ウズベキスタンの人口は、約2070万人で、そのうちの71.4%がウズベク人である。
彼らは、トルコ系民族(この民族は、以前は中央アジアで遊牧民として生活
していた)に属し、イスラム教スンニ派を信仰している。

Uzbekistans

人口の8.2%を占めるロシア人が最大の少数民族で、以下、タジク人4.7%、
カザフ人4.1%、タタール人、朝鮮人、キルギス人などが住んでいる。 約2%を
占めるカラカルパク人の定住地域は、1932年に自治共和国になった。

ウズベク人の名前は、14世紀に部族を統合支配したキプチャク・ハン国の君主、
ウズベクの名に由来する。 17世紀には、ブハラ・ハン国(18世紀以降ブハラ
首長国)、コーカンド・ハン国、ヒバ・ハン国が形成され、今日のウズベクの
国の基礎が築かれた。

これらの国は、今世紀初頭まで存在した。 1860年台、1870年代、ロシア人が
勢力を拡大し、ウズベク人の統治地域は、彼らの支配を受けるようになった。
コーカンド・ハン国は帝政ロシアに完全に併合されたが、ブハラ・ハン国と
ヒバ・ハン国は、その保護領となり、ある程度の自治が認められた。 ロシア
皇帝政権のロシア化政策の結果、早くも1898年には民族の反乱が起こり、
その後発生した1916年の大蜂起は、トルキスタン全域を巻き込んだ。

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【20世紀の歩み】
1917年に権力の座に就いたボリシェビキ派は、長い戦いの後、中央アジアにおいて
勝利を収めた。 支配体制の再編が繰り返され、1924年に『ウズベク・ソビエト
社会主義共和国』が設立された。 同国に属していたタジク自治共和国が、1929年
には『タジク・ソビエト社会主義共和国』として独立し、連邦構成共和国に昇格
した。 ウズベキスタンのソビエト化は、暴力をも辞さずに遂行された。

民族運動は弾圧されていたが、1980年代になって盛んになった。 ウズベキスタンは
1990年8月31日には独立宣言を採択した。 同年12月21日は独立国家共同体
(CIS)に加盟した。 隣接するキルギスやタジキスタンとは、国境問題や少数民族
問題のことで対立している。 また、国内の民族抗争も大きな問題となっている。

1989年には、スターリン時代にグルジアからウズベキスタンに移住して来た、
メンシェビキ派の人々に対する敵対も起こっている。 このように国内での対立が
表面化して来たため、ここ数年、10万人ものロシア人とウクライナ人がウズベクの
地を去っている。

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