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    タグ:津波

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    震災の直前、JR仙石線野蒜駅(宮城県東松島市)を同じ時刻に発車した2本の
    列車があった。 ともに4両編成の仙台行き上り普通列車と石巻行き下り快速列車。
    海沿いを走行中に地震に襲われ、2011年3月12日の朝刊は『野蒜駅付近を走行して
    いた列車と連絡が取れないとの情報がある』と伝えた。 乗客の明暗が分かれた。

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    その時何が 消えた列車(東松島)
    出典:河北新報

    3月11日午後2時46分。 2本の列車は、時刻表通り、野蒜駅からそれぞれの目的地へ
    出発した。 窓の外は雪が舞っていた。

    仙台に向かう上り列車の乗客は、会社員や小学生ら約50人。 駅を出てすぐ、携帯
    電話が一斉に鳴りだした。『宮城沖で地震発生』。 緊急地震速報だった。ほぼ
    同時に車両が揺れ始めた。 あちこちで悲鳴が上がった。 石巻専修大3年
    菊谷尚志さん(20)は思わず手すりをつかんだ。 『大人2人に揺さぶられて
    いるようだった』

    車両が緊急停止した場所は駅から約700メートル。 近くには東松島市指定避難所の
    野蒜小があった。

    『乗客を野蒜小に避難させてください』。 仙台のJRの指令担当者から無線指示を
    受けた乗務員の案内で、乗客は約300メートルの道のりを歩いた。 誘導された
    体育館には、既に100人以上が避難していた。

    【5年が経過した野蒜駅前】


    午後3時50分ごろ。『津波が来たー! 2階に上がれー!』。 入り口近くにいた
    菊谷さんは、男性の叫び声を聞いた。 人が殺到した近くの階段を避け、ステージ
    奥の階段へ走った。 そこも行列だった。 順番を待つ間に水は足首まで達した。

    現実感がなかった。 『映画みたいだ』と思った瞬間、近くの窓ガラスが次々に
    割れ、泥水が一気に流れ込んできた。 後ろにいた女の子やお年寄りが声もなく
    流されたが、なすすべはなかった。 必死で2階に上った。

    JR東日本仙台支社によると、少なくとも乗客1人が体育館で亡くなったとみられる。
    混乱の中、安否を確認できた人数は約20人。 2カ月が過ぎた今も、体育館に避難
    した乗客数すら『不明』のままだ。

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    津波は線路上の上り列車も押し流し、車内は1メートル以上浸水した。 菊谷さんは
    『もし車内に残っていたら、死んでいただろう』と振り返る。

    下り列車は野蒜駅から約600メートル走って緊急停車した。 幸運にもそこは十数
    メートルの高台だった。

    『とどまった方が安全だ』。 地元に住む年配の男性客が、乗客を外へ誘導しよう
    とした若い乗務員に助言した。 乗客と乗務員約60人は、最も高い位置にある
    3両目で待機することになった。

    高台は津波の襲来を免れたが、濁流にのまれる建物や車が窓越しに見えた。
    『上り列車は無事だろうか』。 石巻市の和泉徳子さん(51)は、野蒜駅で
    すれ違った列車の安否が気掛かりだった。

    乗客の男性たちが水に入り、流された家の屋根に乗って漂流していた70代ほどの
    男性を救出した。 震えるお年寄りを座席に横たえ、体をさすって温めた。
    『暗くなる前に一口ずつどうぞ』。 ある女性客が自分の弁当を周りに勧めた。
    それを機に和泉さんら他の乗客も手持ちの総菜や菓子、水を取り出した。 自然に
    分かち合いの輪が生まれた。

    1人だけ、心細そうな男の子がいた。 大人がさりげなく見守り、励ました。
    夜、母親が水をかき分けて車両にやって来た。 『みんな自分のことのように
    ホッとした』と和泉さん。 その晩、男の子は母の腕で眠った。 夜は長く、
    寒かった。 乗客は詰めて座り、互いの体温で暖を取った。

    【5年が経過した東松島市】


    12日朝。 乗客ら全員が車両を脱出、線路を歩いた後、トラックの荷台に揺られ、
    指定避難所の公民館へ向かった。

    『一人一人ができることをやった。 みんなの力で乗り越えられた』。
    和泉さんは今、そう思っている。

    【お勧めの一冊】


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    2011年の東日本大震災依頼、行方不明者の捜索が続けられているが、福島県では
    2015年1月18日に、最後の身元不明者の遺体引き渡しが行われた。 これにより、
    福島県での身元不明者の全ての遺体の引き渡しが完了したこととなる。

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    但し、警視庁の基準では、頭蓋骨のある遺体のみが死者と認定しているため、実際は、
    頭蓋骨のない部分遺体は、まだあるものとみられる。 震災からほぼ5年が経過し、
    頭蓋骨のない遺体どころか、部分遺体ですら見つからない状況が続いている沿岸部の
    被災地では、毎月11日の月命日に、集中捜索が続けられているが、手掛かりすら
    見つからない状況が続いている。

