宮城県気仙沼市の気仙沼向洋高(生徒344人)は、東日本大震災の津波で校舎が
大きな被害を受けた。 現在、産業経済科は気仙沼西高(気仙沼市)、情報海洋科は
本吉響高(同)、機械技術科は米谷工高(宮城県登米市)に分かれて授業を受ける。
校舎分散によって通学に長時間かかったり、部活動のために学校を移動したり、生徒は
不自由な学校生活を余儀なくされている。

学校で何が 生徒3カ所に分散(宮城・気仙沼向洋高)
出典:河北新報

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まだ人影もまばらな午前6時過ぎ。 気仙沼市唐桑町の福祉施設前の停留場で、梶原
初城君(15)は眠そうな表情でスクールバスに乗り込んだ。

気仙沼向洋高の機械技術科1年。 毎朝午前5時に起床し、自宅から50キロ以上離れた
米谷工高に、スクールバスで通っている。

父母と祖母、妹の5人暮らし。 『早く手に職を付けたい』と、実業高の向洋高を志望した。
将来は自動車関係の工場で働くのが夢だ。

しかし、希望に包まれるはずの高校生活は、入学式前につまずいた。 学校は震災で
津波をかぶり、校舎は全壊。 授業開始は2011年5月上旬まで遅れた。

さらに、向洋高が科ごとに分散したため、通学先は同校から20キロ以上離れた米谷
工高に代わった。 向洋高であれば1時間程度だった通学時間は、倍の2時間になった。

午前8時、スクールバスは米谷工高に到着した。 梶原君は『バスに2時間も揺られると
正直疲れる。 少しずつ慣れてきたとはいえ、やはり学校は近くにある方がいい』と
つぶやいた。

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学校分散は、部活動にも影を落としている。
午後5時の気仙沼西高グラウンド。 向洋高ラグビー部の生徒ら約30人がパスの練習を
始めた。 米谷工高や本吉響高で授業を受けた後、部活動のために、バスで駆け付ける
部員を待ってスタートする。 震災前より1時間半も遅い始動だ。

昨年の県大会で4強に勝ち進んだ強豪だが、ことしの練習量は少なめ。 西高の生徒も
練習しているため、グラウンドを広々と使うわけにもいかない。

週5日実施していた平日の全体練習は、週3日に減らした。 練習後に車で迎えに来る
保護者の負担を減らすための措置だ。 残る2日は、各自が筋力トレーニングを行う
ように指導している。

顧問の舩引裕介教諭は言う。 『保護者に毎日車で迎えに来てもらうわけにはいかない。
こちらは間借りしている立場なので、限られた時間とスペースで効果的な練習を心掛けて
いる』

学校は3つに分かれても、生徒たちの思いは1つだ。 生徒会執行部が6月、今年の
体育祭について、各校で参加するか、向洋だけで実施するかをアンケートしたところ、
後者が89%に達した。

生徒からは『一つの高校なので、向洋だけで思い出をつくりたい』『今はバラバラに
なっているけれど、みんなそろってやりたい』などの声が相次いで寄せられた。

武田元彦教頭は『各校に分かれても、向洋を思う生徒の思いはひしひしと感じる。 文化祭を
含め、一つにまとまるイベントを何とかして成功させたい』と語る。

11月、向洋高は気仙沼高(気仙沼市)の第2グラウンドに2階建ての仮設校舎を建設し、
再出発する。 分散した三つの科は1カ所に集まり、再び元の形に戻る。

学校分散に区切りがつくことが、梶原君の当面の夢だ。

『産業経済科にも情報海洋科にも友だちはたくさんいる。 いつでも自由に会えるように
なるよう、早く校舎が完成して欲しい』

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