワサビ
    アイスを試してみました♪ この他にも、マムシ、クジラ、タコ、エビ、ナマコ、サンマ、
    その他生臭そうなアイスが目白押しとなっておりますが、商品開発にはかなり
    熱心な割には、余り販売の方には力を入れていないのが、凄まじい。
    この場所も1メートルほど津波で沈んだため、陸前山下駅は、被災後に立て直した
    もの。

    被災直後から幽霊が出没すると地元ではかなり有名なヨークベニマルに行ってみた
    ところ、かなり小綺麗な店舗に改装されていてビックリ。 レジの辺りに何人もの
    遺体が流れ着いていたという話を聞いた事があるが、今ではこんなに楽しく買い物が
    楽しめます。 そして何もなかった事に。。 この店舗の改装の際には、途中で業者が
    何社も入れ替わり、そのうち一社の社長が自殺した。 東日本大震災最大の被災地
    である石巻も最近では、パッと見だけでは被災地には見えなくなってきた。 このすぐ
    隣にある、ホームセンターも被災直後は、ボロボロだったが、今では何も無かった
    かのように営業をしている。

    【ヨークベニマル / サンファン館】
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    今から約400年前の1613年(慶長18年)、仙台藩主伊達政宗が、仙台領内での
    キリスト教布教容認と引き換えに、ノビスパニア(メキシコ)との直接貿易を求めて、
    イスパニア(スペイン)国王およびローマ教皇のもとに派遣した慶長遣欧使節団。
    使節に選ばれた家臣支倉常長は、宣教師ルイス・ソテロと共に、仙台藩内で建造
    された洋式帆船『サン・ファン・バウティスタ号』で太平洋を渡った。 メキシコを経て
    イスパニアに至り、国王フェリペ3世に謁見、さらにローマに入り教皇パウロ5世に
    拝謁したが、幕府のキリスト教弾圧などからその目的を達する事が出来ず、
    7年後の1620年、常長は失意の内に帰国した。

    この場所で展示されているガレオン船は、その当時の復元船となっており、当時
    日本へと持ち帰った資料や、スペインに残っていた資料他は、現在『世界記憶遺産』
    としてユネスコに登録をされている。 但し、その展示物は、仙台市博物館に展示を
    しているため、ここでは見る事が出来ない。 遠くに見えているのが石巻の中心街。

    テイラー・アンダーソンさん
    アメリカからやって来た英語教師、テイラー・アンダーソンさんが津波に飲み込まれて
    死亡した現場付近。 この日は、テイラーさんが英語教師として働いていた万石浦
    小学校で運動会が開かれていた。 通常は、このような一般的な住宅街なのだが、
    地震直後に迎えに来た家族へと全ての児童を引き渡した後、この万石浦小学校から
    自転車に乗り、帰宅する途中で津波に襲われ帰らぬ人に。 すぐ近所にはイオンが
    ある閑静な住宅街となっている。 詳細は、ブログを参照。 尚、ブログには記載しな
    かったが、テイラーさんの最後は、燃料不足のために遺体を燃やせなかったため、
    埼玉まで遺体を運んで、そこで荼毘に付したというのが事実。

    この時に遺体を燃やせなかった人達は、一旦土葬にして、後日再埋葬にした。
    宮城県内の全ての遺体の火葬には、2年は掛かると当初言われたものの、実際に
    全ての火葬、並びに、再埋葬が終了したのは、2011年の12月末。 当時、東京では、
    放射能汚染瓦礫受け入れ反対と声高高に訴えている人達も居たが、宮城県内では、
    瓦礫以前に、遺体を燃やすための燃料が圧倒的に不足していたため、多くの遺体が
    県外で火葬された。
     
    【万石浦小学校付近 / いしのま☆キッチン / 石巻駅前】
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    いしのま☆キッチン
    JR石巻駅とそのすぐ隣にある石巻市役所。 その一階には『いしのま☆キッチン』が
    ある。 石巻市役所は、元々は、VIVREというデパートで、その後、さくら野という
    デパートに代わったが、その後、郊外に建設されたイオン石巻に押されて倒産。
    しばらく空き家になっていたところ、市役所の老朽化が激しいという理由により、
    石巻市役所がここへ移転して来たもの。 デパート時代には、ここの最上階には、
    シネコンもあったが、全て郊外のイオン石巻へと移転してしまった。

    この場所は、元々は、マクドナルト、その後、ポッポというヨーカドー系列の食堂だった
    のだが、津波災害後に、ボランティアとして石巻を訪れたスタッフが、地元での雇用を
    確保したいという考えから、その経営を引き継いだお店。 石巻駅前は、有名な
    シャッター通りで、人通りが非常に少ないため、かなり不利な立地条件でありながら、
    それでも頑張っている『いしのま☆キッチン』を応援して欲しい。

