がれきの町に赤い鉄骨だけを残す3階の建物。 宮城県南三陸町の防災対策
庁舎は、津波の激しさと被害の大きさを物語る施設として、繰り返し報道
されてきた。

屋上に避難した町職員ら約30人のうち、助かったのはわずか10人という悲劇の
現場。 その屋上で男性職員は、庁舎が大津波にのまれる瞬間をカメラに
収めていた。

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その時 何が 悲劇の防災庁舎でシャッター(宮城・南三陸町)
出典:河北新報

その時、南三陸町総務課の加藤信男さん(39)が構えたカメラの設定が正確
ならば、2011年3月11日午後3時34分だった。 海岸から約500メートル離れた
町防災対策庁舎を、巨大津波が直撃した。

『決定的瞬間』とか『決死のシャッター』だとか、ほめられた話じゃない。
こんな所まで津波は来ないと油断し、逃げ遅れた。 反省、後悔…。つらい
写真です』

激しい揺れが襲った時、隣接する木造の町役場1階にいた。 当時は企画課で
広報を担当して3年目。 『何かあったらすぐ写真を撮る。 それが習慣に
なっていた』。 揺れが収まると、使い慣れた一眼レフカメラを手に取った。

書類が散乱した役場内、屋外の様子。 『どうせ津波が来ても1、2メートル。
その時は防災庁舎に上がればいい』。 そう思いながら撮影を続けた。
『津波が来るぞ!』との声を聞き、加藤さんも庁舎屋上に上がった。

レンズ越しに眼前に迫る津波を見ても『恐怖心はなかった』。 波に足を
すくわれ、われに返った。 『まずい』その日は、町議会の最終日だった。
役場には佐藤仁町長や職員約40人、町議らがいた。 地震後、佐藤町長や職員、
町議の何人かが防災庁舎に向かった。

防災庁舎2階の防災無線の放送室では、危機管理課の女性職員が高台への避難を
繰り返し呼び掛けていた。

>>町民を救った 天使の声 ~遠藤未希さん~



津波が迫る。 職員らが屋上に続く階段を続々と駆け上がった。 間もなく、
巨大津波が屋上をたたく。 何人かは、そびえる無線アンテナにしがみついた。
加藤さんは首から提げていたカメラを、とっさにジャンパーの内側に入れた。
屋上を流され、やっとのことで外階段の手すりにつかまった。 階段の手すりに
背を向け、柵に左足を絡めた。

津波の猛烈な流れに押され、体は腰を支点にエビぞりになった。 体を起こそう
にも水圧に勝てない。 水位がどんどん上がる。 顔が激流にさらされ、沈み、
水を飲んだ。

死を覚悟したとき、胸ぐらをつかまれた。 『ほら頑張れ!』。 そばで同じ
ように津波に耐えていた副町長の遠藤健治さん(63)が、体を起こしてくれた。

激流の中で遠藤さんの手が離れると、また潜った。 『やっぱり駄目か』。
諦めそうになると、遠藤さんがまた、胸ぐらをつかんで引き起こす。 その
繰り返し。 生死の境を何度も行き来し、気付くと津波が引き始めた。

翌日、骨だけの庁舎に絡んだ漁網などを伝って、がれきが重なる地上に下りた。
しばらく体調がすぐれず、カメラを確かめたのは10日ほど後。 本体は壊れて
いたが、データは無事だった。

残っていた数十こまの写真には、犠牲になった上司や行方が分からない同僚の
姿も写っていた。

町は3月末、加藤さんが残した写真のうち6枚を、町のホームページで公開した。
関係者らの心情に配慮し、人物が写っていないこまに限った。

『みんなが真剣に津波防災に取り組む参考にしてほしい。 写真は避難が
遅れた証拠。 見た人には『津波の時はまず避難』と思ってほしい』

忘れたい出来事さえも伝え残さなければならない。 加藤さんら助かった
職員らは葛藤しながら、復興の前線に立ち続けている。

>>【南三陸防災庁舎】 町長不起訴『予見不可能』

【お勧めの一冊】


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