スルプスカ(セルビア人)共和国の首都バーニャ・ルーカの中心部。
スルプスカ共和国は、ボスニア連邦政府の支配は受けていないため、
ボスニアの国旗はひとつもなく、セルビア国旗しかありません。 中心部は、
こじんまりとしており、歩行者天国を中心に、商店街が軒を連ねています。

【セルビア正教会】
IMG_1729
IMG_1730
IMG_1731
IMG_1732
IMG_1733
IMG_1734
IMG_1737
IMG_1741
IMG_1743

バーニャ・ルーカ中心部にあるセルビア正教会。 ボスニア・ヘルツェゴビナ
には、3つの宗教がありますが、そのうちの教会の1つ。 基本的に、正教国家は、
キリル文字を使用しています。 セルビア正教会には、ろうそく立てがなく、
この教会には、ろうそく自体もありませんでした。

歩行者天国を中心としたバーニャ・ルーカの中心部。 『未承認国家』と聞くと、
暗いイメージがありますが、全く逆で、かなり明るい雰囲気です。 未承認国家
とは、単にアメリカに認められるか否かの違いだと思います。 ボスニア・
ヘルツェゴビナでは、旧ユーゴ内での内戦の後、各民族間による住み分けが進み、
多くのセルビア人がサラエボからこのバーニャ・ルーカへと移り住んだそうです。
雰囲気的には、同じボスニアでも、ムスリム人とクロアチア人が中心のボスニア側
とは、全く雰囲気が異なります。

【市中心部】
IMG_1744
IMG_1745
IMG_1746
IMG_1748
IMG_1747
IMG_1749
IMG_1751
IMG_1752
IMG_1754

バーニャ・ルーカの中心部には、恐らく、内戦で死亡したであろう、英雄を祀る
場所があります。 スルプスカ共和国は、ほぼセルビアと同じであるため、現地で
最大の銀行は、ロシアのズベルバンクです。 ロシアとセルビアは、非常に仲が良い
国であるため、この他にも、ガスプロム、ラーダ等のロシア企業もところどころに
ありました。

スルプスカ共和国博物館。 過去の歴史を一同に展示していますが、途中からは、
戦争の展示に変わります。 スラブ人は、大きく分けると、ロシア人等の
東スラブ人、ポーランド人等の西スラブ人、セルビア人等の南スラブ人に大別
出来ますが、他のゲルマン民族やラテン民族とは異なり、分化したのが遅かった
ため、スラブ語は、それぞれの言語で喋っても、大体理解出来る程似ています。

【スルプスカ共和国博物館】
IMG_1755
IMG_1756
IMG_1758
IMG_1759
IMG_1760
IMG_1763
IMG_1767
IMG_1777
IMG_1779

スルプスカ共和国の展示物。 民族衣装の展示ですが、南スラブ人は、オスマン・
トルコの影響を強く受けているため、かなりアジアっぽい雰囲気が入っています。
セルビアは、長らくオスマン・トルコの支配を受けていましたが、イスラム化
せずに、セルビア正教を貫きました。逆に、イスラム化したのが、ムスリム人
ですが、元々は、セルビア人とクロアチア人がイスラム化した人達。 ヤドランカが
弾いていたサズの展示もありましたが、元々は、シルクロードを通って、ペルシャ
から伝来した物。 日本にもシルクロードを通って、ほぼ同じ物が伝来し、琵琶に
なりました。

何故かキリル文字とローマ字が混在しているプレートを発見。 どちらも同じ
アルファベットなので、文字変換は以外に簡単。 ロシア語をローマ字で書くと、
ほぼチェコ語になりますw 最後の一枚は、バーニャ・ルーカの平均的な家屋。
内戦後にリフォームされているため、外観的に新しい家が多いです。

バーニャ・ルーカを後にして、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の首都サラエボを
目指します。 バーニャ・ルーカからサラエボまでは、約3時間半の道のり。
ボスニアは山がちの国であるため、途中はほぼ全て山脈で、厳しい山越えが待ち
受けていました。 途中でボスニア側に入りますが、国境を越えた途端に雰囲気が
一気にイスラム化するため、見た目で分かりました。

>>トップページに戻る

【お勧めの一冊】




クリックをお願いします☆
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村