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    出典:福島民報 2016年1月20日
    東日本大震災から3日後の2011年3月14日、福島県いわき市久之浜のがれきの
    中で見つかった遺体と火葬後の遺骨を県警本部が調べた結果、津波と火災で
    行方不明になった、いわき市久之浜町久之浜字北町72、大工鈴木秀勝さん
    =当時(60)=と判明した。 福島県警本部災害警備本部が2016年1月19日
    発表した。 1月19日現在の県警集計の死者1,613人のうち唯一、不明だった
    身元が判明した。
     
    岩手、宮城両県には震災で犠牲になり身元が分かっていない遺体があり、全ての
    身元不明が判明したのは被災3県で初めて。

    同本部によると、遺体は震災のがれきを重機で撤去しようとした作業員が発見し、
    いわき中央署に届けた。 入れ歯や着衣、病院に残っていた生前のレントゲン
    写真との照合、発見場所などから総合的に身元を特定した。

    震災当時、鈴木さんは自宅か自宅近くにいて津波と火災に巻き込まれたとみられる。
    死因は特定出来ていない。 市が保管していた遺骨は震災から4年10カ月ぶりに
    18日、鈴木さんの遺族に届けられた。

    福島県警は警察庁の基準に従い、頭蓋骨のある遺体を死者と認定しており、
    福島県の死者数集計とは人数が異なる。 ただ、県内では依然、197人の
    行方不明者がおり、県警は引き続き捜索を進める。
    【お勧めの一冊】


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    【ウェブ署名は、こちらからお願い致します】




    東日本大震災では、これまでに経験をした事がない大地震が起こり、その直後に
    大津波が宮城県女川町を襲いました。

    七十七銀行女川支店は、津波常習地域の
    三陸海岸にある女川湾から、わずか100
    メートルの位置に立地しており、元々、
    海を埋め立てた場所にあったため、津波が非常に来やすい場所に立地していました。

    周囲には、ゆっくり歩いても3分程度しか
    離れていない堀切山があったのにも関わらず、
    地震発生後、支店長の指示に従い、
    行員全員が、わずか10メートルの高さしかない
    銀行の屋上へと避難をしたため、
    奇跡的に救出された1名を除き、12名の社員が
    津波の犠牲となり、8名の遺体は、
    未だ見つかってはいません。



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    一方、直ぐ目の前にある堀切山には、約650名の住民たちが避難をしていましたが、
    こちらはほぼ全員が命を守り切りました。 仙台銀行や石巻信用金庫の行員たちは、
    この堀切山に避難をして全員助かりました。

    七十七銀行女川支店は、地震と津波が
    日常的に発生する事でも有名な三陸に立地していながら、東日本大震災が起きる
    ほんの数年前に、堀切山と並列の避難
    場所として、10メートルほどの支店の屋上を
    避難場所として加えましたが、東日本大震災は、30年以内に99%の確率で起きると
    かなり前から予想されていた災害です。

    【専修大学公開講座 津波と裁判】



    本件は、企業側の防災対策の是非と、従業員の安全に対して、最大限配慮する
    義務を負う企業として、津波に際しては、出来るだけ早く出来るだけ高いところへ
    避難をするという鉄則に反し、より低くより危険な支店屋上を堀切山と並列の避難
    場所として追加した判断の是非に重点を置いています。

    歩いて3分足らずの場所に
    安全な避難場所があるにも関わらず、企業側は、安全
    配慮義務を怠り、社員を
    死に至らしめたものとして、企業側の安全配慮義務反を
    問うものです。

    また、銀行側には、その真実に向き合い、反省して再発防止に
    努めて頂きたいと
    切に願っています。

    これまでに、仙台地方裁判所、並びに、仙台高等裁判所では、
    二度に渡り、裁判
    自体が棄却されましたが、どうして、七十七銀行だけが、屋上
    避難だったのか?
    助かるはずの命であったと今でも強くそう思っています。

    仙台高等裁判所での
    上告に向けて、現在署名活動を行っていますので、ご協力の
    ほど、何卒よろしく
    お願い致します。

    七十七銀行女川支店 津波訴訟 2審も遺族側の訴え退ける判決



    【ウェブ署名は、こちらからお願い致します】



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    【rfcラジオ福島】
     息子はなぜ死ななければならなかったのか?




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    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    宮城県石巻市にある小高い日和山。 ここから見える場所だけで、約3,000名が
    津波の犠牲となった。 この地に、約1,200軒もあった家は、ほぼ全て津波で
    流された。 鉄筋コンクリート建てであった、市民病院や石巻文化センターも
    全て取り壊されてなくなった。



    石巻は、津波災害後に、流出した重油により、海が燃えたため、この辺り周辺
    では、大規模火災が起きて、数日間燃え続けた。 被災直後に、この場所に
    『探しています』と貼り出されていたのは、物ではなく人であった。 東日本
    大震災で最も酷い被災地をひとつだけ挙げるとすれば、この石巻の門脇地区周辺。

    日和山は、約50メートルほどの標高であるため、この地域周辺を見渡すことが
    出来るが、それと同時に、被災状況も目の当たりにすることとなる。 遠くには、
    牡鹿半島も望むことが出来るため、石巻随一の観光スポットであったが、今では、
    その観光客もまばらで、時折、津波災害の被災現場を見に来る人たちばかり。 

