多言語のススメ ~ロシア・東欧情報~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    【プロフィール】
    旧ソ連・ロシア、オーストリア、カナダ、ベルギーに語学留学経験あり。
    1991年より、一貫して通訳・翻訳や海外営業等の語学専門職としての経験を
    積んでおり、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語他の多言語を扱う
    語学のプロ。 専門はロシア語⇔ドイツ語の通訳論、言語学、並びに心理学。
    詳細はLinkedInを参照。

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    タグ:江戸時代

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    2017年に市制施行100周年を迎えた八王子市を代表する『八王子まつり』は、
    昭和36年に『八王子市民際』として発展、昭和43年に『八王子まつり』 と
    改称されたもの。 祭りの中核となっている八王子の山車の濫觴は、江戸時代の
    中期にまで遡ると言われ、280年の歴史を有している。

    【八王子まつりの山車】
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    地元の宮大工の建築技術と江戸の山車人形を組み合わせた八王子独特の山車文化
    として発展して来た山車は、現在では19台あり、『山車総覧』、『辻合わせ』が
    行われ、その華麗な祭礼絵巻は、伝統文化の華とも言われている。

    その後、関東屈指の山車祭りとしても知られるようになり、八王子の山車の
    特徴である『彫刻山車』に加えて、戦後復元された山車人形6体と、江戸後期の
    1本柱山車の復元などにより、江戸往時の祭り風情を再現するなど、八王子の
    山車に新たな魅力が加えられた。

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    歴史は常に勝者の視点でのみ語られる。 明治維新は、薩摩と長州が中心となって
    成り遂げられた、いわば、クーデターだが、薩長は自分たちを官軍、幕府側を
    賊軍とし、維新後は江戸時代を全否定した。 

    2018年は、明治維新から150周年ということで、改めて、明治維新を批判し、
    江戸時代を振り返る本が多数表れているため、歴史の歪曲を再度考える上でも
    明治維新とは一体何だったのかと再び問いかける必要性がある。

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    幕末の偉人と呼ばれる人物では、最も偶像化されているのは、吉田松陰なのだが、
    松陰は、松下村塾を開き、徳川幕府の転覆を企てた極左テロリストのひとりで、
    その罪により、安政の大獄で粛清された最後の1人となったのだが、大河ドラマ
    『花燃ゆ』が始まる前までは、Wikipediaにもハッキリとその事が明記されていた
    ものの、ドラマが終わる頃には、完全に内容が書き換えられ、国家的テロリストが
    完全に美談にされてしまった。 これは、正に洗脳教育の賜物と言う事が出来る。

    来年度の大河ドラマも西郷隆盛を持ち上げるためだけの『西郷どん』であるため、
    この大河ドラマも似たりよったりな低レベルな洗脳ドラマであることが容易に予想
    されるため、まともな人間は見ないであろう。

    例えば、明治維新以降、徳川幕府の鎖国政策は間違いで、鎖国ゆえに日本の近代化が
    遅れたと批判されたが、実際は『江戸四口』と言って、長崎でオランダに、薩摩で
    琉球に、対馬で朝鮮に、松前でアイヌにと、必要に応じて門戸を開いていた。
    それ以外は国を閉じていた訳だが、そのことで外国からの脅威にさらされること
    なく、内政に力を注ぐことが出来たのである。



    江戸・徳川幕府は、270年間続いたが、その間に舟運、特に、日本海、瀬戸内海を
    通って北海道や日本海側の港と大坂、江戸との間で交易する北前船が盛になり、
    日本経済を大きく発展させた。 陸では東海道、中山道、日光街道、奥州街道、
    甲州街道の五街道が整備されだが、17~18世紀にこれだけ街道が整備されていた
    国は世界でも殆んどなかった。 加えて多くの宿場が設けられ、伝馬、駕籠、
    飛脚が置かれ、通信も発達した。

