カナダの先住民族であるファースト・ネーションズの祖先は、人類の南北アメリカへの
移動に伴って、カナダへやって来た人々である。 数千年に渡る人類とこの地との
関わり方は、ファースト・ネーションズの生活にもそのまま反映している。

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16世紀にフランス人とイギリス人がカナダへやって来て、住むようになったが、彼らは、
ファースト・ネーションズと交易をしたり、戦ったりした。 カナダという名前は、この頃に
出来たもので、イロコイ族の言葉で『村』をを意味する『カナタ』が起源だと言われている。

18世紀になると、フランスとイギリスが互いに戦うようになった。 イギリスが勝利したが、
フランスの影響は、今でもカナダに色濃く残っている。 その後、世界各地からやって来た
移民達も国家建設に貢献して来た。

歴史学者によれば、最初にカナダにやって来た人達は、1万5,000年から3万年前に
アジアと北アメリカを繋いでいた陸地を渡ってやって来たという。 それから、彼らは、
次第にカナダ中に散らばって行った。 西暦1,000年頃に、スカンジナビアから来た
バイキングが定住してたグリーンランドから、レイフ・エリクソンが、ニューファウンド
ランドにやって来た。

彼は、発見した土地を『ヴィーン・ランド』(ワインランド)と名付けた。 恐らく、その
名前なら他の入植者をも引き付けるだろうと期待したのだ。 しかし、それ以降は、
わずかな数のバイキングがやって来ただけで、入植は長続きしなかった。

次にやって来たヨーロッパ人は、イギリス王国に雇われたイタリア人のジョン・カホットで、
1497年の事であった。 帰国した彼がカナダの海は、豊富だと報告すると、イギリスと
フランスの漁師は、こぞって漁に出向いた。 ヨーロッパ人は、カナダには、金が沢山
あると思っていたが、実際に見つけたのは、魚、木材、毛皮といった、別の種類の
宝物だった。

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フランス人ハンター達が毛皮を求めて、カナダ内陸部を探検するようになり、カナダに
『ヌーベル・フランス』という名の植民地を建て、アカディア、ケベック、モントリオールを
入植地とした。 入植者達は、ヒューロン族や、他の部族と手を結び、強敵イロコイ族と
戦った。 フランス人宣教師がキリスト教を広め、カナダで最初の教会が作られた。

フランスがカナダ東部に入植し、ミシシッピ川に沿って、現在のアメリカの方へと南下して
行く一方で、イギリスは、ハドソン湾周辺を探検していた。 ハドソン湾の名前は、
1610年に船でここへやって来たヘンリー・ハドソンにちなんだものだ。

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ヨーロッパで何世紀にも渡って対立して来たフランスとイギリスは、ここでもやはり争う
事となった。 イギリス人農民とフランス人毛皮商人が土地問題で争いを始め、入植者、
兵士、ヨーロッパの船員、そして、ファースト・ネイションズまでをも巻き込み、北アメリカの
統治をめぐり、1689年から1763年までの間に4度の戦争を繰り広げた。 最後の
戦いとなった七年戦争(フレンチ・インディアン戦争)は、1763年に終わり、イギリス軍が
勝利を治めてカナダの統治権を獲得した。

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