    【日和山からの景色】
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    以下の画像は、被災前と被災後の石巻の比較画像。 被災前の石巻の画像は、
    ウェブ上にもYoutubeにも殆ど残ってはいない。 この画像で比較すると、河口
    付近が津波で何もなくなったのが、良く分かる。 このような被災前の画像は、
    非常に貴重であるため、なかなか見ることが出来ないのだが、『がんばろう!石巻』
    の看板のすぐ隣に新しく出来た、『震災伝承』つなぐ館では、被災時の様々な
    資料が展示してあり、係員が常駐しているため、更に詳しい話を聞くことも出来る。

    【被災前後の石巻】
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    石巻は、仙台藩唯一の港町として栄え、港湾設備の規模では、東洋一とも言われて
    いるのだが、その施設の活用は、まだまだで、災害復興だけではなく、この先を
    見据えての都市計画も非常に重要となって来る。 現在、北上川の河口付近には、
    新たな橋が2本建設中であり、街の再開発が進んではいるものの、まだ目に見える
    変化は特にない。

    新たに建設された防波堤により、海岸沿いでは、海が全く見えなくなったが、その
    ようなハード面ばかりに頼るのではなく、防災意識を更に高めて、様々な自然災害
    にも打ち勝てる強い街づくりが今後必要になるであろう。 

    日和幼稚園
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    日和幼稚園』ご遺族で、語り部をされている佐藤さんに、送迎バスの資料を
    見せて頂いた。 これが、日和幼稚園の送迎バスの最後の姿。 1枚目の写真で
    見ると分かるのだが、家屋の屋根が上から覆い被さっていたため、バスが瓦礫で
    見えなかったそうです。
     
    現在、この場所は、道路工事の工事現場となってしまっている。 
    『頑張ろう!石巻』の看板の斜め向かいの場所なのだが、日和山のすぐ麓で、
    助けられたのではないかと何度も思ってしまった。 日和幼稚園の裁判は、
    既に園側とは和解しているのだが、その後、園長とは全く連絡が付かず、未だ
    謝罪すらしていない状況となっている。

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    がんばろう!石巻の看板も、この道路工事により、裏側からしか入れなく
    なった。 がんばろう!石巻の看板の下には、『復興するぞ!』と書かれている。
    この周辺にあった住宅街の面影は、今では全くなく、荒涼とした景色ばかりが
    続く。

     

    【新蛇田周辺】
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    新しく街開きをした新蛇田地区。 街開きとは『集団移転先』という意味。
    沿岸部の人達は、今後順次この場所へと移り住む事となるのだが、これで
    街開きをした言われても、一切何もない。 遠くに見えているのが、災害復興住宅。
    来年の3月に石巻めぐみ野駅が開業するため、駅が出来れば、多少なりとも活気が
    出るのかも知れないが、山側へ移転した仙石線の野蒜駅を見ても、期待は出来ない
    であろう。 この場所は、東松島市との境界線上にあるため、石巻西高校の
    高校生も利用する駅となる。 最後の2枚の画像は、先日X JAPANがライブを
    行った『石巻ブルーレジスタンス』。

    石ノ森萬画館

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    石巻編の最後は、『石ノ森萬画館』。 この漫画館自体も、川の中州にあるため、
    一時完全に孤立して、避難者が生活を共にしていた場所。 今では、すっかり
    リニューアルされて、その面影すらないが、こういう記憶は、大事にしたいところ。

    漫画館の前に建っているシージェッター海斗像は、津波で流され、後日瓦礫の
    中から発見されたのだが、破損度合いが酷過ぎて、東京の制作会社からキカイダー
    01の像共々石巻市に贈られたもの。 ご当地ヒーローで街興しをしている街は
    多々あるが、その先駆けが、石巻となっている。



    【お勧めの一冊】


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    ブログネタ
    3.11東日本大震災 に参加中!

    東北電力女川原発は、リアス式海岸の山中に立地しており、陸上からは、全く
    見えない。 よって、地元の人間でも、この画像以上の全貌は見た事がない。
    そもそも、この原発は、撮影禁止なのだが、撮影されたら困るような施設をこんな
    場所に作るなと言いたいところ。

    周囲は、津波災害により、全て消滅したのだが、この原発施設だけが残った。
    よって、津波が押し寄せた際には、この周辺の地域住民は、皆この原発へと
    避難をし、最大で
    364名が約3ヶ月間にも渡り、原発内の体育館で避難生活を
    おくっていた

    【東北電力女川原発 原子力PRセンター】
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    3月11日の本震以降、4月7日にも余震があったのだが、その際に、女川原発は、
    非常用
    電源回路5つあるうちの4つまで消失したため、後1本消失していたら、福島と
    完全に同じ運命
    であったというのは、地元では有名な話。 但し、女川原発の
    場合は、被災前まで、避難区域が、半径5キロ圏内に限定されていたため、直線
    距離で7.5キロ離れた女川の町は、避難区域ではなかった
    。 これらの情報は、
    下記の動画でもハッキリと述べている
    のだが、何故か、関東へは一切伝わっては
    いない。

