横浜通詞 ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    横浜通詞】横浜、大阪、仙台にある多言語翻訳会社
    多言語を専門とした翻訳会社を運営しています。 日本語⇔英語の他にも、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語、中国語、韓国語他、世界80言語以上に対応しています。 お気軽にお問い合わせください。

    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    タグ:水害

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    オランダの正式名称は、『ネーデルラント王国』で、オランダ語で
    『ネーデルラント』は『低い土地』という意味。 オランダの国土は、
    北海に面し、ライン川等の大河の河口に出来た三角州に位置している。

    netherlands

    面積は、4万1,574平方キロで、日本の九州とほぼ同じ面積となっている。
    そのうち、約27%は、界面よりも低い土地となっており、海面下にある
    土地全体の平均水位は、マイナス3.5メートルとなっている。 国土は、
    殆ど平で、最も土地が高い地域は、南東のベルギー、ドイツとの国境地域で、
    標高は321メートルとなっている。

    オランダの西部や北部の沿岸地帯や、ライン=ワール川流域の海抜は、
    マイナス2~3メートルとなっており、最も低い場所では、マイナス6.7
    メートルとなっている。 北部の沿岸に沿って、テッセル島をはじめとした、
    大小10の島々から成るウエストフリース諸島が連なっている。

    南部では、海抜2メートル以下の平坦な土地が続き、東部では、海抜100
    メートル程の低い丘陵地となる。 更に、東に進むと、標高約50メートルの
    丘陵地帯を含む海抜20メートル程のなだらかな平地がドイツまで続いている。
    オランダの緯度は、かなり高いため、夏は午後11時頃まで日が長く、冬は夜が
    長くなる。 9月には、次第に日が短くなり、長く暗い冬が訪れると、天気は
    どんよりした曇りの日が続く。

    オランダは北海道よりも北に位置しているが、北大西洋海流の影響を受けて
    いるため、温暖な気候となっている。 最も暑い7月の平均気温は、17~18度、
    冬は0度前後の気温が続き、昼夜の気温の差はあまりない。 寒さが極まる
    2月頃には、運河が凍って、天然のスケートリンクとなる。

    LuchtfotoBmz

    低地の国であるオランダは、古くから度々洪水や浸水に見舞われた。
    その歴史は、水害との戦いの歴史とも言える。 人々は、洪水を防ぐために
    土を盛って堤防を築き、自分達が住む土地を守った。 更に、沼地や湖、
    海辺等に堤防を作り、水を囲い込んで風車や蒸気機関の力で水をかき出して
    運河等の水路を通して海に流した。 干拓地の水路には、水門を設けて、
    推移の調整を行っている。

    こうして、オランダ人は、現在の国土の約2割以上を干拓によって作り出した。
    そのため、オランダでは、『世界は神がお作りになったが、オランダは、
    オランダ人が作った』という言葉がある。

    13世紀に初めに干拓が初められてから、19世紀までに、4,700平方キロの土地が
    開かれた。 20世紀に入ってからは、国をあげての大規模な治水工事や干拓が
    行われ、1985年までに1,900平方キロの干拓地が作られた。

    img991

    ゾイデル海の干拓は、北海沿岸部の洪水を防ぎ、主に、農業用の干拓地を作る
    ためのものだが、全長30キロの締め切り大堤防を作り、ゾイデル海を北海から
    切り離し、アイセル湖という大きな湖に変えた。 そして、湖に5つの干拓地を
    作る計画を立て、そのうち、4つが完成して、約14万ヘクタールの広い土地が
    作られた。 この干拓により、国土の面積が約4%増え、フレボーラント州
    というオランダの12番目の州が生まれた。

    しかし、1970年代頃から、干拓事業は、自然環境を壊すものだとして、反対
    運動が起こり、財政難もあって、5番目の干拓地は完成されず、現在は、自然
    保護区となっている。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote
    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    宮城県美里町は、12年前の「宮城県連続地震」の最大の被災地。 この付近を
    流れる鳴瀬川は、白鳥の越冬地としても有名で、冬になると、白鳥が大量に
    飛来する。