    石ノ森萬画館
    その作品数でもギネス認定をされている石ノ森章太郎氏を記念したマンガの博物館。
    館内には、仮面ライダーを始め、サイボーグ009、ロボコン、キカイダー、猿飛エッちゃん、
    シージェッター海斗他、数々の石ノ森作品の展示が行われている。 中でも、必見
    なのが、仮面ライダーとサイボーグ009の新展示品の数々。 現在、萬画館の屋外
    では、『仮面ライダー3号』の上映を記念して、トライサイクロンを展示中。
     
    『萬画』とは、石ノ森氏自らが提唱した『萬画』宣言によるもの。 漫画との主な違いは、
    面白おかしいだけではなく、多様なテーマが表現可能と言うもの。
     
    『萬画宣言』
    萬画は万画(よろずが)です。全ゆる事象を表現できるからです。
    萬画は万人の嗜好に合う(愛されるし親しみやすい)メディアです。
    萬画は一から万(無限大の意も含む)の駒による表現です。
    従って萬画は、無限大の可能性を持つメディアである、とも言えるでしょう。
    萬画を英語風に言えば、Million Art。Millionは百万だが、日本語の万と同じく
    「沢山」の意味があるからです。頭文字を継げればM・Aです。
    M・Aは即ち”MA”NGAの意。

    よって、現在この萬画館が建っている中瀬地区は、『マンガッタン』とも呼ばれている。

    【石ノ森萬画館】 
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    石ノ森萬画館は、北上川河口に浮かぶ中瀬にあるため、津波による被害が甚大であった。
    一時は、萬画館自体が孤立し、被災直後は、5日間ほど避難所として使用され、40名程が
    ここで共同生活をした。 現在は、館外に移されたロボコンとガンツ先生の像や、一階
    部分にあるスケルマンの像は、津波により破壊された。 館内入口付近に建っている
    シージェッター海斗の像、並びに、市中心部に建っていたキカイダーの像は、共に津波
    により流出し、遠く離れた場所で瓦礫の中から発見されたものの、損傷が激しく、東京の
    某制作会社より無償で寄贈されたもの。 一階部分のキャラクターグッズを取り扱った
    お土産屋は、津波で水没し、倉庫にあった在庫ごと全の商品が流失したが、その後、
    奇跡的に復活を果たしたもの。

    石ノ森萬画館1階部分は、東日本大震災により、全て水没し、展示物等もほぼ全て津波に
    より流出したが、現在では、大々的な改装工事が施されて、被災前よりも綺麗になった。
    石ノ森氏は、マンガを書くスピードがとても早かったようで、その作品数が多種多様である
    事でも知られてる。 ヒーロー好きな方には大変オススメな場所となっており、この萬画館の
    他にも、県北部の登米市の方には、『石ノ森ふるさと記念館』があるが、そちらは、
    大型展示等は行ってはおらず、主に原画やこれまでに販売されたフィギュア等の展示を
    行っている。

    石ノ森萬画館の2階では、石巻のご当地ヒーロー、シージェッター海斗の映像を公開して
    いる。 ご当地ヒーローとは言うものの、シージェッター海斗は、石ノ森氏の作品にはならな
    かったデッサンを元に、石森プロが制作したもので、日本各地に存在している非公認の
    仮面ライダーや、戦隊キャラクターものとは一線を画している。 萬画館で上映している
    シージェッター海斗の映像も、仮面ライダーシリーズを手掛けているスタッフが制作した
    かなり本格的なものとなっているため、親子連れでも楽しむ事が出来る。

    【石ノ森萬画館】
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    現在では人影まばらな石巻駅前で、ひっそりと売られているTシャツ他、石巻グッズ。
    30年ほど前に、石巻バイパスが開通するまでの石巻駅前は、かなり活気があり、土日
    などは、買い物客で賑わったものだが、今となっては、商店街の約3分の2強がシャッターを
    閉めている典型的なシャッター通り。 被災後は、人口の流出が止まらず、商店街内での
    話し合いもままならないため、復興は遅々として進まない。 噂では、約2万人以上の
    人達が石巻から出て行ったとも言われている。 昨年度は、地価上昇率日本一を記録
    した石巻だが、今年に入ってからは、若干安定して来た。 石巻駅が、殆ど機能しない
    のは、新幹線や東北本線から大きく外され、三陸自動車道が通るまでは陸の孤島状態
    であったため。

    これでも藩政時代までは、仙台をも上回ると言われた仙台藩随一の都市であったが、
    鉄道空白地域としての100年は長かった。 尚、現在使われている石巻駅は、100年
    以上も前に開業した当時のままで、仙石線のホームを統一した際に、リニューアル
    されたものを今でも使用している。 駅前からの客離れが激しいため、石ノ森キャラクター
    での街興しを狙ったが、さほど集客力が無いため、通行人よりも、このキャラクター像の
    方が多くなっている。

