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    タグ:石巻市

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    原子力規制委員会は、2016年4月22日、東北電力女川原発2号機(宮城県女川町、
    石巻市)の新規制基準に基づく適合性審査会合で、敷地内の地質構造を詳しく
    確認するため、近く現地調査をする考えを東北電側に伝えた。

    57086a8b.jpg

    規制委は、女川2号機の審査の一環として、設備面を対象に現地調査した実績は
    あるが、地震分野で現地入りするのは初めて。 地震分野の審査を担当する
    規制委の石渡明委員らが、現地で東北電のボーリング調査結果などを確認する
    見込み。

    同日の審査会合で東北電側は、敷地内の重要施設の下に9本の断層があることを
    説明。 断層面の鉱物の分析結果などに基づき、いずれも新規制基準が活動性を
    考慮する時代より古い年代の断層で『将来活動する可能性はない』と強調した。

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    2011年3月11日夕、東北の震災被災地では広い範囲で雪が降った。 津波で
    ずぶ濡れになった人、建物の屋上で救助を待つ人…。 暖が取れない状況の
    下で、冷たい雪は多くの人の目に『非情の雪』と映った。 天候は夜には
    回復し、満天の星空が広がったが、それもまた『無情の星空』。 放射冷却で
    翌朝にかけて厳しく冷え込み、多くの命を苦境へと追い込んだ。

    561c76ec.jpg
    津波の後、雪が降り積もった被災地。寒さに奪われた命も少なくない
    2011年3月11日午後4時ごろ、宮城県南三陸町

    その時 何が 非情の雪、無情の星空(宮城・南三陸町)
    出典:河北新報

    皆、寒さでガタガタと震えていた。 唇は紫色で顔面は蒼白。 外は雪。
    低体温症の症状だった。 『震えがひどく、自分で思うように動けない人もいた。
    3人がかりで着替えさせた』 宮城県南三陸町の公立志津川病院の看護師
    佐藤のり子さん(52)は、目の当たりにした低体温症の怖さを思い起こす。

    海岸から距離約400メートルに位置する同病院は津波に襲われ、水は4階まで
    達した。 全身ずぶぬれになったり、横たわったまま水に漬かって半身が
    泥まみれになったりした患者も多かった。

    浸水を免れた西棟5階会議室には、入院患者42人と病院スタッフ約80人、
    駆け込んだ近隣住民約120人の計約240人がいた。 看護師らは5階の限られた
    物資で、患者の体温を保つ工夫を重ねた。 濡れた衣服を脱がせてタオルで
    包み、新聞紙を体に巻いた。 ゴム手袋もはめさせた。 床には段ボールを
    敷き、体を寄せ合うように寝かせた。 毛布代わりに介護用おむつと、外した
    カーテンを掛けた。

    『体を温めてあげたくても電気も火もない。 ありったけの物で、できる
    限りのことはしたんですが…』と佐藤さん。 必死の措置もむなしく、12日
    午後に救出ヘリが来るまでに、患者7人が低体温症等で息を引き取った。

    宮城県石巻市大街道小でも、女性1人が低体温症とみられる症状で亡くなった。
    東松島市野蒜小でも多くの人が濡れた服のまま避難。 割れた窓から吹き込む
    冷気が体温を奪い、お年寄りらが次々と低体温症で死亡した。

    宮城県警が震災から1カ月後にまとめた県内犠牲者8,015人の死因によると、
    低体温症を含む『その他』が58人いた。 あの日の冷え込み、その後の停電や
    燃料難による暖房の欠如…。 過酷な寒さが地震や津波から取り留めた命を死の
    ふちに追いやったのも、この震災の特徴だ。

    仙台管区気象台によると、東北太平洋側各地の気象データは震災後、津波被害や
    停電の影響で入手できなくなった。 宮城県内で唯一切れ目なくデータが残る
    仙台は11日午後、断続的に雪を観測。 第1波襲来後の午後4時半前後は見通しが
    利かないほどの強さになった。

    多くの証言によると、宮城県沿岸の各地は同日夕、雪に見舞われた。 夜は西から
    高気圧が張り出し、東北は広い範囲で晴れた。 気象台は当時の天気図から
    『12日朝は放射冷却で津波被災地は軒並み氷点下2~3度。 被災者には
    厳しい気象条件だった』と推測する。