    東日本大震災で最大の死者を出した石巻市は、この女川原発の立地自治体で、
    直線距離で15キロ程度しか離れていないが、テレビでは、その事を一切触れ
    なかった。 この女川原発の全貌を見たければ、女川から遊覧船に乗って、
    金華山に行くと目の前に見える。



    東北電力女川原発にある原子力PRセンター。 映像ホールは、好きな動画を好きな
    だけ見れるという、大変太っ腹な場所であるため、お言葉に甘えて、3本も動画を
    見てしまった。 尚、東北電力管内にある7つの原発(建設中を含む)のうち、
    東北電力の施設は、2つだけで、残りの5つは、全て東京電力と関東のための施設。

    東北電力女川原発 原子力PRセンター
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    特に、福島第一、第二原発は、100%関東へ送電をするためだけにあるための
    施設であるため、本来、そこから放出された放射性物質は、関東で処理すべき
    もの
    。 それを全て東北に押し付けているため、理不尽極まりない。 福島に
    あるその他の火力、水力発電所も、ほぼ全て関東へと送電をしている
    ため、
    非常時に、関東からは送電をする事が出来ずに、事故へと繋がった。


     
    元々、福島県、岩手県、山形県へは、宮城県から送電をしているため、宮城県が
    大規模被災をすると、この周辺の県も全て停電するという歪な送電関係にある
    ため、
    被災後に多少改善してとは言え、根本的な部分が解決されていないため、東京
    電力は、東北からは出て行くべき。 福島第一原発へ最終的に送電を行ったのは、
    東北電力ですが、仙台でも大規模停電をしていた時期に、関東のために送電を
    続けた東北電力は、関東から感謝されて当然だと思いますが、その事すら、関東
    では一切報道しておりません。 因みに、映像ホールの動画は、撮影OKですが、
    原発の写真だけは、何故か禁止となっている。



    【お勧めの一冊】


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    東日本大震災の最大の被災地、宮城県女川町の現在の姿。 余りにも変わり果てており、
    大規模な道路工事により、通常の国道から女川の町には入れなくなっていました。 現在、
    女川の中心部まで車で行く場合は、一旦、コバルトライン方向へと入ってから、再度、女川
    方向に戻るしかありません。



    現在、堀切山から望む女川の中心部には、建物のひとつすらありません。 女川に押し
    寄せた津波の高さは、この堀切山をも超え、25メートル前後と言われています。 但し、
    この堀切山は、階段で更に上に登れるのと、山上にある女川町地域医療センターの
    建物が4階建てであるため、そこへ登って、多くの人達が命を守り切りました。

    【堀切山から望む女川の中心部】

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    女川は、死亡率で見ると、住民の10人に1人が死亡した、東日本大震災最大の被災地
    ですが、すぐそばに女川原発があるせいなのか、その被災状況は、全国では全く伝え
    られてはいません。 今回は、この献花台で『七十七銀行女川支店』のご遺族の田村さん
    ご夫婦と『日和幼稚園』のご遺族の佐藤さんと待ち合わせをしてからこの献花台へと
    向かいました。 共に、語り部をされていますので、女川、石巻へお越しの際は、お話を
    聞いて、命の大切さを今一度考え直してみては?



    まずは、田村さんご夫婦に、『七十七銀行女川支店』の被災状況を伺いました。 田村さん
    ご夫婦は、毎週末、この場所で、語り部を続けていますので、一度訪れてお話を聞くだけの
    価値は十分にあると思います。 JR石巻線の終点駅である女川駅からも、さほど遠くあり
    ませんが、行く度に道路が変更になるため、若干分かりづらいかも知れません。
     
    【七十七銀行女川支店の被災当時の惨事を伝える資料】
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    石巻や女川の人達は、『かつてない地震』とは言うものの、『宮城県連続地震』の被災地
    から見れば、東日本大震災の地震の方が、地震災害としては、相当ましだったため、
    東日本大震災を未曾有の大地震と言うのには、かなりの疑問が残ります。

    【七十七銀行女川支店の被災当時の惨事を伝える資料】

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    献花台の前で語り部活動中の田村さんご夫妻。 この日は、新聞社の方が取材をして
    いました。 暑い日も寒日も、夏も冬もここで語り部を続けています。 医療センターが
    ある堀切山の一段下の部分にこの献花台があるため、遥々堀切山まで来た人達でも、
    この献花台に気付かずに立ち寄らない人達も実は多いのが現状。
     
    七十七銀行女川支店は、海のすぐそばにありましたが、海側にあった4階建てのマリンパル
    女川の建物が完全に邪魔をして、津波が来たのが銀行の屋上からは、全く見えなかった
    そうです。 仙台銀行、石巻信用金庫の行員達は、全員堀切山に避難をして助かって
    います
    。 企業側の防災に対する意識の違いひとつだけで、明暗が完全に分かれた事案と
    言えます。

    【2015年12月24日に新しく街開きした女川駅前】

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    2015年の3月に移転再開したJR石巻線女川駅。 200メートルほど内陸側に移転
    しましたが、この程度の移動では、恐らく、何の意味もないでしょう。 元の駅前は、
    若干嵩上げして、新しい町を建設していますが、元々、その場所は、津波で全て消滅した
    場所なので、再度津波が襲って来た場合は、ハッキリ言って、ひとたまりもないでしょう。
     