    03668417

    2003年7月26日、1週間も降り続いた長雨の直後に震度6強連続3回という地震が
    発生したため、この周辺は、液状化現象を起こして、概ね地盤沈下した。
    その際に、堤防も決壊し掛けたのだが、元々、この付近には、この堤防以外に
    高い場所が一切ないため、堤防が切れてしまうと、一巻の終わり。 先日の
    集中豪雨で堤防が決壊した大崎市の渋井川は、実は、この川の15キロ上流にある。



    但し、この堤防は、12年前の連続地震が起きた後に、丸2年間もの歳月を掛けて
    (一部の家屋は、別の場所へ移転)、堤防の厚さを3倍強に補強し、更に、昨年
    再度堤防を補強したため、このような頑丈な厚さの堤防となった。 砂利道の
    部分が、被災後に付け足した部分で、それ以前は、このサイクリングロード
    として舗装されている部分の厚さしかなかった。

    【3倍強の厚さに補強された堤防】
    IMG_0712
    IMG_0715
    IMG_0716
    IMG_0718
    IMG_0720
    IMG_0721
     
    宮城県連続地震」が発生した際に、最も被害が酷かったのは、墓地付近で、
    概ね50センチ~1メートルほど、墓石が沈下した。 お寺と神社も完全に倒壊した
    ため、その後、5年間に渡り、それぞれ、年間で5万円づつ檀家料を徴収された。

    この付近だけは、人口が少ないという安易な理由により、被災地指定からも
    外されたため、瓦礫の処理は自腹だった。 町が瓦礫の処理の費用を半分負担
    したため、若干ましにはなったものの、それでも、東北の家屋は、全て大きいため、
    それぞれの家庭で、60万円~200万円程度の費用が掛かった。 その際に、税金を
    一部免除されたのだが、その金額は、何と1,000円。

    家を失い、住む場所すらなくなった人達に対する免除額が1,000円とは何とも
    情けない話し。

    美里町は、2016年1月で合併10周年なのだが、10年経過した今でも、ハッキリ
    言って小牛田と仲が悪いのは、その当時、小牛田が被災しなかったため。
    当時は、震度4強程度の揺れだったらしい。 よって、小牛田の人達は、この
    事実を覚えてはいない。

    この付近は、家屋がもれなく倒壊したため、田舎町なのに、新しい家屋だらけ
    なのだが、家を建てられなかった人達は、町から出て行ったため、その後、
    人口が劇減りした。 すぐ近所の小学校にあった仮設住宅は、2年キッカリで
    撤廃された。 東日本大震災では、東松島市の仮設住宅がその小学校のすぐ裏に
    建設されたのだが、そちらは、2015年の3月まで、丸3年間あった。 連続地震の
    すぐ後に、市町村合併の話が持ち上がったため、予算を使い果たした町には、
    既に合併を拒否出来るだけの力は残ってはいなかった。
     
    【復旧が完了した墓地と石巻から移転して来た工場】
    IMG_0724
    IMG_0725
    IMG_1060
    IMG_1051
    IMG_1055
    IMG_1057
      
    この周辺は、市町村合併前までは、町の中心部だったのだが、合併後は、
    何もかも小牛田に持って行かれてしまったため、何もなくなった。 この
    付近の住民は、元々、小牛田方面へは行かないため、2015年の4月からは、
    バスすらなくなった。 バスの終点は、元々は、小牛田などではなく、涌谷
    だったのだが、市町村合併後に、強引にルートを変えられたもの。 

    この場所は、東北最大の海岸である野蒜からは、15キロ地点にあるのだが、
    東日本大震災が発生した際に、この川を伝って、津波が遡上して来たため、
    堤防内にあった木が殆どなくなった。 東日本大震災の際には、家屋の倒壊は
    1軒もなかった。 その理由は、倒れそうな家屋は、12年前に全て倒壊したため。
    美里町は、石巻からも至近距離にあるため、被災後は、石巻港から2つの工場が
    移転して来た。



    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村

    このページのトップヘ