    志津川病院の看護師畠山啓子さん(53)には二つの『もし』が交錯する。
    『もし、もう少し暖かかったら助かった人もいたかもしれない。 でも、もし
    阪神大震災のような真冬だったら、もっと大変なことになっていた』

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    北上川河口に近い宮城県石巻市北上総合支所の庁舎は、2011年3月11日の
    東日本大震災で津波の直撃を受け、全壊状態となった。 庁舎には少なくとも
    57人の住民や職員らがいたとみられるが、無事が確認されたのは男性職員
    2人と小学4年生の男子児童1人だけだった。 庁舎は指定避難所だったにも
    関わらず、生存率はわずかに5%。 多くの人が犠牲になってしまった。

    その時 何が 生存率5%(石巻市北上総合支所)
    出典:河北新報

    ab256416.jpg

    『支所に避難したから心配ないよ。 子どもたちも遊んでる』午後3時15分ごろ、
    建設会社従業員だった岡一也さん(33)は、宮城県松島町の現場からの帰り道、
    妻裕美さん(32)から電話を受けた。 明るい声で長女の吉浜小1年優心さん
    (7)、次女彩巴ちゃん(1)も一緒だという。

    『大丈夫だな』と思ったが、それが最後の会話となった。 地震直後から、支所には
    近所の人が集まっていた。 近くのデイサービスセンターを利用していた高齢者も
    職員に付き添われて避難していた。

    支所に立ち寄った消防団員の燃料販売業佐々木正人さん(49)は、知り合いの
    裕美さんに『山の方に行かないの?』と声を掛けた。 裕美さんは妹やめいとも
    一緒で、『後で母もこっちに来るはずだから』と答えた。

    佐々木さんは『庁舎の2階まで津波が来るとは想像しなかったが、車で避難出来る
    なら、近くの高台の方がいいのでは、と思った』と振り返る。

    002size31

    2006年に新築された庁舎は、鉄骨木造2階で延べ床面積は約2,400平方メートル。
    宮城県沖地震で想定される津波が高さ5.5メートルだったため、建物は1メートル高い
    海抜6.5メートルの場所に建設された。

    1、2階それぞれに支所の事務室と公民館部分があり、津波の際は公民館部分の2階
    多目的研修室に住民を避難させる計画になっていた。

    『多目的研修室、住民31人の避難完了』。 午後3時10分ごろ、2階事務室で災害
    対応に当たっていた支所地域振興課の今野照夫さん(50)に同僚から報告が入った。
    約10分後、支所と吉浜小の間の小川を津波がさかのぼった。 水かさがみるみる
    増し、津波は事務室に流入。 今野さんは『窓や壁もろとも外に押し流され、
    もの凄い水の勢いで地面に押しつけられた』という。

    何とか浮かび上がり、がれきにつかまった。 何度も気を失いながら漂流し、寒さで
    もうろうとしつつ民家に流れ着いた。

    北上総合支所によると、職員38人のうち、津波の襲来時に庁舎にいたのは19人。
    他に警察官や消防職員、警備会社員ら7人もいたが、無事だったのは今野さんら
    職員2人。 住民『31人』のはっきりした内訳は分かっていない。 救助されたのは
    4年生の男子児童だけだ。

    会社員千葉守さん(45)の長女で吉浜小6年の美里さん(12)と、千葉さんの母
    ゆり子さん(62)も支所にいたとみられる。 地震前、公民館の図書室にいる
    美里さんを吉浜小の教諭が確認している。 孫を迎えに向かうゆり子さんの姿も
    近所の人が見ていた。

    2人は今も行方不明。 『美里は、毎週のように単身赴任先の仙台に手紙をくれる
    優しい子だった』と千葉さん。 無念さと割り切れなさが募る。

    『津波で壊滅する建物がなぜ避難所なのか。 高台に避難者を誘導すべきだった
    のではないか』 津波は近くの吉浜小校舎の3階天井まで達した。 同校によると、
    卒業式準備のため学校に残っていた4、5年生の計5人と教職員10人は狭い屋上に
    逃げ、かろうじて難を逃れた。 全校児童49人のうち、死亡・行方不明は
    優心さんや美里さんを含め7人。 いずれも支所にいた可能性がある。

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