    この女川だけは、津波の威力が余りにも凄過ぎて、女川駅のホームに留めてあった
    気動車が山の上にまで流されて横転していたり、4階の屋根の上に車が刺さっていたり、
    山の上に家屋の屋根だけが流されていたりしました。 更に、鉄筋コンクリートの建物が
    横転したのも女川だけ。

    現在女川駅は、無人駅になりました。 駅の中には、温泉施設の『ゆぽっぽ』と無料の
    足湯がありますが、これは、絶対に原発マネーで掘り当てたものだと前々から思って
    います。 ここは、女川原発からは、直線距離で7.5キロしか離れていません。

    ゆぽっぽの入湯料は500円なので、関東の感覚だと安いと思います。 津波で流される
    前の足湯には、屋根があったのですが、今の足湯には、屋根がないので、雨が降った
    時には傘が必要です。

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    女川で唯一残った倒壊した建物。 3つあった倒壊した震災遺構は、その2つが既に
    取り壊されたため、女川派出所のみが女川駅前に残りました。 新しい町と倒壊した
    建物、両極端な組み合わせですが、ほんの2年程前まで、この場所は、山のように
    高い瓦礫置き場でした。

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    東日本大震災で多大な被害を受けた、宮城県名取市閖上地区で、旧閖上中学校の解体
    工事が始まった。 周囲には、高台等はなく、この中学校が唯一の高い建物だったが、
    多くの命を救った中学校の解体は、大津波により、ほぼ更地となった閖上地区の安全面
    にも不安を残す結果となった。

    yuriagechu

    閖上地区の大震災前の人口は、5,612人だった。 しかし大津波で壊滅した閖上は、かつて
    活気に満ちた漁港を中心にほとんど更地と化してしまった。 名取市の犠牲者数は1,027人
    (不明者は119人:2011年6月10日現在)にも上っており、そのほとんどが閖上地区に集中
    している。 9月末の人口は2,410人となり、犠牲者だけでなく、多くの住民が閖上から姿を
    消したことを物語っている。

    多くの人が犠牲になった主因は、他地域と同様に、まさかここまで津波は来ないとの
    思い込みによる避難の遅れであるが、ここ閖上にはもう一つの要因、車での避難者が
    大渋滞に巻き込まれて身動きが取れないまま多数の人命が失われたことが挙げられる。



    2階に留まれば助かった公民館から津波が来る直前に強引に中学校に移動を指示した。
    公民館から一斉に避難を始めた車が渋滞に拍車を掛けた。 仙台方面への大動脈である
    閖上大橋上で事故があり通行止めになったため仙台方面への車がどんどん溜まり、
    たちまち身動きがとれなくなった。
     
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    河北新報 <閖上中>悲しさ悔しさ…感謝 校舎と惜別
    宮城県名取市閖上地区で2015年12月24日、旧閖上中校舎の解体工事が
    本格化した。 関係者は複雑な思いで作業を見守り、校舎との別れを惜しんだ。

    校舎は1980年の完成。市は11月に正面の時計を取り外して以降、内装の解体や
    照明・備品の撤去を進めてきた。 この日から建物本体の解体を始めた。

    震災時は津波で1階部分が水没した。 周囲には高い建物がなく、3階や屋上などに
    住民らが800人以上避難して命をつないだ。

    同校に2年まで通った東北学院大1年菊地雄也さん(19)は、母訓子(のりこ)さん(52)と
    作業を見つめた。 「心のよりどころとして校舎を残してほしいという思いがあった。
    悲しさと悔しさが入り交じっている」と揺れる胸中を明かした。

    閖上で語り部の活動を続ける訓子さんは、義理の両親が避難して助かった校舎への
    感謝をにじませた。 「ここに素晴らしい学校があったことをしっかり語り継いでいく」
    と話した。

    市は早ければ本年度中に旧閖上小校舎の解体にも着手する。 同地区には新たに
    小中一貫校を建設する計画で、2018年春の開校を目指す。
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    東松島市は、2003年の『宮城県北部連続地震』でも大規模被災をしているが、
    その当時、野蒜地区は、余り被災しなかったのだが、その隣の小野、大塩地区は、
    震源地の真上にあったために、大規模被災し、かなりの家屋が被害を受けた。

    過去に東日本大震災よりも大規模な地震に遭遇しているため、、野蒜小学校
    校長の証言にも『地震は予知出来なかった』とは出ていないのだが、野蒜
    小学校は、海から、ものの数百メートル程度しか離れていないため、津波が
    予想出来なかったというのは、教育者としても余りにも甘い考え方。

    付近を走っていたJR仙石線の乗客達も、地震発生直後に全員野蒜小学校の
    体育館へと避難をしたが、校長が校舎への入り口の鍵を掛けてしまったため、
    その一部は、津波に飲み込まれて死亡した。



