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東日本大震災における犠牲者は、死者・行方不明者合わせて約2万人の人々が
犠牲になった。 だが、そのうち未だに身元が分からない人の数は、2,500人
以上にものぼる。 つまり、津波災害での犠牲者のうち、8人に1人は未だに
見つかってはいない。
東日本大震災発生から、4年以上が経過し、メディアやマスコミも一時期ほど
震災について語らなくなっており、一部では、完全に風化している。 但し、
このような状況とは裏腹に、数千体にも及ぶ身元不明者や、発見されても身元が
分かっていない遺体は、今はどうなっているのだろうか。
『遺体――震災、津波の果てに』(石井光太著・新潮社)。 この本は、岩手県
釜石市における震災直後の遺体安置所や遺体捜索の状況を克明に記録した
ノンフィクションであり、『遺体 ~明日への十日間~』として映画化された。
この映画は、300円の有料ではあるが、youtubeでも見る事が出来る。
岩手県釜石市では、震災の翌朝から廃校になった中学校が遺体安置所となり、
毎日何十体もの遺体が運び込まれていた。 市の職員による遺体搬送、地元の
医師による死体検案、歯科医による歯型確認などが行われ、身元が分かった
順番に遺族に遺体が引き渡された。
市内中心部にあった遺体安置所は、約2カ月で閉鎖される事となった。 遺体の
発見数が減った事で、後の作業は警察に任されることになったのである。
津波による遺体は、医師免許を持った者が死体検案を行って死因を解明した後で
なければ火葬を行う事が出来ない。
震災の直後に、遺体安置所には、多くの遺体が運ばれて来たが、その大半は、
窒息で亡くなっていたため、体に傷が余りなかった。 しかし、夏以降に
見つかった遺体は、瓦礫や海の底から発見されてくるため、かなり傷んでおり、
腐敗が相当進んでいる事もあった。 海に流された遺体は、魚に食われたり、
ガスがたまったりして傷みが激しい。 また、津波と共に流れて来る瓦礫に
巻き込まれているうちに、バラバラになってしまう事もある。
なければ火葬を行う事が出来ない。
震災の直後に、遺体安置所には、多くの遺体が運ばれて来たが、その大半は、
窒息で亡くなっていたため、体に傷が余りなかった。 しかし、夏以降に
見つかった遺体は、瓦礫や海の底から発見されてくるため、かなり傷んでおり、
腐敗が相当進んでいる事もあった。 海に流された遺体は、魚に食われたり、
ガスがたまったりして傷みが激しい。 また、津波と共に流れて来る瓦礫に
巻き込まれているうちに、バラバラになってしまう事もある。
しかし、年末から年始に掛けて見つかった遺体は、遺体全部が残っている事が
少なく、特に海底から発見されたものは、手だけとか足だけ、あるいは頭だけという
部分遺体が大半となった。 部分遺体の身元が明らかになる事は多くはないため、
「身元不明遺体」となって、お寺など、一カ所に預けられる事になる。
少なく、特に海底から発見されたものは、手だけとか足だけ、あるいは頭だけという
部分遺体が大半となった。 部分遺体の身元が明らかになる事は多くはないため、
「身元不明遺体」となって、お寺など、一カ所に預けられる事になる。
遺体の損傷が激しくなると、DNA鑑定が有効ではなくなる。 鑑定結果の数値が
80%を超えると身元が確実になるが、最近見つかる部分遺体は、60%前後が
多い。 こうした遺体は、部分遺体のまま火葬され、部分遺骨となって、番号を
ふって安置する。 しかし、部分遺体でも、稀に後で身元が分かる事があるという。
80%を超えると身元が確実になるが、最近見つかる部分遺体は、60%前後が
多い。 こうした遺体は、部分遺体のまま火葬され、部分遺骨となって、番号を
ふって安置する。 しかし、部分遺体でも、稀に後で身元が分かる事があるという。
マスコミは部分遺体については、ほとんど報じないが、こうした悲しい出来事は
今でも続いている。 そして、部分遺体は、少しずつ増えている。
東日本大震災最大の被災地である石巻市門脇地区では、2015年5月31日に、
被災直後以来、4年3ヶ月もの年月が経過して、初めての遺体捜索がようやく
行われた。 門脇地区では、今でも147名が行方不明のままとなっている。
【2015年6月10日、警察庁発表】
死者 行方不明者
宮城県 9,540人 1,242人
岩手県 4,673人 1,129人
福島県 1,612人 201人
全国 15,892人 2,576人
震災関連死者数 3,194人
全国避難者数 21万2千人
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