    【石巻グッズ / 立町商店街】
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    石巻立町商店街
    石巻立町商店街では、今年の夏に老朽化により、アーケードが取り払われたため、
    このような景色となった。 例え古くとも、雨が降った際には、雨宿りが出来るため、
    それはそれで便利であったのだが、維持費がかさむため、撤去が決定された。
    石巻駅前に集客力がないのは、道路が狭い事と、駐車場がない事、それに加えて、
    小さい個人商店の集まりでしかないため、買い物が非常に不便である事が挙げ
    られるが、そのような場所に、特に何も考えずに復興商店街を建設したため、被災地
    買い物ツアーが殆どなくなった今となっては、その復興商店すら閑古鳥が鳴く始末。

    元々、石巻は、水産品に極端に依存をしているため、魚が嫌いな人には買うべき
    品物すらない。 漁獲水揚げ高全国第3位の街の中心部がこんな寂れた場所に
    なってしまったのは、何とも寂しい限り。 被災後にますますその勢いを増すイオン
    石巻とは、正に好対照。 つい先日、この付近に出店を計画していたヨークベニマルの
    白紙撤回が発表されたばかり。

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    震災から4年2ヶ月ぶりに石巻に帰って来る205系マンガッタンライナー☆
    全車両石ノ森キャラクター塗装で、このキャラクター塗装車両は、2パターン
    あります♪ これまでの石巻は、仙石線が止まったままであったため、市内の
    交通量が約2倍程あったのだが、仙石線は止まっても鉄道と並走している
    三陸自動車道は無料にはならなかった。

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    仙台⇔石巻間は、仙石線で行くよりも、高速バスの方が早いため、どこまで
    仙石線に乗客が戻せるかが鍵。 また、仙石線が全通した事により、これまで
    石巻線経由で運転をしていた直通の特別快速と、石巻線のマンガッタンライナーは
    姿を消す事となった。

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    【仙石線マンガッタンライナーと石巻線マンガッタンライナー】
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    営業再開直前のJR仙石線の旧野蒜駅前。 建物と松林は100%全て流されたため、
    一切何もなくなりました。 元々は住宅地で、防潮林が生い茂るうっそうとした松林が
    ありました。 旧野蒜駅から野蒜海岸までは、歩いても3分程度なのですが、その
    変わり果てた景色は、東日本大震災の被災地の中でも、最も景色が変わり果てた
    場所のひとつ。 この付近で死亡した人達の数は約500名。 旧野蒜駅の遥か山側に
    新しい野蒜駅のホームが見えています。 防潮林があった場所には、3年の長きに渡り
    瓦礫が置かれ、現在では、15メートル程度の新しい防波堤が建設中。 野蒜地区は
    5月30日に山の上に集団移転をして街開きを行うため、この付近が住宅地に戻る事は
    もうない。

    【旧野蒜駅前と野蒜海岸】
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    東北最大の海水浴場である野蒜海岸には、日本の開国直後に『明治三大築港』と
    呼ばれる大規模港湾が建設されましたが、数年後にこの地を襲った台風により、
    港湾施設が破壊され、その後、この地に港は戻らず、新たに横浜に港が開かれ
    ました。 この付近は、本州で最もアメリカ大陸に近い場所であり、港として最適で
    あったため、港が建設されたもの。

    その築港跡を世界遺産に推す動きもありましたが、その築港跡も津波で流出した
    ため、現在では、全て幻と化している。 野蒜海岸と宮戸島は『奥松島』とも呼ばれる
    風光明媚な観光地でしたが、今ではその面影すらない。 新旧防波堤の間を県道が
    走っているが、その周囲には一切何も残っていない。 もう一本内側の道路は、
    現在では工事車両のみで、一般車両の通行が出来なくなった。 海側にある防波堤は、
    25年ぐらい前に2メートル程嵩上げして5メートル程度まで高くしたものだったのだが、
    全く役には立たなかった。
     
    野蒜海岸をそのまま進むと日本三大渓谷のひとつ『嵯峨渓』があり、遊覧船に
    乗る事が出来る。 元々は別の場所に桟橋があり、津波災害後に宮戸島に
    移転したもの。 但し、嵯峨渓は、松島から遊覧船に乗った方が1,000円程度
    安くなるのと、松島の方が遥かに交通の便が良いため、そちらから乗船した方が楽。
    この付近は、地盤沈下により、3年以上にも渡って海に沈んでいたのだが、安倍首相は
    何度東松島に来ても、その場所を訪れる事はない。