    <野蒜小津波訴訟>校長『津波到達予想できず』
    東日本大震災で宮城県東松島市野蒜小体育館に避難し、津波で死亡した住民と
    児童計3人の遺族が市に計約5,300万円の損害賠償を求めた訴訟の口頭弁論が
    2015年10月22日、仙台地裁であり、当時の女性校長が『学校に津波が到達する
    とは予想できなかった』と証言した。

    校長は理由として、市防災マップで学校が避難区域外だったことや停電などで
    情報収集ができなかった点を挙げた。 津波情報の収集は『教頭に任せていた』
    と証言したが、学校に電池式のラジオがなく、情報収集ができなかったという。

    訴えによると、2011年3月11日の地震発生後、野蒜地区の住民らは市の地域防災
    計画で避難所に指定された野蒜小に避難し、校長らに体育館へ誘導されたとして
    いる。 校長は『児童は体育館に避難させたが、住民の避難は各自の判断
    だった』と反論した。

    死亡した3人のうち、児童1人は担任の女性教諭が同級生の親に引き渡し、
    学校より海側の自宅付近で津波にのまれた。 校長は『保護者に引き渡すのが
    あるべき姿だ』と認めつつ、『震災下では一つの判断。 引き渡し後の安全
    確保は同級生の親に委ねていた』と語った。

    児童を引き渡した担任は『(県教委の指針に)違反したかもしれないが、
    児童を早く安心させてあげたい一心だった』と当時の心境を語った。

    市の調査によると、体育館では住民ら計13人が死亡したとされる。


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    東北電力女川原発は、津波災害での事故は免れたものの、これまでに、度々地震での
    運転停止や、非常用電源回路の喪失事故を起こしているため、実際に事故が起きた際の
    具体的な避難場所を含めてのより実践的な訓練が必要。 特に、原発立地自治体の石巻は、
    市の全域が全て30キロ圏内に入るため、30キロ圏内の自治体だけでは、全住民の
    受け入れは不可能となっており、どの自治体が、どの程度の数の避難者を受け入れるのか、
    具体的な数値を決めなければならない。

    女川原発の体育館には、最大で364名が3ヶ月以上にも渡り、避難生活をしていましたが、
    大手メディアは、その事実を一切報じませんでした。 また、女川原発は、4月7日に起きた
    余震により、5本ある非常用電源回路の内、4本までもが消失し、後もう1本電源回路が
    消失していたら、福島と同じ運命でしたが、その事もこのビデオではハッキリと言っている
    ため、必見です。

    >>七十七銀行津波訴訟署名活動にご協力お願いします



    有事の際には、原発からギリギリ30キロ圏外にある涌谷町、美里町が、その受け入れ先の
    最前線になります。 原発のすぐそばに、航空自衛隊があるのは、全国でも石巻のみ。
    実は、女川原発は、撮影禁止のため、これ以上の画像はありません。
    IMG_1015
    日本で唯一のアクロバット展示飛行が出来る「ブルーインパルス」の本拠地は、石巻地区
    なので、全国の航空祭等でも、被災地の状況や、原発問題等もハッキリと言うべき。
    入間基地や百里基地まで、ブルーインパルスを見に行った際には、「ブルーインパルスは、
    被災地からやって来た」とは1度しか言わなかった。

    こちらの動画では、石巻市長面・尾崎地区には、震災後2年5ヶ月間も電気がなかったと
    ハッキリと言っています。 尚、この両地区に水道が開通したのは、東日本大震災から
    4年8ヶ月後の2015年11月。

     

    出典:河北新報
    東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)の重大事故に備え、県と原発から
    30キロ圏にある女川町など7市町は2015年10月30日、本年度の県原子力
    防災訓練を実施した。 自治体や自衛隊など70機関と住民約2万8000人が参加し、
    非常事態での対応や避難手順などを確認した。

    訓練は宮城県沖で地震が発生し、運転中の2号機が自動停止後に全交流電源と
    原子炉冷却機能が喪失。 炉心が損傷し、外部に放射性物質が放出された
    との想定で行われた。
     
    現地災害対策本部が置かれた仙台市宮城野区の暫定事故対応拠点
    (オフサイトセンター)では、国や県、7市町と参加機関の担当者が情報収集や
    住民への避難指示といった対応の確認に追われた。 村井嘉浩知事や7市町の
    首長らがテレビ会議を通じて状況を報告し、国に支援を要請した。

    7市町では住民も参加し、バス、自家用車での避難や屋内待避、ヘリコプター
    でのけが人搬送などに取り組んだ。 原発事故に備える避難計画策定後初の
    訓練となった東松島市は、30キロ圏の住民に防災無線やエリアメールで屋内
    待避を指示し、小中学校12校の屋内待避状況を確認するなどした。

    登米市豊里町から同市米山町の中津山公民館に避難した無職酒井和義さんは
    「訓練はスムーズに終わったが、本当の事故の場合は大変な渋滞になる
    恐れがある。 狭い道もあり、大型バスでは進みにくいかもしれない」と指摘した。
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    おのくんは、宮城県東松島市の『小野駅前応急仮設住宅』の主婦らがひとつ
    ずつ手縫いで作っている、サルがモチーフのキャラクターのぬいぐるみ
    (ソックモンキー)。 東日本大震災からの復興への願いが込められている。
    『めんどくしぇ』が合い言葉となっている。