    更に、新田開発によって、関東と東北との舟運が開かれた。 徳川家康が江戸に
    入った頃、利根川は今のように太平洋ではなく、東京湾に注ぎ、頻繁に氾濫を起こす
    暴れ川であった。 そこで家康は、人工的に今のように流れを変え、堤防や農業用
    用水路を作り、その「利根川東遷事業」によって水害が防がれた。

    江戸時代には、下水道の整備が盛んに進められたが、玉川上水など『江戸の六上水』
    が敷かれ、下水道と区別された。 そのお陰で、江戸の町の衛生が保たれた。
    同時期のパリやロンドンが糞尿まみれだったのとは大違いである。 長屋ごとに
    井戸があり、そこで米や野菜を洗い、洗濯するためにおかみさんたちが集まり、
    井戸端会議という地域コミュニティが形成された。 つまり、最も重要な
    インフラは、明治時代ではなく、江戸時代に構築されたということになる。

    江戸時代の識字率は同時期のイギリスなどに比べて、遥かに高かったというデータが
    あり、そうした教育水準の高さを背景に、人材面でも、岩瀬忠震、水野忠徳、
    小栗忠順の『幕末の三傑』のような素晴らしい幕臣を輩出した。 岩瀬は日露和親
    条約、日米修好通商条約を締結し、水野は日蘭、日露、日英、日仏修好通商条約
    全てで調印し、小栗は世界一周を経験し、軍事の要職を歴任し、海軍国日本を作る
    べしと提唱した。

    新撰組は、時流に上手く乗ることをあえて拒否し、賊軍側について戦死して行った。
    戦後、日本では、官軍、賊軍という薩長史観を仕込まれた。 しかし、賊軍とされた
    東北や北海道などでは、官軍は正義でも何でもなく、無理やり喧嘩を仕掛け、
    強奪して行った泥棒だと言われている。

    歴史は、勝った側だけを見れば良いのではなく、勝者、敗者両方の側から見な
    ければ、真実は見えて来ないのである。

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    1612年、徳川秀忠によってキリスト教の禁教令が布かれた。 当時天草は、
    関ヶ原の戦いに敗れたキリシタン大名、小西行長に代わり、唐津領主、寺沢広高が
    治めていた。
    人々は実際の石高の2倍にあたる重い年貢に苦しめられていたが、更に禁教令が
    布かれたため、ママコフ神父は、信仰を禁止された天草の民に向かって『25年後、
    16歳の天童が現れ、パライゾ(天国)が実現するであろう』との預言を残し、
    マカオに追放されたと伝えられている。 その後、大凶作に見舞われた天草の
    人々は、信仰の禁止と厳しい年貢の取り立てに増々追いつめられて行った。

     

    そんな折、16歳の少年、天草四郎が現れ、天草一揆軍の最高指導者となった。
    天草四郎は、元和7年(1621年)、あるいは、元和9年(1623年)に生まれたと
    されており、寛永15年2月28日(1638年4月12日)に島原の乱で討ち取られるまで、
    最高指導者とされた江戸時代初期の切支丹である。 本名は益田四郎で、諱は
    時貞と言った。 豊臣秀吉の息子である、豊臣秀頼の落胤であったとする伝説も
    あるが信憑性は低い。

     

    口之津(長崎県口之津町)で年貢が納められなかった家の妊婦が、寒中の川に
    さらされ、殺される残虐な事件を機に、民衆の怒りが爆発。 天草四郎を総大将
    として、まず島原で火の粉が上がり、一揆群は大島子の戦い、町山口川の戦いで
    勝利を収め、勢いに乗って富岡城を攻めたが、難攻不落の富岡城陥落をあきらめ、
    次は海を渡って原城へ向かったものの、3ヶ月間の籠城の末、大勢の幕府軍に
    敗れてしまった。

    【天草】
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    熊本県天草市にある天草四郎メモリアルホールでは、天草・島原の戦いの発端や、
    天草四郎の人柄、南蛮文化などを詳しく展示してあり、そのすぐ傍らには、
    天草四郎の墓がある。

