東日本大震災の最大の被災地である、石巻には、被災以前から、仕事というものが殆どない。

宮城県第二の都市といえども、交通の便がさほぼ良い場所ではないため、元々、製造業と
言うものがほぼなく、2000年前後に、大々的に、石巻港を拡張したため、石巻市は、
『東洋一の規模の港』とは言っているものの、企業誘致は、全く進まず、ハッキリ言ってしまうと、
まともな人材は、皆ここからは、出て行くしかない。 漁業に極端に依存し過ぎている街である
ため、発展性がそもそもない。

 

宮城県の最大の問題は、仙台への一極集中であり、その元凶となったのが、明治政府による、
全く無意味な場所への鉄道敷設。 石巻が宮城県第二の都市と言うのは、名ばかりで、現在の
仙台市泉区が、単独で、泉市として存在していた際には、その泉市にも人口で追い抜かれ、
石巻は、第三の都市に降格した。 その後、泉市は、仙台市泉区となったため、石巻が
第二位に繰り上がっただけ。
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現在の石巻駅は100年以上も前に開業した当時のまま

藩政時代は、仙台藩唯一の港町として、繁栄を極め、『仙台をも上回る』とまで言われた
石巻だが、今では、その面影すら一切残ってはいない。 これは、石巻の直ぐ隣にある、
涌谷も同様で、まともな鉄道のルートから大きく外されてしまうと、駅前自体が一切発展
しないため、それに合わせて、街自体が寂れてしまうという事実を端的に表している。

石巻市の隣の自治体である東松島市の人口は、約4万5千人あり、女川町は約1万人の
人口を抱えているため、今後の復興を考えると、全ての石巻地区が合併をするしかないと
思う。

仙台・塩釜港、松島港、石巻港の合併も決定しているため、『石巻港』という名称自体、
そう遠くない時期に消え去ってしまう。

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