    来年は、さる年という事で、最近、にわかに注目を集めている大人気商品と
    なっており、通信販売で『おのくん』を手に入れようとした場合、1年半待ち
    となっているが、陸前小野駅前にある『空の駅』 、あるいは、
    『小野駅前応急仮設住宅』まで行けば、その場で手に入れる事が出来る。
    元々、この仮設住宅まで足を運んで欲しいという願いが込められているため、
    通信販売には、余り力を入れてはいない。 『おのくん』の制作には、その
    大きさにもよるが、概ね、1時間半程度掛かるとのこと。

    【空の駅】
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    小野地区は、12年前の「宮城県連続地震」の際にもかなりの被害を受けており、
    この周辺一体は、震度6強連続3回という激震に見舞われたため、多くの家屋が
    倒壊したり、屋根にブルーシートを掛けたりして、何とか復興への道を歩み
    だしたのだが、その6年後には、「東日本大震災」が発生し、地震被害こそ
    受けなかったものの、その後に発生した津波が、この陸前小野駅周辺まで到達し、
    再び被災地となったもの。 よって、住宅に関しては、二重、三重ローンを抱えた
    まま仮設住宅で暮らしている人達も居るのが、この地域の特徴。 家を二回連続で
    失った人達の場合は、再度住居を建設しようとしても、かなり難しいのと、
    この周辺一帯が、津波で浸水したため、再度家屋を建築しても、また津波が
    やって来るのではという不安が捨てきれない。

    東松島市の場合は、市域の六割以上が津波により浸水してしまったため、
    陸前小野駅から見て、海側に家があった人達は、陸前小野駅よりも内陸側に
    家を建てた人達が多い。 新しく家を建てた場所も津波によって浸水した場所
    なのだが、この周辺には高台が少ないため、この周辺に住みたい場合は、
    どうしてもこうなってしまうのが実情。

    【小野駅前応急仮設住宅】
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    「空の駅」とは、東松島市内にある「航空自衛隊松島基地」の事を指しており、
    日本で唯一のアクロバット飛行が出来るブルーインパルスの本拠地らしい名前と
    なっている。 『空の駅』は、1年半後の本格運営を目指して、現在募金を募って
    おり、より正確に言うと、1年半後には、この周辺の仮設住宅が全てなくなるため、
    それまでにこの『空の駅』を何とかしないと、この先、どうにもならなくなる
    という意味でもある。


     
    『おのくん』以外にも、ブルーインパルスグッズが多数あるため、
    ブルーインパルス好きのお方にもオススメの場所かも知れません♪

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    東日本大震災の津波災害により、宮城県南三陸町の防災庁舎では、職員43名が死亡する
    という未曾有王の大惨事に見舞われたが、職員が避難をする際に、適切な避難指示を
    出さなかったのは、佐藤仁町長の責任であるとして、町職員の遺族らが、業務上過失致死
    容疑で告訴していたが、2015年9月28日、仙台地検は、この件を不起訴処分とした。

    20120625065406

    地検は、町沿岸に高さ十数メートルの津波が到達するという統一的な見解がなかった点に
    着目していた。 町側が事前に津波を予見するのは不可能で、刑事責任を問うのは難しいと
    判断したとみられる。  町の防災計画では、宮城県沖地震(連動型)が発生した場合、
    同町志津川地区の津波の最高水位を6.9メートルと想定。 庁舎は、防災計画に基づき、
    高さ約12メートルで建てられた。 宮城県警は今年3月、捜査結果を地検に書類送付した。
    津波の予測は困難で立件できないとの意見書を付けたとみられ、地検が慎重に調べて
    いた。
     


    防災庁舎は、震災で15.5メートルの津波に襲われた。 震災発生から丸20年の2013年
    3月10日まで県有化され、震災遺構としての保存の是非が検討される。 告訴した遺族の
    男性は、『処分理由が分からず、弁護士と相談して検察審査会への申し立てを検討したい』
    と話した。

    >>町民を救った 天使の声 ~遠藤未希さん~

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    2015年5月末に約4年3ヶ月ぶりにJR仙石線が営業を再開し、それに合せて新たに
    街開きを行った野蒜駅前。 駅前には何もないという話は聞いてはいたものの、
    余りにも工事が進んでいなかったため、絶句。。 現状、野蒜駅前には、この駅舎
    以外、一切何もなく、建物がひとつもない。 線路を山側に移設した新野蒜駅の
    ホームからは、旧野蒜駅、現在のファミリーマートが見えているが、新駅舎に登る
    ための階段がないため、道路を使って旧野蒜駅まで行こうとすると、坂道を下って
    約1キロ程度の道のりとなる。

    野蒜地区は、約10mの高さの津波が襲い、何もかも流されてなくなったため、
    山側のこの場所への集団移転が決まっているものの、移転工事がかなり遅れている
    ため、災害復興住宅が完成するまでには、これから2年程度掛かる。 野蒜地区、
    宮戸地区の被災者の一部は、東松島市と災害協定を結んでいる美里町に建設された
    仮設住宅で丸4年間生活をしていたが、その仮設住宅も、今年の3月で全てなく
    なった。