    これまでに訪れた場所は、既に復興が完了した航空自衛隊と既に完成した災害復興
    住宅他。 東松島は、国道45号線や三陸自動車道も通っているものの、皆石巻へ
    行く際に素通りしてしまうため、殆どの人達が、その被災度合いに気付かない。
    東松島の被災地は、国道や高速道路からは見えない。 大高森にある展望台は、
    松島四大観のひとつ『壮観』。

    【大高森からの奥松島の景色】
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    遥か遠くに野蒜海岸付近が見えるが、津波で何もかもなくったのが、ここからは良く
    見える。 松島の島は、八〇八島とも言われているが、実際の島の数は、約260程度。
    この付近は、砂が白いため、海は松島よりも、奥松島の方が綺麗。
     
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    お寺があった場所に新たに設置された地蔵。 後世に津波災害の恐ろしさを伝える
    ために設置されたもの。 ここにあったお寺は、境内ごと津波で流されて、直ぐ目の
    前の川に落ちていたのだが、現在では、その川も埋め立てられて、何もなくなった。
    元々観光桟橋であった場所は、1メートル近く嵩上げされて、何もなくなった。 現在
    沿岸部各地では、防波堤が建設されているため、景色が一変し、どこからも海は
    見えなくなった。

    仙石線が営業再開を果たしたので、是非被災地を訪れて直接自分の目で見て欲しい。

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    シンディ・ローパーが2012年3月5日(月)、東日本大震災で津波の被害を受けた
    宮城県石巻市立大街道小学校を訪れ、子どもたちに桜の苗木10本と元気を贈った。
    震災が発生した2011年3月11日に、日本公演のために日本へ向けて飛行中だった
    シンディは、我々日本人と一緒に震災を目の当たりにした。 災害発生により、
    7時間も遅れて、横田基地へと着陸したものの、多くの外国人が日本を離れる
    中にあって、彼女は『こういう時こそ音楽で力を与えたい』と帰国せずに、
    公演と募金活動を行ってくれた。



    震災から1年が経過し、シンディは再びツアーのために日本を訪れ、過密な
    スケジュールの中の唯一のオフを返上し、作詞家の湯川れい子と共に石巻市へと
    向かった。 今回訪れた石巻市立大街道小学校は、震災時に津波で校舎の1階が
    水没し、児童や近隣からの避難民500人が屋上に孤立してSOSの文字を掲げて
    救出を待った場所である。



    シンディは151人の児童が待つ体育館に両手を振りながら現れ、大きな手拍子に
    合わせて『ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン』の生歌を披露した。
    シンディは、生徒一人一人とサインや握手を行い、温かい心のこもった交流を
    行った。 また、シンディは、子どもたちに『寄付金ではなく形に残るものを』と
    桜の苗木(1.5m)10本を手渡し、復興のシンボルとしての願いをこめた。



    子どもたちは『もとの石巻に戻って、桜をみんなで見られるように、育てて
    いきたいです』と話した。 また、同小学校の校長先生は『世界的スターである
    シンディ・ローパーが来校するというご提案を頂いて、大変驚きましたが、
    何よりも、直接子供たちに声を掛けて頂ける事が励みになります。 震災以来、
    世界中からメッセージは頂いたのですが、ご本人がいらっしゃるという事は
    ないので、日本に来てくれて言葉を掛けて頂ける事が本当にありがたいです』
    と語った。



    『今回、湯川れい子さんのサポート、コーディネートでこの訪問が実現した。
    木を植える、育てるという事は、復興、再生という意味があります。 瓦礫を
    集めて片付けて、そこに土を入れて木を植えて育て、そこに高い防波堤を
    作れば、再び災難が起こらないように次の予防にする。 災難に備える事にも
    繋がります。 私が有名であるという事を使って世界からこの地が注目され、
    忘れられないでさらに支援が集まれば、まさに私がここに来た意味があります。
    子供たちには、私たちが本当にみな子供たちの事を思っているという事を
    分かって欲しい』とシンディ・ローパーは語った。

    震災からちょうど1年となる2012年3月11日には、東京・Bunkamura
    オーチャードホールでコンサートを開催し、このコンサートの模様は全国
    14ヶ所の劇場で同時生中継された。 被災地の宮城・石巻市、名取市、岩手・
    北上市、福島・福島市の4館では、無料でのライブ中継も行われた。 被災県
    以外の会場での収益金は、日本赤十字社を通じて、被災地に全額寄付された。
    帰国後の 再来日を誓ったシンディの約束は果たされた。 シンディが日本の
    復興にかける想いは、今もなお変わらない。



    その後、シンディは、津波によって波を被ってしまった『被災ピアノ』を修理の後、
    3台を石巻市に寄贈した。 2台は市内の小学校に寄付されたが、残りの1台は、
    石巻駅前にある私立病院ロビーに展示してある。

    【お勧めの一枚】


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