宮城県の被災状況は、やはり、地元出身者ではない人は、余り強くは語れない。
宮城県は、元々、半分程度が仙台弁のみで話している地域であるため、仙台弁が
完全に理解出来ないと、完全に中には入って行けない。 しょせん、ヨソ者扱いを
されるだけ。 このヨソから来た人達は、周囲を気にする余り、地元の人間に
対しては、余り強くは言えない。



被災者の被害者意識は、増大するため、自分だけが被害者だと思いがちだが、
それは間違っている。 今でも、内陸部では、沿岸部を見たくないと言う人が
多数居るが、今の現実を完全に受け止めて、この先、この事を一生忘れるなと
言いたい。 石巻が一番地獄を見たのも十分知っているが、それでも、もう少し
だけ、周りを見てくれても良いと思う。

被災地で、略奪はなかったと言う話は、全くのウソで、実際の被災後は、略奪
だらけだった。 それでも、東北には優しい人が多いため、警察には届けな
かったり、逆に、困っているのであれば、持って行って下さいと言った人が
多かった。 宮城県内では、遺体を燃やすための燃料が足りなかった時に、
関東では、放射能汚染瓦礫受け入れ反対と言っていたことを一生忘れては
いけない。 最大被災地である石巻では、遺体がまだ道端に転がっていた時期に、
関東では、『カラオケ如何ですか?』と言われた事もこの先一生忘れない。



3月12日に、石巻に救助に来ている外国人の通訳を依頼されたのだが、
被災度合いが余りにも凄まじ過ぎたため、結局は、石巻までは行けなかった。
被災当初は、飛行機しか移動手段がなかったため、ようやく実家に帰れたのは、
新幹線が福島まで再開したゴールデンウィークだった。 それまでは、親とも
一切連絡が取れず、関東には、詳しい情報もなかなか入って来なかったのだが、
福島県内では、放射能の話題がタブーのように、宮城県内では、死亡した人の
話題がタブーであるため、今でも自分の友人、同級生、知り合い、親戚、その他
諸々、誰が死んで、誰が生きているのか、詳しい事は分からない。 知った
ところで、どうする事も出来ないので、あえて、聞かない様にしているのも事実。



『がんばっぺし』という言葉を良く目にしたり、耳にしたりするが、一番言って
やるべき言葉は、『あんだも頑張らいん』だと思う。

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