    天草四郎メモリアルホール
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    先月、日光に行った際に、『日光江戸村』に立ち寄ったのだが、『ニャンまげ』
    等に代表される、ゆるキャラのイメージとは打って変わって、この日光江戸村には、
    【裏スポット】なるものが存在致している。 この場所は、昔の刑務所のような
    場所を忠実に再現したものなのだが、余りにも忠実過ぎて、良い子のおこちゃま
    には、完全に『トラウマ』になる事間違いなし。 それでは、詳細に見て
    参りましょう。

    まずは、入り口から。 とりあえず、一見何もない、普通の江戸時代の門構え。
    実は、この先は、恐怖のズンドコですw

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    こちらは、拷問を行う際に使用した、ギザギザの台座。 この上から、更に、
    重い石を乗せて、受刑者を拷問に掛けた。

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    貼り付け台。 この上に、罪人を貼り付けて、処刑しました。 説明を受け
    ないと、何なのかすら分からないので、それほどグロくはないかも知れない。
    その下が、具体的な貼り付け方法と、処刑の仕方。 非常に事細かく説明
    されているため、容易に処刑の瞬間を想像出来ます。

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    昔の留置所。 この広さの場所に、約80人を収容しており、罪人が多くなると、
    『病気』と偽って、適当に口減らしを行っていたそうです。 よって、留置所が、
    罪人で溢れる事はなかったとか。

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    江戸時代、初犯の場合は、刺青の刑で済まされる事も多かったのだが、わざと
    人目に付く場所に、刺青を入れられたため、その後、一生『前科者』としての
    烙印を押されて、差別の対象とされ、社会復帰は、ほぼ無理だったとか。
    その罪の回数や重さにより、刺青の入れ方も決まっていたのだとか。 その下は、
    100叩きの刑のやり方。

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    罪人を桶の中に入れて埋め、通行人にのこぎりで、1回づつ、首を引かせて
    処刑する方法。 後に、この処刑方法は、残忍過ぎるとして、禁止になったとか。

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    打ち首の刑に処せられた人たちは、日本橋の入り口にあたる、わざと目立つ
    場所に、3日間さらされ、庶民の教訓とされた。 罪状まで、事細かく書かれて、
    その家族も、辱めを受けた。 今で言うところの、『恐怖政治』なのかも知れない。

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    姦通罪に処せられると、このように人前でさらされた後に、打ち首に処せられた。
    どうせ、首をはねられるのであれば、最初から、首をはねて欲しいような・・

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    36歳で処刑された、鼠小僧次郎吉。 元々は、とび職の職人で、賭博で身を
    持ち崩し、その資金稼ぎのために盗人稼業に手を染めるようになったと伝わる。

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    如何でしたでしょうか、日本の残忍な風習。 人権も減った暮れもない、
    江戸時代に生まれたのが、運の尽きだったという事なのでせうか・・・

    それにしても、親子連れに人気の『日光江戸村』にこのような残忍な
    【裏】スポットがある事自体、驚きの旅でした♪

    日光江戸村
    の全体画像は、こちらをご覧下さい♪

    【お勧めの一枚】


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    今回目指しまするは、奥日光。 ご存じの通り、日光東照宮は、世界文化遺産ですが、
    今回は、その奥まで参ります。 さて、日光の更に奥には、一体何があるかと申しますと、
    鬼怒川温泉、川治温泉、湯西川温泉等に代表されるリゾート型温泉群と、平家の隠れ里。
    湯西川温泉が、その平家の隠れ里です。

    鬼怒川温泉付近は、かなり大規模に開発されておりまして、狭い鬼怒川渓谷の両岸に、
    大規模なリゾートホテル群が所狭しと立ち並ぶ、日本でも有数の温泉観光地となって
    おります。 その他、この付近には、『日光江戸村』『東武ワールドスクエアー』他の大規模
    テーマパークも多数あります。

    宇都宮を発ち、車を走らせる事約2時間で、『日光江戸村』に到着致しました。 江戸時代の
    風景を忠実に再現した『江戸ワンダーランド 日光江戸村』の画像をたっぷりとお楽しみ下さい♪

    日光江戸村
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