    新たに建設された新野蒜駅付近
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    野蒜駅
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    野蒜駅
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    野蒜地区入口
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    野蒜駅ホーム
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    野蒜駅前
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    野蒜駅前
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    野蒜海岸(石巻方向)
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    野蒜海岸(松島方向)
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    東名駅

    福島の自主避難者に関しては、メディアでも色々と伝えているものの、野蒜や
    石巻の被災者の事は何も伝わってはいない。 宮城県の被災状況は、関東を
    はじめとする、その他の地域には、情報が5%も伝わってはいない。 よって、
    関東方面からわざわざ被災地まで行っている人達は、全てネットから情報を得て
    いる。 写真だけだと余り伝わらないと思うが、360度何もないこのような景色
    ばかりが続く。

    東北最大の海水浴場である野蒜海岸では、約500名が津波の犠牲となったため、
    震災から丸4年経過した今でも海開きをしていない。 これから先、10年後に
    海開きが出来るのかすらも分からない状況となっている。 現在、この海岸
    部分では、約15mほどの新たな防波堤の建設が行われており、3年程ほど前
    までは、それと同じ高さの瓦礫が同じ場所に積み上げられていた。

    この場所は、本州では、最もアメリカ大陸に近い場所であり、元々津波が到達
    しやすい場所であるため、25年ほど前にも、防波堤のかさ上げ工事を行ったが、
    そのかさ上げした5m程度の防波堤は、一切何の役にも立たなかった。
    被災後に宮城県内で海開きを行った海水浴場は、5ヶ所のみとなっている。

    旧野蒜駅付近
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    陸前大塚駅
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    陸前大塚駅
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    陸前大塚駅
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    廃止された仙石線跡
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    廃止された野蒜駅跡
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    廃止された野蒜駅跡
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    津波災害後の野蒜駅前
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    仮設住宅
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    新たに新設された慰霊地蔵

    東松島市内の復興状況は、他の被災地を比べると、恐らく、一番遅れており、
    この場所は地盤沈下により、3年4ヶ月もの間、海水に沈んでいたため、
    陸地に戻って、まだ1年も経過してはいないが、それでも中央メディアでは、
    全く報道されないため、東松島に来る人は、かなり稀。

    元々、野蒜港は、「明治3大築港」と呼ばれ、明治初期に建設された、日本でも
    指折りの港だったが、開港から数年後に台風によって破壊されたため、その
    代わりに、横浜に港が開かれた。 よって、横浜開港◯◯周年は、野蒜港が
    消滅して◯◯周年と言っているのとほぼ同じ。

    東名駅前も、野蒜駅前同様、5月末に路線を山側へと移転し、新しい街を
    建設中だが、やはり周辺には、1軒たりとも建物がない。 旧東名駅からは、
    歩いて10分以上も掛かる坂道の上にあるため、ここに街を移転しても、それを
    嫌がる人が出るかも知れない。 わざわざ新しく建設した筈の道路も、かなり
    遠回りとなるため、高齢者には非常に住みづらい新しい街が建設されている。
    被災前の東名では、潮干狩りが非常に有名だったが、津波災害後は、いつ
    潮干狩りが再開するのかすら分からない。



    【野蒜小避難訴訟】 仙台地裁、現地調査へ 時期や範囲を協議 2015.07.17
    東日本大震災で東松島市野蒜小体育館に避難し津波で亡くなった住民と児童
    計3人の遺族3人が、避難誘導に過失があったなどとして市に計約5,300万円の
    国家賠償を求めた訴訟の口頭弁論が2015年7月16日、仙台地裁であった。

    弁論では、遺族側が裁判所に現地調査を求めていることが分かった。 地裁は、
    現地調査を実施する意向で、実施時期や範囲について現在協議を進めている
    という。

    訴えによると、地震発生後、亡くなった3人のうち2人は野蒜小体育館に避難
    した後、津波で犠牲になった。 もう1人は同校児童で下校後にいったん
    体育館に避難したが、教員から他の児童の保護者に引き渡され、自宅付近で
    車を降りた後に津波で亡くなったとしている。

    【瑞巌寺の塩害】
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    国宝にも指定されている瑞巌寺は、伊達家の菩提寺であり、伊達政宗の正室、
    陽徳院愛姫が祀られているが、その瑞巌寺の景色が一変していて、絶句。。
    樹齢400年を超える杉の木林が、塩害により概ねなくなった。 松島は、津波
    被災地の中では、一番ましな被災度合いであったものの、この付近は、1メートル
    程度の津波を被ってしまったため、日本三景松島のお土産屋も長期に渡って
    休業を余儀なくされた。

    その後の復興は順調であったが、塩害の被害は、かなり深刻。 毎年夏の
    灯篭祭りの時期には、この杉林の下でろうそくを灯して、幻想的な景色を見る
    事が出来たが、今では、こんな寂しい景色になった。 瑞巌寺では、過去の
    観光客を呼び戻そうと、これまで非公開であった陽徳院愛姫の廟所を期間
    限定で公開している。

    【お勧めの一冊】


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